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第29話・終章

 イリスとラシルが王宮に呼ばれてから三日後、王からインセン市民に向けて、コヨルテ=ラグドとの和睦と新しい神殿の今後についての沙汰が出された。


 賛否両論はあるものの、仕方がない、と言う雰囲気が大勢を占めている。今や神殿の神おろしの儀式を目の当たりにした幸運な市民によりイリスの舞は半ば伝説化する勢いさえあった。敵ながら美しい復讐は人々の興味をそそったようだ。そして、もうコヨルテの反乱に怯えなくていいという安堵感がインセン市民にさらなる笑顔と活気を与えた。


 王の命令でインセンを去る日を明日に控え、イリスはラシルと共にナナの元を訪れた。ナナは少し離れた町でコヨルテの仲間にかくまわれていたが、スカトル国とコヨルテ=ラグドとの和睦への動きが生まれ、その第一歩である新しい神殿のコヨルテ所有の決定に応じ、ナナが神官長になるのが相応しいという事で今日インセンの神殿に入ったのだ。ユリア、チファ、コリーもナナについて来たがったが、安全が確実に確認されるまでは、という事で今回は見送られた。


「結構すごい事になってるね」


 イリスは呆然と辺りを見た。コヨルテの人々が神殿内を一生懸命清掃しているが、あの日の混乱の様子がまだ生々しく残っていた。倒された松明、一部破壊された彫刻、持ち主の分らない片足のみのサンダル。今は大勢で天井代わりに張っていた布を折りたたんでいた。イリスが暗闇で風圧を感じたのはこれが上から客席に落ちてきたからだろう。


「イリスではないか!」


 振り向けばジュネルが両手を広げて歓迎の意を示していた。イリスも軽く頭を下げ、それに答える。


「今回は大変世話になった。だが、イリスはインセンから…」


「はい、明日出ます。生きて出られるのも神のご加護のおかげです」


 イリスは地面に手をつけ神への感謝を示した。もう今ではベチベル信仰を隠さなくてもいいのだ。ジュネルも同じように地面に片手をつけ短い祈りを捧げた。


「まだまだ直ぐには無理かもしれないが、此処で力を蓄えたら、もう一度コヨルテの町を再興しようと思う。その時また会おう。インセン以外ならどこへでもいけるのだろう?」


「ええ」


 差し出すジュネルの手をイリスもしっかり握った。


「イリス!」


 懐かしい声にイリスは弾けるように振り向いた。コヨルテの巫女の正装をしたナナがシリアと共にやってくる。ナナは長い裾が邪魔をして転びそうになりながらも、いち早くイリスの元に駆け寄ってきた。


「シリアから聞いたの。しばらく会えなくなるって本当?」


 しがみつくナナにイリスは頷く。インセンに入れないイリスは神官長になり神殿から出る事が難しくなるナナにはなかなか会えないだろう。


 イリスはナナを抱きしめると、イリスが贈った櫛がナナの髪に挿されているのが目の端に入った。


「今日つけるってきかなかったのよ」


 シリアが困った様に笑った。


「シリアも元気そうで、よかった」


 今度はシリアと抱き合う。元々細かったが、さらに痩せた事が分った。彼女はこれからナナ付の女官となることが決まっており、ナナ同様インセンを出るのは難しくなるだろう。


「髪飾り、よく似合うよ、ナナ…様。これからもお元気で」


 イリスは楽しかった兄妹ごっこが終るのを寂しく思った。ナナはにわかに顔を顰めるとイリスにしがみついた。ナナも時が来た事を理解したらしい。


「シリア、ジュネルさん。ナナ様のことをよろしくお願いします」


 イリスに二人は力強く頷いた。ナナは急に顔を上げると涙をぐっと拭った。


「ラシル」


 邪魔しないようにと遠巻きにイリスの別れを見ていたラシルはナナに呼ばれ、軽く驚いた表情を見せながらもこちらにやってきた。


「約束を守ってくれてありがとう」


 ナナは小指を立ててみせ、ラシルも笑いながら同じ仕草をした。


 二人はどうしようもないくらい仲が悪かったのに、いつの間に和解したのだろう。


(しかも約束って何?)


