これが俺たちの椅子取りゲーム
ちょっと長い短編。
長いのか短いのかどっちやねん。
──さあ、状況を確認せよ。
前方。
級友──いや、敵、三人接近。横一列に広がり、隙間なく俺に迫ってくる。
後方。
なぜか投げ縄をブンブン振り回し、今か今かと俺に投げつけ、捕まえるタイミングを図りながら走る敵、一人。
なるほど、まんまと嵌められたわけだ。
撒いたと思った敵が、いつの間にか挟み撃ちを目論んでいようとは。看破することのできなかった俺のミスだろう。
だが。
「──おまえら、その連携を体育祭で見せなかったらブッ殺すからなッ⁉」
「「「そっくりそのまま返してやらァ!!」」」
普段互いを蹴落とすことしか考えていないこのクラスメイトに対して、連携というワードを選択肢から消すのは間違っていただろうか?
実際に目の前に、軍も目を剥くような連携を見せられているのだから、結果的には間違いだったのだろう。
しかし。だがしかしそれでも。
こいつ等が連携するなど──
「──断じてあり得ん!!」
それを可能とたらしめたのは、ひとえに、その欲望、嫉妬、八つ当たりである。
さて、今日の戦争の発端を語ろう。
話は一時間前に遡る────
────一時間前────
「んじゃ、今日の学活はぁー……『席替え』で♪」
ガタガタンッ!!
──どこか既視感のある、担任女教師のその一言に、クラスの男子が否応にして反応する。
その様子を見て目を細める女子。
その中に一人、何が起こったのか分からず目を丸くしてる女子が一人。
「え、え?」
何が起こったのかは分からずとも、その異常さに多少顔を引きつらせる。
クラスの隠れアイドル。古い言い方をすれば裏のマドンナ──麻戸美雨。
アイドルだのと、持ち上げるような言い方をすれば、なんか、こう、二次元にいそうなゆるふわ天然ドジとか思い浮かべるだろうか?──なるほど、それはそれで美味しい。
だがそれは、二次元に限る。これ絶対。三次元、ダメゼッタイ。
三次元にそんなのが存在してみろ?ソッコーでつまはじき者だ。キャラ作ってるだなんだのと徹底してイジメの対象とされる。
幼少の頃はさぞかしちやほやされるだろうが?悪意を隠すことを知らない子どもは容赦ない。その毒にあてられ、次第にそのような属性は消え去るのが世の常だ。
だから、この世に『ゆるふわ天然ドジ』は存在しない。いたとしてもそれキャラ作ってるから。うん。
さて、長々と悪罵を連ねたわけだが。
比較対象、麻戸美雨。
彼女は違う。
まず見た目。絵画から飛び出して来た女神のような容姿。これ以上語り出すと総員から『気持ち悪い』とのお言葉を頂戴するので割愛。
だが俺は怒らない。
なぜか?俺は知っているからだ。
その姿を目にした男子は──皆、俺のようになるからだ。
一度客観的に見る機会を得られたが……なるほど、気持ち悪い。
その気持ちを知ってしまったから、俺は怒らないのだ。
──おまえらも本心は、俺に同意なんだろ?
──当たり前だろ。
この一体感、最高。
普段は争い事が絶えないクラスだが、こと麻戸美雨に関しては、俺たちクラスは一丸である。
あ、ちなみに女子は除く。いや、たまに同類の女子もいるけど……まあ置いておこう。
次に性格。
他人に不快感を感じさせない、完璧な距離感、言葉、行動。
それらに好意を寄せる人間数知れず。というか知ることができない。多すぎる。
キャラを作っているようにも見えない自然体。
アニメ声優かと言いたくなるような、いややっぱり訂正。アニメ声優の下手な猿真似かと言いたくなるような妙に高くてキャピキャピした声で喋ることなく、まるで自然を流れる川のせせらぎのような澄んだ声。
そして目立つことなく、あくまで自然にその場に在る一般生徒A感。妙なオーラを放つことなく周囲に溶け込む庶民的雰囲気。
一緒にいて、とても楽な女の子。
それが麻戸美雨である。
その事実は、共に時間を過ごさないと気づくことのない些細なモノばかり。
だが悲しいかな。
現代男子にとって──
──アイドルは憧れるモノであり。
──小動物は癒されるモノである。
こうして、少しずつクラスの大半からこっそりと支持を得る。
──さて、本題だ。
『席替え』
我らが麗しき担任はそう言った。
勉強というストレスに身を置く学生に、適度な環境変化を与えリフレッシュを促す対応策。まあそんなもん機能したことないが。席が変わったって勉強はストレスになるし、前の席になっちまったら居眠りなんてできなくなるし。
だがまあ──その副作用には、大いな期待を寄せられる。
俺たち高校生。流石に席をくっつけたりすることはない。
だ、が、し、か、し!
すんなりと自然にあっさりと……お近づきになれるではないかッ!
この、『席替え』というシステムは!!
……お分かり頂けただろうか?
これが、男子がほぼ全員身を震わせ。
女子が男子のその様子を半目でジト睨みした要因である。
ただ一人、麻戸美雨だけは、近づく戦争の足音に気づくことはなかった──。
「「「レディーファーストで」」」
「男子と女子、どっちが先に引く?」
という担任の質問に対し、男子一同、声を揃えてそう言った。
席を決めるくじ引き。男子と女子でそれぞれ振られた番号が違うので、男女に分かれてくじを引く。
そこでだ。女子に先に引いてもらおう。
なぜか?──目指す席を固定するためだ。
麻戸美雨の席周辺。最大九箇所。最低三箇所。
もちろん最悪のパターンは最低三箇所。角に割り振られてしまった場合だ。
そうなった場合、確実に──クジの奪い合いが起こる。
兎にも角にも、まずは麻戸の席の確定が優先される。
そして、件の麻戸の番だ。
俺たちの視線に若干引きながら──麻戸がクジを引く。
その様子を、俺たちの担任がニヤニヤしながら眺める。うわー、趣味悪りい。
「麻戸!クジ何番!?」
「さ、さっきから何なの……? ……21番。やった、窓際後ろから二番目だ!」
「つまり最高、五席分」
その内の特等席は──麻戸の後ろ。後ろから気づかれることなく、飽くまで麻戸を眺められる最高のポジション──その席の番号は42番。
「さあさ、次は男子の番だね〜。その欲に忠実な姿勢、実にすんばらすぃ〜。青春だねぇ」
いろいろわかっていて遊んでんだろこの人。だがまあ良い。
大人の余裕なのだろう。そんなのは俺たち子どもには──関係、ないッ!
