第五十四話
「 ―― 何だって?」
銘がそう問い返すと。
明は、ちらっと彩を見やり。
それから、あらためて口を開く。
「贈収賄。彼、二科展や芸術賞の審査委員をやってたでしょう?」
「ああ、そうだろうね。有名な人だから」
「それと、盗作疑惑。あとは、名画の贋作を作ってたこと。かなり大掛かりに。しかも、組織的にね」
「盗作だって?」
「そう」
「まさか。何かの間違いだろう? あれだけの才能を持つ人間が、どうしてそんなことをする必要が…」
そう言い掛けて。
彼は、はっと口を閉ざした。
いつの間にか、彩は泣き止んで。
しっかりと、明を見返していたからだ。
「…やっぱり、こういうことになったのね」
彩は、他人事のように呟いた。
何もかも承知していたかのように。
明がCDを止め、テレビのボリュームを上げると。
美術評論家やコメンテーターの、冷ややかな声が聞こえてくる。
「いや、わたしもね。最初からおかしいと思っていたんですよ。彼の手法はあまりにもころころ変わり過ぎる」
「荒川さんもお気付きでしたか。それにしても、日本を代表する洋画家が、盗作するとは…」
「彼はこれまで調子に乗り過ぎてましたよ。その割には、あまりにもお粗末な結末ですね」
手の平を返したような放談に、微かな腹立ちを感じながら。
銘は彼女を支えて立ち上がり、カウンターへ向かう。
それからあらためて、子機を受け取った。
本多と話すために。
「凄い騒ぎになってるみたいだな」
彼もまた、他人事のような言い方をする。
けれど。
銘にはすでに判っていた。
このことを、このタイミングでリークしたのが誰であるか。
「…本多さん」
「うん?」
「どうして、こんなことを?」
「話せば長いんだが。実は、俺と槙村は縁戚でね」
「えっ?」
「向こうもこっちも離婚再婚の多い家系なんで、ちょっと複雑なんだが」
「ええ」
「パリに移住した時も、あいつがいろいろと口利きをしてくれたんだ」
「はい」
「でも、俺は全く信用してなかった。あいつは昔から変わり者で、隠れて卑怯なことをするタイプだったし」
「……」
「講師時代も、学生の作品を流用したり。気に食わない奴を潰したり。随分と汚い真似をしててな」
「……」
「これまで売ってきた絵だって、あいつ本人が仕上げたものなんか一枚もない」
「何ですって?」
「昔はどうか判らんが。結婚してからはずっと、女房に描かせていた筈だ。そこにいる、槙村彩に」
信じられずに、彼女を見ると。
聞こえていたのか、彩ははっきりと頷いた。
「おかしな話だよ。盗作どころじゃない。あいつの富と名声そのものが、架空の存在だったんだからな」
「まさか。そんなことがあるんですか?」
「業界では有名な話さ。一般には知られてないだけで。何かと便利な奴だったから。暗黙の了解みたいなものだ」
「……」
「ことが大きくなったのも、別に俺のせいじゃない。誰もがあいつを引きずり下ろしたがってたからな」
「……」
「調子に乗ったあいつは、お前が妾腹であることまで書かせようとしたんだ。週刊誌の記者を買収して」
「……」
「それをまた自慢げに、俺に報告してきたもんだから。俺とお前の繋がりを、相当甘く見てたんだろうな」
「……」
「これは、誰のせいでもない。自業自得ってもんだ。俺はただきっかけをくれてやっただけで」
「…ええ」
「すっきりしたか? 少しは」
「複雑ですね」銘は、正直にそう答えた。「これから、一体どうなるのか…」
「それは、お前が心配することじゃない。あいつの問題だ。お前がやらなきゃならないことは他にあるだろう?」
「……」
「まずは、話し合って手を切ることだ。盗作や贋作製作に加担していた以上、彼女だってただでは済むまいさ」
「……・」
「そこに、いるんだろう?」
「…はい」
「知らない仲じゃないからな。ちょっと話させてくれ」
銘が電話を渡すと、彩は素直に受け取って。
