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青の旋律  作者: 一宮 集
27/55

第二十七話

「会場、何処だって?」


明が、不機嫌そうに訊いてくる。


「インターナショナル東京。大ホール」


運転席の坂口晴男が、にこやかに答える。

四十二歳になる彼は、明の父の親友で、元々は青のマネージャーだった。

明がニューヨークでデビューしてからは、彼女の専属になったのだ。


ステアリング前にかざした予定表を見ながら、彼は、溜息をつく。


「さすが、有名人同士の結婚披露宴だけあるなぁ。役者や画家、音楽家…どえらい面子が仰山集まりよる」


「客がどんなだろうと、僕には興味もないよ」


「相変わらず、強気やな。お前の好きなセレブの仕事やん」


眼鏡のブリッジを上げながら、坂口はくすくす笑った。

やや太目の体躯を、ダブルのスーツの中に押し込めた姿は、実際の年齢よりかなり若く見える。


見かけ通りの温和な性格でありながら、業界一のやり手としても知られる彼は、決して明を甘やかさず、彼女が嫌がる派手な仕事を、平気で取ってくる。

それが。

明は、前から気に食わないのだ。


「何処がセレブよ。ああいう連中は、成金って言うんだよ」


「はぁ。ほんま、言葉にうるさいやっちゃなぁ。帰国子女の分際で」


「文句ならアナトリィに言ってよ。僕に日本語を仕込んだのは、彼なんだから」


「自分の爺さんに、彼言うな」


「爺さん呼ばわりすると怒るんだもの」


「ま、確かに爺さんって感じはせえへんなぁ。イケメンやし」


「まだ六十二。現役バリバリだよ」


「今、何処に勤めてはるん?」


「慶応と東京外語大。講師だけどね」


「へぇ、格好ええなぁ」


「坂口さんも間違いなく、(まご)(いのち)の爺さんになるね」


「アホ言うな。うちの茉莉はまだ六つや」


「二十年後には二十六だよ。子供の一人や二人いたっておかしくないさ」


そんな話をしながら。

車窓を眺めて、彼女は溜息をつく。

漆黒のスーツに身を包んで。


「…明ぁ」


「何?」


「幾ら裏方でもなぁ…も、ちょい、色っぽい格好してもええんちゃう?」


「冗談。ホステスじゃあるまいし。これで充分」


そう言うと。

明は、坂口の胸ポケットに手を突っ込んだ。


「あ、こら。何すんねん」


「いいじゃん。一本だけ」


「何言うてんねん。これから人前で演奏すんのに、煙草はあかん」


「坂口さんさぁ、僕より胸あんじゃん」


「やめ! 触んな! この変態!!」


彼が必死に抵抗するので、明は、一服するのを諦めた。

悔し紛れに、横目で睨んでやる。


「ふん、ケチ」


「誰が! ケチはお前やん!」


「何でさ」


「煙草ぐらい、自分で買うたらええやん」


「貰うのが好きなんだって」


「味に変わりはない」


「いや、それが違うんだなぁ」


「は! もう、意味判らんわ…」


呆れた坂口が、もう一度溜息をついた時。

丁度、ホテルの前に着いた。

きらびやかなエントランスを抜け、駐車場に車を止める。


「よぉ」


明が振り返ると、圭介が、スーツ姿でバイクから降りてくるのが見えた。

テナーのフライト・ケースを背負ったまま。


「何やお前、その格好で来たん?」


「いや、その、車出すの面倒で」


「アホ。転んだら、楽器潰れてまうやろ」


「慣れてますから。全然余裕っすよ」


「はぁ、どいつもこいつも」


早足で歩きながら、坂口がぼやく。

その後ろに、明と圭介が続く。


「あとの面子は? 控え室判っとらんのとちゃう?」


「吉住さん達はもう、先行ってますよ。セッティングもあるんで」


「譜面合わせは四時から言うてはったん。早よなったんかいな」


「ま、俺と明は手ぶら同然ですから。楽させて貰いますよ」


ヘルメットを脱ぎながら、彼は、明に向かって微笑んだ。

彼女は、呆れたように言う。