「「「さあ──戦争を始めよう」」」
男子のクジ引き。開始。
「おい、引いてもまだ番号は見るなよ?」
「わかってる。──みんな一斉に、だよな?」
流石だわ、わかってる。
みんなスタートラインは揃えなければならぬ。人生のスタートラインはバラバラだが、こういうところくらい揃えたって良いだろう。
さて、みんな引き終わった。
男子の表情は硬く引き締まり──決戦を覚悟した者の目をしている。
「なんだこいつら、キモい」
男勝りな女子の声が聞こえてくる。いや、何も聞こえなかった。今の言葉はなかったことにしよう。
じゃないと色々精神がキツい。
「んじゃせーの、で番号確認な?」
「行くぞ?」
手汗でクジが濡れるのではないかという錯覚を起こす。
慎重に、クジに手をかけ──
──せーのッ!
────瞬間、大地が震えた。
「「「かかってこいやクソ野郎ぉぉぉおおお!!」」」
「「「戦争の──開始じゃぁぁあああ!!」」」
数人はクジを手に、席を神速に離れ──逃走を開始した。
それを追い、〝ハズレ〟のクジを引いた者が遅れて立ち上がる。
さあ、一つ訂正。
──逃走改め、闘争を開始した。
それを優雅に眺め、俺はクジを片手に息を吐く。
──ふぅ、なんとかなったみたいだ。
ハズレを引いた者共は、獣のように飢えた目で、アタリを引いた数人を追いかけた。
目標は、『逃げた』者。
逃げたのは四人。
だがしかし、アタリは五つのはずだ。
ならば残りの一つは?
────俺が持ってるってわけよ。
あいつらは逃げた奴を追いかけた。
じゃあ、なぜ逃げた?
クジを実力行使で奪う連中から、クジを守るため。
つまり、逃げた奴らはアタリを引いたわけだ。
それを理解し、追いかけたハズレ持ち。
ま、なんだ。
逃げなきゃ標的にはならないってこった。
まあすこーし、賭け要素が入ってた気もしなくはないが、成功したんだし、些末なことよ。
さってと──
「この〝オオアタリ〟のクジ、さっさと先生に渡して席を確定してもらうか」
俺が引いたのは42番──そう、麻戸の後ろの席。
なんとまぁ、幸運が降って湧いた。
まさか初手から引いちまうとは。
俺の作戦は二つ、プランを用意してあった。
もちろん。
アタリを引いた場合のプラン。
と。
ハズレを引いた場合のプラン。
今回俺が用いることとなったのはアタリを引いた場合のプラン。その名も。
『逃げずが勝ち』
どーだ。この逆転の発想。
一歩間違えれば即死の作戦だが、まあ結果上手く行ったので──
「『終わり良ければすべて良し』──ってな♪」
「そのクジちょーだい♪」
瞬間、俺の手へ伸びる腕が一閃。
「────ッ!?」
咄嗟にクジを持つ右手を庇い、左手を突き出す。何かがぶつかる。痛い。刺さった?何が?──爪?
「──ちぇー、反応はえーの」
誰だ、まさか俺の策に気付き、戻ってきたというのか?
だが、確かに男子の全員が教室から出て行ったのを俺は見た。
じゃあ?
そういえば、男子にしては声がやけに高いような──
「──って女子ィ!?」
「あは、女子が『あの席』を狙ってないとでも思ってたの〜?ざーんねん。女子にもいるんだな〜、男子のような欲望を滾らせているのが♪」
「「「いや、あんただけだから」」」
クラス中の女子が即座に否定する。
「……言われてるけど?」
「……遥ちゃん大失敗☆」
──倉崎遥。
俺らのクラスの中でも、とりわけ男子と仲が良い女子である。
自分のことを「遥ちゃん」と名前で呼ぶところが些か子どもっぽい、もしくは裏がありそうな感じだが、女子男子ともに意に介さず、普通に仲良くしている。
何よりも話してて楽しいし、楽。
そしてまあ、なんというか──
「お前、百合デシタネ」
「百合とか言わないでくれる?男子女子、みんな等しく愛してるだけなんだからさぁ」
「お前それ余計タチ悪いぞ。だってそれってバイの上にビッ──」
「…………」
何も言わず無言でニコニコ。怖え。怖えよ。あれね、今ひしひしと感じてる言い知れぬ威圧感。これがオーラだったのな。オーラって本当に存在したんだ。
……まあ、わかっただろうか?
冒頭に語った、『俺らと同類の女子』──それがこいつである。
麻戸美雨のファン──の域を超え、遂に恋に愛にまで発展してしまった故に、俺らの同類と足りえ、話が合うようになってしまった。
素直に畏怖すべき存在である。
「……んで?クジを奪いに来たと。まあわかる。そりゃお前だって欲しいもんな?──『あの席』の占有権」
「話がわかる人は好きだよ〜?」
「やめてくれ、本当にお前をビッ(ryとしか見れなくなる」
怖い怖い。顔が。お前黙ってりゃ可愛いんだからマジ。あ、今黙ってるね。なのに可愛いと思えない。なにこれ。
「あー、でもさ。根本的な話──」
俺は担任をチラッと見て、その大打撃であろう言葉を口にする。
「──俺の持ってるクジ、男子の席だから、女子のお前座れなくね?」
「センセー、男女関係なく、持ってるクジの番号の席に座って良いよねー?」
「おk」
この担任ブッ殺す。
「ってことだからぁ──改めて、そのクジちょーだい♪」
「断るッ!!」
またも一閃、襲いかかって来た倉崎の右腕を、またもギリギリの反応速度を用い、左手で庇う──そしてまた爪が刺さる。
いやおかしいだろなんだよ爪が刺さるって!痛え!普通に痛え!
というか、俺もいつまで座っているのだろうか。
クラス中の男子が出払った教室は安全──そんな慢心が招いた結果だろうが。これは俺のミスだ。
くっ、俺もまだまだだな……。
旧俺の席から跳び退き、倉崎と机越しに対面する。
ここからどう逃げる──?
廊下側──には倉崎がいるから無理。
窓側──飛び降りるだけの度胸あると思う?死んだら元も子もないわ。
つか、目的を履き違えるな……倉崎から逃げることが目的じゃない。このクジを守ることができりゃあ良いんだ……ってことで。
さっさと先生に渡して席確定させていただきましょうかァ!
「先生!俺の席の番号は42番なんで、さっさと名前書いちゃって──」
「だが断る」
「──こいつぶちのやしてやろォかぁ!?」
「少年……望むものは、勝ち取ってこそ価値があるんだよ」
フッと笑いながら諭すように言いつつ、「今上手いこと言ったよね?ね?」的な視線を向けて来る。……「勝ち」取ってと「価値」をかけたつもりなのだろうか?
その視線を無視して、改めて倉崎の方を見ると──姿が消えていた。
「あ、あれ?」
「こーっちだよー」
背後から抱きつくように密着され、身動きを封じられる。
……なにこの超美味しい状態!?
