第1話
「神々しいですね」
隣に立っているミルテがそっと呟いた。彼が誉め言葉を口にする事はなかなか無いのだ。
珍しいな
そう揶揄してやろうかと思ったが、ラシルは声に出すのを憚かった。
そういう雰囲気がそこにはあった。
広いとは言えないテント内だが、ひしめく様に客が入っている。まだ春先というのにテント内は人々の熱気でむせ返る暑さだ。誰一人言葉を発せず、身じろぎもせず、食い入るように同じ一点を見つめている。
視線の先には少女が1人。
年の頃は15、6くらいだろうか。頭に百合の花輪を被り、手にも一輪持っている。時期的に早いので造花であろう。その花より白いのが彼女の肌だ。客席より少し高いだけの簡易で造られた舞台の上には屋根がなく、降り注ぐ太陽の光が彼女の肌に当たり、舞に合わせて四方に乱れるように輝き跳ねている。まるで異世界のように彼女の周りだけ浮きあがって見えた。
演目は『乙女の舞』。正式名称はちゃんとあるのだろうが、民衆に絶大の人気のあり、どこの一座でも必ず舞われるこの舞は通称でそう呼ばれている。
彼女の差し出す手、足の運び、背中の中ごろまで伸ばされている濃い栗色の髪の動きまで全てに無駄がなく正確だ。足に括られた鈴も意思を持っているかのように必要な時以外は音を立てない。
(ここまで整然とした舞は初めて見た)
ラシルはミルテがこの舞いを『神々しい』と表現したのは正しいと思った。ただ、神殿での神に捧げる舞ならいざ知らず、『乙女の舞』は初めて恋を覚えた若い女性がその喜びを体で表現する内容である。あそこまで完璧に隙無く舞っていいものだろうか。
(あれでは寄って来る男も寄ってこないな)
かえって舞いの興をそいでしまうのではないだろうか。
綺麗だが拒否されている
これがラシルの感じた率直な感想だ。
舞の終わりと共に歓声と盛大な拍手が惜しみなく舞手に送られた。ラシルと同じ感想をもった観客はここにはいないらしい。ミルテも傍からみればそう思えないであろうが、彼にしては最大限の拍手をしている。
優雅な一礼と共に舞い終わった少女がそでにはけると、人々はまだ夢心地の気分で立ち上がり出口に向かっていく。ラシルとミルテもそれに続いた。
「この辺りでは一番上手いと評判な一座だそうですが、まあ、偽りなしといっていいんじゃないですかね。契約しますか?」
ミルテは初対面の人が必ず騙される人あたりの良い笑みを浮かべながら、ラシルを振り返る。
「確かに首都までの警護にしては悪くない条件だからな」
ラシルは傭兵を生業としている。戦争が終ったとはいえ、まだまだ地方は治安が安定していないこともあり、傭兵の仕事は需要が高かった。ラシルはミルテをはじめ六人で行動を共にしている。
三ヶ月間、我がまま放題に育った貴族の息子とその荷物の護衛をし、このカミルレの町でその口うるさい大荷物を昨日ようやく降ろしたばかりである。
「ああいうヤツこそ馬から落ちて踏まれた挙句脳みそかち割ってくたばっちまえばいいんですよ。これから仕事は値段で無く質で選ぶべきですね」
あまりの傍若無人の依頼人の態度に後一日でも長ければキレていただろうミルテの言葉に苦笑しつつもみな頷いていた。今回の旅芸人の依頼はその直後の事であり、ラシルは統括する者として次の仕事は慎重に選ぼうと思っていた矢先の出来事であった。
『首都までの警護、何事も無く到達したあかつきには通常報酬の二倍の支払い』
これが旅芸人の座長を務めるシリアという女性の条件である。
(あまりにも条件が良すぎる)
いい条件には必ず裏があるものだ。仕事を終えたばかりなので突っぱねようとも思ったが、シリアの真剣な眼差しと丁重な態度に無碍にも断れず、ラシルはその場での即答を避けるにとどめた。今日再び他の仲間と引き合わせ、どうするか返答することにしたのだ。
約束の場所であるテント裏には仲間であるジンとモスがすでに来ていた。
「こんなに感動したのは久しぶりだよ。いや、初めてかもしれないなあ」
ジンは鍛え上げられた体躯をもつ大柄の男である。しかし童顔で、おっとりとした性格通りの人当たりの良い顔立ちを持つ。素朴で少年のような黒い瞳は興奮気味に潤んでいた。
モスは一番年長者で、もうすぐ六十に手が届くはずである。物静かであまり話さないが、ジンの言葉に首を立てに振り、同感を示した。
「そんなに喜んでもらえて嬉しいわ」
片手を腰にあて、長い巻きスカートを優雅に捌きながら一人の女性が近づいてきた。
座長のシリアだ。
堅く一つに結い上げられた濃い栗色の髪、くっきり引かれた眉と口紅に彼女の意思の強さが見て取れ、顔は美人と言っても差しさわりがない。座長という立場からか苦労が顔に滲み出ており三十後半といったところだが、見た目より実際の年のほうが若いだろうとラシルは思っている。
