第28話
王宮に行くためにジンから聞いた場所へ行くと、馬車が用意されていた。貴族が乗る豪華な設えの馬車で、中にはビロードの真っ赤な布が敷き詰められている。御者はラシルとイリスの姿を確認すると、無言で扉を開けた。
「いい待遇だな」
油断は出来ないが、イリスをあまり人目に曝さないで王宮までいけるのはいい。
隣に座るイリスは緊張して身を硬くしている。少しでもほぐせれば、と思いラシルが手を軽く叩くと、そのまま手を強く握り返され、王宮へ付くまで離さなかった。
(一度助かると思ってしまったから余計に辛いだろうな。やはりメノウの言う通り、無理やりにでも逃げた方がよかったか)
ラシルは何が最善なのか測りかねていたが、イリスに心配を悟られないように顔を引き締めた。
「こちらへ」
馬車を降りると、案内役の女性が緊張した面持ちで二人を迎え出た。
王宮に入り、広い庭園を抜ける。明るい日差しの中、庭は春の花で溢れ蝶も沢山飛び交っていたが、今日ばかりは愛でる余裕もなかった。
途中、多くの人に出会った。みな遠巻きでこわごわと眺め、後からひそひそと話し声が聞こえてくる。『奇跡の舞手』はすでに人々の心に畏怖の念を植えつけているようだ。
(それが吉と出るか凶と出るか)
ラシルは拳を握り締めた。
長い廊下を抜け、奥にある広間へ通される。ラシルは知らなかったが、此処はイリスが試演を行った場所だった。
「ここで待つように」
案内の女性はそう言うと、そそくさと下がっていった。広間に残された二人は自然と顔を見合わせた。
「大丈夫だから」
根拠は何もなかったが、ラシルは自信ありげに微笑んだ。だが、それは同時に自分にも言い聞かせるための言葉かもしれない、とラシルは思った。
「うん、分ってる。ラシルはいつも僕を助けてくれるからね」
イリスも、緊張は隠せないが、微笑み返した。そう、彼の笑顔をずっと見るためにも今を絶対乗り切らねばならない。ラシルは気を引き締め、全ての神経を研ぎ澄ませた。
足音がして、ラシルとイリスは跪く。足音からして五、六人は来たようだ。
「待たせたな。顔を上げよ」
共に来たシプレ・シガーの声にラシルとイリスは従う。
(王とシプレと父に部下二人か)
ラシルは耳を済ませたが、他に潜んでいる人はいないようで少し安心した。だが、シプレの上機嫌が引っかかった。
「そちがサンデラ将軍のご子息か」
「はい、ラシルと申します」
どのような流れになるのか身構えながらもラシルは頷いた。
「さすが、将軍の血を引いていると言うべきか。こんなに短期間で異教の舞手を捕まえるとは」
シプレは何をいっているのだろう。訳が分らないラシルは、思わずサンデラを見た。
サンデラはラシルと軽く目を合わせるとシプレに向いた。
「礼儀がなっていなくて申し訳ない。宮内大臣にお褒めの言葉を戴いて驚いているようだ」
「まだまだ若いな」
シプレの笑い声が広間に響く。
(この展開をイリスはどう思っているだろうか)
イリスがシプレの話を信じていなければいい。不安に苛まれながらラシルは周りに気づかれないようにイリスを見たが、意外にも彼は表情一つ変えず前を見ていた。
(信じてくれているんだな)
自分だけ慌てていた事をラシルは恥ずかしく思った。それにしてもイリスの落ち着きはどうだろう。
(俺も見習わなくては)
ゆっくり息を吸い込むと、冷静になっていく自分が分った。
「さて王、この者の処分ですが」
シプレは神殿建築を中心となって携わってきただけに昨日の顛末はかなり怒り心頭だったようで、理性でおさえているものの、にがにがしくイリスを見る目は隠しようがなかった。
「そうだな。たしか将軍の推薦だったな」
「はい。こうと知っておれば、と悔やまれますが全く気づきませんでした」
サンデラは王に頭を下げた。
「私も、こんな悪党見た事がありません。練習では何食わぬ顔でイソアミルの舞いを舞っていたくせに!」
馬尻にのってシプレが悪態を付く。カルートはシプレが落ち着くまで暫く間を置いた。
「異教者の舞手よ、残念だが…」
ラシルはシプレがにやりとイリスを見て笑うのを見た。隣ではさすがのイリスも息をのむ気配が感じられる。
「神も認める素晴らしい舞手だった、と言わざるをえない。ラシルも同意であろうな」
カルート王の言葉にシプレ、イリス、ラシルは三者三様に驚いた。
シプレは、王がイリスを許した事に。
イリスは、自分が王に許された事に。
ラシルは、王が今回の一連の背景を知っている事に。
いつから王は計画を知っていたのだろう。ラシルが儀式前に神殿でカルートに会った時は知っているようには見えなかった。
(計画を聞いたとすれば父からだろう。しかし神殿をコヨルテに与え、反乱停止と引き換えにする案を父から王へ伝えるのはイリスをインセンから逃がした後のはずだ)
