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第4話

「おつかれ」


 アクアに声を掛けられ、首にまとわり付くシリアの髪から作られた長いかもじを払いながら、イリスも軽く手をあげて答えた。



 たった今公演が終ったばかりだ。イリスにとって今日も可もなく不可もない内容だった。 



 シリア一座にとって目下の目的地は、夏の祭りに間に合うようにカミルレと首都インセンのほぼ中間地点にあるトシスの街に入ることだ。トシスという街には今まで一度も入ったことがなく、たどり着くまでの道すがら小さな町を回り、名を売っていくことになる。無名のままトシスの街に入るのと、いい噂と共に街に入るのでは市民受けも待遇も違ってくるのだ。 



 ラシル達と共にカミルレの街を出発してから幾街が回ったが、『シリア一座』はまだこの辺りでは絶大な人気を持っており、どこの町でも諸手を上げて迎えられた。イリスにとってもやり易い地域といえる。今日の宿も女将がイリスの熱狂的な支持者であり、出される料理も部屋も払った値段以上のものが提供されていた。




「いつもこういう待遇が受けれるなんて、いいなあ。俺も一座に入ろうかな」



 メノウは固めの寝台に寝転びながら清潔なシーツの手触りを楽しんでいる。



 イリスは双子と同じ部屋を割り当てられた。最近はラシルといるか、双子といる時間がほとんどだ。ナナはすねているのか以前のように懐いてこない。それは少し寂しいが、おかげで今では双子もどちらがどちらかすぐ分るようになった。



(どちらの顔もそっくりだけど、やっぱり雰囲気が違うんだよね。色でいうとメノウはパッと目をひく赤なんだけど、アクアはもう少しやさしいローズレッド)



 だが、まだイリス以外の団員は区別が付かないらしく、双子にいいように騙されている。 



 イリスもメノウと同じように寝台にうつぶせに寝転んだ。



「いいことばかりじゃないよ。今日だってここの女将の為だけに舞をさせられたし」



 この宿の女将は旦那を早くに無くし、一念発起して宿屋をはじめ、街一の宿屋にまで伸し上げた。その自信と元々の勝気な性格が手伝ってか、何もかも自分の思い通りになると思っているらしく、彼女のために彼女の言うまま同じ舞を舞わされた。貴重な出資者だとしても二度三度と踊らされるとさすがに疲れる。



 もうそろそろ慣れなくては、とは思うのだが、媚びなければ生きていけない今の生活と、それを当然のように要求し、受け入れる人種がいることがイリスにとって我慢がならない。




(もう少し…来年の春までの辛抱だ。僕ができるのは唯一舞を舞うことだから)




 何度も自分に言い聞かせた言葉をまた自分へ呟いた。




「んー、出来たぁ」


 部屋の隅にある明かりのそばでせっせと繕い物をしていたアクアは思い切り伸びをした。服が破れたり汚れたりした場合、直すのは当然だが、もう一人の無事な服も同じ状態にするのが双子の間の決まりだそうだ。確かに顔がそっくりでいつも同じ服を着ていたとしても、ちょっとしたほつれで十分区別する標識になりうる。それを彼らはとても嫌がるのだ。



「やっぱり双子って好きなものも同じなのかなあ」



 イリスはなにげなく口にしたが、答えは分っているようなものだ。趣味が合わなければ同じ服など着ないに違いない。



「うん」


「いいや」



 だが、イリスの考えに反して双子の意見はわかれた。



(珍しい)



 思わずイリスは寝台から顔を上げた。アクアも『否』と答えたメノウに驚いている様だ。


「一緒じゃん。食べ物だって、音楽だって」


「確かに共通点は多いと思うけど」




 メノウは訳ありげに微笑むと首を振った。




「俺、アクアみたいに趣味悪くねーもん」


「俺のどこが趣味悪いんだよ?」



 アクアもムッとして立ち上がる。仲のいい二人にとってまたも珍しいケンカだが、イリスは間に入ることにした。



「取りあえず理由を聞いてみようよ」



 アクアを宥めるように見つめる。アクアは憮然としながらもおとなしく座った。



「アクアってば、寝言で誰の名前呼んだと思う? めちゃめちゃ切なそうに言うから、兄としては放ってはおけないわけよ」


「え、誰?」



 ちょっと興味がある。



(趣味が悪い人、なんだよな)