「鼻の下伸びてる、キモい」
「さっきからちょくちょく俺に罵声を浴びせて来る女子なんなの?俺に恨みでもあんの?それとも嫉妬してんの?」
「誰が嫉妬なんかするかバァーカ!!」
流石に泣くぞ。
というやり取りをしながらも、俺は抱きつかれたまま、背後から伸びて来る倉崎の手を器用に躱しクジを死守している。
「くっ……さっさと渡しなよ……!」
「やなこった……!」
傍から見ればあれだな、仲の良い男女がじゃれついてるように見えるんだろうな。
本人たちは至って大真面目である。
「……なんなの、これ」
そんな俺たちの様子を眺め、麻戸がボソッと呟く。
(((あんたが原因なんだよ……)))
教室内全員の声が聞こえた気がした。
ええと、僕の名前は鈴谷尋と言います。
どこにでもいそうな、至って平凡な男子だと自負しております。
高校生にもなって「僕」って一人称はおかしいかな……と思ってたりもするんだけど、周りがそんなことを気にする人ばかりではないので、今でも言いやすい「僕」で通しています。それに、急に「俺」とかにしても、違和感ありまくりだろうし。
さて、そんな平均的な特徴しかない僕ですが──
現在、仲間のはずのクラスメイトに追いかけ回されています。
なぜなのでしょう。仲の良い僕たちが、なぜ争わねばならぬのでしょう。
「なんで!なんで僕たちが争わなきゃならないんだ!」
思ったことを素直に口にする僕の性格は、クラスメイトの中では割と好評です。
まあたまーに、無意識に放つ辛い一言にはドン引きされますが。
「「「そう思うなら逃げるのやめろォォ!!」」」
そう申し出をしてくるクラスメイトにただ一言。
「だが断るッ!!」
と返してしまい、後に退けなくなります。
いや、だって、この鬼気迫るオーラを放つクラスメイトの前で立ち止まってみてください。
何されるかわからないじゃないですか。
兎にも角にも、一度逃げ始めてしまった手前、今更立ち止まって和解するなどという手段は取れないのですよ(泣)。
さて、そんなことを考えている内に、目の前は行き止まり。
正確には窓という出入り口(?)があるんですけど、まあ窓を開けてる暇もないし、そもそもここ4階ですし。
──さぁ、どうする?鈴谷尋。僕の右手には硬く握られた一枚の、とある数字が書かれた小さな紙。
僕はこの紙のために──この紙によって、得られる『あの席』のために、逃走を続けている。
だが……これは、流石にマズいかも?
そうして追い詰められて。
ジリジリと近づいて来るクラスメイト達を冷や汗かいて見る僕。
まさに袋の鼠。漢字これで合ってるっけ?
とまあそんなことは置いといて……あの、さ。
なんかこの状況、追い詰めてるクラスメイト達の死亡フラグっぽくないですか?
追い詰めたつもりでいるクラスメイト達。
それを、背後の窓に背中を張り付けて見る僕。
仕留めたと思ったら、逆に仕留められた、って展開になりそうですよね。
だがここは三次元。すりーでぃー。縦横高さが明確となっている世界。
ありとあらゆるものは物理法則に縛られ、それを振り切るだけの力を持った人間はいない。
だけど、それでも。
僕の背後から、カチリ、と音がして。
「──捕まる気が、しないなぁ」
瞬間、僕は背後に落ちた。
久夛良木百済──性別:女──は考える。
──なんだこの状況は、と。
その答えは察しがついている、というか、言うまでもなく周知の事実である。
──麻戸美雨
彼女が男子を奮起させている原因そのものである。
だが、本人はそれを理解していないのだろうか。
事の異様さにジト目を向けつつも、このクラスでは日常茶飯事なので今更、といった感じで眺めている。
なんだかモヤモヤする。
百済は、麻戸の事が嫌いではない。むしろ好きですらある。
倉崎のような『好き』ではないが、まあ、ある種の好意は自覚している。
だが、それが不気味なのだ。
なんというか……好きという感情を『植え付けられている』ような気がするのだ。
麻戸の一挙手一投足が、百済やクラスメイトの心を奪っているかのような──
と、そこまで考えて、馬鹿らしい、とため息をつく。
今のはただ思った事であり、推測ですらない妄想だ。
陰謀だとか、裏の組織だとか、そういうのと同じ類。実在するはずのないモノ。
百済はそういったことをふと考え、そして馬鹿らしいと切り捨てることをよくする。
その思考に何の意味があるのかまったく理解出来ないが……なぜか思考がすぐそちらに向いてしまうのだ。
これは悪い癖か?良い癖か?
こんなことを思考するのも、今は理解していないだけで、何か意味があるのか?
……馬鹿らしい。
そして、未だ教室の一角でじゃれついてる──もとい、決死のクジ争奪戦を続けている倉崎と男子を眺める。
こいつらは、なぜそこまでして席に拘る?
そこまで騒ぐことか?
一応授業中であるにも関わらず、教室を飛び出し傍迷惑な闘争劇を続けるクラスメイト達。
それを見てニヤニヤしている若い担任。
……馬鹿らしい。
そして百済は机に突っ伏す。
右手で、33番と書かれたクジ──つまり。
麻戸の隣の席の占有権を握り。
「あのー……さ」
「んー?何かな?」
俺は、未だに、倉崎と対峙していた。
そろそろ、この膠着状態に決着をつけたいのだが。
「そんなにこのクジが欲しいの?」
「モチ」
即答。想いは強いようだ。
女子すらも魅了してしまう麻戸、恐るべし、と言うべきか。
ならば……──
「ほら」
俺は、自らが持つ『あの席』の占有権──つまり、42番のクジを、倉崎に投げつけた。
ぽいっと。
気軽に。
「へ?」
マヌケな声を挙げながら、倉崎はクジに手を伸ばす。
──かかったッ!!
倉崎が伸ばした手。
右手。
倉崎の利き手。
綺麗な爪が光に反射して光っていた。
その手が、俺の投げたクジを掴もうと──
──できるはずがない。
「あ」
やっと気づいたのか。
そう。俺は確かに右手からクジを投げた。ぽいっと。
だけど、それは所詮紙であるわけで。
広げてしまえば、かなりの空気抵抗を受けるわけで。
確かに俺の手から放られたクジは、だがしかし倉崎の手が届く範囲まで流れる事はなく、俺にしか掴めない位置をふわりふわりと落ちて行く。
そして、俺の右手がもう一度クジを掴み、惚ける倉崎のすぐ横を──走り抜けた。
右手をクジに伸ばしていた倉崎は咄嗟に反応する事はできず、結果、俺は散々苦しめられた障害を悠々と通りすぎる。
あまりに呆気なく、膠着状態は解けた。
そして、やけにゆっくりと流れる時間を置き去りにして、俺は。
教室を飛び出した。
「────待てぇぇええ!」
「誰が待つかよ、バァァーカ!!」
再び時間は動き出し、遅まきながら俺を追って来る倉崎。
だがそれなりに距離は離した。男子と女子。体力に差があるのは当然。そう簡単に追いつかれる事はないだろう。
「ふぅ、ここまでくれば安心──」
あ。
今の、思い切り死亡フラグっぽくないですか?
