第14話
「あと半月もしたら首都ですね」
宿屋一階にある酒場の片隅で一人飲んでいたラシルの隣にミルテが腰を下ろした。ミルテは酒が飲めないので注文を取りに来た亭主を結果すぐさま追い返すこととなり、亭主は不満げにぶつぶつと文句を言って去っていった。今日は外で飲もうと思った人がいないらしく、ラシルとミルテ以外に二、三人まばらに客がいるだけなので、亭主が思うほど売り上げが伸びていないのだろう。
「今度は真っ直ぐ首都へ向かうと言っていたから、そうなるな」
ラシルは物思いが先行し、酒場に来たものの、グラスに注がれた酒に余り手を付けられないでいた。グラスの周りには水滴が浮かび、滴り落ちては木のテーブルの色を変えていく。今日は自分もこの店の亭主を喜ばせるような客にはなれないらしい。
硬い木の椅子の背にもたれてミルテを見たが、彼はただ仏頂面で目を合わせようとせず、口も開かない。
不満は率先して言う彼にしては珍しい。
「今日ははっきり言わないな?」
ミルテは自分の服に付いている紐を弄んでいた手を止めた。
「ずっと話してくれるのを待っていたんですけれどね。モスはラシルが話さないのであれば話せないの一点張りですし。最近のあなたは上の空ですしね」
「ああ…」
ネリの村で、モスにシリア達の尾行を頼み、彼は誰にも気づかれず見事にやってのけた。彼の口から出る内容は前々から心にあった疑惑でもあったので驚くに足るほどの事ではなかったが、実際事実になるとやはり衝撃は受けるものだ。
(特にイリスの告白は辛かった)
彼は自ら犠牲になることが運命だと信じている。今の彼なら神殿の神おろしの舞手に選ばれるのは確実だ。そして異教の神を降ろす舞をして、その場ですぐに殺されることはないにしても、生きて首都のインセンを出ることは叶わないだろう。
「見過ごせない」
心の声が口から漏れてしまった。だが、言葉にしてみると自分の望みも分ってきた。モスに話を聞いてからずっと、彼らを止められないか考えてきた。本音をいえばコヨルテの反乱を止めたいのではなく、イリスが目の前からいなくなるのを止めたいだけなのだ。私的な願いに仲間を巻き込むことは出来ない。一人で何とかできないかここ最近考えていたので、ミルテに上の空と思われても仕方がないだろう。だが、結論はどうしても協力者が必要で、それは自分の仲間以外に考えられない。それに今、ちょうど相談に足る人物が一人隣にいるのだ。
ミルテは先程のラシルの呟きに真意を測りかねている顔をしている。ラシルは腹をくくると、真面目な顔で切り出した。
「協力してほしいことがある」
「いいですよ」
間も置かずあっさりと答えるミルテに、ラシルは驚くより笑ってしまった。
「まだ何を頼むか言っていないぞ」
「あなたは大抵のことはできますから、人に物を頼む時はどういう時かくらい察しがつきますよ」
ラシルはまじまじとミルテを見た。
「何ですか?」
ミルテは仏頂面をわずかに崩し、ラシルはにっと笑った。
「誉めてくれているわけだな」
軽く目をそらしたミルテは、おもむろにテーブルの上のグラスを掴むと一口だけ飲み込んだ。
「酔っているのです。そう思って聞き流してください。それで何を協力して欲しいのですか? 先を進めてください」
いつもの事ながら、いい人に見られるのがどうしても嫌らしい。ラシルは椅子に深く腰掛けなおした。
「わかった。酔っていても、これからの話はちゃんと聞いてくれよ」
「変わっているとは思っていましたが、コヨルテ、ですか…」
ラシルがモスからの報告を手短にまとめて話し終わった後、ミルテは軽く上を向いた。今回の戦争で負けた国の中でも一番スカトル国に恨みを持っているだろう扱いの難しい国だけに、ミルテが重いため息と共に呟くのも無理はない。
「確かに南部の訛りが皆少し混ざっていましたね。だからといってすぐコヨルテには結び付けられませんけれど。ああ、イリスはコヨルテ馬のリスに非常に興味をもっていましたよね。でも、それも馬が好きなら貴重なコヨルテ馬に興味を持ってもおかしくはないですね…」
ミルテは今までのイリス達の行動を思い出し、もっと早く彼らがコヨルテの民であったことを見抜けたのではないかと検証を始めた。
「普通、コヨルテの民が敵国の神殿で舞いたいと言うほうが不自然なんです。むしろ気づかなくて当然です」
彼の結論は達したようだ。そして悔しげな色を含んで呟いた。
「初めにイリスが男と知った時より出し抜かれた気分です」
「でも、そうであるといろいろ納得がいくこともある」
ラシルに同意するようにミルテは頷いた。
「スカトルの兵に皆おびえていましたね」
ミルテの言うとおり、首都に近づくと、目に見えてスカトルの軍服を着た兵士に出会う回数が増える。その姿を見つけるなり、特にナナが怯え、イリスの腰にしがみつく。しがみつかれたイリスもナナの肩をだいて落ち着かせようとするのだが、彼の顔もまた強張っていた。
「躍起になって練習していたこともそうだったんですね」
「神降ろしの舞手に選ばれなくては意味がないからな」
「今思えば異常なくらいの執着でした」
一呼吸おき、ミルテは彼独特の笑みを閃かせた。
「あとは、ここ最近シリアは積極的にあなたがイリスと会えるよう取り計らっていましたね。彼女なりの罪滅ぼしでしょうか」
