episode1-4
メキシカンシチューを口に運びながら、私は正面に座っている御子柴美織の顔を見つめていた。白い肌に浮かぶ左右対称の大きな目に、筋の通ったシャープな鼻。耳は少し左右に広がって見えるが、それが却って親しみやすい愛嬌を醸し出している。モデルを目指しているというだけのことはあると、素人目にも思う。
スプーンを握る指も細く、赤いフレアシャツの袖から伸びる腕などまるで木の枝で、食器よりも重いものを持てるのかどうか心配になるくらい、体全体が華奢なのだ。
「センセー、おれの話聞いてないでしょー」
突然の大声にハッと我にかえると、隣に座っている男子児童、大森圭太な不服そうな顔を浮かべて私を見上げていた。コロコロと太った団子のような子で、いかにも「ガキ大将」といった豪快且つ粗暴な児童だ。
「もー、センセーが二班で給食食うの火曜日だけなんだから、ちゃんと聞いてろよなー」
唐揚げにフォークを刺したまま、大森圭太が抗議する。
「ごめんごめん、それで、なんだっけ」
「だからー、昨日テレビでやってた……」
大森圭太が昨日放送していた人気アニメ番組について語ろうとしたところ、今度は御子柴美音の隣に座っている女子児童、神田百花から声があがる。おてんばだがピアノを習っているようで、休み時間に音楽室でピアノを弾いて遊んでいるのを何度か見かけたことがある。
「ちょっと大森、あんたばっか先生と喋り過ぎー。私だって話したいこといっぱいあるんだから」
「はあー、お前のピアノのコンクールの話なんかより、おれの話の方が何倍も面白いんだよー」
そう言って大森圭太は、、食べかけの唐揚げを刺したままのフォークを神田百花に向けた。
「ちょっと止めてよ!汚いじゃん!」
「そーだよ大森、行儀悪い!」
嫌がる神田百花に、彼女の隣に座っている明石綺羅が加勢する。四年三組の学級委員だ。
「うわ、明石のセッキョーが来るぞ。いい子ぶりやがって気持ちワリー!」
「そうだそうだ、気持ちワリー」
大森圭太に続いて囃し立てたのは、大森圭太の隣、つまり明石綺羅の向かいに座る伊野熊遊来だ。大森圭太とは対照的に、体から筋肉と贅肉を全て取っ払ってしまったかのように細い体だが、身長はクラスで一番高く、二人合わせて「四年三組のでこぼこコンビ」と呼ばれている。
からかわれた明石綺羅の顔がみるみる紅潮していく。まずい。これ以上放っておいたら喧嘩になってしまう。
「はい止め! 皆、ご飯は静かに食べなさい」
少し大きめの声で言うと、四人は不服そうな表情をうかべながらもとりあえずは黙った。
四年三組の生徒は五人ずつ、一班から五班までに分けられていて、給食の時は班員が机をくっつけて食べる決まりになっている。また、私は日替わりで班を移動し、児童とコミュニケーションをとりながら給食を食べることになっている。が、正直二班のメンバーと給食を食べる火曜日は本当に疲れるということを、席替えをした先週、私は思い知った。
御子柴美織以外の四人が、とくかく我が強いのである。四人ともが硬い火打石のようなもので、ぶつかった瞬間に火花が散り、それがあっと言う間に他のメンバーに燃え移るのだ。ちょうど今みたいに。
「センセー見て見て、おれ、牛乳一気飲みする!」
大人しくなったのは本当に一瞬で、大森圭太は牛乳パックからストローを引っこ抜き、注ぎ口を開け始めた。
「ちょっと、行儀悪いって言ってるでしょ!」
明石綺羅が声を張り上げる。そうだそうだ、と神田百花が同調する。
「うっせー、ブスは引っ込んでろ!」
ブス!
