第22話
「決まったよ」
息咳き込んでメノウは部屋に転がり込むように入ってきた。ジンは落ち付かなげにおろおろと椅子から立ち上がる。
「イリスだよね?」
「当然だろ」
メノウはジンがとてつもなく場違いな質問をしたかのように呆れた声で答えた。
「あと、珍しいお客さんが来ているんだけれど。ユリア。それも一人で」
ミルテはラシルの顔を見ると、口端を上げて言った。
「一つ手間が省けましたね」
メノウがドアの方を顎でしゃくると、アクアに連れられたユリアが心もとなげに入ってきた。ラシルたちを見ると清楚に微笑む。
「綺麗なお屋敷ね」
「まあね」
自分の屋敷でもないのにメノウは誇らしげに答えた。シリアとの契約が切れてから、父サンデラとの約束もあり、ラシルは母の家へ仲間を連れて来た。世話好きな母は大喜びで彼らを迎え入れ、特に稀に見るほどそっくりなアクアとメノウの双子を気に入り、おそろいの洋服を縫っては彼らに着せて楽しんでいる。二人もすっかり母に懐いてしまい、我が物顔で屋敷の中を動き回っていた。
「よくここが分ったな」
ラシルの問いにユリアは表情を引き締め、ポケットから手紙を取り出した。
「イリスからよ」
ユリアの言葉にラシルの動きが止まる。まさかイリスから手紙が来るとは思ってもみなかったのだ。
「早く受け取ったらどうですか?」
ミルテはラシルを急かせた。ラシルは無言で頷くとユリアから手紙を受け取り、封を開けた。
明らかにイリスの筆跡で、紙の中程に短い文章が書かれていた。
─今からインセンを出て、できるだけ遠くへいってください。そして暫く戻ってこないで
「なんて書いてあるのさ?」
紙面を見たまま何も言わないラシルにメノウは焦れた声を上げた。
「出来れば私にも教えてください」
ユリアも一歩前に進み出てラシルを見つめた。ラシルはミルテに手紙を渡し、ミルテが文面を読み上げた。
「なんだ、全然普通に人前で読める内容でしたね。てっきり恋文だと思ったのに、期待して損しました」
からかうミルテをユリアは怒った。
「冗談にしないで、イリスは本気よ。お願いだからイリスの言う通りにして」
ラシルは宥めるようにユリアに言った。
「すまない。彼も悪気はないんだ」
ミルテは肩をすくめ、軽く頭を下げた。
「だが、俺たちはインセンを出る気はない」
「どうして?」
ユリアは驚いて周りを見回したが、皆ラシルの言葉に頷くだけだった。
「ユリアこそ、なぜ俺たちがインセンを出るようにイリスが書いてよこしたのか理由が説明できるか?」
「えっ…」
ラシルの指摘にユリアは狼狽を隠しきれない様子で目を泳がせた。
「俺たちはね、ユリアと同じ気持ちなんだよ」
アクアはそっとユリアの腕を取ると近くの椅子に座らせた。アクアの言葉にユリアはますます混乱した様だ。彼女は片手を緩やかにうねる髪の中に突っ込んだ。
「意味が分らないわ」
「だから、イリスを助けたいって事だよ。俺もイリスに幸せになって欲しいもん」
メノウはにっこり笑って見せた。
「あなた達…」
ようやく事情を飲み込めたユリアは、知らない間に囲まれていた面々を見上げた。
「察しの通り。後はユリアの気持ち次第だ」
ラシルは真摯な瞳をユリアに投げかけた。
ユリアは暫く不安げにラシルの顔を眺めていたが、ぎゅっと一度瞳を閉じた。そして次に開いた時はもう迷いはなかった。
「やるわ。私は何をすればいいの?」
いつもふんわりとして、ともすれば周りの意見に流されがちだった彼女の瞳に意思が宿るのをラシルは頼もしく眺めた。双子もジンも歓喜の声を上げる。
「大前提として、シリアとイリスには内緒だからね」
