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第3話

「誰から聞いた? ──お前は、何者だ!?」



 まずい、と思ったノクシアがとった次の行動は、“逃げる”だった。


花園(ガルデマ)より来たれり──"花信"!!」


 呪文を唱えた瞬間、ボフンッ!と黄色の粉が爆発する。それをまともに喰らってしまった少年は、慌てて粉を振り払おうとするが時すでに遅し。

 

「なんっ──は、は、はっくしゅん!! か、花粉──ぶあっくしょん!!」


 これぞ精霊王の得意技の一つ。花粉爆弾である。

 花粉に強い耐性を持つ精霊には一切意味をなさない魔術だが、人間をはじめとする他種族には効果てき面。一見くだらない雑魚魔術であるように見えて、気を逸らしたり、その場を誤魔化すときに便利な手なのだ。ちなみにあまりにくだらないからか、魔術学校のカリキュラムからは除外されている。


 何はともあれ、狙い通りロクスが車椅子から手を離したので、その隙にレバーを操作して距離を取り、彼の横をすり抜けるようにして食堂へ駆け込んだ。

 

「ごめんなさい!」

「てめぇ、待て──ぶえっくしょん!」


 かわいそうに、彼はしばらくくしゃみが止まらないだろう。






 食堂では、なるべく入り口から遠い席についた。しかし、ロクスは食堂までついてくることはなかった。思い返せば入学してからこの方、彼の姿を食堂で見たことはない。食堂どころか、教室でも見たことはないけれども。


 イシュとミレヴィナはノクシアより少し遅れて食堂へやってきたが、ロクスを見つけることはできなかったのか、イシュはかなりイラついている様子だった。



 ロクス・ソルス・アモルエテス──アモルエテス王国の第二王子。ノクシアは今日まで直接面識はなかったが、イシュがたまに彼について話していたのを覚えている。


 ロクスの母親は元流民の踊り子で、イシュの母親である現王妃と同時期に王宮へ入った。現王妃は政略結婚であったが、ロクスの母親は王自らが見初めて王宮に召し上げたという。そのせいもあり、現王妃は何かにつけロクス親子を目の敵にしていたようだった。もっとも、ロクスの母親は体が弱く、すでに他界しているが。母親の影響で息子のイシュもロクスを見下し、嫌悪している。


(それにしても……魔力のない人間なんて久しぶりに見た)


 朝食のスクランブルエッグをつつきながら、先ほどのロクスの鬼気迫る表情を思い返す。


 精霊王が人間王レオンティウスに魔力炉心を授ける前は、人間族は魔力を持たない種族だった。今では生まれつき、心臓の隣に魔力炉心と呼ばれる魔力の生成器官が備わっており、そこから生み出される魔力を使って人々は魔術を操っている。

 心臓が止まれば魔力炉心は止まる。魔力炉心が止まれば心臓も止まる。二つの器官は、一心同体なのだ。ゆえに、炉心が動かないなんてことはありえないはず。ロクスの状態は、間違いなく"異常"だ。──よりによって、人間王レオンティウスの子孫が。


 教会に知られれば、異端児として幽閉されかねない。少なくとも、王族の地位は剥奪されるだろう。彼も先ほど「死んだ母親以外は知らないはず」と言っていた。それだけの一大事なのだ。

 

「そんな重大な秘密を知ってしまった私を、彼は放っておかないでしょうね……」


 ノクシアは思わず、深い深いため息を吐いた。

 どのようにして、魔力がないことを見抜いたのか。“魔力が見えるからだ“と説明しても、普通の人間は信じないだろう。“精霊王の生まれ変わりだ“と言うわけにもいかない。どう説明するべきか分からなかったから、先程は逃げるしかなかった。


(でもお礼ぐらいは、言っておけばよかったかな……)

 

 結末はどうあれ、あの時ロクスはおそらくノクシアを助けてくれたのだ。水浸しになったイシュとミレヴィナをみて、間違いなくこの胸はスカッとしたのだから。






 

 ノクスフロース魔術学校──精霊王ノクスの名を冠するこの学校では、各学年ごとに2クラスが設けられている。クラス分けの基準は成績順。ちなみにノクシアは第二クラス、イシュとミレヴィナは第一クラスだ。以前はイシュと違うクラスであることに焦りを感じていたものだが、今となってはクラスが別で本当に良かったと思う。あんなことがあったばかりだ。気まずいことこの上ない。

 