知っていたのであれば、何故イリスが新しい神殿で舞うのを王は止めなかったのだろうか。何故イリスを許す気になったのだろうか。
疑問は増えるばかりだ。
(父の事だから、王がイリスを許すという意向を分った上で俺達を王宮に呼んだのだろう。とにかく、この場でイリスに危害を加えようと思っているのはシプレだけだ)
ラシルはもう少し状況を見守る事にした。
「何を仰るのですか!」
シプレは慌てて王に叫んだ。当然の反応だろう。だが、一方のカルートはしれっとしている。
「たしか、神殿を建てる宣言をした時に雨が降ったな。その時は神の意思だと喜んでいたではないか」
「そうですが…」
事実なのでシプレは口ごもるしかなかった。
「今回も彼が舞って雨が降った。これはどう説明すればいいか? 市民はすでにあの神殿にベチベル神が下ろされたと信じてしまっている。このままではせっかく建てた神殿に誰も詣でないであろうよ。だがそのまま廃れさすのももったいないと思わないか?」
「ほう、ではどういたしましょう」
カルートの言葉を受けて、サンデラは興味をそそったような口ぶりで聞いた。
「コヨルテにくれてやれ。将軍はよく分っていると思うが、もうコヨルテの反乱に付き合うのには飽きた。今がいい潮時ではないか」
カルートは親しげに不満げなシプレの肩を叩いた。
「そうがっかりするな。これからは軍事費が軽減されるぞ。一応暫くは神殿とその周りを含めたあの地域の治安維持を将軍に頼む。悪いがもう少しコヨルテに付き合ってくれ」
「畏まりました」
「義父上もよろしいな」
「…はい」
義父シプレに了承を得るだけのカルートとサンデラによる申し合わせの『儀式』は滞りなく終ったようだ。これで後日、今回の事が正式に発表されても他の諸侯が驚く中、彼は驚いて恥をかくことはない。事前に知らされていたという優越感さえ感じるだろう。それは義理の息子としてのシプレへの優しさだが、ラシルは素直に教えない辺り、カルートの『悪戯心』も感じた。
カルートは話の流れに満足し、イリスを見た。
「名は何と言ったかな」
「イリスです」
「イリスか。我々の宗教ではイリスは恋の女神だが、そなたの宗教では天界と人界をつなぐ虹の神だとか」
「はい」
カルートはイリスに目を細める。
「そなたの舞は初めて此処で見た時もすばらしかったが、神殿での舞はさらにすばらしかった」
「…ありがとうございます」
責められこそすれ、誉められるなどとは思ってもいなかったのに、ここまでの賛辞を受け、イリスはかえって戸惑った様子を見せた。
カルートは今までの笑顔を一転、すっと表情を変える。
「そなたの舞は凄まじすぎた。この調子でインセンにある大小全ての神殿を異教に変えられても困るのでな、命まではとらぬが、私の許しがでるまでインセンへの立ち入りを禁じる」
イリスはまるでカルート王の言葉を、見知らぬ異国の言葉で話されたかの様にきょとんとした顔を見せた。
「イリス」
ぼうっと佇むイリスにラシルは小声で呼びかける。イリスは慌てて恭順を表すため膝を折り、頭を下げた。
ただで許されると思ってはいなかったが、初めに思っていたより全く軽い沙汰だ。イリスにとっては一番気にしていた極刑の憂いがなくなったに違いない。ラシルはこっそり安堵のため息を漏らした。
「王! 甘すぎます、甘すぎますよ」
額に血管を浮かばせながら叫ぶシプレを王は片手で制した。
「次にラシル」
カルート王に呼ばれ、イリスを見ていたラシルは顔を上げた。
「はい」
「そちは今回の異教の舞手を捕まえた手柄の恩賞として、私の家臣に正式に取り立てる事とする」
おや、という表情をサンデラが見せた。と言うことはここからは彼らが申し合わせた筋書きではないらしい。
王直属の家臣になるのは名誉なことかもしれないが、今のラシルには迷惑な話に他ならない。王付きの家臣となればインセンに留まらなくてはならない。仲間はおろか、イリスには全く会えなくなる。
ラシルには断る以外なかった。
「折角のお話なれど」
「遠慮はいらぬ」
カルートの顔は微笑んでいるものの、有無を言わせぬ雰囲気をかもし出している。こういう時のカルートは何を言っても聞かない事を子供の頃の経験で知っていた。
(どうせ断れないのなら…)
ラシルは姿勢を正すと優雅に手を胸に当てた。
「ありがとうございます」
サンデラはラシルが再び断ると思っていたのか、彼には珍しく素直に驚いた表情を見せた。イリスは自分との関係をどう演じればいいか分っているようで、内心はどう思っているか分らないが、身じろき一つしない。