そしてその妄想を具現化したかのように──前方から、敵接近。
……ふぅ、やれやれ。
俺は、どこまでもお約束を貫かねばならないらしい。
「──くそったれぇぇえええ!」
俺は全速力で走り出した。
「──おい?鈴谷?」
鈴谷尋を追いかけていたクラスメイト達は、とんでもないモノを目にしてしまった。
鈴谷が、窓から落ちた。
目の前で、追い詰めたと思ったのに、背後の窓から、フッと。
窮鼠猫を噛む、ということわざを思い出す。
追い詰められた鼠は、天敵である猫にすら牙を立てる。
まさに鈴谷は袋の鼠だった。
その鼠が、反旗を翻して、落ちた。
落ちつけ。ウェイト。深呼吸。
自分たちは悪くない。そうだ。落ちたのは鈴谷。自分たちが落としたわけじゃない。
そうだ。まずは鈴谷の無事を確認しなきゃ。
一人が窓から顔を出し、下に視線を向ける。
「お、おい、どうなってる?」
「鈴谷は?」
後ろからガヤガヤと騒ぎ立てるが、窓から覗いている一人は、紡げる言葉がなかった。
なぜなら。
そこに、鈴谷の姿はなかったから。
すぐにあの場所を離れたのは正解だったのでしょうか?
確かめる術はありませんね。
追い詰められた僕は、後ろ手で窓の鍵を外し、真っ逆さまに落ちた。
四階という高さ。一歩も間違えなくても死ぬ高さなんたろうけど、僕は死ななかった。
なぜ、か……と聞かれても、死なないようにした、だけなんですけどね。
超小型携帯パラシュート。
というものを用いて、僕は死を回避したんです。はい。
あ、信じられない?……そりゃまあ、そうか。
通常のパラシュートは、充分な高さがないと意味を成さないし、そもそも携帯できるモノでもない。
そう考えると、僕が使ったのはすでにパラシュートではないのかもしれません。
だけど、この超小型携帯パラシュートというのは、それらの常識を覆します。
まず、すんごく小さいです。持ち運べるほどに。わかりやすく言うとですね、ケータイ。みなさんが持ってるスマホを想像してください。その程度です。
そして、高さとか関係ないです。
傘のようにバッと開いて、ジェット機のように、下に向かって途轍もない力がはたらきます。なんていうのか……こう、反重力的な?すいません。僕も詳しくは知らないんです。
そうしてゆっくりと地面に降り立ち、超小型携帯パラシュートを収納。この収納もほぼ一瞬でできます。
はい、それだけです。
僕が生きてる理由。
んでまぁ、後はその場から立ち去って……現在、校舎裏。丁度保健室の窓の下辺りにへたり込んでいます。
あっはは、逃げ切った。後は教室に戻って、このクジを先生に渡して、席を確定してもらうだけ──
──その『だけ』が、また苦労しそうな。
その苦労を思いながら、僕はもう少しだけ、休む事にした。
百済が目を覚ました時には、既に教室に倉崎達はいなかった。
膠着状態が解け、教室から飛び出したのだろう、と事実と寸分たがわぬ推測をし、やっと静かになった教室であくびを噛み殺す。
教室に残った生徒達は皆、思い思いに過ごしている。
スマホを弄ったり読書したりしている者。
友達と談笑する者。
物好きにも、勉強している者。
そして麻戸美雨。
その麻戸の隣の席のクジを持っている事を確認し、自分の『運』というモノに対し思考する。
──なぜ私がこのクジを引いたのか。
そもそも、クジを引く時、『なぜ男女で分けた?』
黒板に記された、各席に割り振られた番号。1から43番まで。クジも当然43枚。
男女で分けずとも、適当に引かせれば良かったではないか?
確かに、レディーファーストで、だのとのたまったのは男子の方だ。
だが、担任は『男子と女子、どちらが先に引く?』と聞いた。そこに、最初から『分けて引かせる』意図があったと伺えないだろうか?
番号だぶりがない上に、結局は男女の規則的な並びなど関係ないこの席替え。
違和感のようなモノを感じて──
──馬鹿らしい。
全てただの妄想。推測ですらない。
こんな陰謀があればいいな、という、己の願望である。
単なる暇潰し。
数多ある都市伝説は決まって、一番つまらない真実であるように。
百済が考える陰謀論も、真実は最もつまらないモノなのだろう。
その事を理解して、また、呟く。
「──馬鹿らしい」
──さあ、状況を確認せよ。
前方。
級友──いや、敵、三人接近。横一列に広がり、隙間なく俺に迫ってくる。
後方。
なぜか投げ縄をブンブン振り回し、今か今かと俺に投げつけ、捕まえるタイミングを図りながら走る敵、一人。倉崎だ。
なるほど、まんまと嵌められたわけだ。
撒いたと思った敵が、いつの間にか挟み撃ちを目論んでいようとは。看破することのできなかった俺のミスだろう。
だが。
「──おまえら、その連携を体育祭で見せなかったらブッ殺すからなッ⁉」
「「「そっくりそのまま返してやらァ!!」」」
普段互いを蹴落とすことしか考えていないこのクラスメイトに対して、連携というワードを選択肢から消すのは間違っていただろうか?
実際に目の前に、軍も目を剥くような連携を見せられているのだから、結果的には間違いだったのだろう。
しかし。だがしかしそれでも。
こいつ等が連携するなど──
「──断じてあり得ん!!」
ちなみに、体育祭は再来月に行われる。
一般的な体育祭と同じように、クラスのチームワークが問われる行事であることは間違いない。
だが俺たちのクラスは必敗候補として名を連ねていた。
なぜか?
──絶望的に、争いが絶えないからだ。
ことあるごとに、今日のような闘争劇が起こる。
それを知っている我が校の生徒はみな、口を揃え、俺たちのクラスをこう呼ぶ。
────(いつでも)闘争中、と。
あれだな。某TV番組に掛けて来たんだね。よく考えたね。うむ。ツッコマナイヨー?
確かに俺らのクラスはいつでも闘争中。なう。虚実でもなんでもない。事実である。何も言えまへん。
実際、担任が席替えをする、と言ってから諸々含め、今既に、一時間を経過している。
教室では今頃どうなっているのだろうか?
