闖入者で楊は動きを止める
楊は現場と自分の部下を交互に見て、天の神様を呪った。
ここは楊と相棒だけで処理する予定の現場だったからだ。
ところが、呼んでいないはずの部下が全員、こんにちはという風に楊の目の前に現れたのである。
楊の心臓は痛いくらいの鼓動を打ったが、それは驚いたからだけではなく、楊の後ろに立つ相棒からこれ以上ないくらいの殺気を受けているのもあるだろう。
相棒の髙悠介は楊と同じ身長、同じような細めの体型だが風貌はまるっきり逆で、一重の瞳の地味な顔立ちながら元公安の経歴によるものだろうか飄々とした雰囲気を纏っている格好のいい男性である。
だが現在の彼には飄々さはない。
ギリギリだ。
なぜならば、里子に出した愛犬が返品されたせいで、彼の愛妻が再びノイローゼに陥ったという私生活があるからだ。
私生活を仕事に持ち込んでどうすると、楊は髙に言うべきなのだろうが、この事態を引き起こしたのが確実に楊の親友に違いないと思うと、彼が髙に何を言えるだろうか。
百目鬼と髙は常に敬語を使いあって線引きをしながらも、双方嫌がらせをし合って喜んでいる節があり、楊は自分が彼らの関係に少なからずの嫉妬を持っていると自覚もしている。
髙は楊に対しては相棒でありながら指導教官のような時もあるが、百目鬼に対しては常に対等な間柄のようなのだ。
それでも楊は自分の方が髙と付き合いは長いのだからと自分を慰め、相棒の凄みを増している殺気を受け取りながら、部下達をどうするべきかと見返した。
部下の数は減っている。
髙の薫陶を受けている山口が事態を把握するのは楊よりも早く、彼が自分の相棒と課の新人の腕を引いて現場の外に出てくれたのだ。
残念なのは、人間には腕が二本しか無いと言う事だ。
いや、腕が二本あることを憂いるべきだろうか。
山口が腕を引けなかったもう二人、佐藤と水野は楊の両腕にしがみついてきて、楊の次の言葉を待っているのである。
「君達はこれから旅行でしょ?帰っていいよ。」
言いたいが、言えない。
この二人は天邪鬼だ。
楊が帰れと言えば居残りたがり、そこにいろと言えば大人しく従うのである。
「あれ、意味が分かんなくなった。天邪鬼じゃなくね?」
「かわさんたら急に何を言い出すの。それで、この現場って何なの?すっごいグロい。」
水野が楊の左腕にしがみ付いているのはわかっているが、腕には物凄く気持ちのよい感触を与える大きなものが、さらにぎゅうむと腕に押し付けられた。
楊は水野に「胸が当たっているよ。」と教えるべきか一瞬迷ったが、今日も黙っている事にした。
明るい色の髪の毛をショートにした水野は、垂れた大きな目と大きな胸から呑気そうで癒し系の雰囲気を持っているが、その頭を飾る髪の毛先が悪戯そうにクルクル巻いている様と同様に、ただのフランクな乱暴者でしかないのだ。
楊は時々臆病者になる事を恐れない。
さらに、右腕にも柔らかい感触が与えられた。
右腕にしがみ付いている佐藤は、水野と違いスレンダーであるが、出ている所はちゃんと出ているのは伊達では無かったようである。
佐藤には注意すべきかもしれないと思ったが、佐藤こそ異性どころか同性の腕に絡まった事も無い人だと思い出し、この二人は楊がびくっとするそこを楽しんで腕を絡めてくるのだと気が付いた。
振り払ってやろうか?
そんな悪意が芽生えたそこで、楊は再び現場を見回した。
輸入雑貨店の倉庫部分となっている四畳半もないスペースには、大量の割れたガラス瓶の破片と大量の血溜まりが残っている。
ここで従業員の五人の内四人がおもちゃの人形の様にバラバラに引き裂かれ殺されていたのだ。
楊達が立つのは現場そのものでなく、売り場の倉庫の扉前のスペースだ。
扉は押さえを使って開かれたままにしてあるが、そこから見えるのは楊と髙が簡単に片付けた後の溢れかえった血みどろの床である。
この先に一歩踏み出せば、楊の両腕にしがみ付いている二人にも一番見せたくないものが見えると考え、彼は腕にしがみ付く二人を引き連れながら、一歩だけ後ろに下がった。
下がる時に楊は気が付いたが、佐藤と水野は簡単すぎる程に簡単に動いた。
二人は倒れる寸前なだけだったと、楊は溜息を吐いた。
「どうしようかね。」
早く決めねば、楊を睨む教官が怖い。