プロローグ 少女の嘆願
魔法世界ユイグルの魔王。
それは誕生と同時に強大な力で魔族という存在を支配し、各種族に影響を与える存在。現存する魔王の数は三桁中盤に上ると言われその正確な数は分かっていない。
なぜなら魔王という存在は不滅の存在であるから。世界から祝福を受けた魔王は死んだ場合二百二十年を掛けて新たな思考を持って別の存在として復活する。
故に魔王の数は増える一方であった。しかし、その常識を覆す存在がいた。魔王ベルゼブルはオンリーアビリティーである『暴食』によって他の魔王を存在ごと食らい自身の力を増した。ベルゼブルによって世界はベルゼブル派と反ベルゼブル派に別れて戦争が起きた。世界は混乱に陥ったが多くの犠牲を払って反ベルゼブル派はベルゼブルを討伐することに成功した。世界は一時の平穏を取り戻したが魔王同士の諍いの禍根は残ったままであった。
ベルゼブルが討伐されて二百二十年。またこの世界ユイグルにてベルゼブルに替わる新たな魔王が転生しようとしていた。
「死にたくない」
火の粉が散り、煙がくすぶる町で血の雨が降る中一人の少女がぽつりと呟く。その瞳は濁り、その体は硬くなり冷え切っている。それは少女の存在が消えかかっていることを示していた。
「誰でもいい。私を……助けて」
少女は助けを求める。しかしその濁った瞳の奥にある光の色は絶望に染まっていない。強い意志と強い狂気が宿っている。
そんな少女の前で黒い光が輝いた。
「これは……魔王誕生の光?しかもこの波動は……ベルゼブル?」
生気が無かったはずの少女の顔が驚愕に染まる。死にかけていた存在が息を吹き返して驚くほど、ベルゼブルという魔王は多くの伝説をこのユイグルに残していた。
光が一瞬強く輝くと激しく散って光の中の存在が姿を現した。
それは魔王として非力ささえ感じるほど若い男。黒く長い髪、切れ長の瞳を閉じ、無表情な顔で佇んでいる。服装はどこの服だろうか、金色のボタンが縦にいくつか付いた黒い光沢のある服を着ている。全身黒づくめの存在は若さという点のみ除けば魔王にふさわしい格好であるように少女は思えた。
目が開かれる。その冷たい瞳は悲しみと怒りと、何故か優しさが垣間見えた。
「ああ……」
少女は確信する。この存在こそが私を助け、導く存在であると。この人に仕えれば、私の望みは全て叶うと。この方こそ、私の魔王であると。
「助けて。私を……魔王……様」
少女は生まれたばかりの魔王に懇願する。その姿は哀れだが、何故か畏怖するような空気を辺りに撒き散らせていた。しかし、それももはや限界。その言葉を最後に少女は意識を失う。そんな少女の耳に少年の声が届いた。それを聞いた少女は安心して口元を緩めたのだった。
軽率、不覚、浅慮。様々な自身を責める言葉がオリエの頭の中で駆け巡る。彼女は失念していた。何をかと言うと魔王誕生のメカニズムをだ。
魔王は死ぬと二百二十年をかけて新たな存在として生まれ変わる。しかし、その能力は前世に大きく影響される、と言われているのだ。いわく、強大な力を持つ前世を持つと非常に弱体化した後世が生まれる。いわく、短命の前世だった場合長命の後世が生まれる。いわく魔法に天才的な才能を見せた前世だった場合、肉体が強靭な肉弾戦が得意な後世が生まれる。
全部が全部噂にしか過ぎないし、前世が強いと後世も大概強力な魔王であるので眉つば物なのだがこれほど噂話が顕著に表れた魔王は過去に居なかったのではないかとオリエは溜息をついた。
「はあ。せめてもう少し攻撃的であれば」
ベルゼブルを言葉に表せば、荒くれ者、好戦的、女好き、暴飲暴食、野心家などといった分かりやすい粗暴な男だった。
しかしオリエの魔王はというと……。
「やあ、オリエ。今日もメイド服が似合ってるね。後はその不機嫌な顔が笑顔になるといいんだけど」
柔和な笑顔をオリエに向け、魔王クロノが振り向く。クロノはどうやら城の近くの森の中で日向ぼっこをしていたようだ。そんなクロノの微笑ましげな姿にオリエは口元を緩めることなくもう一度溜息をついた。
魔王クロノを言葉で表すと、ひ弱な男、友好的、むっつりすけべ、配下に優しい、メイドという存在に異様な執着をみせる変態である。ベルゼブルの要素を欠片も受け継いでいない。いや、頭の中がピンク色なのは同じかもしれない。そして魔王の魔王たるゆえんであるオンリーアビリティーまで謎に満ちている。手のかかりそうな魔王だとオリエは思わずにはいられなかった。