 イリスは二人の顔をかわるがわる見たが、二人とも笑うだけで何も答えなかった。


「イリスの事をお願いします」


 シリアはラシルの手を掴み、深々と頭を下げた。


「承知いたしました」


 ラシルもシリアの腕をしっかりと取り、力強く約束をする。


「大丈夫、また会えるわ」


 しんみりとした別れを振り切るようにナナが明るく言った。


 そうであればどんなにいいことか。


(これも神託の一つだったらいいのに)


 今の状況では難しいとは思うが、全てを輝かせて見せる陽の光の中、イリスはナナの言葉が確信となった気がした。

 




 出発当日。日の出と共にインセンを去るためには暗いうちから準備を始めなければならない。


「これからまたよろしくな」


 荷物運びに奔走し、明るくイリスの肩を叩いて走り抜けるメノウに、自分のために朝から申し訳ないと思っていたイリスの心は少し軽くなる。


(僕もがんばらなきゃ)


 残りの荷を取りに行こうと振り返ると、ミルテが片手に荷をもって此方にやってくるのが目に入った。


「駄目だよ」


 イリスは慌ててミルテから荷を取り上げた。まだ怪我をして五日しか経っておらず、左手など全くと言っていいほど自由に動かせる状態ではない。左の口端にも痛々しい紫色の痣が出来ていた。


「動かないと体がなまりますからね」


 人当たりのいい笑顔を見せつつミルテはもう一度イリスから荷を取り返そうとしたが、イリスは首を振って渡さなかった。


 ミルテは軽く息をはく。


「あなたが責任を感じる事は無いと言ったでしょう? 私が油断したんですから」


 そういってくれるのは有り難いが、体に巻かれた包帯を見るとやはり心が痛む。ミルテは軽くぽんとイリスの頭を叩いた。


「たまには怪我をするのも悪くないですよ。近くにありすぎると目に入らないものがあるってことも知りましたしね」


 優しい声色に、イリスはミルテの顔を見あげた。


「あーっ、勝手に動くなっていってるだろ」


 アクアはミルテの姿を見つけると駆け寄ってきた。


「おはよう、イリス」


 アクアはイリスにはにこやかに挨拶し、ミルテには怒った表情で彼の右手を引っ張った。


「安静なんだから早く馬車に乗れよ」


「此処のところずっとアクアは世話焼き女房みたいなんですよ」


 ミルテは眉間に皺を寄せてイリスに言った。アクアは憮然とした顔をしたが、イリスには照れているようにも見えた。


「あのねー、ミルテが乗らないと他の荷物が詰め込めないだろ。仕事が進まないんだよ」


「ハイハイ、どうせ私は荷物ですからね」


「そこまでは言ってないだろ」


 言い合いながらアクアはミルテを馬車まで連れて行った。


(アクアにとっていい傾向じゃないかな)


 あのミルテが顔を顰めたと言う事は、かなりアクアに心を許している証拠だ。イリスはほぼ

皆の性格を把握できるようになってきた。


(だって、一年間ずっと一緒に生活してきたんだもんね)


 去年の春の祭りに彼らに出会った。その頃はまさか此処までの付き合いになるとは全く思っていなかった。


「あれだけ言い合える元気があれば、怪我の治りも早まるだろうな」


 ラシルがイリスの傍らに立ち、ミルテとアクアの後姿を見つめる。


「そうだね、看病してくれる人もいるし」


 ラシルはミルテに怪我が治るまでインセンにいろと言ったが、ミルテは大丈夫だと言って聞かなかった。本人は最後まで反対したが、代替案としてラシルは近くの町で傷がいえるまでとどまる事を彼に承諾させたのだ。


 ラシルは何も答えずそのまま黙り、沈黙が生まれた。 

 

 「どうかした?」

 

 見上げると、じっと見下ろすラシルの瞳にぶつかった。


「王宮に呼ばれた時はどうなるかと思ったが、イリスが今こうして隣にいるんだなあ、と実感してた」


 イリスはラシルに肩を竦めてみせた。


「なんだ、僕は全然心配してなかったのに。意外に臆病だったんだね」


 笑うイリスにラシルは情けない顔をしてみせる。


「まったくもってそうだ。これからはイリスに守ってもらうとしよう」


「まかせて」


 イリスは胸をはって請合う。


(でも、実際は僕の方が頼っていた)


 馬車の中で手を握られ、その力強さと暖かさにどれだけ励まされただろう。王の前でさえ、ラシルがいたから気丈に振舞えた。そう、彼がいたからしっかり前を見据える事ができたのだ。そうでなければ本当は足が震えて立つ事が出来ないくらい怖かった。


 荷物の詰め込みも終わり、後は出発のみとなった時、ラシルはイリスに言った。


「久しぶりにリスに乗るか?」


 ラシルの提案にイリスは喜んで頷く。リスに乗るのは本当に久しぶりだ。


「あ、これ」


「まだ礼をいってなかったな」


「ううん、付けてくれて嬉しいよ」


 リスの口にはイリスが贈った轡がはめられていた。リスはイリスのことを覚えていたようで、甘える仕草でイリスに擦り寄ってきた。


「これからもよろしくね」


 イリスはそっとリスの耳元で呟く。


「なるほど、分った」


 ラシルの納得した声にイリスは興味を覚える。


「何が分ったの?」


 ラシルはリスの首を撫でながら、イリスにこれ以上ないくらいの最高の笑みを見せた。


「俺はどうもコヨルテ産が好きらしい。それも一流のね」






ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

感想等いただけると嬉しいです。

また、次回作で会えることを楽しみにしております。

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