流石に学活という名の授業は終わっているだろうが……担任はまだいるのだろうか?
俺はこの右手に握ったクジを、担任の元へ届けねばならない。リーズン?聞くまでもないだろう。『あの席』を得る為だ。
差し当たって、目前に迫る脅威を排除せねば。
一先ず手頃な空き教室にお邪魔させて頂いて──
「あいつ空き教室に入るつもりだぞ!二人は奥から、俺たちは手前から突入するぞ!……倉崎は、ご自由にどうぞ」
「「「おう!」」」
「あは、やっちゃうよー、やっちゃうよー?(投げ縄ブンブン振り回し)」
何をやるんでせう?倉崎サン。
空き教室の外から聞こえて来たそんな声を耳に、俺はとある仕掛けを迅速に仕掛ける。
必要なのは……あった、これこれ。ガムテープ。
これさえあれば、対策はいくらでもとれる。
さて、……と。一つ目の罠完成。ついでに簡単にできる二つ目の罠もっと。
さぁ……来い──ッ!
俺は教室の入り口に身を潜め、その時を待つ。
それはやがて、来た。
「……──突入じゃオラァァ!」
一人目の足が見えた瞬間、俺は、手に握っていたガムテープを思い切り手前に引いた。
ガムテープをロープのようにし、ドアを挟んで反対側の位置に、片側を固定。もう片方を俺が持ち、引っ張れば……よくある足掛け罠の完成、ってな!!
「いっでぇ!」
見事に引っかかり、鼻から床にダイブする俺のクラスメイト、もとい明確なる敵。
もう一人が入って来て、今度は二つ目の罠が発動する。
「うぉあ?ぉ、あぁああ!」
足をとられ、またもすってんころりん。
ドアの前に設置した、ガムテープ製トリモチ。
ガムテープの粘着性に依存する罠ではあるが、まあ不意打ちならばそれなりに効果があるはずだ。事実、目の前の敵は転んだ。成功である。
さぁて、さっさとしないともう片方の入り口からも来ちゃうし、こっちからズラかろう。
ばいばーい。
「「この野郎ぉぉおお!」」
なんとでも言え。俺は──本気なのだ。
「ふぅ……」
十五分ほど休んだのでしょうか。
呼吸も落ち着いて、いくらか楽になった気がします。あ、いえ、別に息を引き取ったとかそういう意味じゃありませんよ?
右ポケットをガサゴソとあさり、目的のそれを掴む。
一枚の小さな紙切れ。
そこに書いてある番号は──11番。
〝彼女〟の隣の席の、占有権。
このクジは、誰にも渡さない。
彼女は、タンポポのような人でした。
とか言うと、ちょっと恥ずかしいですね。その上過去形だから、まるで故人のような……縁起悪かったかもしれませんね。
なんと言うか、こう、気づけばそこら中に咲いているじゃないですか?タンポポって。
そんな感じで、気がつけばすぐ傍にいて、それでいて素朴な雰囲気をまとっていて。
僕自身、平凡で、普通です。だから、そういう素朴なところに惹かれたのかもしれません。
知り合って一月ほどで、普通の友達と変わらぬほどには仲良くなれました。
話しててとても楽で、いつまでもずっと談笑していたいとか。そんなことを思って。
いつしか僕は、彼女を好きになっていたんです。
多分、初恋だったんじゃないかなぁ。
自分が彼女のことを好きだと自覚してからも、僕らの関係は変わらず、ずっと友達のままで。
僕も、今の関係を崩したくなくて、好きだと打ち明けることもできず。
だけど、今日、この席替えで。
彼女の隣を手に入れて。
──告白してみせる。
幡谷水守。十七歳。女子。
恋愛経験なし。彼氏いない歴イコール年齢という、あまり嬉しくはないステータス持ち。
そんな私には、想い人がいる。
今まで、良いな、と思った男性はそれなりにはいた。
だけど、ここまで強い好意を抱いたのは初めてだ。
どうしていいのかわからない。彼との関係を壊したくない。
知り合って一月ほどで、気兼ねなく話せる友達になった。
彼はどこか掴み所がなくて、ほわほわしていた。
どこにでもいる……と言ってしまえば、確かにどこにでもいそうな、そんな庶民的な雰囲気をまとっていた。……なんて、失礼かな?
私自身、別段特徴があるわけでもなく、どこにでもいるような女子だし。そういう雰囲気が合ってたのかもしれない。
そんな彼が、今日、男子のクジ引きの前にこんなことを聞いて来た。
──席どこ……!?
やや興奮気味に、だけど、とても真剣に。
それに対し、私は
「ふむ、どこだと思う?当ててみようか」
と、少しお遊びを興じてみた。
真剣であればあるほどからかいたくなってしまうのは何なのか。
すると彼は即答して。
「3番!」
と、よもや──本当に当ててしまった。
私が引いたクジに書かれていた番号は、確かに3番。
『廊下側後ろから三番目の席』だ。
当てずっぽうだろうが、まさか一発で当てるなんて。私は少々どころでなく驚いた。
彼が私の様子を見て、確信する。
そして、こう言った。
──引いてくる。
ただそれだけなのに、まるで、何かの誓いのようで。
私は呆気に取られるままに、男子の『闘争劇』が幕を開けた。
馬鹿げた闘争劇が始まって一時間以上が経過している。
なぜみんな帰らないのか。相変わらずこのクラスは疑問が尽きない。
まあ答えはなんとなく想像がついているのだが。
男子の闘争劇の結果が知りたい、と。そんなところだろう。
馬鹿な連中だが、あれはあれで、見ていて飽きないから面白い。
馬鹿らしいとは思うが。
だが百済自身も、その馬鹿な連中の一人であることを思い出し、なんとなしに笑う。
「────?」
ふと視線を感じ、顔を上げて振り返る。
だが、すでに視線の気配は消え、ただ暇を持て余す女子達がいるだけだった。
「…………?」
なんだ今の、冷たくて、背筋が凍るような視線は……いつもの思い込みか?
そうであれば良いのだが。
しかし、百済は見てしまった。
「────!?」
前を向く直前。
底冷えするような、光が見えない、闇。
──麻戸美雨の、日常を破壊する『目』を。
────ボォー……ン────ボォー……ン
校舎に鐘が鳴り響く。
完全下校時刻まであと三十分。
それまで逃げ切るか、このクジを我がクラスの担任に渡せれば俺の勝ち。
クジを誰かに奪われてしまったら、負け。
簡単な勝負だ。悩む要素なんて一つもない。
ただ一つだけ、ふと疑問に思った……いや、思ってしまったことがある。
俺はなぜ、ここまで麻戸に拘るんだ?