「首都までの警護だったな」
ラシルの問いにシリアが口を開くより先に、後ろから高い悲鳴のような声が上がった。
「あなたたちがこれから私達を守ってくれるの?」
「なかなか男前ぞろいね」
「それ重要よね、これからよろしく」
走り寄ってきた三人の娘が好き勝手に言い、一人がラシルの手を取った。この三人はミルテやジン、モスを魅了したあの少女の前に踊っていた娘達であり、まだ舞衣装を着たままだった。ラシルもあの乙女の舞いを見るまではこの三人の舞いも息があって綺麗だと思っていた。
「ユリア、チファ、コリー、早く着替えてきなさい」
シリアの一喝に肩を竦めつつも三人は素直に従った。呼ばれたうちのどの子かは分らないが軽くウインクをし、軽やかにテント内に戻っていく。
(しっかり統制がとれているな)
ラシルはシリアを頼もしく眺めた。一人でもそういう人物がいてくれればこちらの仕事も楽になるのだ。
「ごめんなさいね、びっくりしたでしょう」
シリアは口に手を軽く当てて笑うと話を元に戻した。
「スカトル国の首都インセンで新しい神殿が造られているのはご存知かしら」
半年前、ラシルがわがまま息子の依頼を受けた町ハバルでもその噂で持ちきりであった。
「噂ではかなり壮麗な建物らしいな」
「私もまだ見たことがないから。でも話ではそうらしいわね。それで、来春にそこで神降ろしの儀式が行われるのだけれど、その舞手が巷で人気の一座から選ばれるのよ」
「それは初耳だ」
ラシルはミルテに視線を投げかけたが、首を横に振った。モスやジンも同様らしい。
「普通は知らなくて当然ね。同業者の間ではこの話題で持ち切りだけれど」
シリアは瞳を閉じ軽く息をはく。
「うちはこの辺りでは有名だけれど、首都のあたりでは残念ながらまだ無名なの。だから各都市をまわって知名度を上げる必要があるのよ。真っ直ぐ首都へ行くより拘束時間が長いから報酬を二倍にしたの。どうしてもあなたたちにお願いしたかったから」
シリアは艶やかな唇に力を込めた。
「東より来たりし金色の獅子に身をゆだねよ、されば願い叶わん」
「占ですか? 確かにラシルの髪は金色ですけどね」
ミルテはラシルの頭に目をやる。あまりに鮮やかな明るいブロンドなので人目を引くのを嫌がり普段から布をまいているのだが、いざ戦闘になったときも髪が邪魔にならず色々と都合がいい。ここ何年か髪を切っていないので布からはみ出した髪はそのまま肩へ流している。
ラシルをはじめ傭兵の多くは自分の判断力を頼りにしているが、普通の人々は神の信託である「占」で物事を決め、生活をしている。自分達がそうではないからと言って、神中心の慣習を軽視しているわけではない。今回の統一戦争が始まる前は様々な国が乱立し、その数だけ神も存在していた。今回統一を果たしたスカトル国は多神教であり、各国の神を受け入れつつ支配していった所に成功の鍵があったといってもいい。そのため、それぞれの神を祀る祭りや儀式はほぼそのまま残り、祭りに花を添える旅芸人や神職は食うに困らないのだ。
「警護人数は六人と聞いたが、あなたとさっきの三人と…」
「ええ、それについてお願いがあるの。ナナ、こちらへいらっしゃい」
シリアはテントに向かって叫ぶと、間もなく入り口から顔だけ出す少女が見えた。五、六歳くらいだろうか。しかしラシルをはじめ見知らぬ人が大勢いるためか、すぐに中へ入ってしまう。
「ちょっと待ってて下さる?」
軽く肩をすくめるとシリアはテントの方へ振り返った。ラシルも同様にそちらに眼を向けると、入り口からナナと呼ばれる少女が少年に手を引かれて出て来た。
「先程の…」
ラシルは軽く言葉を失った。
先程観衆の目を奪った舞手は少女とばかり思っていたのだが、この少年だったのだ。髪も短く、化粧もすっかり落としているので舞台上の華やかさはないが、華奢な体つきといい物腰といい、間違いなく同一人物だ。
「君があの舞を舞ってたんだ。すごいね」
「なんか腑に落ちませんね」
ジンは素直に驚嘆を声に出し、出し抜かれるのが大嫌いなミルテはしかめっ面をした。
「別に男の子が舞ってはいけないという決まりはないからね。うちでは彼が一番うまいから自然とこうなったのよ」
思い通りの反応をシリアは楽しんでいるようだ。少年は場を和ますように微笑んだ。
(悪くないな)
心に爽やかな風が一陣吹いたようだ。舞台上の舞は上手いが無機質な彼より今の笑顔の彼の方がラシルは気に入った。柔らかそうな濃い茶色の髪も同じ色の瞳も、笑うときの口端の上がり具合も全て神が選び抜き、考え抜いて配置したものに違いない。自然と瞳が離せないのも神が与えた彼の才能なのであろうか。
「おや、そういうことか」
隣からミルテの軽い呟きが聞こえたが、今はそれにかまっていられない気がした。