「しかし、王。私の性格をご存知ならば分ると思いますが、誰に似たのか一箇所にとどまる事は苦手なのです。もしよければ家臣に任命した上で父サンデラの元に預けていただけませんか? 地方の情報収集要員が足りないと聞いております。それに任命していただければ、私の今までの傭兵での経験を生かせますし、王のお役にも立てる事もお約束できるでしょう」
「そうなのか? 将軍」
「はい、それは事実です」
カルートの問いに、サンデラは苦笑を堪えた真顔で頷いた。
ラシルは一呼吸置き、静かに切り出す。ここからがラシルにとって一番重要なのだ。
「それに、すぐさまこの異教の舞手を一人で釈放するのは危険です。いつまた誰に利用されるかわかりません。ついでに私に彼を監視させる役目をお与え下さい。インセンに入らないように、そして悪い虫がつかないように」
途端に今まで沈黙していたシプレが口を挟んだ。
「そうです。彼は危険なので、監視は必要だと思います。電光石火のごとく異端者を捕まえた将軍のご子息であれば適任かと。王、ラシルにお命じなされよ」
思わぬ人に応援されたものだと、ラシルは苦笑した。ラシルがイリスをインセンへ連れてきた張本人という事実をシプレが知らなくて本当によかった。
(これで公然とイリスと共にいられる)
カルートは残念そうな顔をみせたが、シプレが何度も進言するので仕方がないとばかりに頷いた。サンデラは軽く片方の眉を上げるにとどめた。
「わかった。ではイリス、五日の内にインセンから出るように。そしてラシルはしっかり監視をするようにな。二人とも雨を降らせた神に感謝せよ。感謝する神は…どちらでも構わん」
そう沙汰をだし、カルートは部屋から出て行った。
「王! そんな事を仰ってはなりません! そもそもこの王家はイソアミルが…」
シプレは今日何度も叫んだせいで声を嗄らしつつもなんとか声を張り上げ、二人の部下と共にカルートの後に慌てて続き、広間を出て行った。
カルートは治世者である王であると共に十年の戦争を経験した武人でもある。彼の願いは民の安寧であり信仰の強制ではない。スカトル国の王としてイソアミルを最高神とするものの、あれが彼の本音なのだろうとラシルは思った。
「サンデラ将軍、すみませんでした」
イリスは残ったサンデラに頭を下げた。サンデラは辺りを見回し、誰もいないことを確認してからイリスに近づいた。
「謝る必要はない。今回の結果はお前の手柄だ。実は神下ろしの前日、私は王にだけ計画をお話申し上げた。すまない、スカトル国の将軍としてやはり黙っている事は出来なかったのだ」
「どうして、…いや、それで、王は何と…?」
父はカルートの性格を知っているから話したのだろう。だが、下手をすれば計画自体遂行できなかったかもしれない。言いたい事は沢山浮かんだが、ラシルは我慢強くサンデラの言葉を待った。
「将軍の息子は相変わらずだな、と笑われた。そしてお手並み拝見といこうと仰られた。が同時にラシルの段取りに不備があり、舞手が失敗すれば王は私にコヨルテの殲滅を指示するとも仰った。確かにあの時、コヨルテ反乱の中心人物がインセンにいたのだから一網打尽の絶好の機会でもあったのだ。まあ、今回は二人の働きでそうはならなかったのだが…」
サンデラは、首を振り辛そうに眉を寄せた。
「例えラシルの計画が成功していても、王がお命じになればお前を追いかけ捕まえたかもしれない。私は王の命令には逆らえないし、逆らうつもりもない。そのようにしか私は生きられないのだ。だが、雨が降った。それで王はラシルの計画に乗り、イリスを助ける事をお決めになった。あの雨がお前の命を救ったのだ。雨で諸侯や民衆は何も言えなくなったのだから。そしてコヨルテの民も我が兵も命を落とさなくてすむ。この度の結果で多くの命が救われた」
サンデラは、イリスに真摯な表情を向けた。
「王も仰っていたが、舞も素晴らしかったし本当に雨が降って良かったと私も思う。…私はお前に謝られる資格はないのだ。むしろ謝るのはこちらだ。コヨルテの民には辛い思いをさせてすまなかった」
「将軍…」
頭を下げるサンデラに、イリスはそれ以上何もいえなくなってしまったようだ。そのかわり、首から提げていた袋をきゅっと握った。きっと天国にいるイリスの母や仲間達にサンデラの言葉を伝えているのだろうとラシルは思った。『イリス』という名はカルートも言っていた通り、天界と人界を結ぶ美しい虹の神の名だから。そして、ラシルは過ちを素直に謝る事の出来る父を誇りに思った。
サンデラも去り、急に静寂を取り戻した広間で残された二人は、どちらからともなく緊張から解き放たれた安堵のため息を漏らした。
「無事に帰れそうだな。メノウとの約束が果たせてよかった」
ラシルはようやく心からの笑顔をイリスに見せると、イリスも微笑み、そっとラシルの腕に触れた。