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第19話

 イリスは昨夜遅く宿屋に戻って来た。そのまま彼はシリアの部屋に直行し、相部屋である双子の所には戻ってこなかった。


「イリス、大変な事になっちゃったよね」


 今朝早く硬い表情で出かける一座にアクアは、さすがにイリスに聞く事は出来なかったが、話の聞きやすいコリーを捕まえて昨夜の事情を引き出し、皆に説明していた。


「でもさー、イリスくらいの実力があれば、どっかで選んでもらえるんじゃないの?」


 楽観的に答えるメノウに、ミルテは首をかしげた。


「さあ、どうですかね。アクアの話によれば、かなりマグリア・ナリシを怒らせたらしいですから。一番性質の悪い相手を怒らしたのかもしれません」


 ちょうどモスとラシルが部屋に入って来たので、三人の会話は自然と中断する。ラシルはミルテの続きを口にした。


「殆どイリスを推薦してくれる諸侯はいないだろうな。どこでも門前払いするように圧力をかけたらしい」


「うそー」


 メノウはモスを見たが、いつもの表情とは打って変わって厳しい表情で頷いた。


「じゃあ、計画は練り直しですね…」


 昨日の時点までに調べた神殿周辺の様子が書き込まれた紙をジンは残念そうに見た。


「それは選択肢の一つに入れておいた方がいいかもしれない。だが、まだ他の可能性もあるから、それまで引き続き調べておいてくれ」


 ラシルの言葉にミルテは目を緩めた。


「出来ますか?」


「やるしかないだろう」


 双子はミルテとラシルのやり取りが分らず、怪訝な表情を浮かべる。双子を見て、ミルテはにっと笑った。


「あまり仲がいいとは言えなくても、ラシルには強力な後ろ盾があるでしょう」


 二人とも納得したようにラシルを見た。イリスからマリーナの言伝をラシルに伝えてくれと頼まれた時に、初めて二人も彼の父がサンデラ・クロブだと知ったのだ。


「ミルテは知ってた?」


 アクアに聞かれ、ミルテは当然とばかりに頷いた。


「これでイリスが不機嫌な理由が分りますね。自分達がコヨルテの民だと隠しているのなら何事でもないように振舞うべきですが、それができなかったくらい彼には衝撃的な事だったのでしょう」


「イリスは本当にラシルが好きだったんだから、そんなに器用に出来ないよ」


 アクアはイリスの気持ちを思い心痛めた。傷心顔のアクアにミルテは肩を竦める。


「過去形にすると傷つく人がここにも一人いますから」


 暗に名指しされたラシルにアクアはすまなそうな顔をして見せた。ラシルは苦笑を滲ませながらもかまわないという風に首を振った。


「では、行ってくる」


 イリスが聞いた伝言通り、今日の午後、母の屋敷で父に会う約束になっている。意を決したようにラシルは立ち上がると、再びモスを連れてドアへ向かった。


「絶対成功させてくださいね」


 ジンはたまらず声を出した。ラシルは振り返り、分ったとばかりに頷くとそのまま出て行った。握り拳を作りラシルを見送るジンにミルテは呟いた。


「そういえば、傷心者がもう一人、ここにもいましたね…」






 祭りの後片付けもすみ、普段どおりになった通りは昨日の華やかさの記憶も手伝って普段以上に寂しくみえる。


 ラシルは町外れの母の家へ歩いていたが、後ろを歩くモスに呼び止められた。そして彼の指を指す方向を見る。


「あれが、ジュネルか」


 モスが伝えた特徴通り、背の低く黒髪のまばらな男が何人かと通りを歩いていた。コヨルテの民も首都インセンに集まって来たのだ。


「悪いが後を付けてもらえるか?」


 モスは快く頷くと、何気ない足取りで周りの町並みに溶けていった。






 重い足取りで母マリーナの家を訪ねたラシルは、入り口で満面の幸せを湛えた母の笑顔に迎えられた。


「あら、モスは?」


 用事ができた事を告げると残念そうな顔をしたが、直ぐに再び笑顔に戻った。


「そうそう、カリンが言っていたのだけれど、言伝を伝えてくれた可愛らしい男の子は大丈夫だったの? 途中から気分が悪くなったって言っていたけれど」


 イリスの話題が思わぬ所から出て、ラシルは奥歯をかみ締めた。カリンも自分が居らず、偶々イリスがいた時に来なくてもいいではないか。ラシルは彼女も悪気があった訳ではないと言い聞かせ、カリンに当たりそうになる自分を抑えた。


「大丈夫でしたよ」


 そう答えたが、全く大丈夫ではない。寧ろ事態は悪い方に行く一方だ。だが、悪戯に母を心配させるのも嫌なので嘘をついた。


「そう、よかったわ」


 母はふんわりと微笑み、次に市場で仕入れた魚の話を始めた。


(母は内容ではなく、ただ、久しぶりに俺と話せるのが楽しいようだな)


 ラシルはそうさせてしまった自分を不甲斐なく思った。同時にこれからはなるべく顔を見せるようにしようとも心に誓う。


「さ、入って」


 マリーナはラシルの背後に回り、軽く背中を押した。部屋の中には整えられた食器とテーブルクロス、その縁取りと同じ赤い花が上品に飾られている。その奥には十年以上会っていないサンデラ・クロブ、父が座っていた。


「この度の勝利、おめでとうございます」


 ラシルは硬い声を隠し切れなかったが、無難にいう事が出来た。


「うむ、すっかり大人になったな」


 父の声にもぎこちなさがあった。沈黙が生まれ、慌てて母は場を盛り立てるように明るい声を出した。


「さあさあ、ラシルはこちらに座って頂戴」


 サンデラ・クロブと向かい合って座らされたラシルは、気まずさを気づかれない様にあえて堂々と相手を見た。


 最後の記憶よりはやはり歳をとったが、まだ体に張りがあり、武人特有の威厳は当時のまま健在している。彼の綺麗な金髪は短く刈り込まれているが、よく見るとちらほら白いものも混じっていた。