双子は先陣切って説明を始めたが、細部になると説明を放棄し、ラシルにその役目を譲った。話を進めるにつれ、ユリアの顔色が失われる。
「出来るかしら、そんな事」
話を聞き終わったユリアはポツリとそう呟いた。再び不安が頭を擡げ始めたらしい。ラシルはユリアの前に跪いて目線を合わせた。
「是非やってもらいたい」
「あなた、袋叩きにあうわよ」
ユリアは辛そうに眉を寄せた。
「もしそうなっても、イリスを救う為なら構わない」
「サンデラの息子であるあなたが来るだけでも危ないのに、…無謀よ」
ユリアは最後まで抵抗を試みたが、最後はラシルに押し切られる形となった。
「ありがとう」
ラシルの笑顔にユリアは力なく首を振った。
「こんな事、口止めされなくてもシリアやイリスに絶対言えないわ」
ユリアを口説き落としてから数日後、瀟洒なレンガ造りの酒場の前でラシルはミルテと立っていた。
「こないと話しになりませんね。これではここ数日のラシルの努力が無駄になります」
ミルテは腕を組みなおした。
ユリアに今日、コヨルテのリーダー格にあたる人物をここへ連れて来て貰う事になっている。
お互いが初めて会う約束の場所に選ばれたのはインセンで一、二を争う人気のある酒場だった。客が各自楽しんでいるので誰も話の内容に気を止めないし、人目がある分お互いの身を守るためにも丁度いい。
「連れてきたわよ」
ユリアの後ろに付いて時間より少し遅れて現れたのはコヨルテの生き残りを束ねるジュネルと、多分用心棒として連れてきたのだろう、短く茶色の髪を刈り込み鍛えられた体躯をもつ若い男、そしてユリアの兄バジの三人だった。
「よく来てくださいました」
ラシルの挨拶にも無言の三人をつれて店内へ入る。人気が有るだけに全ての席は埋まっていたが、奥の個室から人が出ていき、その部屋に落ち着く事となった。そこは三方を壁に囲まれているが、ホールから入り口を通し少し中が伺えるので、全くの密室ではない。
「いいところが空いたわね」
ユリアは嬉しそうに言ったが、そこの部屋から出てきた客が場所を確保するために仕込まれたラシルの母の屋敷の使用人であることを知っているのはラシルとミルテだけだった。
程なく店員が注文も取らずに人数分のジョッキとつまみを抱えて持ってくる。麦芽酒が有名な店なので、有無を言わさぬこの形式でも文句をいう客はいないのだろう。
「ちゃんと楽しそうに乾杯しないと怪しまれるわよ」
ユリアの忠告に従い、ぎこちないなからもお互いのジョッキをぶつけ合う。ユリアはにっこり微笑み、ミルテは周りとこの場の不釣合いな様子が可笑しいらしく、笑いを堪えるのに苦慮していた。
まだお互い腹の探りあいということもあり、当然だが全く話が弾まないのでユリアが率先してラシル達との旅の話をしはじめた。初めは静かに聴いていたバジだったが、旅の様子を楽しそうに話すユリアに苛立ち、途中で遮った。
「いくら共に旅をしてきたからと言って、おいそれ信用などできない。ユリアはいったいどっちの味方なんだ」
「どちらも大切な仲間よ!」
兄に、いや、ジュネルにもこの集まりの真意が伝わっていないことにユリアは悲しいやら悔しいやらで涙をじわりと滲ませた。
「泣く事ないだろ」
バジは思わぬ妹の涙に戸惑い、ジュネルは居心地悪く身をよじりながら初めて口を開いた。
「その、本気でイリスを救えると思うのか?」
「あの神殿でイリスが行う事を思えば、彼がどうなるか察しが付くでしょう。あなたはそのまま見捨てるつもりだったのですか?」
ラシルは少し挑発するように言った。途端にジュネルは気色ばみ、顔を上気させる。