長い間、相槌を打ち続けていた。
その横顔を眺めている間に、明が珈琲を淹れてくれる。
カップを受け取り、スツールに座り直してからも。
彼には、状況がよく把握出来ていなかった。
別れ話と、突然の逮捕劇と。
マスコミの空騒ぎと、その当事者の妻。
彼の思考は、パズルのピースのようにばらばらで。
散乱した薔薇や絵と同様に、上手く噛み合いそうにない。
何もかもが終わったのだという安堵感と。
結局、自分では何も出来なかったのだという自己嫌悪。
彩の隣にいて、明と向かい合いながら。
その二つが、繰り返し襲ってくる。
それでも。
盟友である明が、そこにいてくれることと。
長い電話を切ったあと、彩が、以前の表情を取り戻してくれたこと。
それだけが、唯一の救いのように思えた。
「…知ってたの? 何もかも」
「全部って訳じゃないけど」彩は、落ち着いた声で言う。「殆どは」
「それなのに、どうして…」
「愛してたの。彼のことを ―― 」
「……」
「ううん。今もそう。彼なしでは、生きていけないって…」
「……」
「だから、戻らないと。やらなきゃいけないこと、沢山あるし…」
「…そうか」
「ごめんね、迷惑かけて」
「いいよ。最初からはっきり言わなかった俺が悪いんだ」
「…ねえ、銘さん」
「うん?」
「幸せになってね。修子さんと」
「……」
「あたしも…幸せになるから。きっと」
そんな言葉に。
銘は、どう答えていいか判らなかった。
これからの彩の運命を思うと、胸はどうしようもなく痛んだが。
彼にはもう、してやれることなど何もない。
だから。
余計なことは口にせず、ただ頷いた。
謝罪も、奇麗ごとも抜きで。
立ち去る背中を、そっと見送った。
もう関わるべきではないと、彼女が提案したから。
その意思を尊重したのだ。
「 ―― ようやくエンディングかな」
店に、再び静寂が訪れた頃。
クールな声で、明が言う。
その問いに対して、銘は首を振る。
本多が言うように、やるべきことはまだ残されているのだ。
「電話、してみるよ。修子に」
「もし駄目だったら?」
「その可能性も勿論考えてる」
「へえ」
「本多さんと一緒になった方が、幸せには違いないさ。俺なんかより」
「またそういう言い方する」呆れたように、明が言う。「いい加減何とかしなよ。その卑屈っぷり」
「本音だよ。何ていうか…今回の件に限らず。本多さんに比べたら俺はまだまだ未熟だし」
「ほんと未熟だよ。でも、少なくとも、銘さんは学べる人だから」
「……」
「じゃ、僕はこれで」明は、バッグを手に立ち上がる。「後始末は自分でしておいてよ」
「判ってる」
「気が向いたら電話して。愚痴ぐらい聞いてやるから」
「気が向かなくても電話する。心配なんだろう?」
銘がそう言うと、彼女はするりとスツールから降り。
肩を竦めて微笑んでみせる。
そんな姿も、昔と変わりない。
青と一緒にこの店へ来た時から。
不揃いな髪を靡かせて、明がドアから出て行ったあと。
銘は、ようやく一人になった。
電話帳を開き、ホテルの番号を調べている間も。
思うのは、修子のことばかり。
結果がどうであれ、これは自分に課せられた義務で。
果たすべき責任だと。
何度も、そう言い聞かせながら。
メモとペンを用意したのち。
彼はあらためて子機を取る。
足元には、砕け散った青いガラスの海。
左手の甲には、深々と残された傷。
その赤が、何故か目に染みた。
俺にはもう、音楽なんか出来なくて。
奏でるべき旋律なんかないのかもしれない。
ふと、そんなことを思ったけれど。
彼は首を振り、その考えを打ち消した。
進まなくては。
ここにいては、何も始まらない。
とにかく、進まなくては。
そう思いながら、発信ボタンを押し。
躊躇うことなく、ダイヤルする。
修子のいる場所へ。
一度は失いかけた半身を、再び取り戻すために。