シリアは少年からナナを引き寄せるとしゃがみ込み、ナナの肩に手を置く。
「この子をなにがあっても一番に守って欲しいのよ。一番腕が立つのは誰?」
ジンとミルテは軽く眼を合わせたが、何故この小さな少女を一番に守らなければいけないのか、と疑問を口に出しはしなかった。傭兵になる者には訳ありの者が多いので、詮索しないのが暗黙の決まりになっている。依頼人にも必要以上に詮索しない。諸国を巡る一座にも何かしらの事情があるのだろう。
「それなら、ラシルでしょう」
背中を一つ叩くミルテに、我に返ったラシルは気まずそうに一つ咳払いをした。
ラシルが一歩前に進み出ると、反対にナナは怯えたように一歩下がる。
「あー、嫌われちゃいましたね」
愉快そうに笑うミルテをラシルは横目で睨んだ。
「俺は悪いが子供に好かれた試しはないんだ。そこまで言うならミルテがやれ」
「お断りします。子供は無理です」
「即答するな。お前のその人当たりのいい偽善者面でなんとかしろ」
「いつ私が偽善者…」
「ケンカしないでくださいよう」
ジンが二人の間を割るように通り過ぎ、ナナの前にしゃがむとにっこり微笑んだ。手にはちゃっかりいつの間に摘んできたのか白い小花が握られている。
ラシルよりも体の大きいジンが差し出した花をナナは笑って受け取った。小さいながら大人びた印象のナナも笑うと上の右前歯が欠けており、急に子供らしい表情に変わった。
「小さくても大きくても女の好きなものは同じなんですねぇ」
ミルテはなかば呆れ、なかば感心したように言って真ん中で分けられた黒髪を掻き揚げた。
「ジンは誠実で腕も立つから信用していい」
ラシルはシリアを安心させるために言った。実際、ミルテ、ジン、モスは腕のいい剣術の使い手で、安心して背中を預けられる。
「それではジン、ナナをよろしくね」
「は、はい。がんばります」
にっこり微笑むシリアにジンは声を裏返らせて答えた。
「こっちもですか? ちょっと気候が良くなるとこれだから…」
ラシルにも今度はしっかりミルテの呆れ口調の呟きが聞こえた。
次にシリアは少年の後ろに立つと彼の肩に手を添えた。
「で、最後はこの子、イリスよ」
「女神の名前と同じですね。まあ、相応しいといえば相応しいか」
ミルテのあけすけな物言いにイリスは軽く苦笑した。シリアはイリスの隣に立ち、微笑みながらも軽く眉を寄せた。
「これで全員なの。イリス以外は女子供ばかりだから首都まで護衛を付けたくなる理由も少しは分るでしょう?」
「それでは、イリスにはこのラシルを付けましょう」
ミルテは唐突に提案をした。
「おい」
ラシルの制止を無視し、ミルテはさらに続ける。
「見たところ彼が一番の稼ぎ頭なんでしょう? 途中で何かあったらそれこそ事です」
「そうね…」
シリアはイリスと顔を合わせたが、一考する価値があると顔に出ている。
「イリスもラシルが怖いですか?」
ナナの例を受けてのミルテの質問に、ラシルとナナ以外は皆苦笑した。
「怖くないよ。…今のところはね」
「では、決まりですね」
イリスの返答に一つ手を叩くとミルテは話を無理やりまとめてしまった。
「まだ、契約するとは決まってないぞ」
囁くラシルをミルテは引っ張り、話の輪の中から連れ出した。
「見たところ問題はなさそうだし、たまにはゆっくり首都へ帰るのもいいんじゃないですか? のんびり仕事で手取り二倍」
ミルテはさらにラシルの耳元へ近づくと意味ありげな笑みを浮かべる。
「そしてさっきの提案はあなたへの貸しにしておきます。ちゃんと返してくださいね」
ラシルに言い返す間を与えず、ミルテはまた話の輪の中に戻っていった。
「なにが、『貸しにしておきますね』だ」
そう呟きながらもラシルは心が軽く浮き立っていることを認めざるを得なかった。
久しぶりの感覚に少し戸惑いながらラシルはシリアと契約を結ぶことを決めた。モスもジンも異存はないと頷く。実はあと二人仲間がいるのだが、この展開に大喜びすることは分っていた。
「それでは警護を引き受けよう。条件はそちらが提示した通りでいい」
ラシルとシリアはそれぞれの契約内容を牛の皮に見立てた紙に書き込んだ。契約を破った時は生贄に使われる牛の様に殺されても構わないという意味で、昔は本物の皮が使われていたらしい。
最後におのおのの指の先を少し切り、血判を押す。
「これで成立ね。明日からよろしく」
契約書を交換し、互いに握手した。
「あ、雨」
イリスは空を見上げて片手を差し出す。
肌触りの良い絹のような細かい雨が、晴れている空から優しく降り注いできた。
雨はどこの国でも神に願いが聞き届けられた事を意味している。人々にとって適度な雨は吉報なのだ。
「神の祝福ね。いい契約なのだわ」
シリアは胸に下げている袋を握った。その慨深い物言いに、その場の全ての者が黙しながらも同意していた。