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青の旋律  作者: 一宮 集
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第五十話

本多に言われた通り。

修子の帰国予定を逆算すると、残された時間は二日しかない。

カウンターの上に、カレンダーを広げ。

何度となく見返しながら、銘は考える。

けれど。

彼に導き出される結論は、今は一つしかない。

彩と別れること。

そして、修子を呼び戻すこと。




果たしてそれが、俺に出来るのか?

昼なお暗い店の中で、彼はひたすら思考を巡らした。

しかし。

円満に解決する方法など、思い当たる筈もなく。

彼の決断は多かれ少なかれ、誰かの思いを損なうことに通じていく。

つまり。

彩と別れることは即ち、槙村英に敗北することになり。

修子と縒りを戻すことは、本多を裏切らせることに繋がり。

同時に、彼自身も、本多を裏切ることになる。


唯一の救いは、本多が情けをかけてくれたことと。

槙村英が、それを喜ぶだろうということ。

けれど。

彩の気持ちはどうなのだろう?

槙村英と別れて、自分と一緒になると言ってくれた。

あれはその場の思いつきだったのか?

それに。

修子の思いはどれほどのものなのだろう?

自分に連絡をくれることもなく。

周囲に嘘をついてまで、彼と一緒になる道を選んだということは。

それが彼女にとって、最良の選択だったということじゃないのか?




何度も組み立て、何度も叩き壊してみるものの。

焦りとは裏腹に、彼の思考は一向に纏まらず。

ようやく出した結論も、考えた最善の策も。

何処かに無理と綻びが生じるばかりで。

そのどれもこれもが、上手くいくとは思えなかった。

突然、背後のドアが開いて。

明が姿を現すまでは。





「 ―― どうしたの?」


「え?」


「顔色が悪い」明は、コーヒーカップを口に運びながら言う。「何かあった?」


「いや。何でもないよ」


「嘘ばっか。ほんっと、判り易いんだから」


「……」


「何でもかんでも、そうやって一人で背負い込んで…」


「別に、背負い込んでる訳じゃない」


「だから、絶対に向かないって言ったんだ。銘さんみたいな人は」


「……」


「今更、口を挟むつもりはないけどね。僕には関係のないことだし」


欠伸を噛み殺しながら。

明は、譜面の続きを書き始める。


「どうでもいいけど。不倫なんかさっさとやめて、早く僕のところへ来てよ」


「何言ってんだ。葵がいるだろう?」


「葵はまだまだ役不足だよ。技術も経験も、情熱も。銘さんの足元にも及ばない」


「そんなことはないさ。昨日も練習に来てたけど…」


「練習?」


「そう。スタジオ入りの前に、よく寄ってくれるんだ」


「何処にそんな余裕があるんだか」明は、溜息をつく。「修羅場の真っ最中だってのに」


「修羅場?」


明は、面倒臭そうに頷いた。

あまり話したくないという時によくやる仕草だ。


「葵が?」


「聞いてない?」


「その時は」


「じゃあ、そのあとなんだな」


「何が?」


「葵も不倫してたでしょう?」


「…ああ。そうらしいな」


「ついに旦那にバレたんだ。携帯のメールと写真が証拠になって」


「嘘だろう?」


「ほんと。昨日遅く、坂口さんとこに電話が来たって。葵と、橋元由香里と。彼女の旦那から」


「……」


「僕もたまたま打ち合わせで、赤坂のスタジオにいたんだけど。そのあと、合流して…」


「……」


「ほんと凄かった。大変だった」


「…だろうな」


「見たくないよ。友達だろうと何だろうと。大の男が半狂乱になって、人目も(はばか)らず泣き(わめ)く姿なんて…」


「……」


「葵ならまだしも、銘さんのそんなところは。想像したくもないな」


「泣き喚いたりはしないよ。少なくとも」


「だろうね」明は、あっさりと言う。「銘さんはそういう人だよ」


「冷たいって意味か?」


「熱し易く冷め易い。良くも悪くもね」


「……」


「後悔してるんでしょう?」


そんな台詞を。

明は、真正面からぶつけてくる。

彼は思わず、言葉に詰まったが。

それが何よりの証拠になってしまった。


「ほら見ろ。じゃあ、さっさと足を洗うんだね」


「足を洗うって。そんな言い方…」


「どれだけ綺麗にラッピングしても。恋だの愛だの言い訳しても。所詮不倫は不倫だよ」


「……」


「始めたからには、終わらせないと。この先もっと大変なことになるに決まってる」


「……」


「週刊誌、新聞、ウェブニュース。言われっ放しで我慢出来る訳?」


「…本多さんにも、同じことを言われたよ」


「えっ?」


「昨日、電話が来て。その時、今と同じことを言われた」


「へえ」


「俺自身の評判なんか、正直どうでもいいんだ。彼女が言いたければ言えばいいし、正当化したければ…」


彼が、そう言いかけた時。

からんと、ドアのベルが鳴った。

はっとして顔を上げると。

信じられないことに。

そこに、彩がいた。

純白のコートに、紫のスカートを穿いて。

満面の笑顔で、手を振ってくる。


「ごめんね! かなりご無沙汰しちゃった!」


「あ、いや…」


銘はさすがに躊躇ったのだが。

彼女は全く気にしていないようだった。

これまでの空白のことも。

好き勝手に書き殴っているブログのことも。

そして、カウンターにいるオブザーバーの存在も。


「あら、明さん! 久し振り〜!」


「どうも」彼女は、普通に頭を下げる。「凄いね、それ」


「でしょう〜? オランダからの直輸入品なんだけど。ちょっと奮発しちゃったの!」


何事もなかったかのように、挨拶を交わしたのち。

彩は元気良く、銘に歩み寄る。

大きな薔薇の花束を、左腕に抱えるようにして。


「はい、銘さん!」


「えっ?」彼は、呆気に取られていた。「どうしたの、これ?」


「先月はし損なっちゃったけど。今回はお祝いしようと思って」


「お祝い?」


答えながら。

彼は、明に視線を流す。

けれど。

彼女は知らない顔をして、頬杖をつく。

どうやら、席を外すつもりはないらしい。


場の雰囲気に気付くこともなく。

状況を察することもなく。

彩は、無邪気に言い放つ。

彼が予想もしていなかったことを。


「やだなぁ、忘れちゃったの?」彼女は、くすくす笑う。「記念日よ! 交際四ヶ月目の!」







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