「何言ってんの。僕はまだしも、圭介はすることあるでしょう。リード合わせとか」


「そんなの、一分もかかんないって」


「どうでもええけど、あんじょうやりや。恥かかすんやないで」


二人は思わず、顔を見合わせる。

大口の仕事だけに、さすがの坂口も、気合いの入り方が違うようだ。





今日は、弦入りのフルバンドでの営業。

ヤマハのフルコンに向かいながら、明はひたすら、欠伸を噛み殺していた。

セレモニーのあと、延々と演奏をさせられながら。

成り上がりの演歌歌手や、音程の取れないアイドルの歌伴をする。

その間。

長い髪を後ろで纏め、男物のスーツに身を包んだ彼女のことを、女性と見抜いた客はいなかった。

ただ、一人を除いては。




休憩時間。

彼等バンドマンは、ホールの片隅にある円卓で、好きに飲み食い出来るようになっていた。

そこへ。


「あなた、ひょっとして、飯田明さん?」


突然、背後から声をかけられた。


「え?」


明は、驚いて振り返る。

そこに。

彩の姿があった。


「やっぱり。最初に見た時から、そうじゃないかって」


他のメンバーが、怪訝な顔をしていたので。

カクテルドレス姿の彼女の腕を、明はそっと掴んだ。


「向こうで話しましょう」


そう言いながら。

明は内心、不思議に思っていた。

彩が、自分に声をかけてきたことを。


(何のつもりだろう。自分から、僕に話しかけてくるなんて)


ドアに近い一角まで来ると。

彼女はあらためて、彩に向き直る。


「ねえ、誤解しないでね。わたし、お仕事の邪魔するつもりじゃ…」


「それは、判ってますよ」


明は、努めて穏やかに言った。

ピンクのショールを羽織った彩は、見違えるばかりに美しかった。

その左手に、大きなルビーの指輪が光っているのを、明は見逃さなかったが。


「でも、あそこで銘さんの話をされると困るんです。まだ誰も知らないことだし」


「ごめんなさい。そんなつもりじゃないの。ただ、あなたとお友達になりたくて…」


「申し訳ありませんが、お客さんとプライベートな付き合いはしない主義なんです」


「そうなの…」


彩は、長い睫を伏せた。

美しく磨いた爪で、無意識に髪を弄ぶ。

その様子を見て。

明は、彼女のことが、少しだけ気の毒に思えた。


「…銘さんは、今、札幌に行ってますよ」


「そうですってね」


「よく知らないけど…多分、あなたのためでもあるんじゃないかな」


「そうかしら」


「修子さんとは、相思相愛だったから。もう、三年も前から。その思いを振り切るのは半端なことじゃないと、僕は思います」


「…明さん」


「はい」


「あなたも…軽蔑してる? わたしのこと」


「僕は基本的に中立ですよ。敵でも味方でもない。興味ないって言った方がいいかもしれないけど」


「でも…」


「心配要らないです。こういうことは、あなた達にしか判らないことだから」


そう言って、微笑んだ時。


「明! 出番だぞ!」


圭介が、遠くから呼ぶ声を聞いた。


「はぁい!」


元気に返事をしながら。

明は、肩を竦めてみせる。


「すみません。もう戻らないと」


「あ、ごめんなさい。休憩中だったのに」


「まあ、あんまり気にしないで下さい。美術界は判らないけど、この業界じゃ別に、珍しいことじゃないから。それに…」


「それに?」


明は、彩を引き寄せると、その耳に囁いた。


「…僕も、そうなったことがあるから。銘さんと」


その言葉に。

彩は、はっと身をこわばらせる。


咄嗟に、彼女を抱き寄せると。

その額に、明は口付けした。

共犯者としての口付けを。


それから。

軽やかに踵を返し、ステージに向かう。

ピアニストの顔に戻って。




明の華奢な後姿を、彩は、呆然と見送っていた。

しかし。

その言葉が嘘だとは、到底思えなかった。

 

 

 

 

 

 

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