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episode3-2

 

 翌日。


 さて、話を聞くと言っても、一体どうしたものか。木村から先に聞くか、それとも岡部か。話はどう切り出そう。単刀直入に言ってもはぐらかされるだろうな、なんたって五年生なんだし。時間もどうしようか。放課後でいいか。でも、塾があったりするからなぁ……。


「……ませんせい、児玉先生!」

 ハッとして、顔を上げた。しまった、考え事をしていたせいで、少しボーッとしていた。


「先生、プリント終わっちゃったんですけど」

 声を掛けてきたのは、他の誰でもいない、岡部銀河だった。

「ああ、ごめんね。じゃあこれ、応用編ね」


 五年生ともなると、児童によって学力にはかなり差が出る。そのため、同じクラスで勉強しているとどうしても、ついていけない子や、反対に退屈さを感じてしまう子がでてきてしまう。そこで、授業では教科書の練習問題が解き終わってしまった子には少し難しめのプリントを配ることにしているのだが、岡部にはそれすら簡単のようで、彼は更に難しい、応用問題のプリントまで要求してくる。ほんの数人のために作っている感は否めないが、これも教師の勤めなので仕方がない。


 応用プリントを渡す代わりに、今まで取り組んでいたほうのプリントを預かる。無論採点するためだ。とりあえず目を通すが、相変わらずの、ミミズが踊っているような文字が並んでいる。しかし、この字の汚さにも大分慣れた。一問目から、模範解答と照らし合わせていく。


 全ての答えが正解だと判明した頃、また別の手が挙がった。

「先生、プリント終わった! 難しいのも頂戴!」

 木村翔だ。

「分かった、教卓の上に置いてあるから、持っていっていいよ。あ、終わったプリントはこっちに持ってきてね」

 そう言うと、木村は半分駆け足で僕にプリントを渡し、自分の席に戻っていった。まるで、岡部と張り合っているようだった。


 五分ほど経った後、教科書の問題の答え合わせのために全員の解く手を止めさせた。岡部は既に解き終わっているようだったが、木村はまだ途中だったらしく、悔しそうな表情を滲ませていた。やはり、岡部と張り合っているのだろう。


 最後に、配布したプリントの答えを配って授業を終了させた。六時間目なので、このままSHRも行ってしまう。


「木村君、ちょっといいかな」

 SHRを終え、帰宅しようとしていた木村を呼び止めた。

「なに、先生。これから塾があるんだけど」

「ごめん、少しだけだから」

「うーん、じゃあちょっとだけなら。……おーい、銀河、ちょっと待ってて」

 どうやら、岡部と一緒に帰る予定だったらしい。そう言えば二人は、同じ塾に通っているんだっけ。


「で、何?」

「うん。実は、腕のことなんだけど……」

 早く帰りたいようなので、単刀直入に切り出すことにした。

「腕って……え、俺の?」

「そうだよ。右手の内側を怪我したって聞いたから」


 なんでもないよ、こんなの。ちょっとぶつけただけだよ。

 そんな反応が返ってくると予測していた。このくらいで大袈裟なんだよと、僕が木村恭子に言いたかった言葉をそのまま、木村の口から飛び出してくるかと思っていた。だが……。


「これは……大丈夫。なんでもないから」

 おや、と思った。言葉とは裏腹に、木村は動揺しているような素振りを見せたのだ。それに、さっきまで見せていた快活さが消え失せている。

「……どこかにぶつけた、とか?」

「……うん、そうだよ。もう帰っていいかな」

 やはり、様子がおかしい。何かを隠しているのは明らかだった。

「木村君、もしも何か悩んでいることがあったら、何でも相談して……」

「大丈夫だよ。じゃあ俺、塾があるから」

 そういうと、木村は逃げるように教室を飛び出していこうとした。まるで逃げるように。だが彼は扉に手をかけた瞬間、一度こちらに振り向いた。

「先生、この怪我のこと、誰かに言った?」


 言った。道元先生や麻倉先生、それに亘先生だ。しかし、そのことは言わない方がいい気がした。

「誰にも言ってないよ。どうして?」

「別に。本当に対したことないから、あんまり誰にも言わないで」

 そう言い残して、木村は教室から出て行った。



 職員室に戻って自分の席に座りながら、僕は一人で悶々と思案していた。

 木村の様子は明らかにおかしかった。いや、目に見えてという訳ではないが、何かを隠し、自然を装うときに発生する種の不自然さが滲み出ていた。それが僕の抱いた率直な感想だ。

