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第5話

 馬車が止まり、扉が開けられる。


 窓から見えたインセンの街は活気に満ち、後何年もしない内に戦争の痕跡は無くなってしまうだろう。もちろんそれはスカトル国の王であるカルート・キヤラの願いでもある。


「おかえりなさいませ」


 いつもの様に出迎える重臣達と女官長。他のものは頭を下げているので名前どころか顔さえ知らない。


 例え遠くても近くでも、外出から帰ってきた時には必ず先祖神であり、スカトル国の最高神で、天界を治める神イソアミルに報告することになっている。カルートはこれもいつものように宮殿内にある神殿へ向かった。


「新しい神殿の様子はいかがでしたか?」


 宮内大臣のシプレ・シガーがすぐ後に続く。彼はカルート王の妃メリッサの父で、シプレは娘のメリッサを蝶よ花よと育て上げ、王の正妃にした今も溺愛している。純粋培養の妻は良くも悪くも天真爛漫で、この十年間続いた戦争に終止符が打たれたときには心の赴くまま、子犬のように部屋中を駆け回ったそうだ。


「無事に戦争が終ったことを神に感謝しなくては。神のご加護があったからこそ、父にも夫にも何事もなかったんですもの」


 そうして神殿を造る事を思いついた。今まで思ったことで叶わなかったことのない彼女は、早速父に相談した。殊勝な態度と甘えた声で。どこにどう頼めば自分の願いが叶うか良く知っているのだ。この件に関して彼女は夫であるカルートより父を選んだ。


 これまた娘の望みを叶えることを生きがいとしているシプレは、尤もらしい理由を付けて議題へ乗せた。


「民は長年の戦でほとほと疲弊しております。ここは一つ彼らに楽しみを与えてやるのはいかがでしょう。戦勝記念として、また人々の新しき心の支えとして、そうですな、神殿など造られては」


「今、民に更なる税を課すのはいかがなものだろうか?」


 まだ傷跡癒えぬ時分に、と多くの諸侯は反対した。本心は神殿建設の必要経費を寄付という形で徴収されるのを嫌がっているのだ。建物が神殿だけに、建立が決まれば寄付を出さないと信仰心が疑われてしまう。


「民達ね」


 シプレは一回り諸侯を見回すが、他の諸侯達も慣れたもので、しれっとした顔で受け流している。


「確かに今は疲れきっているでしょう。ただ後々、人々の心に余裕が出てきた時、回らない頭でつまらないことを言い出す輩も出てきます。そして悲しいかな民は流言に流されやすいもの。その不満の矛先はどこに向けられると思いますか? 他ならぬ我々です。それをかわす為にも何かしらの目的を与えておいた方がいい」 


 少しだけ室内の空気が変わってきたことを感じつつ、シプレは一呼吸置いてさらに続ける。小太りで眼が細く、常に笑っている印象を与えるが、いざとなると有無を言わさない雰囲気をかもし出す。自分の娘をしっかり後宮にいれる程のやり手であり、見た目で判断すると痛い目にあう人物の一人といえる。


「宮殿を造るというのであれば非難を浴びるでしょうが、皆の為の神殿ならば文句も出ないというものです。ああ、信仰心を煽って民から直接寄付を集めるのもよい。誰の加護でこの戦いを勝利と言う形で乗り切れたか? 他ならぬ最高神イソアミルとその子孫カルート王だと言うことを同時に天下に知らしめるいい機会にもなるでしょう」


 言うことをいったシプレは席に着いたが、他の諸侯からはため息は聞かれたものの、反論らしき発言は出てこなくなった。その流れを受けてカルート王は裁断を下した。民衆の活力源になると同時に最近問題になりつつある帰還した兵士の当面の雇用対策にもちょうど良いと判断したからだ。


「シプレに神殿建造指揮権を与える」


 こうして一昨年から神殿建造が始まった。責任者であるシプレがカルートの後に続き、気にして様子を聞くのも無理のないことだ。


 民に神殿の建設を発表したと同時に雨が降り始めたのも良かった。メリッサは小躍りして純粋に喜んだが、一番喜んだのはシプレだった。それもそのはず、雨は神が喜んでいる印である。そのため神殿建設は神意に沿った行為であると諸侯も民衆も信じた為、さらに事業がやり易くなったからだ。


(これが一人の女の単なる思い付きと知ったら皆どう思うであろうか)


 寝物語で誇らしげに妻から神殿建造に至るまでの経緯を聞かされたカルートは内心呟いた。最終的な裁断を下したのは他ならぬ自分であるが、建設発表の時に雨が降ったのは出来すぎだ。妻の思いつきとはいえ純真な心から出たものなので、神も捨て置けなかったに違いない。


 初めは乗り気でなかった諸侯も、今では神殿の完成を心待ちにしているものが多い。


「どうせなら、神おろしの儀式の舞は当代一の舞手にやらせたいですね」


 酒宴の席での誰かの軽い発言が熱い同意を受け、たちまちのうちに各諸侯が推薦する旅芸人を神おろしが行われる前年の秋に王の前で試演させ決めることになった。それは瞬く間に巷に広がり、今や『神殿建設』は貴賎問わずの娯楽となっていた。