麻戸レベルとまではいかなくても、充分に可愛い子はたくさんいる。うちのクラスはそれくらい、可愛い子が多い。恵まれてんな。
そんなクラスメイトの中から、なぜ麻戸なのだろうか?
確かに麻戸はクラスの隠れアイドルだ。だが、ここまで意地を張ることでもない気が……。
何か、麻戸からは引力を感じるのだ。
こう、引っ張られるような。抗えないような。
まるで重力みたいな。
それが原因なのかもしれない。
ま、どうでも良いか。
「さてと……」
すでにフラフラな足腰に檄を飛ばし、最後の力を振り絞る。
「──っしゃぁ!」
右手にはまだしっかりと、43番と書かれたクジがある。
さあ、いざ行かん──ッ!!
「あ」
「ん?」
走り出そうとしたところで出鼻をくじかれた。急ブレーキをかけたせいで足腰にまたもや負担が「ぁぁああああ!!!!」
「だ、大丈夫っ?」
大丈夫に見えるかこの野郎。
「……って、鈴谷?」
「はいはーい。鈴谷です」
ヒラヒラと手を振って応える鈴谷尋。
──ん?
「お前、まだ捕まってなかったのか?」
「あはは、意地と鈴谷の技術だけで逃げてる」
「そりゃ凄え。お前、体力ないイメージあったから、教室から逃げ出した時に真っ先に捕まるもんかと思ってたんだが」
鈴谷尋。
実はこいつん家、相当な──金持ちである。
鈴谷財閥というのをご存じ?あ、存じてない。
なら説明しよう。
今、日本の経済のほとんどの采配を仕切っているのが、日本では知らぬ者のいない、鈴谷財閥である。その上技術力も高く、個人名義の製造工場まであるという。
財閥なのに政治の一角を担うとは……凄え、のか?いや、政治詳しくねえからよくわかんねえけど。
とまあ、今後世界にも進出を考えている鈴谷財閥の、最年少の総指揮補佐が、この鈴谷尋という少年である。
総指揮補佐。それがどれほど高い地位の役職なのかは知らないが、そらまあとにかく凄えのである。
説明終わり。
「誰に向かって説明してるのさ……?」
「俺たちからすれば、神様とでも言うべき存在にだ」
「は、はぁ……」
訝しげな視線を送ってくる鈴谷。他に何と言えば良かったんだちくしょう。
「まあいいや。あ、今の説明に訂正加えとくね。総指揮補佐じゃなくて、今は『元』総指揮補佐、ね」
元だったか。すまんすまん。
「良いよ。別に気にしてないし。ま、それも君達だからこそ、なんだけどさ?」
「んぇ???」
鈴谷はフッと、朱色に染まる空を見上げ、哀愁漂う背中を俺に見せてくる。
「君達は僕を特別扱いすることがないからね」
「んぇ???」
頭が悪くも、またまた同じ声を挙げてしまう。
特別扱いとは。
「んー、この学校に来るまでは、あちこちで優遇された生活を送ってたからねぇ……皆からすれば、羨ましいのかもしれないけど。僕はあんまりそういうの、好きじゃないからさ」
ああ、なるほど。
よくある、持つ者だからこその悩み、か。
俺達のクラスは、そういうことに関しての機微は敏い。
どういうわけか知らないが、俺達のクラスのほぼ全員が、過去になんらかの傷を負っている。
それを空気で察し、誰も彼も、気づかないフリをする。
それが世間的には、褒められた事ではなくても、俺達はこれで良いのだ。
この距離感が、とても心地良いのだから。
だからこそ、鈴谷の悩みも、気づいていながら気づかないフリをしていた者も多かっただろう。
だが、鈴谷にとってはそんな俺達の対応こそが救いになっていたらしい。
悩みに気づきながらも、そんなの関係ねえと自分達のペースに巻き込んじまって悩む隙を与えない。
なんか上手くまとめられなかったが、とにかく要約すると、まあ。
「この学校に来て良かったよ。とっても居心地が良いや」
こういうこった。
「それに、好きな人もできたし」
「ん?麻戸?」
こんだけ意地張って逃げてんだ。よっぽど好きなのだろう。
「違うよ」
「へ?」
え?
「確かに麻戸さんにも、ある種の好意は持ってるよ?けど、それ以上に好きな人がいるんだよ」
「そ、そうなのか……誰か聞いても?」
少し気になる。麻戸よりも好きだという、鈴谷の好きな人。
「あー、うん。ええとね」
そして、鈴谷は飛びっきりの笑顔で俺に振り返り──
「──幡谷水守さん」
四階女子トイレ。
洗面台で手を洗い、トイレから出る。
百済はハンカチを忘れたことを思い出し、舌打ちしながらピッピッと手を払う。
あの麻戸の目。
あれを見てしまい、教室にいられなくなって、飛び出すようにトイレに逃げ込んだ百済。
──あれはなんだ。
光が見えない、濁った闇。
間違いない、麻戸は私を見ていた。
いつもの思い込みでも、下らない妄想でもない。
麻戸美雨という生き物は一体、なんなのだ?
得体の知れない化け物。
そんな印象を麻戸から受ける。
百済は、久しく感じていなかった──恐怖を、全身を持って体感していた。
「……ん?」
誰かが屋上行きの階段に向かって行ったのを、視界の端に捉えた。
今の後ろ姿……。
気づいた時には、百済は駆け出していた。
さて、ついに言ってしまいました。友達に。
僕の、好きな人を。
「幡谷……?」
「そ、幡谷さん」
僕の目の前にいる友達は、やっぱり麻戸さんだと思っていたようで、呆気に取れている。
でも、僕は彼よりももっと驚く彼女──幡谷水守の、驚きに染められた顔を想像して、思わずにやけてしまいます。
人生初の、自爆覚悟のドッキリ。
そのために、僕は決死の闘争劇を繰り広げて来たんです。
「じゃ、じゃあそのクジは?」
「ああ、これは……11番。廊下側後ろから三番目の、幡谷さんの隣の席のクジ。麻戸さんの周りの席の占有権じゃないよ」
じゃあなんで逃げていたのか。
そう言いたそうな彼の顔を見て、僕は今回の闘争劇に臨んだ、とっても単純で、自己満足な理由を告げましょう。
すなわち。
「──告白するためだよ」
「今回の闘争劇を生き残って、ただの一度も捕まることなく逃げ切る。そうして、最後に幡谷さんに告白する」
下らないかもしれないけど、麻戸さんの周囲の席を必死に掴み取ろうとしていた皆からすれば、怒りたくなるような理由かもしれないけど。
それでも。
「僕は、本気だよ」
だって、さ。
皆から逃げ切って、勝ち取ったクジで笑って彼女の隣の席をもぎ取って。
そして愛を告げられたら。
「「すっげえかっけぇ」」
僕と彼の声が重なる。
「は、はは、すっげえ、かっけぇ。かっけぇよ鈴谷!そんだけ好きなんだな。応援するぜ」
そう言ってはにかむ彼は──ああ、やっぱり。
眩しいなぁ。流石、僕の好きなクラスの一員だよ。
「それじゃあ」
「行くか!」
お互いが手にするクジを守るために、走り出そう。
完全下校時刻──もとい、闘争劇終了まで、あと──
──二十分。
「──麻戸。ここで何してんの」
屋上。
本来なら生徒の立ち入りは禁止されていて、閑散としているはずの屋上に、二つの人影があった。
麻戸美雨と久夛良木百済。
淡く茶色がかった長い黒髪を風になびかせ、麻戸が生気の無い目で百済を睨む。──いや、見る。
そこになんの意思も感じられず、ただ視界に百済を捉えているようだ。
百済は、その丁寧に手入れの行き届いた、肩ほどまでの長さの白髪をかきあげ麻戸を睨み返す。
二人の間を、冷たい秋の風が吹き荒ぶ。
「────ァ」
やがて、沈黙を破るように麻戸が口を開く。
「────ァ」
百済の耳では、それは、自分の知る言語ではない何か、としか認識できなかった。
ちょっとちょっと……何この望んでない超展開……!
