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第16話

 磨かれ抜かれた大理石の床を緊張した面持ちでイリスは歩いていた。


 通路の壁には風景や人物が鮮やかな色彩で描かれており、どこからか水のせせらぎの音も聞こえてくる。


「こんな立派な家に入るの初めて」


 コリーは小声でチファに話した。イリスやナナ、シリアはここの屋敷のように華美ではないが、荘厳なコヨルテの神殿で暮らした経験があるので萎縮はしない。だが、ユリア、チファ、コリーは神殿に出入りできる身分ではなかったので、落ち着かない様子できょろきょろ辺りを見回している。


(ここで必ず選ばれないと後がない)


 イリスは腹を使い、何回も深い呼吸をする事で集中力を高めていった。


 中庭に程近い部屋に通され、暫く待たされた。赤色と金で統一されたこの部屋は重苦しく体にまとわりつく威圧感がある。来たものに威厳を示すためだけに作られた部屋といってもいい。


 じっと座っているのさえ疲れ始めた頃、廊下から足音が聞こえ、この屋敷の主人マグリア・ナリシは、一段高く設えた細かい螺鈿が施されている椅子に鷹揚と座った。


 シリアを初め、イリス達は頭を下げる。


「お忙しい中、我々のためにお時間を割いてくださり、ありがたく存じます」


 シリアはまず形式に則って礼を述べた。


「待たせたな、カシスのカロンからの紹介状は見せてもらった。だが実はもうある一座に決めてしまったのだ」


 マグリア・ナリシの口ぶりから、シリアをはじめ、女と幼女と華奢な少年しかいない面々にあまり期待していないようだ。大きな港町であっても、インセンからすれば田舎であるカシスの街長カロンからの推薦であることも期待できない理由の一つかもしれない。


「一度だけ、私共に機会をいただけませんか? なにとぞお願い申し上げます」


 顔は青ざめさせたが、もう決まったからと言って簡単に引き下がるシリアではない。床に擦り付けるように頭を下げ続けた。他の仲間も同じようにシリアに習う。


「…一舞だけだぞ」


 シリアの必死の願いに負け、マグリア・ナリシはとうとう、面倒くさげだが、許可をだした。


「ありがとうございます」


 もう一度深々と頭を下げるシリアの艶やかな唇にはすでに笑みが浮かんでいた。


「では、早速やってみよ」


「はい」


 立ち上がり、イリス以外は脇にどいた。


 マグリア・ナリシは頬杖を突き、足を組む。しっかり肉がついた体を覆い隠すようにビロードの青い布をたっぷりあしらった服を着込み、裾と言う裾には金刺繍で花の形を模らせていた。髪はおでこのかなり上まで後退しているのに、サイドの毛は癖毛でふさふさして、大きな卵を乗せた山鳥の巣を思わせる。だが、一番印象的なのは赤くぬめった厚い唇だった。


「では、はじめます」


「うむ」


 シリアの合図で、イリスは舞い始めた。


 ゆっくりと気を開放し、周りと自分を同一化させていく。それは何回も舞う事により、イリスは空気を吸う自然さで難なく出来るようになっていた。


「…あの、終りましたけど」


 イリスが舞い終わってもしばらく動かないマグリア・ナリシに、シリアは遠慮がちに声をかけた。だが、彼の表情はすでに今までイリスの舞を見終わった人々の顔に浮かんだそれと同じであり、してやったり、とシリアは笑い出したい気持ちを抑えるのに苦労していた。


「これで儂が王に選ばれるのは間違いないわ」


 肘掛を鷲づかみにしながらマグリア・ナリシは呟いた。イリスの耳にもその呟きは入り、満面の笑みを浮かべ、優雅にひとつ礼をした。


「素晴らしい、素晴らしいぞ」


 部屋の外まで響くほど激しく拍手をし、それを皮切りに周りで呆然と見ていた召使たちも感嘆の声をあげつつ拍手をくれた。拍手だけでは感情を抑えきれないマグリア・ナリシは、椅子から降りるとイリスの手を取り暫く離さずにいた。