 イリスがアクアに視線を移すと、彼の顔が少し強張っているように見えた。



「それがさー、偽善者の塊ミルテ、だぜ」


「言ってない!」


 再びアクアは立ち上がる。威勢良く否定したものの、体が小刻みに震えている。それを止めるためか、アクアは右手で左の二の腕をつかんだ。




(ミルテか、意外だな)




 いつも双子と言い争いをしている印象がイリスにはあった。



(でも、よく考えてみるとケンカしていたのは殆どメノウだったかも)





 アクアはそっとミルテの隣にいた。




 ミルテは真ん中で分けられた艶のある漆黒の髪、同色の瞳の持ち主だ。顔は端整と言ってよく、少し黄味の強い滑らかな肌色をしている。交渉事は殆ど彼が担当しており、印象的な笑顔で殆ど思うように取り纏めてしまう。


 メノウが偽善者と言うのは、笑顔とは裏腹に口が悪く、一言何か言わなければ気が済まないかのように付け足すからだ。



(そういうけど、彼の軽口は仲間内だけだ) 


 裏を返せば彼なりに仲間を信頼し、甘えているともいえる。それだけ気心が知れているのだ。



「ちがーーーう。もし一歩引いて寝言で言ったとしても、それは、多分ヤな夢で、うなされてたんだと思う」


 まだアクアは一生懸命弁解している。今では彼の頬がそばかすを埋めるように赤くなっており、体がしっかり認めているのが見て取れた。



「別にさ、駄目だって言ってるわけじゃないじゃん。二人きりの兄弟に嘘つくなよ」



 メノウの全く取り合う気のない言い草に、アクアは、違うって言ってるのに、と小声で呟き、それを最後に黙った。



「俺の場合、そうだな、もしミルテとイリスのどちらかと寝ろって言われたら、イリスを選ぶからね」



 メノウにそう言われ、微笑まれてもイリスとしてはどう答えていいか分らない。ありがとう、もおかしいだろう。そんなイリスにお構いなしにメノウはさらに続けた。


「じゃあ、イリスはミルテと…ラシルと一晩過ごせって言われたらどっちを選ぶ?」


「なんでいきなりラシルが出てくるのさ」



 話の流れからすればミルテかメノウかどちらを選ぶ? ではないだろうか。


 イリスは軽く戸惑いを覚えた。その様子にメノウは、おや? と首をかしげる。


「だって、ラシルはいつもイリスのこと気にしてるじゃん」


「それは、ラシルが僕の警護についているからだろ」


「それだけじゃないよなあ」


 メノウはアクアに同意を求める。


「ないね。ラシルも気づいていないかもしれないけど、イリスのこと目で追ってるもん。絶対好きだね、イリスの事。リスと向かい合っている時と同じ顔してたし」


「僕を馬と同じにしないでくれる?」


 アクアは自分の事から話がそれた途端いつもの表情に戻り、再びメノウと意見が合った。



「で、イリスはラシルの事どう思っているのさ?」


 二人は同時に同じ声で聞いた。



「どうもこうもないよ。ラシルは警護の時以外の僕には興味ないみたいだし」




 そう、ラシルは誉めない。



 もちろんイリスの舞についてである。




「もう、他の一座で舞を見る気がしないよ」


 そう言ってジンは毎回手放しで誉めてくれるし、モスも言葉少なだが表情から感動してくれていることが伝わる。ミルテも人当たりの良い笑みを見せながら労ってくれる。…もしかすると彼の場合は依頼人の機嫌を損ねたくないだけかもしれないが、それでも悪い気はしない。


