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第18話

 マグリア・ナリシとの約束を守り、『シリア一座』は秋祭り中に一度も舞を見せる事はなかった。


(かえって良かった。こんな気持ちじゃ『乙女の舞』なんてやる気になれないから)


 イリスはシリアとの練習以外は誰にも会いたくなかったので、一日の殆どを部屋で過ごしていた。相部屋の双子はイリスを心配しながらもどこかへ出かけていく。その間一人でいる時は、窓から聞こえてくる音楽に耳を傾けたり、試演に舞う踊りの練習をしたりして時間を潰した。一人でいる分余計に、自分から望んだ事とはいえ、何かしていないと抜け道のない辛い物思いに耽ってしまうからだ。


「イリス、今すぐ支度できる?」


 祭りの二日目、最終日の夕方にシリアが伺うように部屋に入ってきた。


 イリスに元気がないのは彼女も気づいており、それは試演への緊張感だと彼女は勘違いしている。イリスもシリアがナナの神託で選んだ警護の相手が一番憎むべきサンデラ・クロブの息子と知ったら何をするか分らないので、何も話さずそのまま誤解させておいた。 


「マグリア・ナリシの使いが来て、イリスを晩餐に招待したいらしいわ」


「そう。一応衣装とか持っていった方がいいのかな」


 気だるげにベッドから下り、イリスは身支度を始めた。女性と違い、髪を整えるくらいなので短時間ですむ。


「一人で大丈夫?」


 宿屋の外までシリアは心配げに付いてきた。イリスは微笑んだが、その力ない様子はさらにシリアの心配を増長させただけだった。





 マグリア・ナリシの屋敷は相変わらず広く、各所に施された彫刻が無意味にごってりしている。


(屋敷も住んでいる人に似るんだな)


 再びマグリア・ナリシに会い、イリスは自分の考えに納得した。今日の彼は赤い絹のケープに所狭しと金の糸に周りを包まれた宝石を付け、必要以上に自分を着飾らせている。


「少しやつれたか?」


 イリスの肩を親しげに抱き、上機嫌だ。ラシルとのことで気持ちが荒れている分、普段では何気ないこと、目端に入る肩に置かれた短く太い指にさえ、苛立ちを感じる。


「まずは乾杯だ」


 バルコニーに連れてこられ、葡萄酒の入ったグラスを渡されたイリスは、祭りを最後まで楽しもうとする人々を真下に眺めた。


「儂のおかげで生活が変わったな。普段ならあの浮かれている奴らのために舞を舞っている頃だろうに」  


 恩着せがましい言い方に、イリスはまたも苛立ちを感じる。こいつの相手をするくらいなら、まだ民衆を相手に舞を舞っていた方が精神衛生が保たれる。


「そちは選ばれし舞手だ。試演が終る頃には押しも押されもせぬ有名人となるであろう。やはり生まれた時から人に格の違いはあって当然だな。下で浮かれている奴らは神が余興で創ったようなものだ。たわいのない事で喜び、せかせかと働いて最後は使い古されたぼろのように死んでいく。もちろん名前などこの世のどこにも残らない。それでいいと思っている事が唯一の救いといえば救いだな」


 イリスに優越感を味あわせようとしているのかもしれないが、さらに気分が悪くなるだけだった。出来れば耳を塞ぎたいと思ったが、思うだけでなく実際にやるべきだったかもしれない。


「神は選ばれた人間しか結局残さないのだ。今回の戦いでそれが証明された」


「…もう沢山だ」


 イリスは心のどこかで何かが外れた音を聞いた気がした。


「何か言ったか?」


 マグリア・ナリシはイリスの声がよく聞こえなかったらしい。耳を近づけると同時にイリスの肩も抱き寄せた。初めて見たときもそう思ったが、赤くぬらぬらとした唇が気持ち悪い。ただでさえ気持ち悪い唇で虫唾の走るような言葉を聞かされたのだ。言い換えれば、今回の戦争で殺されたコヨルテの人々はこの世に要らない人物だったと。だが、イリスの知る限り、コヨルテの民は皆勤勉で善良で、いなくなっていい人など一人もいなかった。


 イリスは肩に置かれた手を邪険に払った。


「もう沢山だ、といった。もう僕に触れるな」


 イリスの怒りを孕んだ低い低音は、マグリア・ナリシを驚かせるのに十分だった。


「そんな事をいっていいのか」


 一度は青ざめた顔がみるみる赤らんでいくのが見て取れた。今ではゆでられた海老のように全身真っ赤だ。


「儂にそんな事を言っていいのか? もう試演には出られないぞ」


 マグリア・ナリシの言葉は、頭に血が上っていたイリスを急激に冷静にした。そして今度はイリスが顔を青ざめさせた。


(なんでこんな事になってしまったのだろう)


 ぱっと、今まで歯を食いしばって共にがんばってきた仲間達の顔が浮かんだ。イリスは慌てて跪くと、首を垂れて許しを請う形をとった。


「ごめんなさい。どんな罰でも受けますから、それだけは」


 急にしおらしくなったイリスに、今言った言葉がとても効果的だった事に気づいたマグリア・ナリシは、満足げな顔色を浮かべた。だが、溜飲は下げても、一度でも自分に楯突いた者を容易に許さないのがマグリア・ナリシであり、そうやって今日の地位を築き上げてきたのだ。


「いや、許さぬ。お前とは今日限りだ。もう祭りも終わり、他の諸侯に舞を見せる機会を失ったお前たちはすべてを失ったに等しい。他の諸侯にもお前達と取り合わないようにしてやる。旅芸人とは所詮留まる土地も持たぬならず者だ。それにふさわしく野垂れ死ねばよいわ」


 彼の口から出る止めどない言葉に、理性では例え彼の靴を舐めてでも許しを得る事が先決と分っていたが、これ以上頭を下げるのはイリスのプライドが許さなかった。


(他の貴族に自分の舞を見せれば、先日のマグリア・ナリシのように気を変えてくれる人がきっと現れるはずだ)


 そう心に決めると、イリスは立ち上がり、服の乱れを直した。もうここにいる必要は全くない。


「お前が野垂れ死ね」


 イリスはマグリア・ナリシの目を見て吐き捨てるようにそう言うと、踵をかえし、わき目も振らず出口を目指した。


 一方、マグリア・ナリシは、イリスが何としても自分の機嫌を取りにかかると思っていたので、意外な行動に出たイリスの背中をただただ唖然と見つめていた。


「気の短い野良猫が無い爪で刃向かいやがって!」


 再び怒りが襲い、マグリア・ナリシは叫び散らしたが、周りの召使がおろおろするばかりで、一番聞かせたい当の本人の姿はすでにどこにもなかった。





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