「…ありがとうございます」


 早く手を離して欲しかったが、そんな事を言って気を損ねさせる訳にもいかず、イリスは笑顔で耐えた。


「そち達を推薦する事にしたいが、一つ条件がある」


「どのような事でしょう?」


 条件を出されると思っていなかったシリアは顔を引き締めた。


「試演の日まで舞を舞わないで欲しい。王や他の諸侯を驚かせたいのでな。初めて見せるほうが感動も大きかろうに」


 何かとんでもない事を言われるのではないかと思っていたシリアは安堵のため息をついた。イリスの舞は毎日見ても新たな発見があり見飽きないのは身をもって知っているが、逆らってまで言う事でもない。


「仰せのままに」


 シリアは微笑み腰を折った。


 マグリア・ナリシはまだ握っていたイリスの手を顔の前まであげた。


「そちも体を厭うて万全で試演に望めよ」


 目を細め、にんまりとした満面の笑顔でイリスに声をかけた。今にも自分の手を彼の頬に擦り付けられるのではないか、という恐怖にイリスは体を強張らせながらも、なんとか笑顔を作って頷いた。






「やったー」


 黙ってマグリア・ナリシの屋敷を出て、家屋敷が見えなくなるまで歩いてから、ようやくコリーは派手に諸手をあげた。周りを歩いていた人は急に何事かと振り向いたが、お構い無しに叫びながら二、三回続けて両手を挙げた。それにあわせてチファも飛び回る。


「もう別の人が決まっているって聞いた時はどきどきしたけれどね」


「お疲れ様」


 ユリアだけは複雑な表情でイリスを労った。


「イリスの舞を一度でも見せる事さえ出来れば、他に一つも心配なんてなかったわ」


 シリアも満面の笑みで皆を見回した。


「あなたたちもお疲れ様。明日の祭りは踊る必要がなくなったから、今回はお客として楽しんできなさい」


「やったー、じゃあもうこれから見てきてもいい?」


「もちろんいいわよ。でもあまり羽目を外さないでね」


 前夜祭は当日より盛り上がる事が多い。首都のインセンの祭りとなれば今までまわってきたどの都市よりも華やかに違いない。チファとコリーは宗派の違いも忘れ、沸き立つ思いに浮かれていた。


 今にも駆け出しそうな二人をシリアは呼び止めた。


「手をだして」


 そういって差し出された手にシリアはそれぞれ二十ダラスを握らせた。


「祭りを楽しむにはお金もなくちゃね。今までがんばったご褒美にしては少ないかもしれないけれど」


「ありがとう、シリア! ユリアも早く行こうよ」


「ええ」


 あまり乗り気ではないようだが、せっかくのシリアの好意と二人の喜びように水を差してもいけないとばかりにユリアはチファとコリーに追いつくために走り出した。


「イリスにも」


 シリアはイリスの手には三人よりも多い五十ダラスを握らせた。


「多いよ」


 驚いたイリスはシリアに返そうとしたが、シリアは受け取ろうとはしなかった。


「悔しいけれどインセンの物は皆一流だから、あなたも物には罪がないと思って好きなものを買ったらいいわ」


 迷ったが、シリアに手をとられたナナを見て、イリスはありがたく受け取る事に決めた。


「ありがとう、じゃあ遠慮なく貰うね。僕もこれから出かけてもいい?」


「いいけれど、一人で大丈夫? ラシルは今どこにいるか分らないし、そうだ私達と一緒に…」


 心配するシリアをイリスは笑って制した。


「一人で大丈夫だよ。危なそうな所には行かないし、なるべく早く帰ってくるから。僕としてはシリアにもインセンの街には罪がないと思って楽しんでほしいんだけど」


 シリアを納得させ、イリスは一人で街の店を覗き始めた。両側に商店が立ち並ぶ活気ある通りは、軍服で歩く兵隊を除けばいち早く戦争の傷跡が消えつつある場所といってもいい。革製品を扱う店、葉巻、様々な香りの石鹸など、需要があるだけに嗜好品の品揃えも良かった。


