第九夜
世の中が何となくざわつき始めた。今にも戦争が起こりそうに見える。軍用機がせわしなく、夜昼なく、頭上を飛び回り、街には軍服姿の兵士が溢れ、あちこちで喧嘩が起きて、敵と戦う前に怪我をする者が大勢いる。
それでいて家のうちは森として静かである。
敵は五光年離れた惑星だという。嘗てはこの惑星上で戦争が絶えなかった。世界大戦も何度もやっている。それが治まり、宇宙艦が光速の数百倍の速度で航宙できるようになり、宇宙に進出した。そして、今度は五光年離れた惑星と戦争だという。それも敵は自分達と非常によく似ていて、外見上ほとんど見分けがつかず、生殖行為も可能だという。何でそんな者が敵になるのだろう。何のための宇宙進出だったのだろうと、若い母親は思った。
よっぽど、この星の連中は好戦的なのだろう。
家には若い母と三つになる子どもがいる。父はどこかへ行った。父がどこかへ行ったのは、月の出ていない夜中だった。如何にも商人とういう姿で、勝手口から出て行った。その時母の持った明かりが暗い闇を細長く射して、生垣の手前にあるヒノキを照らした。
父は今の王に能力・人格に疑問を持っていたが、それを口にする事はなかった。自分は一兵士に過ぎない事を充分に承知していたのだった。
救いは妃が優しく、しっかりされているのがせめてもの救いだった。
父はそれきり帰って来なかった。母はある時、三つになる子どもに「お父さんは」と聞いた。子どもは何とも言わなかった。それでも、しばらくしてから「五光年の彼方」と答えた。母が「いつお帰り」と言うと、子どもは「戦争が終わったら」と答えて笑った。これには母も笑った。こんな幼子が「五光年」の意味も「戦争」も意味が分かっているわけがない。ただ、大人達の言葉を真似しているだけだ。こんな幼子に、こんな事を聞いたのが間違いだと若い母親は思った。
その日、夜になって辺りが静まると、若い母親は子どもを入れたカゴを車の後部座席にのせ、目的地を「八幡神社」と車載コンピュータに指示した。車は静かに発進し住宅街を抜け、大通りに出た。車はそのまま国道を北上し始めた。
若い母親は八幡神社が何処にあるのか知らなかった。この時代、神を信じる者など稀だったが、父が行方不明になって大分たってしまった。父の所属する軍に問い合わせても“そんな者はいない”の一点張りで埒が開かなかった。
母はコンピュータで千年程前の“願掛”に“百度参り”というのがあったのを知った。今の時代、「神」も「願掛」も「百度参り」も馬鹿馬鹿しいような気もするが、他に手立てがなかった。
もう、母はいるかどうかも分からない「神」にすがるしかなかったのだ。
車はやがて農地が広がる郊外にでた。そして突然右折の合図をすると、狭いだらだら坂を降りつくすと、大きな銀杏があった。この銀杏を目印に右に曲がると、百メートルばかり奥に石の鳥居があるのが見えた。片側は上流社会の者達に愛されている庶民は名も知らない花が、高圧電流を通されたフェンスの向こうで咲いていて、片側はクマザサばかりの中を鳥居まで来た。そこで車は静かに止まった。幼子はぐっすり眠っていた。母はかすかに笑い、車を降りた。
鳥居を潜り抜けると、杉の木立になった。それから三・四十メートルばかり敷石伝いに突き当たると、古い拝殿の階段の下に出た。ネズミ色に洗い出された賽銭箱の上に、大きな鈴のヒモがぶら下がっていた。月明かりでよく見てみると、その鈴の傍に八幡宮という額が懸っていた。八の字が、レーザー銃が二丁向かいあったような書体にできているのが面白い。この神社は千年以上の歴史があるはずで、最初からレーザー銃は無いだろう。「神」も時の流れには勝てなかったのだろう。
そのほかにもいろいろ額がある。軍用宇宙艦の額があった。光速の数百倍・数千倍で航宙できる軍用宇宙艦も、神社にはそぐわないように若い母親には思えたが、そうとは思わない者もいるようだ。
鳥居を潜ると杉の梢でフクロウが鳴いていた。靴がカッカッと石畳みでなった。それが拝殿の前でやむと、靴を脱いだ。石畳が素足に冷たかった。
コンピュータで調べたとおり母はまず鈴を鳴らしておいて、すぐにしゃがんで柏手を打った。その時、母は夫が兵士だから、レーザー銃や軍用宇宙艦の八幡へ、こうやって是非ない願をかけたら、よもや聴かれぬ道理はないだろうと一図に思いつめていた。
その時、胸のポケットでブザーがなり、幼子が泣いていることを知らせた。利発とは言え、所詮三つの子どもである。目覚めたら辺りは真っ暗で母がいなのでは、泣いて当然だろう。母は幼子を寝かせるために、車にかけ戻った。幼子を早く寝かしつけ、後を続けなければならない。まだ、“お百度参り”を始めたばかりなのだ
そんな、夜が何日も何日も続いた。
こういう風に、幾番となく母が気を揉んで、夜の目も寝ずに心配していた父は、とくの昔に敵地でスパイとして捕らえられ処刑されていたのである。
父が命をかけて集め送った情報も、無能な王が無視し戦争に負けた。
王が敵に捕らえられ、その上后が敵の皇帝の后になりその曰くを知ると、民衆は旧式な火器とこん棒を持って王宮に押しかけた。革命が勃発したのだ。
王宮を守る兵士のレーザー銃は民衆に向けて発射される直前にくるりと反転し、兵士の後ろで民衆をせせら笑っていた王族・貴族・軍上層部に向けて発射された。
一方、五光年彼方の敵の惑星でも大きな動きがあった。
戦いに勝った皇帝は、国民向けのテレビで言った。
「私はついに我々の敵を倒した。そして、美しい妻を得た。私は私のなすべき事をなし、その褒美を得たのだ。
私はこれからは妻と静かに暮らしたい。私は先ほど、臨時政府に私の全ての権力を譲った。これからは“皇帝は君臨すれども統治せず”だ」
敵も味方も国民は、「もう戦争はない」と歓喜した。
しかし、若い母と幼い子どもの住むあの家は暗くひっそりとしていた。
※これは第五夜の外伝です。




