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episode2-7

 

二年二組のSHRを終えて教室を出たところで、ばったり宇喜田と出会した。彼もSHRを終え、そのまま職員室に戻るところだったという。


「小林君、大丈夫そうでしたか」

「ん、ああ。本人にも一応確認したが、大きな怪我もなさそうだった。白井先生は何て言っていた?」

 白井とは、この学校の養護教諭の名前だ。

「頭を打った様子もないし、大丈夫だろうと」

 そうか、と胸を撫で下ろす。とりあえず、大事にならなくてよかった。


「それで、俺が図工室を出て行った後、一体何があったんだ」

 職員室の扉を開けながら俺は尋ねた。本当は禁煙室など、落ち着けるスペースで話がしたかったが、宇喜田は煙草を吸わない。仕方なく、職員室で話を聞くことにした。


「発端は、遠野君がズルをしたから、らしいんです」

 自分の椅子に腰掛けながら、宇喜田は口を開いた。俺も、空いている椅子を引っ張ってきて隣に座る。茶か何かが飲みたかったが、自分で淹れるのは面倒だった。

「ズル?」

「はい。それを見た同じチームの小林君が腹を立てて、喧嘩になったようです」

 やはり遠野が原因だったか。今日は皆と仲良くしていたから、すっかり油断していた。

「詳しく話してくれ」



 宇喜田の話はこうだった。

 俺が図工室を出てすぐに、宇喜田はカルタを再開させた。他に欠けている絵札などもなく、ゲームは順調に進んでいった、ように見えたのだが……。

「ねえ、それじゃ絵札が見えないよ」

 和気あいあいとした雰囲気の中、窓際後方の班から、少し尖ったような言葉が飛び出した。

 声の主は、五年二組の女子児童だった。教卓からどうしたのか尋ねると、その児童は不満げな表情を浮かべながら、この子が……と一人の児童を指差した。遠野春季だった。


 宇喜田の目に飛び込んできたのは、遠野が、その小さな体で机全体を覆っている姿だった。体全部を使って、残っている絵札を他の児童から隠そうとしていたのだ。

「な、何をしているんだい。遠野君」

 そう声をかけた宇喜田だったが、遠野からの反応はなかった。


「やめろよ、卑怯者!」

 遠野の服の袖を引っ張りながら、同じ班の二年生がそう叫んだ。それが、小林だった。


「ストップストップ! どうしたんだ。仲良くしなきゃダメだろう」

 宇喜田の問いかけに。小林は遠野から手を引いたが、遠野のほうは頑として動こうとはしなかった。

「遠野君、それじゃ皆が絵札を取れないよ。ちゃんと座りましょう」

「やだ! こうしないと俺、札がとれないもん!」


 札がとれない? どういうことかと思って見てみると確かに、半分以上の絵札が読まれた中、遠野はただの一枚も取れていなかった。まさか、五年生が絵札を全部取ってしまったとか……。宇喜田はそう危惧したが、一番絵札を獲得していたのは小林だった。五年生が本気で札を取っている様子でもなかった。


 絵札が一枚も取れないなんてことがあるのだろうかと不思議に思ったが、とりあえず、宇喜田は遠野を説得を試みた。

「たまたまだよ。きっと次は取れるって。それに、正々堂々と勝負して取ったほうが、遠野くんも嬉しいはずだよ」

「そうだよ、ほら、ちゃんと座ろう?」

 同じ班の五年生もそう説得してくれた。だがそれでも、遠野は体をどかそうとはしなかったらしい。


 どうしたものかと困り果てていた時、口を挟んだのは小林だった。

「先生、そんなこと言ってもきっとダメだよ」

「え?」

「だから、先生がそんなこと言っても意味ないよ。だってコイツ、すっげー馬鹿なんだもん」

 小林は遠野を指差してそう言った。そこで遠野が初めて体を動かした。自分を馬鹿だと(なじ)った小林を睨みつけていた。


「小林君、そんな言葉は使っちゃダメだよ」

 いきなり流れる不穏な空気に戸惑いつつ、宇喜田は小林を注意した。

「だって先生、聞いてよ。コイツ、テストとかもめちゃくちゃ点数悪いんだよ。俺の半分くらいしかとれてないとかたくさんあるし。それにね、ノートも取らないんだよ。きっと、コイツ日本語書けないんだよ」


 小林は明らかに苛立っていた。順調に絵札を獲得していた小林に取っては、それの邪魔をする遠野が許せなかったのだろう。

「小林君、やめなさ……」

「だからさ、先生が何言っても分かんないんだよコイツ。日本語できないんだから」


「……黙れ」

 口を開いたのは、遠野だった。

「俺は、馬鹿じゃない」

「は? 馬鹿じゃん。馬鹿じゃないんだったら、お前がとった絵札、見せてみろよ。ほら、はやく見せろよ。俺はこんなに取ったんだぞ。お前が馬鹿じゃないって言うなら、これより多く取ったんだろ? 見せろよ。ほら早く。ほら、ほらほらほらほらほ……」

 小林の言葉が周囲の悲鳴にかき消された。遠野が小林に飛びかかり、その反動で二人ともが床に転げ落ちたのだ。

「遠野君、やめなさい!」

 すかさず止めに入ろうと遠野の腕を掴んだ宇喜田だったが、暴れる遠野の反対の腕が左頬に直撃し、その衝撃で思わず怯んでしまった。遠野はその隙に宇喜田の手を離れ、再び小林に殴り掛かった。体制を立て直し、再び宇喜田が止めに入ったところで俺が戻ってきた、ということだった。



「すみません、僕が見ていたのに、こんなことになってしまって……」

 いや、俺が見ていたとしても止められなかっただろう。もっとも、俺が見ている前で小林がそこまで調子のこいた発言ができるかどうかは分からないが。

「気にするな。それよりも殴られた顔は大丈夫か。子供と言っても力はあるからな、用心しておいたほうがいい」


 そう言うと、なぜか宇喜田は驚いた表情を浮かべた。まさか、俺が他人を気遣うことが意外だったのだろうか。

「え、あ、だ、大丈夫です。すみません、ご心配をおかけして……」

 迷惑をかけたのは俺の児童だ。そこまで恐縮する必要もないと思うのだが……。


「遠野くんも、カルタを一枚も取れなくて悔しかったんだと思います。それを、あんな形で馬鹿にされて……」

 遠野がカルタを一枚も取れなかった……そんなことがあるのだろうか。アイツは確かに頭は悪いが、決して鈍いほうではない。まして、五年生が手加減をしてくれていた状況で、だ。


「とりあえず、後の処理は俺がやるから、あんまり気にすんな。悪かったな、迷惑かけて」

 一応、このことは両方に親に知らせておいたほうがいいだろう。とはいっても、遠野と小林は普段から仲が良いし、今回の件は小林にも落ち度はある。厄介ないざこざにはならないだろう。遠野の母親と言葉を交わさなければならないことは正直憂鬱だが。


 それにしても、小林がまさか、そんな言葉で遠野を詰るとは意外だった。どちらかというと、小林は遠野の子分みたいな立ち位置だと思っていたが、まだまだ子供らのことを理解出来ていないらしい。反省せねば。


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