 サンデラは場数を踏んでいるだけあって揺るぎがない。ラシルは自分の態度が付け焼刃のように思え、居心地が悪く感じた。そして同時に、ラシルを見返す淡い緑の瞳は冷たさも感じるが、聡明さも感じさせるので、母の人目を引く青い瞳ではなく父の瞳の色が似ればよかったのにと子供心に思った事を思い出した。


 暫くは母を介しての会話が続いた。だが、話を聞くうちにラシルの中で父の認識が変わり始めた。子供の頃はただ母を捨て、金と権力のある女を選んだ男としてしか見ていなかったが、隣にいる母の満ち足りた表情を見ると、男としてやるべき事をしっかりやってきたのだと見直し始めたのだ。


(一方、自分は好きな人の一人も幸せにできていない)


 どうしてもここは上手く乗り切らなくてはならない。イリスのために。そう思ったのも束の間、思わぬ形で父に先手を取られた。


「財務長官を怒らせた旅の一座はお前が連れてきたそうだな」


 ラシルは目を見開き、そして苦笑した。質はどうであれ、今回はじめて父の前で見せた笑顔だった。


「耳が早いですね」


「マグリア・ナリシが方々の諸侯に酷い目にあったから関わらない方がいいと吹聴し、雇わないようにと言っていた」  


 ラシルは軽く顔をしかめた。


「マグリア・ナリシ殿から…父上のところにもそう言ってきたのですか?」


「いや、私は彼とあまり接点がないのでな」


 サンデラの言葉にラシルはひとまず安堵のため息をついた。そしてここに来る途中で心に浮かんだ事を試してみる事にした。


「私の連れて来た『シリア一座』とは半年以上寝食を共にしましたが、いたって皆善良な人々です。ただ、彼らは財務長官のあまりにも人を差別する言葉に怒ったようです」


「彼にはそういうところが有るらしいな」


 首都インセンの内情は地方に出ている時も集めてはいたが、細かい政治上の派閥まではしっかり把握できない。ラシルはサンデラとマグリア・ナリシがあまり懇意でない事を声色から確信した。


「ええ、マグリア・ナリシ殿は特権階級を神に選ばれた者といい、その他は物の数に入らないと考えているようですね」


 ラシルはサンデラの顔を見て一呼吸置いた。


「さらに、今回の戦争で亡くなった人はこの世に不要な人だったとまで言ったのを聞いて許せなくなったと言っていました。彼らは旅の一座ですから色々な地方を周り、戦いの爪あとを見て、実際に傷ついた人々に触れてきています。父上には言いにくい事ですが、特にコヨルテの惨状はとても酷かった、と」


 少し話を誇張してラシルは話した。そしてあえてコヨルテの名を出してみた。


「ああしなければ戦いは長引いただろう」


 そう言い、普段の彼ならそこで話を終わらせるのだろうが、彼は今まで崩さなかった顔をはじめて曇らせた。


「だが、コヨルテに個人的な恨みはまったくなかった。もう一度あの頃に戻れるのであればもっと穏便な他の方法を考えるだろう。実際問題、彼らの生き残りが起こす反乱を鎮めるのに未だに手を焼いているからな」


 酔いが回ったからか、息子の前だからか、ラシルは父の心の内を聞いた気がした。コヨルテへの容赦ない攻めに『凍れる将軍』とも呼ばれるほどだったが、後悔していると聞いてラシルは自分の心が不思議なくらい軽くなったのを感じた。そして聞くべきことは全て聞けた。


「ひとつお願いがあるのですが」


 ラシルは居住まいを正す。いよいよ本題を話す時が来た。


「『シリア一座』を神殿の舞手に推薦していただけないでしょうか? マグリア・ナリシ殿のせいで今ではどこからも相手にされません。聞けば父上は誰も推薦する気はないそうですが、少しでも戦場を指揮した将軍として戦いに敗れたものに哀れみを感じるのであれば、各地を周り、戦争で疲れた人々の心を知り、喜ばしてきた善良な彼らにどうか機会をおあたえください。彼らを救えるのは父上しかいません」


 ラシルの願いにサンデラは笑みを浮かべた。


「必死だな。初めは言いにくそうにしていた『父上』も滑らかに出るようになった事だし、流暢な物言いも考え物だ」


 声をたてて笑うサンデラをラシルは内心落ち着かなく見た。確かに彼が指摘するように話しすぎたかもしれない。笑いをおさめたサンデラは手元のグラスに手を伸ばし一口酒を含んだ。


「一つ条件がある。それをお前が飲めば願いを聞いてやろう」


「条件、ですか」


ラシルは体を強張らせる。一方のサンデラはグラスを回していた手を止めると母の方を見た。


「インセンにいる間は必ず母の元で過ごす事だ」


「まあ」


 母は両手を胸にあて、嬉しそうにサンデラを見返した。サンデラの計らいにラシルは緊張をとき、素直に微笑んだ。


(今日父に会ってから一度も勝てた気がしない)


 対等に張り合えると思っていた事さえ思い上がりだったようだ。


「近いうちに『シリア一座』を屋敷に連れて来てくれ。お前が必死に弁護するくらいだから大丈夫だとは思うが」


 ラシルはサンデラから試演の推薦の約束を取り付けた事に安心したが、次にシリアに話さなければならない事を思い出し、彼女の反応を考えると気が重くなるのを感じずにはいられなかった。




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