「ここにしようかな」


 入りなれない店に戸惑いながらイリスはゆっくりと入り口をくぐる。比較的小さな店だが、外から見えた商品には趣味の良さが伺われた。丁寧な刺繍が施された布、美しい寄木の箱、その他イリスには使い方の分らない道具等が綺麗に並べられている。


(女の子って何を喜ぶか分らないんだよな)


 いろいろ手にとってみるが自信がない。シリアに付き合ってもらうのが一番なのだが、そうするとナナもついてきてしまう。イリスを兄のように慕い懐いてくれるナナに贈り物をして驚かせたいイリスとしては、それだけは最も避けるべき事だった。


「なにかお探しならお手伝いするわよ」


 暫く悩んでいたイリスを見かねたのか、シリアと同じくらいかそれより若い店の女性が声をかけてくれた。


「お願いします」


 渡りに舟とばかりにイリスは微笑んだ。やはり女性の事は女性に聞くに限る。彼女と共にナナの贈り物を探す事にした。 


「やっぱり実用的なものがいいのかな。でもどうせなら綺麗なものをあげたいし」


 隣からくすくすと楽しそうな笑い声が聞こえ、迷っていたイリスは動きを止めた。


「ごめんなさい。あまりに真剣だったから。彼女へのプレゼント?」


 イリスは手を大きく振り、慌てて否定した。


「彼女じゃないです。妹みたいな感じ…です」


 初々しいイリスの表情が彼女にとても好印象に映ったようだ。


「ああ、そうだ。ちょっと待ってて」


 にっこり笑った女性はそういい残し、店の奥に行って小ぶりの箱を持ってきた。


「これなんてどう?」


 蓋を覗き込むと、艶やかな黒に塗られた飾り櫛が真綿の上に乗せられていた。柄にはピンクの石が花形に並べられ、その周囲を緑の石の葉と蔓が囲っている。綺麗で流行がなく、使いやすそうな櫛だ。


「いいかも」


「でしょ? 普段使いと言うよりは特別な日に髪につけるものだけれど、明日から秋祭りもはじまるし、いいんじゃないかしら」


 今のナナには少し大人っぽい気はするが、いつかは彼女も大人になる。


(そして、その時に少しでも自分の事を思い出してくれたらいいな)


 店の女性は物思いにふけり黙ってしまったイリスを櫛の値段で迷っていると思ったらしい。


「確かに少し高いけれど品は悪くないわよ。そうね、六十ダラスだけれど五十五ダラスでどう?」


 イリスは言い値で買うのも面白くないと思い、会話を楽しむ軽い気持ちで掛け合って五十二ダラスまで負けさせた。


「綺麗な袋にいれてあげるから待ってて」


 店に一人残されたイリスは財布を取り出した。今まで欲しいものもなく、使うところもなかったので六十ダラスでも楽に払えるくらいは貯めていた。


(そういえば、コヨルテ馬を探してメノウとアクアでお金を山分けした事もあったな)


 楽しい思い出の始まりの出来事だ。イリスは自然と口角が上がるのを感じた。


 奥から女性が戻ってくる音がしたので顔を上げると、目の端に花が彫られた円状の金具が目に入った。手に取ると、彫られていた花は百合だった。 


 鐙だ。


「うちの父が大層馬好きなのね。年代物だけれど細工が見事でしょう」


 自慢げに女性が言うとおり、細部にまでこだわって作られている。


 是非とも欲しいと思った。コヨルテ馬の中でも優れたリスに付けたらどんなに映えることだろう。リスは百合の花の別名であるし、なんといってもラシルが大事にしている馬だから、彼へ贈り物をするならこれ以上にふさわしいものはない。


「これもください」


 予定にはなかった買い物だが、その言葉は無意識に口を衝いて出ていた。








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