そういうのは二次元だけにしてよ……!
百済にはわかってしまった。
今のこの状況が、日常からは果てしなく遠くかけ離れてしまったモノだと。
日常に身を置くからこそ体感できる。
そのオゾマシサを。
百済は、ライトノベルやアニメ、漫画などが大好きで、幾度となくその世界に憧れ、夢を見た。
だが、実際に目の当たりにして思う。
──自分は、こんな異形に憧れていたのか?
「な、んな、の……麻戸。あんた、一体なんなのッ!?」
百済の叫びは麻戸に届いたようで。
麻戸が口を開く。百済にも解る言語で。
「────観察体」
教室には既に誰もいなかった。
つまり、クジを担任に渡してクリア、とはならないようで。
ならば、逃げ切るしかない!
「鈴谷、まだ走れるか?」
「それは問題ないよ」
だが、鈴谷の顔は浮かない。
幡谷が帰ってしまっていたからだろうか?
「あ、いや、そうじゃなくて……」
「? なんだよ。早くしねえと──ほら、来たぞ!」
俺らの持つクジに惹かれて幾人もの追手が──!
「──あれ、僕達のクラスメイトなのかな……?」
「へ?」
追手から残り十分を逃げ切るために、再び走り出そうとしたところで鈴谷が妙なことを言う。
何を言うか。追手なんて憎らしいクラスメイトしかあり得な──い?
「……気づいた?」
「なんだ、ありゃぁ……」
自分達に迫ってくる幾人もの影。
確かに、愛おしいクラスメイトの顔をしている。
────しかし。
「なんだよあの目……」
これだけ西日が差し込んでいるのだ。光が反射して然るべきであるクラスメイト達の両目は、だがしかし、光を伴わず、ただひたすらに闇を浮かべている。
生きているのか。こいつらは。
ゾンビと言われれば、なるほど、即座に信じてしまうだろう。
「と、とにかく捕まったらマズい気がする……!」
「……そうだな、走るぞ!」
止まった足に力を込め、今までにない全速力で走り出す。
と、前方から。
「「「────」」」
「!?」
背後から迫り来るクラスメイトらしき追手の数の、軽く倍はいそうな。
前方からも、敵が迫って来た。
逃げ込めるような空き教室もない。あったとしても、この数を相手に狭い教室内で太刀打ちできるとは思えない。
辺りを見渡し、ただ一つの階段に望みを託す。
「鈴谷!あの階段から下に──」
「う、うん!」
そして、下り階段に足をかけ──
「ッ!クソッ!下からも!」
「上に行こう!」
「上!?」
鈴谷の声に、咄嗟に屋上行きの階段を駆け上がる。
「──なぁ、鈴谷」
「なに!?」
ここまで来といてだが。
ふと、あることに思い至って。
「屋上って──鍵、かかってなかったっけ?」
「────」
二人して顔面を蒼白に染める。
「どど、ドアをぶち破れば!」
「そしたら鍵閉められなくて、どのみち屋上で追い詰められて終わりだろ!」
そんな会話を繰り広げる内に、問題の屋上入口が目前に迫る。
「とりあえずぶち破って、二人でドアを抑えれば!」
「それしかねえか……!」
階段を駆け上がって、既にボロボロの身体を引きずって。
堅く閉ざされた扉にぶちかます。
体当たり──ッ!
ポケ○ンでは大した威力を有さない技だが、人間がその技を発動すると、かなりの威力を発揮する。
軽く、鍵のかかった扉を吹き飛ばせるほどには。
「「──へ?」」
かくして、屋上入口の扉は開いた。
だが、開けた張本人たちは、やけにその扉が軽かったため呆気に取られていた。
当たり前だ。
なぜならその扉は既に、半開きになっていたのだから。
勢いがつきまくり、開け放たれた扉は反動で「ガチャン!」と小気味良い音をたてて閉まる。
「鈴谷!鍵、鍵閉めろ!」
「あ、──っと」
カチャリ、と、この扉を境に世界が二つに分かたれた。
「「────はぁぁぁ……」」
ようやく終わった。
逃げ切った。
右手にはまだしっかりと、43番と書かれた、小さな小さな紙切れが握られていた。
こんな紙切れのために、俺たちは──
「──お前ら、何やってんの」
少々感慨にふけろうとしたら、そこには。
「──あんたらこそ、何やってんの」
お互いが、驚愕に顔を染める中。
ただ一人、鈴谷は気楽に。
「あ、麻戸さんと久夛良木さん。屋上って立ち入り禁止じゃなかったっけ?」
などと、自分たちにも言える言葉を、麻戸と久夛良木に向けて言い放っていた。
四人が合間見える、『屋上』という一つの世界で、何が起きているのか。
それを把握できた人はいない。
そう、人は。
「──同期完了」
無機質で、まるで死刑宣告のような冷たい声音。
《観察体》レイン。
それが麻戸美雨の本当の名前……識別名だ。
名前には様々な人間の想いが込められているが、レインの場合は、ただ純粋に同族達との識別のためにつけられた名。
ゆえに識別名。
「麻戸……さん?」
鈴谷尋が、訝しげな声をあげる。
流石にこの状況は何かおかしいと思ったのか、先ほどまでの緩い雰囲気を殺している。
「──私の識別名はレインです。『麻戸美雨』は、この学校で過ごすために借りた個体の名前です。以後お見知り置きを」
最後の一言は些か皮肉を含んでいる。
どうせ、この者らに『以後』などないのだ。
「待て待て待て待て……ウェイトウェイト。あんだって?識別名だ?レインだ?──うん。わからん。バカでもわかるように説明してくださる?」
これといった特徴のない少年が日本語と英単語を混ぜた不思議な言語で語りかけてくる。──そういえば、現代の日本語はやけにカタカナが多いのだった。つまりこれは現代語。
ならば、こちらも現代語で応じよう。
「ユーのフレンズ、麻戸美雨は、ななななんと、私、《観察体》レインだったのです」
「なめんな」
なぜだろう、白い目で見られている気がする。
「麻戸サン?何を遊んでいらっしゃるので?」
「遊んどるつもりはありまへん」
「何を遊んでいらっしゃるので?」
「スムーズな会話を試みたのですが失敗しました」
「さいですか」
むぅ、上手く行かないものだ。
「麻戸」
それまで黙っていた久夛良木百済が口を開いた。
「あんた、本当に何者?」
────さきほどから言っているのに。
「私は《観察体》レイン。名の通り、観察するための個体です。未知を観察し、そのプロセスを解析、把握したのち、同族とその知識を同期──共有することが目的にあります」
理解いただけましたか?