伊野熊遊来の口から暴言が飛び出した。これは許し難い。女の子に向かってブスとは何事か。ここは厳しく指導しなければ……。
そう思って口を開こうとした瞬間、それまで沈黙していた御子柴美織が立ち上がった。
「な、なんだよ」
驚いた様子で大森圭太が言った。臨戦態勢だった女子二人も、思わず彼女の方に目をやった。
「伊野熊君、明石さんと神田さんに謝って」
突然に責められ、伊野熊遊来は思わず怯んでしまったようで、細い喉をぐっと鳴らした。
「な、何だよ、そっちがつまんねーこと言うからだろ」
堪らず大森圭太が反論。しかし御子柴美織は怯まない。
「明石さんと神田さんは大森君を注意しただけだよ。でも伊野熊君のはただの悪口じゃん。だからそっちが悪い。それに、牛乳の一気飲みは咽せたりして危ないよ」
完璧なまでの正論を叩き付けられ、男子二人はぐうの音もでない様子。そんな二人を見て、御子柴美織はもう一度、はっきりした口調で二人に告げた。
「ちゃんと、二人に謝って」
まさに苦虫を噛み潰したような顔で、二人は御子柴美織を睨みつけるも、やはり反論は出てこない。しかしプライドが許さないのか、なかなか頭を下げる素振りも見せなかった。
「ほら二人とも、悪いことしちゃったんだからちゃんと謝らないと」
私がそう促すと、二人はようやく、ごめん、と小さく呟いて頭を下げた。その姿を見て満足したのか、御子柴美織は静かに席につき、またシチューを啜り始めた。
それからは大きなもめ事もなく、平和な時間が過ぎていった。そしてそろそろ片付けの時間、となったところで、私はあることに気が付いた。
「ちょ、ちょっと大森君、なにそれ」
私は彼のシチューのお椀を指差して言った。
「え、え、なに、センセー」
慌てた様子で大森圭太はスープのお椀に手で蓋をした。
「なにって、お豆いっぱい残してるじゃない」
彼のお椀の中には、シチューの具であるうずら豆や大豆などの豆類のみが大量に残されていた。
「だって嫌いなんだもん。いいじゃん、一口食べたら残していいルールだし」
確かにそうだ。学校全体のルールとして、給食に嫌いなものが出ても、必ず一口は食べなければならないというルールがある。逆に言えば、一口食べれば残しても良い、ということになる。
しかし、この場合はどうだろうか。
大森圭太はメキシカンシチューの具材である大豆を残した。見たところ、それは一口も食べられてはいない。しかし他の部分、つまりトマトやスープは完食、メキシカンシチュー自体はおいしく平らげているのだ。
だが、大森圭太が嫌いなものはあくまでも大豆であり、それには手をつけられていない。つまり大森圭太は嫌いなものがあるにも関わらず、おいしい思いしかしていないのだ。これは、先ほどのルールに抵触するのではないか。
いやしかし、ここでメキシカンシチュー自体が嫌いな児童Xがいると仮定してみる。Xは嫌いなメキシカンシチューを頑張って一口啜って残す。だが彼はメキシカンシチューに入っている他の具材を食べてはいない。それがルールに抵触するのであれば、Xは嫌いなメキシカンシチュー味のトマトや大豆を食さなければならない。いやいや、これはおかしい。Xは嫌いなものを何口も食べなければならない。これでは不公平だ。やはり具材、スープを一緒くたにして「メキシカンシチュー」だ。あ、いやでも……。
そんなことを考えているうちに、当の大森圭太は自分の食器を全て片付けてしまった。仕方がないので、私も食べ終わった食器を下げようと立ち上がった。
「あれ?」
ふと、御子柴美織の食器が目に入った。彼女のトレイに載った皿の中身、メキシカンシチュー、唐揚げ、それに備え付けられた温野菜サラダは綺麗になくなっている。気になったのは、脇に置かれたバターロールだ。他のおかずは綺麗になくなっているのに対し、バターロールだけがほとんど手が付けられていなかった。
「御子柴さん、パンがたくさん残ってるけど、お腹いっぱいになっちゃった?」
そう尋ねると、御子柴美織は一瞬、怯えたような目をしたが、こちらが気のせいかと思うほどに、次の瞬間にははにかんだようなような笑みをたたえていた。
「わたし、パンが苦手なんです」
そうか、パンが苦手だと大変なことも多いだろう。何せ平日五日間のうち、三日がパン食だ。おかずだけではお腹が減ってしまいそうだ。
心配そうな表情を読み取ったのか、御子柴美織は明るい表情を浮かべて、私、小食だから大丈夫です、と言った。それから、細い両腕でトレイを抱え、配膳台に向かっていった。
食器を片付けに向かった御子柴美織の細い背中に、見た目とは裏腹に逞しさを垣間見た気がした。