猫を食べる妖精について
猫を食べる妖精は本当にいるのかという話で最近、学校帰りの子供たちの、帰りが遅い。帰宅した娘に、なぜ帰りが遅いのかと尋ねるとそんな話が聞けた。私は、子供たちが暗くなっても帰ってこない理由に、何だかワクワクしていた。
「猫を食べる妖精って何」
「わかんない」
「誰が言い始めたの」
「颯太」
「歌舞伎役者の」
「それは総士」
「ああ、ゲーム依存症の」
「そう」
「あの子はもういじめられてないんか」
「いじめられてる」
「あかんがな」
娘からはそれ以上、猫を食べる妖精についての情報を聞き出すことはできなかった。なぜなら、3DSでゲームをし始めた娘は、何を聞いても「うーん」しか言わないのだから。私は仕方なく、夕飯を買いに行くことにした。その日は昼過ぎから頭痛が酷くて、家族五人分の食事を作る気力・体力が無かった。
「ママ、ご飯作りたくないからお弁当買ってくる」
「うーん」
お前たちはそうやって何を食べたいとかアイディアを出さない割に、出された食事に文句を言うよな。毎日レシピを考える身にもなってみろよこの野郎が。そんな言葉を口に出すのも億劫なくらいに、頭が痛い。鎮痛剤の効果が表れる前に、寒風の下に身をさらす事の辛気臭さも相まって、その日はあり合わせで済ませる事にした。
その次の日から、猫を食べる妖精は子供たちを一人一人、花に変えていた。事件の顛末はこうだ。とある、山を切り崩した町の公園内にある、庄屋の家屋を再現した施設「古民家」に立ち寄った子供たちが、学校帰りに失踪する。猫を食べる妖精によって、望みを叶えられるという形で。子供たちはみなどこか不幸せで、花にでもなった方がまだましな暮らしだった。いや、どうなんだろう。子供はただ、生きているから生きていただけだったに過ぎないのかもしれない。かつての私がそうだったように。子供の頃は、自分がかわいそうだとか、知る由もないじゃないか。比較対象のサンプルに乏しいのだし。
猫を食べる妖精の話は、陰鬱で読んでいて辛くなるのでどこをどう直しても食えない代物だと私は思う。なので、このようにお茶を濁す形で痕跡をとどめる事にした。いつか、楽しい話として語り直したいものだ。花になった、彼らのためにも。