 ラシルはいつも一番後ろの壁にもたれかかりながら芝居を眺めているが、今まで良いも悪いも感想を聞いた事がなかった。



「へぇー、不満に思っているんだ」


 メノウは気づかないうちに尖らしていたイリスの唇にふれて笑った。


「ラシルもまだ希望があるね」


 アクアも本格的にこの話題を突き詰めようとイスを引きずって近くに座った。完全に目標が自分とならないうちにイリスは話を終らせなくてはならない。


「希望なんてない。それに僕に必要ないんだ、そういう感情」


「どうして?」


 またしても同時に質問される。話を早く切り上げようとしてきっぱり否定したつもりだったが、言い方が悪かった。余計に双子の興味を誘ってしまったようだ。


「どうしても」


 イリスは言い捨ててドアに向かう。理由は友達でも説明する気にはなれない。


「あーっ、逃げるのか?」


「そう」


 何もかも面倒くさくなり、認めて部屋を後にした。


「卑怯ものー」


 ドアの向こうから双子のわめき声がくぐもって聞こえた。






 部屋から出たのはいいものの、行く当てなどなかった。



「夜風にでも当たろうかな」



 イリスは思っていた以上に動揺している自分に気づいた。冷静になるためにも気分転換にもいい考えだ。そう決めると外に出るため、綺麗に積まれた石の階段をゆっくり下りていく。



(必要ないって言ったけど…)



 本当は誰よりも愛されたい、愛したい。そういう感情を誰より強く持っている気がする。それは押さえつければ押さえつけるほどイリスの心の奥を蝕み侵食していく。そして紙にインクをこぼした時のように確実に広がり、決して消えないのだ。


 シリアは自分の母親の妹で、甥のイリスを可愛がってはくれるものの、座長という立場もあり、全ての団員の母であり、友でなくてはならない。だが、一座に何かあった時、真っ先に彼女が守らなければならないのはナナなのだ。ラシルは役目ということもあるが、イリスを真っ先に守ってくれるだろう。



(それに、何気に気を配ってくれる)



 ラシルがイリスだけの警護についてくれるのは嬉しかった。仕事だとしてもいつも自分を見てくれる人が欲しかったから。片付けの際も率先して重いものを持ってくれる。乗りたい時にコヨルテ馬のリスに乗せてくれるし、乗る時は日焼けの心配も忘れない。それに話したくない話題になるといつも逃げ道をつくってくれる。あまりに自然なので他にも気づいていない事は沢山あると思うが、ラシルはイリスの望みを察してくれる。


 もちろん双子と遊ぶのも楽しいが、どこかで同年代の悲しさか、自分をより良く見せようと表面に出さない競争心がある。対してラシルは対等に扱ってくれながらも年上ということもあり、木漏れ日のように見守る温かさをもっている。今までそのように見られる経験がなかったのでとまどい、気づかないふりをしているが、イリスは素直にその暖かさを求めてしまいたい気がする。そう、勇気を出して手さえ伸ばせば…




(な、何考えてるんだ。駄目だ、そんなの。未来の僕がかわいそうになるだけだ)



 我に返ったイリスは激しく頭を振った。本当に夜風で頭を冷やす必要が大有りの様だ。



 思いを振り切り、外へ通じるドアを開ける。夜風がイリスの顔を撫ぜ、髪をくすぐるようにもてあそんだ。



(気持ちいい)



 誘われるままイリスは瞳を閉じた。



「どうした?」



 突然の呼びかけにイリスは驚いて目を見開いた。



 今まで考えていた相手にすぐ、ここで会うとは思っていなかった。イリスは鼓動が急に速まった気がした。これでは冷静になるために来たのに返って逆効果だ。



「…夜風にあたりに。ラシルこそ、どうしたの?」



 動揺を押し殺し、無難に受け答え出来た事に安心する。


「そんなところに突っ立ってないで、こっちに来たらどうだ? 今晩はいい風が吹いているぞ」


「う、うん」


 断る理由も見つからなかったので、ラシルの言うとおりに歩み寄ると、上から軽く口笛の音がきこえた。



(メノウにアクア…)