「そんなわけないだろう! 仲間を見捨てるなど考えにない。ただ、シリア侍従長がどうしてもやりたいとごり押ししたのだ。当のイリスも何もするなというし、それに」
言葉を切り、ジュネルはユリアを見た。
「ナナ様の神託にも成功すると出たのであろう?」
「そうよ、この耳でしっかり聞いたわ。『東より来たりし金色の獅子に身をゆだねよ、されば願い叶わん』。金色の獅子は絶対ラシルのことよ。彼らのおかげでインセンまで何事もなくこられたし、現にイリスも舞手に選ばれたのだから」
涙を拭いながら言うユリアにジュネルは満足げに頷いた。
「子供でもナナ様は高貴な血を受け継ぐ歴とした巫女だ。間違いはない」
「だから、放っておいてもイリスは助かると思っているわけですか」
ラシルは言葉に少し笑いを含めた。
「何もしないとは言っていない!」
ユリアは心配げにさらに顔を赤くするジュネルと彼から視線を外さないラシルを交互に見た。
「偉そうに言うがお前は何ができる?」
バジは負けずにラシルを睨み返す。ピン、と張り詰めた空気の中、ラシルは少し間を置き、静かに答えた。
「私達は神殿の内部、行事の進行内容、地理、当日の街の警備の配備などを把握できます。ただ、当日実行に移すための人数が足りない。そこで思いついたのは利害が一致しているあなた方だった、というわけです」
「…なるほど」
ジュネルは顎鬚を指で弄りながら思案を始めた。インセンの事情に明るくないコヨルテ出身者だけでは内情を知るのに限界がある。下手に動いては抜け目のないサンデラ将軍に目をつけられてしまうだろう。
「お前の父親に悟られず調べる事などできるのか?」
ふと、思いついたように顔を上げ、ジュネルは尋ねた。
(食いついてきた)
ラシルは内心ほくそ笑む。ミルテは反対に表情を引き締めその場を立った。
「無理でしょうね」
「なんと?」
さらりと言ったラシルの言葉を聞き違いと思い、ジュネルは聞きなおした。
「人前で自分の親を誉めるのもなんですが、武人としては優秀です。それはあなた達の方がご存知かもしれませんが、息子とてコヨルテと内通していると知れば容赦しないでしょう。しかし、同時に彼はコヨルテの鎮圧に手を焼き、それに飽き果てているのです」
話が見えなくなったジュネルはバジの顔をちらりと見た。バジも答えが見つけられないようで首をかしげるだけだった。ラシルは二人の顔を見て気持ちを和ませるように微笑んだ。
「生き延びたいコヨルテと鎮圧に疲れた将軍。視点を変えれば共通点も見えてくるのではないかと思いましてね」
ラシルの話が終ると、タイミングよくミルテが一人の男を連れてきた。頭からつま先まですっぽりと布を被っているので顔は見えないが、がっちりした体型は見て取れる。
「それはどういうつもりだ?」
ジュネルが連れてきた茶髪の鍛えられた男は立ち上がり、剣に手をかける。男の剣呑な雰囲気をミルテは得意な笑顔で打ち壊した。
「そちらが三人でいらしたので、公平にこちらも同じ数にしようと思いましてね」
同時にミルテが連れてきた男は頭の布を後ろへやる。バジと体格のいい若い男はきょとんとしたが、ジュネルだけは激しく血相を変え、立ち上がった。
「サンデラ・クロブ…」
ジュネルの掠れた声に残りの二人の男も目を剥き、ただただサンデラの顔を凝視し続けた。
「人を介すより本人同士が会う方がなにより正確でしょう」
ラシルはここ連日の説得に応じて来てくれた父に感謝し、さらに気持ちを引き締めた。
「さあ、座ってください。前座はおわり、これからが本番なのですから」