「…なるほど」
そこまでは気づかなかった。確かにネリの村以来、シリアが色々な理由をつけてはナナをイリスから引き離してくれていた。
「で、我々は何をすればいいんですか? 彼らを首都に連れて行かない…訳にはいかないんですよね」
「ああ、シリアとイリスの目論みが外れたら、他のコヨルテが蜂起しかねない」
「無駄な血を流させない、ということですね。となると、イリスを舞わせないように先に我々が神殿を跡形もないくらいぶっ壊す、とか? そうすればスカトルの国を挙げての大事業に水をさす事にもなりますよ」
第一印象は優しげな青年に見える彼だが、長年付き合っている者にはとても彼らしい発言と言わざるを得ない。ラシルは苦笑した。
「俺たちがそうしても彼らにとって意味がないだろう。物理的な損害は作り直せば表面上は何もなかった事と同じだし、歴史と人々の記憶に『コヨルテ』を鮮明に残すのが彼らの目的だからな」
「では、あなたは予定通り彼らに舞を舞わせると?」
「ああ。スカトルの国民は特に信心深い。自分達の造った神殿にイソアミル以外の神が降ろされてしまってはたまらないだろうな」
「でしょうね」
憤るスカトル国民の様子は安易に想像できる。
「違う神をおろした張本人にまんまと逃げられでもしたらさらに混乱するでしょうね。異教神でも一度神殿に神をおろしたら壊す事も憚られますし」
「そう。どんなことをしても彼らを逃がす。そのためには儀式の進行方法や神殿の内部の情報を詳しく知る必要がある」
「首都についたら早速はじめましょう。ただ、それはイリスが必ず選ばれるという前提の話ですよね? 彼が貴族の目に留まるのは間違いないとは思います。そして今回の試演は、それぞれの貴族が各舞手を推薦し、競わせて選ばれると言う話ではありませんか。しかし…ちゃんと実力で選んでもらえるのでしょうかね」
ミルテは政治の駆け引きで選ばれる危険性を危惧しているのだ。言い分はもっともだが、ラシルは安心させるように笑った。
「その場にはカルート王も立ち会われる。彼は良いものを見抜く目をもっておられるから、その点では俺は心配していない」
「確かに戦争を勝利に導きましたし、前王よりも人気が高いのも事実です。ですが、あなたの話を聞いているとカルート王をまるで知っているかのような口ぶりですね」
ミルテは笑い、ラシルは肩をすくめた。
(子供の頃はよくカルートが一緒に遊んでくれたからな)
さすがにこれはミルテに告げることができない、とラシルは思った。
「不思議ですね」
「何がだ?」
ミルテは両肘をテーブルに置き瞳を閉じた。
「何をどうやるか決まっているわけではないのに失敗する気がしない。むしろ楽しみな気さえします」
「それは頼もしいな」
「それはあなたでしょう」
瞳を閉じたままミルテは続けた。
「心の赴くままにつっぱしっているだけなのに」
「あのな、人を獣みたいに」
「…それが出来る力と、周りにそれを何でもない事だと思わせるふてぶてしいまでの超然とした態度が、不思議と信頼につながっていくんでしょうね」
「本当に今日はどうした?」
ここでやっとミルテは瞳を開けると、怪訝顔のラシルを目端で捉えた。
「イリスに関してだけはその超然とした態度も形無しでしたけれど」
話の落ちはそこか、とラシルは小声で呟いた。
「ラシルは私がイリスを好きだと思っていたでしょう?」
「ん…」
軽くラシルは唸ったが、気づかれていたことにはさして驚かなかった。むしろミルテとは争いたくなかったので、無意識のうちにミルテがイリスに近づかないように予防線を張っていたのかもしれない。
「でも、間違ってはいませんでしたよ」
「…そうか」
ミルテの言葉はラシルの胸を引っ掻いた。それ以上は何も言えなかった。黙り込むラシルに、ミルテにしては珍しい静かな笑みを浮かべた。
「今の言い方は意地悪かったですね。勘違いしないでください。イリスは好きですが、あなたと同じ意味での好きではありませんよ。ただ、今までは警護の依頼人を単なる金づるとしか見ていなかったのですが、今回はそう簡単に割り切れない、という意味です」
「皆、可愛そうなくらい一生懸命だからな」
「ええ、そして普段の落ち着いた態度を崩し、イリスに可愛そうなくらい一生懸命なあなたの姿にもかなり好感がもてましたよ」
「ミルテ…」
ラシルは呆れたようにミルテを見たが、直ぐに満面の笑みに変えた。
「なんだかんだ言って、今日は大盤振る舞いに誉めてくれるな」
ミルテも少し言い過ぎたと思ったのだろう。気まずい気持ちを隠すようにひとつ咳払いをした。
「先程も言ったように…」
「今は酔っているんだったな」
「そうです」
「だったら、もっと酔ってもっと誉めてくれ。いつも言われ慣れないミルテに言われると効果も倍だ」
ラシルは酒場のカウンターでつまらなそうに座っていた亭主を呼び寄せ、酒を持ってくるように言った。今まで憮然としていた亭主の顔が商売用の笑みに変わり、いそいそとテーブルに酒瓶を置いていく。
「もう、誉めるところなんてありませんよ」
「仕方がないな。では、これからは俺がミルテのいいところを上げ連ねていこうか。そしてその眉間一杯に皺を刻ませてやる」
そう言っただけですでにミルテの額に一本皺が刻まれるのをラシルは笑って眺めた。