 見上げれば二階の窓から双子がにやにや笑いながら手を振り、親指を突き立てると部屋の中へ入っていった。



(後で絶対からかわれる…)



 軽いため息を一つ吐き、イリスはラシルの隣に並ぶ。



 ラシルは珍しく頭に布を巻いておらず、見事なまでの金髪が手触りのいいビロードのように艶やかな光沢を湛えつつ風に揺らめいている。



(髪の毛を下ろしているとちょっと子供っぽくみえるな)



 きりっと髪を纏め、颯爽と歩く彼は同じ男として見てもかっこいいと思うが、髪を下ろしてゆったりとしたラシルの方がイリスは好感が持てた。綿で織られた布ではなく、絹の衣を纏っていたなら十分貴人の御曹司に見える上品ささえ持っている様だ。



 イリスの視線に気づいたのか、ラシルはイリスを見下ろすと微笑んだ。


「ほ、本当にいい風だね」


 急に跳ね上がった心臓を紛らわせるためイリスは早口で切り出した。 



 宿は町一番の人気と料金を取るだけに展望の良い高台にあり、昼間はけして広いとは言えない町中を一望することが出来る。下から吹き上げる風は次第にイリスの心を落ち着かせてくれた。



「明日も天気がよさそうだな」


「そうだね」



 夜も更けており、町の灯りはまばらだが、見上げると相反するように零れ落ちそうな満天の星空が競うように瞬いている。



「あ、神の見回り」



 イリスは流れ落ちた星を指差す。夜の世界を見回る神が流れ星の形で姿を表すと信じられているのだ。


「今日は忙しいらしい。俺もさっきここに来たばかりだが、今ので五つ目だ」


 普通五人目、というところを五つ目と言う当たり、彼が余り信心深くない事が伺える。



(彼はどこ出身かな)



 傭兵を生業としているものの多くは地方の小さな国出身者が多い。ラシルは言葉に訛りが全くといっていいほどないし、金髪、碧眼はどこでも生まれるので判断材料にならない。



(ここまで綺麗なのは珍しいけどね)



 イリスはラシルの端整な横顔を横目で盗み見た。



 双子との会話が、ふと脳裏をよぎる。




(僕のこと好きだって、本当かな)



 二人きりでいる今、彼に何か変化が見られるのでは、と思いラシルの横顔を見た。だが、先程のように目が合うとどうしていいか分らなくなるので、彼に気づかれる前に星空へ視線を移した。






(えっ?)



 今まで夜風に黄昏れていたラシルが急にイリスの手を握った。触れられている部分がとても熱く感じられる。



「な、何?」



 驚いて手を引こうとしたが、さらに力強く掴まれた。視線をラシルへやると彼は静かに、という表情をイリスへよこした。



 先程までのラシルとは違う、昼間の彼の表情に、イリスの顔も自然とこわばる。



「二人の男が裏口から宿へ入っていった」



 ラシルは小声でイリスに説明する。イリスはそれに全く気づかなかった。


「でも、下の街で羽をのばしてきた泊り客が戻ってきただけかも」


 同じようにイリスも小声で答えた。


「客なら、わざわざ裏口から入る必要はない。仮に宿の者ならあんな風にこそこそ入らなくてもいいと思わないか? まあ、彼等なりに気配を消しているつもりだろうが、あの程度ならあまり訓練を受けているようには思えないな」


「泥棒だったら何狙いかな? 金品…?」



 イリスは宿泊客の顔ぶれを思い出した。街一の宿だけに客質はいいが、街を行き来する商人が多く、目だって狙われそうな人はいないと思う。



(まさかとは思うけど、狙われているの、ウチじゃないよね)



 人気のある一座なので、報酬やおひねりを他の所より多く貰っているのは実情だ。だが、団員の食い扶持や新しい衣装などの必要経費を差し引くと周りの人々が思っているほど余裕がないのもまた実情なのだ。華やかだけに誤解されやすい。