 実際にいじめが起きているかどうかは分からないし、その主犯が岡部銀河だというのは妄想もいいところ、というのが正直な気持ちだ。だが、木村翔に何か、大なり小なり悩み事や困り事があるのは事実だろう。それが何かがわからないが。


 誰かに相談したい、というのも、僕のもう一つの正直な気持ちだった。もしも自分のクラスにいじめがあったら……そんなこと、考えるだけでも恐ろしい。平穏に見えたクラスの日常が、ある個人、または少数の児童の犠牲の上で成り立っているとしたら……。


 相談したい、でも……。


 木村は誰にも言うなと言っていた。そのことが妙に、心に引っかかっているのだ。いや、もうすでに話しちゃったから今更な話なのだが、それでも、誰にも言わないという約束を反古にするのは、どうしても……。


「どうしたんですか、児玉先生」

「うわあ!」

 突然話しかけられたので、思わず大きな声を出してしまった。振り向くと、そこに立っていたのは亘先生だった。


「すいません、驚かせちゃいましたか」

「い、いやいや、こちらこそごめんなさい! 考え事をしていたものですから」

「はい、分かってます。背中にそう書いてありましたから」

 どうやらお見通しだったようだ。

「もしかして、木村君の件、まだ悩んでいるんですか」

「ええ、まぁ」

 言葉を交わすうちに、亘先生になら話してもいいか、という気になってきた。どうせ、もう喋っちゃったんだし……。ちらりと確認したが、道元先生と麻倉先生は不在だった。


 僕は亘先生に、先ほどの木村の様子を伝えた。僕が直接感じた違和感を伝えられるか不安だったが、亘先生の表情が曇り始めたのを見ると、彼もまた、おかしいと感じたようだった。


「もしかしたら本当に、木村君、いじめにあっているんじゃ……」

「でも、クラスではそんな様子、全く見せていないんです」

「……ちょっと待ってください。もしかしたら、喧嘩とかだったりしませんか」

 喧嘩?

「どういうことですか?」

「木村君の腕に出来ていた痣、もしかしたら誰かと喧嘩してできたんじゃないですか?」

 そうか、喧嘩か……。確かに喧嘩ならば、彼が動揺し、口外するなと言った理由も頷ける。きっと大人たちにバレて、叱られることを恐れたのだろう。ましてや、彼は柔道を習っている。そっちの方面でも、喧嘩がバレるとまずいのかもしれない。

 

「だとすると、相手は岡部君じゃないですね。今日も一緒に、仲良く帰ったみたいですから」

「岡部君以外に、普段から彼と一緒にいる子はいませんか。喧嘩の相手でなくても、何か知っているかもしれません」

「うーん……あ、そうだ。確か安藤さんが彼の幼なじみだった気が……」


 安藤あんどう茉奈美まなみも、僕のクラスの児童だ。引っ込み思案で大人しい性格の女の子だ。

「周りから、それとなく聞いてみるといいかもしれませんね。子供は、意外と周りのことを見ていますから」

「そうですね、うん、そうします」

「ま、どっちにしてもさほど大きな問題にはなりませんよ。あんまり考えすぎないほうがいいです」


 僕もそう思うが、どうしても、悪いほうへ悪いほうへと考えてしまうのが僕の癖だ。そして、その考えを断ち切るには、気にかかっていることを一つ一つ摘んでいく必要があることも知っている。


 岡部銀河と安藤茉奈美。明日、二人から話を聞いてみよう。


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