「サンデラ将軍は今日初めて神殿を見たのだったな。どうだ、出来は?」


 神殿査察を共にしたサンデラ・クロブが今も後ろに付き従っている。彼は軍事の最高責任者という役割を担っている。


「王がよければ私は、何も」


 サンデラは表情一つ変えず手短に答えた。


「将軍は正直でよい」


 笑うカルートに、シプレは王もサンデラと同じく神殿が気に入らないのかと焦り出した。小太りだけにおたおたする様は道化のようで愉快だ。暫く楽しんだ後、カルートは義父の心を落ち着かせてやることにする。


「悪くない、あのまま続けよ。将軍は他の事で頭が一杯で、そちの機嫌取りまで気が回らぬのだ、許してやれ」


 シプレが神殿計画の演説を打った時、サンデラ・クロブはその場にいなかった。彼は地方で戦火再発の燻る火種を消す役目を忠実に全うしていたのだ。そしてそれは今も完全には終っておらず、彼は神殿よりも反乱鎮圧を優先させるべきだと考えている。


「それでは王、後ほど南西地方のご報告を」


「うむ」


 軍人らしい一礼をすると、サンデラは軽くシプレにも頭を下げ、きびきびとした足取りで去っていった。


 サンデラ将軍は今回の戦争の最たる功労者の一人だ。


『凍れる勇獅子将軍』


 紋章の相向き合う獅子から民衆にそう呼ばれ尊敬を集めている。だが、同時に恐れられてもいた。それは偏に彼の頭を未だに悩ませるコヨルテ=ラグドの攻め方に寄る。


 元々、今回の戦争の発端は我がスカトル国と隣国ベイラムとの間で起こったものだ。この二国はどうしても相容れない信仰上の理由があった。スカトルは最高神で天界の大神イソアミルが大地の神ベチベルを妻として全世界を治める神話からなっている。対するベイラム国は大地の女神ベチベルを最高神とし、その子孫と名乗っていた。そしてベチベルから生まれた息子イソアミルに天界を支配させるという神話になっている。


 スカトル国からすれば妻のベチベルを先祖に持つベイラム国は格下であり、逆にベイラム国にすれば息子のイソアミルを先祖にもつスカトル国の方が下という意識がある。お互いの民も何かと対抗心を燃やし、国境付近ではイザコザが絶えなかった。


 子供のけんかに親が出てくると余計にややこしくなるように、両国の村のささいなケンカに両軍が出陣し、ややこしいの一言では片付かない十年に及ぶ戦争に発展してしまった。


(あの頃は親父が指揮を取っていて、自分はまだ血気さかんな皇太子だった。今では三十の大台にのり、すでに半ばに差し掛かっている)


 戦いの途中で父王が死んだ。病死だったが、戦いの途中ということもあり、伏せられていた。にもかかわらず敵方にその情報が漏れ活気づき、逆に味方の士気は一気に上がり、苦戦を強いられるようになった。


「ここで巻き返しを図る必要があります」


 その打開策として選ばれたのがコヨルテ=ラグドだった。コヨルテもベイラム国と同じく大地の女神を最高神として祭る地域であり、同じ神を信じるよしみでベイラム国と手を組み、スカトル軍の手を焼かせた。なんといってもコヨルテは優秀な馬と不屈の意思をもつ男で世に知られている。将を欲すればまず馬を射よとばかりに、ここを早めに叩いておけば戦況も変わると踏んだのだ。


 コヨルテ殲滅の指揮官として立てられたのがサンデラ・クロブである。戦いは熾烈を極め、結果、コヨルテ=ラグドの街を全て焼き払い勝利した。勝因はサンデラ将軍の好機を逃さない指揮と、スカトル軍に囲まれたコヨルテをベイラム国が見捨てたことにある。だが、味方にも多数の犠牲を払わざるを得なかったのも事実だ。


 夫や子を亡くした者はコヨルテの民を鬼が獣のように悪く言うが、実際に戦場に立ち会った者は孤立無援のコヨルテの戦士の勇敢さと、サンデラ将軍の冷酷なまでの徹底した叩きぶりに同情や恐怖などいろいろな感情が入り混じるのか、あの戦いについては口を閉ざす者が多いと聞く。


 かくしてスカトル側は再び勢いづき、次々に乱立していた国を統一していった。コヨルテを見捨てたベイラム国は他の同盟国から敬遠され、最終的にベイラムの王と主だった諸侯の首、そして改宗を条件にスカトル国の元へ下った。


「民は上手くアメとムチで手なずけておけ」    


 カルートは押さえつけが厳しいほど反発が大きいことを知っている。いい意味での『あいまいさ』も時には政治に必要なのだ。

多神教の強みを生かし、最高神はイソアミルとしなくてはならないものの、自分達の信じる神を信仰することが可能と知ると、無益な戦いより今の条件を受け入れた方がいいという思考が大半をしめ、併合したどこの国も比較的混乱なく秩序が守られているらしい。偶に、その考えを受け入れられないものが反乱を起こすが、大したことはない。


(問題はコヨルテの民だ)


 彼らは戦の巻き添えを食った上、見捨てられ殲滅した。殆どのコヨルテの兵士はその戦いで命を散らしたようだが、実は生き延びて再起を図っているという噂がまことしやかに流れ、なかなか消えない。地下に潜伏しているので摘発も懐柔も難しい。神殿の建造で浮かれている市民の心の裏にはコヨルテの報復を恐れ怯えている顔が常に隠されている。サンデラ将軍が未だに駆けずり回っているのも大半はコヨルテゆえだ。


「まだまだ安寧には程遠いようですよ、父上」


 カルートは宮殿内の神殿に一人入ると跪き、儀礼に則った祈りを捧げ始めた。



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