「心配はないとは思うが、念のためだ。一緒に来い」



 置いていかれると思ったが、一緒に来いと言ってくれるのは頼りにされているのかもしれない。イリスは嬉しくなった。


「うん」



 ラシルに手を繋がれたまま、イリスはラシルの広い歩調に合せるために自然と小走りになりながらも男たちの入っていった裏口へ向かった。





 ラシルは一階の食糧倉庫を軽く調べるとイリスを入れた。



「ここで待ってろ。俺が声をかけるまで絶対ドアを開けるなよ」



 その扱いにイリスはいきり立つ。



「どうして? さっきは一緒に来いって言ってたじゃないか」


「まだ外に仲間がいるかもしれないのに一人イリスを置いていくわけにはいかないだろ」


「いやだ、ここで一人隠れていたってアクアやメノウに知られたら馬鹿にされる」


 本当はそんな理由ではないのだが、正直に告げる気にはなれなかった。


「それはないから安心しろ。金が発生しない限り彼らが危ない現場に来たためしがない。もし姿を現したらリスをやってもいい」



 大切なコヨルテ馬を賭けるくらいだからラシルの言うとおり双子は来ないのかもしれない。だがイリスは首を縦に振るつもりは全然なかった。初めから双子のことはどうでもいい。ただ、ラシルの役に立って認められたい。



「自分の身くらい、自分で守れるから安心して」


「しかし…」


 ラシルはなかなか色よい返事を出さない。そこまで頼りなく見えるのだろうか? こう見えても座興でやるナイフ投げは得意だ。イリスは腰に下げている短剣を上から触り確認する。今まで人に向けて投げたことはないが、いざとなれば身を守るために十分使えるだろう。



「自分の仲間を守りたいと思うのは当然だろう? ラシルが止めても僕は行くからね」



 口からはもっともな理由が驚くほどすらすらと出てくる。半分以上はヤケになっており、残りは意地だ。



 ラシルの横をすり抜けようとしたイリスは肩を彼に掴まれる。睨んで見上げると、ラシルは肩を竦めて苦笑した。



「根性あるな、悪かった。俺と一緒に行ってくれ」



 イリスは眉間の皺だけ取り除いた。



「初めからそう言ってくれればよかったんだよ」



 