と、視線に込めて三人を見るも、皆それぞれ、訝しげな視線をレインに向ける。
まあ、理解してもらわなくても良い。
どうせ、この時間は消えるのだ。
私の同族──宇宙仮想区域住学習体。要するに宇宙人が、消してくれる。
正確には、人間の記憶からこの時間が抹消され、また同じ時間が繰り返される。
「今回の観察対象である未知──『感情』についての解析は大部分が終了しています。ですが、まだ把握できないものがあるのです」
はたして私の言葉は届いているのだろうか。
どっちだっていいが。
「私の学習原理は、繰り返し検証を行うことにあります。一度試してみて、わからないことがあればもう一度、今度は少し違ったパターンで。またわからないことがあればもう一度。それを延々と繰り返し、わからないことがなくなるまで続ける。そうする内に、私達同族にとっての未知は皆無となりました」
しかし。
「まだわからないことがあるのです」
「それが……感情?」
鈴谷尋が問う。
話についてきているのか。
「そうです。人間が『感情』と定義するもの。それは理解できています。しかし、いざ私達が表現しようとすると、ぎこちなく、上手く行かない事がほとんどです。──だから繰り返す」
その方法を知るまで。
なぜ人間はそれほどまでに自然に、感情を表現できるのか。
その謎を明らかにするために。
そして、私達自身が、それを可能とするために。
「だから私は、この学校で人間を観察してきました。一万年にも及ぶ時間を、感情の解析に費やしてきました」
おそらく、あと数回繰り返すことで、やっと理解できるだろう。
だから──
「────取り敢えず、今日という日をリセットしましょう」
今までで多く感情を解析できた、『今日』を繰り返す。
すでに『三六一二万三一一四回』繰り返して来た『今日』を。
私はまた麻戸美雨として学校に通い。
目の前にいる三人は、何事もなく、私に好意を抱き。
同じ日を廻るだろう。
私がそう仕組んだ。
私に好意を抱くように立ち回った。
私に向けられる様々な感情は、解析に役立った。
あと数回。
これを繰り返す。
それでは──
──また会いましょう。
「────んが?」
鳴り響く目覚ましに手を添え、狙いを定めて瓦割り。どうせ割れやしないが。
だが振り下ろされた手は、やかましい目覚ましにトドメを刺し、ようやく静かな朝が始まる。
「……うわ、なんか凄え汗かいてる」
ぐっしょりと濡れたシャツを脱ぎ、タオルでゴシゴシと汗を拭き取る。
「なんか凄え長い夢を見た気がする」
最後の方、麻戸と鈴谷と久夛良木と、屋上で、電波な会話を……あんまし覚えてねえや。
まあ夢だし、そんなもんか。
今はそんなことより。
「学校、怠りぃなぁ……」
学校に行く準備をせねば。
時間は、待ってはくれない。
朝から蒸し暑い。
どうしてこうも制服というのは、夏に暑く、冬に寒い仕様なのか。
額に汗を浮かべながら、教室の重い引き戸をガラガラと開ける。
「うぃーす」
「あ、おはよう」
「うっす、鈴谷」
先に教室に来ていたらしい鈴谷の姿を見つける。
既に教室にはチラホラと顔が揃い始めていた。
そしてまた一人。
「……ん、おはよ」
「…………」
久夛良木百済。
丁寧に手入れの行き届いた白髪を、多少の汗を滲ませながら惜しげも無く晒すその姿は、ニューヨークにでかでかとそびえ立つ自由の女神よりも堂々としていて自由だった。
「なに?なんか私の顔についていらっしゃるのでしょうか?」
「いえ何も。……ただ、久夛良木から挨拶してくるのは珍しいですね?と」
「……別に」
そして俺のすぐそばを通り過ぎ、俺にしか聞こえない声で言う。
──ただのきまぐれ。
なぜ俺にしか聞こえないような小さな声で言うのか、とか。
その他諸々疑問はあるのだが、まあ、気にしないことにする。
やがてクラスの顔が全て揃う。
呑気に欠伸を噛み殺している鈴谷尋。
いきなり机に突っ伏して寝始めている久夛良木百済。
そして、相変わらずの自然体で人をさり気なく惹きつける──麻戸美雨。
何も変わらない。いつもの顔触れ。
俺はなぜか、急に、唐突にこんなことを思ってしまった。
──ああ、平和だな。と。
そうしてる内に担任が教室に入ってきた。
「さ、HR始めるよ〜」
この頃には既に、今朝見た夢のことなどすっかり忘れていた。
ボーッとしてる内に、いつの間にか本日最後の授業である。
七時限目。学級活動。略して学活。
まあLHRとでも言えば良いだろうか。
主にクラスに関することでこの時間を用いたりする。
例えば、学級委員の選出など。
さて、本日の学活は何をするのか?
この後、俺は猛烈な既視感を感じることになる。
担任のとある一言にクラスの男子は沸き。
女子の白い視線が飛び交い。
麻戸は戸惑う。
全て、どこかで一度経験しているような……。
そんな出来事が、これから起こる。
「んじゃ、今日の学活はぁー……『席替え』で♪」
闘争劇が、始まる。
…………。うん。
ってな感じになったんじゃないでしょうか。
これを読まれた方は。
初期構想ではただただバカ騒ぎするだけのコメディ一直線だったのに……なぜこうなった感がパないの。
取り敢えず、まあ、予想をどこまでも裏切るカタチにしちゃおうと手直しを加える内に、最終的にはこんなんになりました……これで、予想通りの終わり方だった、とか言われたら恥ずかしすぎて死にそうッ!
まあこの短編に続きはない予定なので。はい。お疲れ様でした。