 第二クラスの1限目は魔道具学だった。

 魔道具学は実験が多いので、4人用のテーブルが並んでいる実験室を使う。仲が良い者同士で固まって座り、雑談する声でがやがやと賑わっている中、ノクシアは窓際の端の席に向かった。そのテーブルには自分以外誰も座っていない。これもいつも通り。


 前世を思い出す前のノクシアは、長らく家に閉じ籠もっていたせいか、お世辞にも人付き合いが得意とは言えなかった。そもそもイシュが世界の中心で、それ以外の人間は道端の草ぐらいにしか見えていなかったのだ。当然、そのような扱いを受けていたクラスメイトたちが、一人ぽつねんと座っているノクシアに声をかけるわけもなく。


「なあ、聞いたか? ノクシア・ダルクローズがイシュ殿下とミレヴィナに水をぶっかけたらしいぞ」

「うわっ、痴情のもつれってやつ!?」

「元々陰気なやつだなとは思ってたけど、ここまでヤバい女だったとはな」

 

 教室の中心から、バカにするような笑いが端の席まで届いた。ニヤニヤとノクシアを見ながら大きな声で喋っているのは、濃い緑色の髪をオールバックにかっちり整えた少年──伯爵家令息のロドリック・アルカンプ。そしてその仲間たちだ。


 成績下位が集まる第二クラスには、家柄コンプレックスだったり、学力コンプレックスを拗らせた生徒が多い。

 ノクシアはただでさえ数少ない公爵家の令嬢である上に、最高学年に在籍する兄は学年主席。そのくせノクシア自身にさしたる才能はなく、現在はイシュからも邪険に扱われ"性悪女"というレッテルも貼られている。貶しても許される相手──日頃の鬱憤を晴らすにはちょうど良い存在なのだろう。


 噂に尾鰭がつくのは今に始まったことではない。言い返したとて火に油だろうと、ノクシアは貝のように口を閉じ沈黙することを選んだ。早く授業が終わりますようにと願いながら。


 やがて準備室から担当教師が出てくると、生徒たちは皆席について教師の言葉を待った。

 

「本日の授業は、魔動ランタンの組み立てです。魔力結晶の生成から行っていきましょう。それでは、2人1組になって」


 よりにもよって、ペアで行う授業か。ノクシアは肩を落としてクラス内を見渡した。


 ノクシアという娘の人生は孤独だった。

 7歳の頃、事故で足が動かなくなってから、両親はノクシアに期待しなくなった。あからさまに虐げられていたわけではない。

 ただ、寝る前に「愛しているよ」と抱きしめてキスをしてくれることはなくなった。手ずから髪を結ってくれることも、ノクシアに似合うドレスを選んでくれることも、しゃがんで目を見て話してくれることさえも、なくなっていった。


 兄のルカンだけは変わらず優しくしてくれたけれど、その優しさを、ノクシアは素直に受け取ることができなかった。両親はノクシアに与えないものを、全て兄に与えていたから。どれだけ優秀で非の打ち所がない兄であっても、彼の存在は、ノクシアをひどく惨めにした。


 ──誰でもいい。誰か私をここから連れ出して。


 そう願ったノクシアが縋りついた相手が、イシュだった。

 

(我ながら視野が狭すぎる……せっかく学校に入ったんだから、友達とか作るべきよね)


 よし、とノクシアは小さく気合を入れると、1番近くの席にいた女子生徒に近づき声をかける。

 

「えっと……エイミー?よかったら私と」「ごめんなさい、もうペアいるから」


 玉砕である。しかもかなり食い気味だった。

 エイミーはそそくさとその場を離れると、別の女子生徒に声をかけていた。仕方がない、他の子に……と視線を巡らせると、生徒たちは皆一様にサッと目を逸らした。その様子を見て、またロドリックたちがくすくすと笑う声が聞こえる。


(困ったわ……)


 気づけば生徒のほとんどがペアを組み終えているようだった。ひとりぽつんと教室の後方で途方に暮れる。



 その時、ばんっと背後の扉が力任せに開かれた。

 そこからずかずかと入ってくる人物を見て、生徒たちは皆息を呑む。

 

「えっ……あれってもしかして」

「おい嘘だろ」


 ワンテンポ遅れて車椅子ごと振り返ったノクシアは、すぐ目の前で立ち止まった少年を見上げてあっと声を上げた。

 美しい空色の瞳が、ノクシアを見下ろしている。

 