 石段を物音が立たないように上がり、二階の廊下を覗くとすでに男たちはモス、ジン、ミルテに囲まれ、首元に剣先を突きつけられていた。



「まあ、当然の結果だな」


 ラシルはゆったりと肩の髪を払いつつ輪の方へ近づいていく。ミルテは不満顔でこちらを見た。


「遅いですよ。…ああ、そうでしたか」


 一緒に後から付いてくるイリスを見て、ミルテはわざとらしく納得した声を出した。ラシルはミルテの肩に肘をかけ、輪の中心を眺める。


「たまたま一緒にいただけだ。で、こいつらは?」


「さあ?」


 ミルテが話す度に突きつけている剣先が微妙に揺れ、喉元に突きつけられている男の身体がさらにこわばるのが見て取れる。



 騒ぎに気づきドア越しで遠巻きに見ていた他の泊り客は、これから彼らがどうなるのかという自分の好奇心を満たすためにまだ部屋に戻る気配を見せない。



「何が目的でここに入った?」


 ジンは二人の男に向かって尋ねたが、答えるつもりはないらしく、目を逸らし堅く口を閉ざす。



「仕方がない」



 ラシルがミルテに目配せすると、分かったとばかりに頷き返す。ミルテは剣先をおろすと男たちの前にしゃがみ、人当たりのいい笑みを見せた。


 安心感を与えたのか、くみしやすい人物と思ったのか、男たちの表情が少し和らぐ。だが、それは束の間に過ぎなかった。




「面倒くさいことは嫌いです。斬って捨てましょう」



 その言葉にこわごわと遠くから眺めていた宿の女将が慌てて飛んできた。


「殺生なら、もっと他のところでやっておくれ! ここではお断りだよ」


 殺生自体を止めないあたり叩き上げで伸し上がってきただけある女将らしい、とイリスは舌を巻くと同時に呆れた。


「では、女将の顔を立てて、外で。少しだけ首が繋がっている時間が長くなって良かったですね」


 ミルテ、モス、ジンに無理やり立たされ、男たちはさらに顔色をなくす。





「イリス」


 一階上に泊まっているナナは騒ぎの様子を見に来て怖くなったのだろう。イリスの姿を見つけると走り寄り、飛びつくようにしがみついた。


「ナナ、ここは危ないから上に戻ろ?」



 イリスの言葉に、引き立てられた男たちの足が止まった。



「ナナ様…」


 一人の男の呟きがイリスの耳に入った。同時にイリスは彼らがどういう者たちかが分ってしまった。このままでは殺されてしまう。



(止めなくちゃ)



 イリスは列の最後に続くラシルの腕を掴み引き止める。


「彼ら、本当に殺しちゃうの?」


 必死なイリスの瞳を見て、男たちを見てからラシルはイリスを廊下の隅に連れて行った。


「口を割らせるための演技だ。あの様子からすれば経験上意外に手ごわいかもしれんが、方法はいくらでもある。時と場合によるが、今のところ殺すつもりはないから安心しろ」


 男たちに聞こえてしまっては意味がないとばかりにラシルは小声で告げた。


「イリスは部屋に戻って寝てろ、もう遅いぞ」


 軽く頭をぽんと叩き、ラシルは立ち去ろうとする。イリスはまたも彼の腕を掴んだ。



「どうした?」


「だから、その…」



 焦れば焦るほどいい口実が思いつかない。



「まあ、どうしたの?」



 ナナと同じ部屋で泊まっているシリアの、少し緊張を孕んだ声が響いた。だが、声とは裏腹に彼女は堂々とした足取りで男達を取り囲む一行の前に立ちはだかる。そして妖艶ともいえる微笑を浮かべた。


「ごめんなさい、言っていなかったから仕方がないけれど、そちらの二人は私の客人なのよ」


 夜も随分更けているのに、確かにシリアはしっかりと化粧を施し、昼間と同じ出で立ちでくつろいだ雰囲気は微塵もない。客を迎えると言ったのは本当らしい。



 シリアの言葉を受けて、モスとジンは剣をおさめた。ミルテは剣先を下げたものの、まだ鞘にはしまっていない。


 男たちは渋い顔で体の埃を払うと、彼らのプライドがそうさせるのか、ゆっくりとシリアの近くへ歩いていった。


「三階の一番奥の部屋で待ってて」


 シリアは男の一人の背中に軽く触りながらそう告げ、先に行かせた。




「本当にあなたたちを雇って良かったと思うわ、こんなに優秀なんですもの」


 振り返り、労うようにそう言って少し肩を竦めた。


「これからは内緒で逢引ができないわね」 


 シリアの言葉にジンは低いうめき声を挙げる。


「大丈夫ですよ、今日は男が二人尋ねて来たのですから」


 ミルテはジンを慰めるように肩に手を置いた。そして耳元でこっそり付け足す。


「三人でも十分に楽しめますけどね」




 拍子抜けした結末を見終わった他の宿泊者達はそれぞれの感想、大体は不満の様だが、を口にしながら部屋へ戻りはじめた。


「イリス、ナナをコリー達の部屋へ連れて行ってくれる?」


 頷くイリスを見て、シリアも三階への階段を登っていった。



「シバきそこねて残念だったね」


 周りの観客がいなくなる代わりにどこからかひょっこり双子が現れた。メノウはいつものようにミルテに軽口を叩くが、いつもミルテの側にいるアクアは先程の会話を気にしているのか、ラシルとイリスの近くへやってきた。ラシルは片手でアクアの髪をくしゃくしゃにする。


「な、言った通りだろ」


 ラシルはイリスににやりと笑って見せた。確かに双子はこの騒ぎには顔を出さなかった。イリスも男達が助かったことに安心した事もあり、同じようににやりと笑うことができた。


「あっ、なんか感じワルイ」


 アクアは髪を直しつつ二人の顔を見て唇を尖らせた。




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