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第八夜

 床屋のドアを開けたら、白衣を着てかたまっていた三・四人が、一度にいらっしゃいと言った。

 真ん中に立って見回すと、四角な部屋である。窓が二方に開いて、残る二方に鏡が懸っている。鏡の数を勘定したら六つあった。自分以外に客はいない。

 自分はその一つの前に来て腰をおろした。するとお尻がぷくりといった。よほど座り心地が好くできた椅子である。鏡には自分の顔が立派に映った。顔の後には自分後ろ姿を映す後ろの鏡が写っているはず、である。

 だが、そこに映っているのはアイス・キャンディーを食べている幼い子どもだった。その姿に覚えがある。それは、五・六歳くらいの自分だ。それは自分が覚えている、最も古い記憶だ。自分は慌てて、振りかえった。

「何か」自分の頭をしてくれ事になったらしい、頭がぼさぼさ頭の中年の男が言った。

 後ろの鏡には自分の顔が写っていた。正面を見ると、鏡に自分の顔と、その後ろには自分の後ろ姿と怪訝そうな男の姿を映した後ろの鏡が写っていた。

 何かの錯覚だったのだ。このところ、色々とあって疲れている。

「何でもありません」と自分が言った。

「すみません」と、男が言った。「テレビ、いいですか?」

「どうぞ」と、自分はなるべくそっけなく言った。本当は自分もテレビを見たかったので、好都合だった。男は既に手に持っていたテレビのリモコンを操作した。丁度その時、表の県道をパトカーがサイレンを鳴らして通り過ぎていった。それから、歩道を若い女の横顔が見えた。よく女の顔を見ようと思ううちに通り過ぎてしまった。

「また、事件があったのでしょうかね?」と、男が言った。「こんな田舎でも殺人事件が起きるなんて、信じられない・・・」男は殊勝な事を言ったが、その顔は好奇心で満ちていた。

「Z県D市のアパートの一室で、若い女性が絞殺死体で発見されました」テレビの画面上に現れた男が言った。

「実は私はこの女、知っていたのですよ。すぐ、近所ですからね。なかなかの美人で、色っぽかった。男ならみんな、声をかけたくなる女でした。お客さんは?」男は髪を切る手を止めて、鏡に映る自分に聞いた。

「さあ、知らないね。自分もすぐ近所のアパートだけれど、引っ越してきたばかりだから」と、自分は平然と嘘をついた。女の部屋は自分の部屋から丸見えだった。でも、そんな余計な事、この男に言う必要はなかった。

「それは残念だった。いい女だったのに」と、男は鋏を動かしながら言った。

 自分の顔の後ろに後ろの鏡が写っていて、そこに殺された女の部屋の窓が見えた。自分の窓から見える風景だ。

 女が下着姿で、自分を手招きしている。

 自分はぎょっとした。それは昨日の夕方、自分の部屋から見えた風景だ。

 一体、この鏡は何なのだろう?

 自分の頭で鋏を動かしている男は全く気がついていない。と、言う事は自分にしか見えていないという事だ。先は、幼い自分が写っていた。

 この鏡は、自分の過去を映す鏡なのだ。

 自分は呆然と自分の顔の後ろに映るものを見つめた。

 女の部屋に中年の男が押し入って来るのが見えた。男は自分だ。女が何かわめき、テーブルの上にあった一輪刺しを男に投げつけた。それが男の顔に当たった。男が切れ、女の首を両手で絞めた。女は崩れを落ち、見えなくなった。

「お客さん、どうしたのです。この額の傷」と、自分の前髪にかかった白衣の男が言った。

「会社の倉庫で、電気を付ける前にぶつけてしまった」と、自分は即興で嘘をついた。

「それは気をつけないと」と、男は言った。男は自分の嘘を信じたようだった。

 自分は嘘つきの、人殺しなのだなと思った。

 自分の前の鏡から自分の姿が消え、代わりに黒衣を着た裁判官が自分に言った。「被告を懲役八年に処する」 鏡の中の自分は、傍聴席の髪を赤く染め化粧の濃い女子高校生を睨んでいた。

 それで、前にある鏡は自分の未来を映す鏡なのだと理解した。そして、後ろにある鏡は過去を映す鏡・・・。

 相変わらず鋏を動かしている男は全く気がついていない。

 この女子高校生の目撃証言で捕まるのだと自分は思った。その女子高校生なら自分は知っている。家も何時頃、どこを通って帰ってくるかも知っている。

 なら、この女子高校生も殺さなければならないと自分は思った。

 今夜の予定は何もない。善は急げ、だと自分は思った。「今夜、決行」心の中で自分は呟いた。

 すると、前の鏡に映る自分の未来が変わった。


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