「おい、ちんちくりん。お前のペアは俺だ」


 襟元を緩めて着崩した制服姿で、ズボンのポケットに両手を突っ込んで気怠げに立っているのは、ロクスだ。

「ロクス……殿下?」恐る恐る確かめるように呟くと、ロクスは不快そうに目を眇めた。

 

「殿下って呼ぶんじゃねー」


 そのままノクシアが使っていたスペースの隣の席に腰を下ろす。授業に参加するつもりらしい。しかもノクシアのペアとして。ノクシアは唐突な展開に思考が追いつかず、ぱちくりと目を丸くするばかり。

 

「……えー、ペアを組み終わりましたね? それでは各テーブルに空のランタンを配ります」


 ロクスの登場で放心していた教師が我に返り指示を出したので、ノクシアも大人しく席についた。

 女子生徒たちは全員ちらちらとロクスの顔を見ている。あの美貌だ、無理もない。しかし隣にいるノクシアとしては、居心地悪いことこの上なかった。

 そんな教室の空気が気に食わなかったのか、少年たちの嘲笑を含んだ声が聞こえてくる。

 

「王子サマも水浸しにされないように気をつけなきゃな〜」

 

(ああ、彼も巻き込んでしまった)


 ノクシアは申し訳なさから俯いて額を押さえる。

「あの……」謝ろうと隣の少年へ顔を向けたが──どん、と大きな音が響いて教室が静まり返る。

 ロクスが机の上に両足を置いた音だった。椅子の背もたれに背を預けて腕を組む姿は、かなり太々しいものだったが、彼の場合は不思議と裁判長が罪人を裁くかのように堂々とした威厳を感じさせる。

 

「クソ王子とその女に水をぶちまけたのは俺だ、噂の真偽も判断できねー能無しども」


 鋭い眼光が少年たちを射抜く。

 

「特別に、お前らも水浸しにしてやろうか?そのクッセー整髪料洗い流してやんよ」


 片方の口角を上げて言い放ったロクスの発言に、一部の女子生徒たちが笑いを堪えきれずに噴き出した。ノクシアも思わず口元を手で押さえて俯く。

 ロドリックは顔を真っ赤にして立ちあがろうとしたが、ごほん、と教師の咳払いが聞こえて渋々腰を下ろした。ここで罰則など喰らえば恥の上塗りだ。


(……誤解を解いてくれた?)


 ちらりと隣を盗み見ると、少年はもうすっかり興味を無くしたように大きな欠伸をこぼしていた。


「さて、ここで魔道具に関するおさらいをしておきましょう」

 

 授業が始まったので、ノクシアはまだ少し戸惑いつつもノートを広げて、黒板のほうへ顔を向ける。教師はなるべく平常心を保とうと努力しているようだった。そのぐらい、ロクスが授業に出るのは珍しいことなのだ。

 


(……ものすごく見られている……)


 教師が実験の行程を板書している間、ロクスは何もせずじっ……とノクシアを見ていた。その無遠慮な視線が気になって気になって、何度も書き取りをミスしてしまう。

 彼が授業に出てきた理由。そんなの今朝のノクシアとのやりとりより他にないだろう。いかにしてロクスに魔力がないことを知ったのか──ノクシアはその問いの答えを有耶無耶にして逃げて来たわけだし。花粉爆弾まで浴びせてしまったし。敵認定されていてもおかしくない。


(いったい何を考えているのかしら……ていうかこのままじゃ授業に集中できない!)

 

「……あの、ロクス……先生の説明を書きとったら?」

「魔動ランタンの作り方だろ? 一度板書見りゃ十分だ」


 授業への集中を促す作戦、失敗。

 ノクシアは仕方なく、黒板を睨みつけるようにして全集中力を掻き集めた。


 魔道具の構造は、魔道具師が造った外殻に、内殻となる魔力結晶をはめ込む形になっている。外殻を作るには特別な技術が必要になり、ノクシアの魔動車椅子のように専門の開発機関から購入するのが一般的だ。

 しかし内殻にあたる魔力結晶は、魔力を持つ人間であれば誰でも作ることができる。


 魔力結晶とはその名の通り、魔力を固めて作る結晶石のことだ。

 魔力結晶は魔力を一定量貯めておくことができ、さらに魔術を付与することで自動機関として使うことも可能だ。


 たとえば、ノクシアの魔動車椅子には"回転"の魔術が施された魔力結晶が使われている。それを手元のレバーを使って制御しているのだ。魔力結晶内の魔力が尽きるまで使用することができ、新しく魔力を補充すれば再度使うことができる。使用回数や、魔力の保有量は作り手の技量次第で増減する。付与する魔術も、複雑なものは不可能だ。よく使われているのは、エレベーターや車などの移動機関に使われる"回転"。それから今回の授業で扱う"灯火"──つまり、明かりだ。

