03
ヒカルがそこへ入れられたのは、ヒカルが盗みをしていたからだった。
その頃の東京は今より治安が悪かった。凶悪な犯罪が後をたたず、ヒカルの家族も何者かによって殺された。
生きるためには、罪を犯してでも何かしなければいけない。
幼いながらにそう学んだ少年は、それからずっと食べるものを民家からくすねたり、盗ったものを売りながら生きてきた。
そして一年前、痩せこけて倒れていたヒカルを助けた者が偶然、施設の男だったのだ。
施設は、噂に聞いていた以上に酷かった。
収容されている同年代の子供はまるで生気がなく、みんな死んだような目をしていた。
毎日同じ仕事、決められた食事、睡眠。
施設では、”善良な市民”になるための、表向きには教育が行われる。
そこを出た者は皆、人畜無害な人間になっているのだ。
それがいいのか悪いのかは誰にもわからない。何しろ、無害な人間になる代わりに感情というものがまるで消えてしまうのだから。
人当たりの良い笑顔を浮かべるだけの毎日。
そんな先人を幾度となく見てきた遊び盛りの思春期の子供たちにとっては、まさに地獄のような場所だった。
耐えられなくて自殺をした者もいた。大抵の子どもは、気がおかしくなる。
そんな監視の厳しい中で、脱走を試みる人間はいなかった。
たったひとり、ヒカルを除いて。
「そりゃ大変だったね。生きるためには仕方のないことだったんだから」
しばらく二人の間に、沈黙の空隙が続いた。
火の燃えるぱちぱちという音が、消えそうになりながら沈黙を破っている。
「ゼロはどうして、あそこから逃げてきたの?」
少し無礼な質問だろうかと思いながら、ヒカルが口を開いた。
「僕? 僕は――――」
ゼロが、ふと口をつぐんだ。聞いてはいけなかったのかと、ゼロの表情を窺う。
「自暴自棄になって、逃げ出した、って言うよりも飛び出してきたって方が正しいかも」
自分の言葉に嘲笑し、小さくなってきた火に枝の束を投げ入れた。
「僕には昔、って言っても何年か前のことだけどね。恋人がいたんだ――――」
ゼロは子どもの頃、貧しかった家族――病気の母と小さな妹のために街へ働きに出た。
そこで出会ったのが、主人の娘のユキ。下働きのゼロにも優しかったユキに、少年はいつの間にか、
心を惹かれていた。
「僕とユキはそれから、休みの日は街へ出て遊んだり、一緒に学校へも通ったんだ。
一度、親父さんのバイクで走ったときはひどく怒られたな。一週間食事抜きだった……」
昔を懐かしむ遠い目で、ゼロは淡々と語った。
ある時、ゼロが働いていた街で、強盗事件があった。
ゼロは偶然その場に居合わせたというだけで捕えられ、施設送りになったのだ。
「施設で過ごした一年はひどかったよ。あんなところ、実態は善良で無害な市民に育てる洗脳施設だ」
頷く代わりに、ヒカルは空を仰いだ。
木々の間から見えるのは、うっすらと白色を帯びてきた空。
辛い体験をしていたのは自分だけじゃない。そう感じて、いくらか心が軽くなった。
「そんなときに、ユキが死んだっていう知らせを聞いたんだ。交通事故だった」
泣きたいのを必死でこらえるような、ぎこちない表情。
「僕は彼女のいない世界に生きる意味なんてない、ってそして飛び出したんだ。今思うと馬鹿な行動だけど、せめて生きてる間にもう一度、ユキに会いたかったな……」
ゼロの綺麗な灰色の目を、暗い影が覆った。
「でも、ゼロは僕と違って無実だったんだ、そうでしょ?」
「ああ。でも施設にとったらそんなこと関係ない。善良な市民を作り出すに越したことはないよ」
わずかな沈黙を遮るように、二人の頭上で小鳥が鳴いた。
辺りは真っ暗だったのが嘘のように、光に満ちている。
「もう朝か……こうして話していると、時間がたつのがあっという間だ」
ヒカルは、消えそうに燃えている火を見つめた。
数時間前まであんなに死にそうになりながら走っていたのに、今は何故か、生きる気力が湧いている。
「ヒカル、これからどうする? いつまでもここにはいられないから――――」
そう言ってゼロが、足で火を消す。途端に真冬の現実が戻ってきて、体が震えた。
ゼロの問いかけに、ヒカルは少し考えて急に不安が募った。
「施設の人に見つかって、逆戻りさせられたりしないかな」
「ああ、それなら大丈夫だよ。あいつらもこんなとこまでは探したりしないよ。
都会の、もっとちゃんとした場所なら別だろうけど。失敗作には興味がないだろうし……」
周囲の鬱蒼とした森を見渡して、自嘲じみて笑う。
「じゃあ、僕は故郷の東京に帰るよ。行く当てなんてないけど。ゼロは……どうするの?」
ゼロが、立ち上がって伸びをする。
「僕も東京へ行こうかな。彼女と初めて遊びに行った、思い出の場所なんだ」
ヒカルも立ち上がり、服にくっついた土をはたきながら、森を一瞥した。