 教師は、空っぽのランタンに手を置いて悔しげに眉を寄せた。

 

「──魔術の起源は、かつて精霊が使っていた"魔法"であるとされています。人間は多くの魔法を魔術でもって再現することに成功しましたが、光と闇の魔法だけは現在も再現できていません」


 "魔法"という言葉を聞いて、元精霊王はスターダストアイを瞬かせる。闇魔法を得意とするのは悪魔族。精霊族は光魔法が得意だった。うっかり人前でそれらを行使しないようにしなくては。

 闇夜を照らす明かりも、本来は光魔法に分類される物。しかし人間は光魔法を使えなかったので、代わりに1番近い炎でもって代用した。そうして生まれた発明品の一つが、この魔動ランタンだ。

 

「学内の明かりも、全てがこの魔動ランタンです。──さあ、今日はこの魔動ランタンに入れる"灯火"の魔力結晶を作りましょう。初めは一人で十分な大きさの結晶を作ることは難しいですから、二人で協力するように」


 隣を振り返る。少年はいつの間にか脚を下ろして机に頬杖をつき、ノクシアを見つめていた。

 

「後ほど各テーブルを周り、評価をつけていきます」さあ、始めてください。と教師が二回手を叩いた。


 生徒たちは各々、机に手をかざして呪文を唱え始める。

 

花園(ガルデマ)より来たれり──“結晶”!」


 すると、パキパキと音を立てて白い結晶が出来上がっていく。大きさは人によるものの、大体は親指の第一関節ほどのサイズだ。二人で一緒に呪文を唱えて、やっと親指ひとつ分の大きさになるぐらいだった。

 周りの机の様子を一通り観察してから、ノクシアは改めて己のペアを見やった。ロクスの端正な顔は相変わらず、はっきりとこの目に映っている。

 

 (何度見ても美少年……じゃなくて! 彼は魔術を使えないはず。どうするつもりなのかしら?)


 当の本人はと言えば、ノクシアと目が合うと瞳を細めて挑発するような笑みを浮かべた。そこに、課題をこなそうとする意思は微塵も感じられない。

 その間にも他の生徒たちは次々と結晶を作り上げていき、成果物を確認するために教師が各テーブルを回り始めた。早くやらなければ、E評価をつけられてしまう。

 じわじわと焦りが湧いてきたノクシアに、少年がそっと囁いた。

 

「……やれよ。お前だけでも作りゃいいだろ。そんで『ロクス殿下は結晶魔術も使えません』って言えば、Bはもらえるだろうぜ」

 

 ロクスは真っ直ぐにノクシアを見て告げる。確かに、自分の分だけでも作ってしまって、『ロクス殿下は協力してくれなかった』と言えばノクシアの成績は守られるだろう。教師はそのあと、ロクスに補習を言い渡すかもしれないが。


 その結果、彼の"体質"がバレたとしても、ノクシアには何の関係もないことだ。


「……」


 これまでのノクシア・ダルクローズなら、そう判断したかもしれない。相手はイシュ殿下が嫌う王子なのだから、どうなろうが知ったことかと。

 

 (でも……私は、元精霊王で、彼はレオンティウスの子孫で)

 


── "ダンスも踊れないパートナー"は、相応しくないんだよ。



 (……彼と同じ、"人とは違う"ノクシア・ダルクローズだから)

 



花園(ガルデマ)より来たれり──“結晶”」

「!?」


 ノクシアが静かに呪文を唱えると、透明な結晶が音を立てて膨らんでいく。まるで蕾が花開くように、最終的に拳大ほどの結晶が出来上がった。

 魔力結晶とは、そもそも精霊が魔法を使えない他の種族に力を貸すために考案した代物だ。精霊たちは皆、息をするようにこの結晶を作り上げることができる。


 目の前でノクシアの結晶魔術を目撃したロクスは、驚きで声を失った。


「──おお! これはこれは、素晴らしい! 透明度、大きさ、美しさ、どれをとっても申し分ない! 二人で作ったのですか?」

「……はい、ロクスと一緒に作りました」

「なっ……」

「よろしい! 二人とも、素晴らしい才能です! S評価を差し上げましょう!」

 

 教師に平然と嘘をついたノクシアを、ロクスは信じられないものを見るような目で見ていた。

 クラスで唯一のS評価に室内がざわつく。なかでもロドリックは、苛立ったように奥歯を噛み締めていた。


 室内を回り終えた教師が、再び教壇前に立つ。

 

「それでは続いて、魔術の付与を行います。結晶がきちんと生成できていればこれはさして難しい過程ではありません。皆さん"灯火"の魔術は前期に習っているはずですね。これはペアのうちどちらか1人で構いません、結晶に対して刻印を刻むイメージで行ってください」


「これは私がやるわ」

 

 ノクシアはロクスに何か言われるより早く、結晶へ手のひらを添えた。そうして"灯火"の魔術を付与しようと口を開くも、そこにやや躊躇いが生まれる。

 ノクシアの脳裏に、燃え盛る炎の情景が鮮烈に蘇った。微かに手が震える。


 ロクスは、怪訝げに眉を寄せて声を掛けようとする。「おい……」

 しかしその時、教室中が呪文の詠唱で溢れかえったタイミングを見計らって、ロドリックが小さく呪文を呟いた。結晶ではなく、ノクシアに向けて。

 

花園(ガルデマ)より来たれり──"火球"」

 

「!!」


 視界の端から小さな火の玉が飛んでくる。ノクシアはそれに気づいたが、動けなかった。当たる──咄嗟に身を縮めて目を閉じる。

 それと同時に、ぐいっと身体を引き寄せられる感覚と、ジュッと何かが焦げたような音がした。

 

「──ロクス!?」

「っ……」


 目を開けると、ノクシアの頭を抱きかかえるようにして庇うロクスの姿があった。その顔は痛みに歪んでいる。

「きゃあ!」と女子生徒たちの悲鳴が聞こえた。教師が慌てて駆け寄ってくる。

 

「何事ですか!?見せてみなさい!」


 ノクシアもロクスの背中を覗き込んだ。肩のあたり、制服が焦げて破れ、火傷を負った肌が見えている。

 

「大変……!!」


 顔を真っ青にして冷却魔術をかけるノクシアを、ロクスは黙って探るような瞳で見ていた。





 

***


 





 まさかこんな短時間で保健室に戻ってくることになるとは思わなかった。

保健医から「またあなたですか」という呆れ目を向けられながら、ノクシアはロクスの怪我の治療に付き添った。


 保健医はロクスをベッドのひとつに座らせると「先生に報告してきますから少し休んでいなさい」と言い残して保健室を出て行った。この時間、他に休んでいる生徒はいないようで、室内は静かだ。

 残されたロクスとノクシアの間には、しばらく沈黙のカーテンが降りていたが。

 

「……痛い?」やがてノクシアが、そっとロクスの表情を窺うように尋ねる。

「別に」それに対して、シャツのボタンを留めながらロクスはぶっきらぼうに答えた。焼け焦げたシャツの穴から、火傷を覆うガーゼが見える。保健医いわく、痕が残るほどのものではないそうで安心した。


「庇ってくれてありがとう」


 礼を告げたノクシアは先ほどのことを思い返す。ロクスに応急処置を施す際、火の玉が飛んできた方向を見たが、そこには慌てた顔で手を引っ込めるロドリックがいた。間違いなくあれは、ロドリックがノクシアを狙ったものだったんだろう。


「……どうして庇ったの?」


 理由が気になって、そっと問いかける。

 聞かれた少年は「ハッ」と口元を歪めるとベッドの上であぐらをかき、両手を後ろについた。

 

「お前こそ、どうして教師に本当のことを言わなかった?同情でもしたか?」


 そのくさすような言い様にノクシアは少しムッとする。

 

「それは……あなただって、イシュ殿下とミレヴィナからわたしを助けてくれたじゃない。あれは同情だったの?」


 ロクスは眉を吊り上げた。

 

「──助けたわけじゃない。ムカついたからだよ! 何も言い返さねーお前が! さっきだってそうだ、やってもねーことでバカにされて……ハッキリ言えばいいだろ! 私は水なんてかけてませんって!」


 彼は怒っていた。ノクシアは虚をつかれたように目を丸くする。

 彼は怒っていたが、でもその怒りは、本来ノクシアが抱くべき怒りだった。酷い言葉を投げかけて来た許嫁へ。噂を真実かのように語り貶めてきたクラスメイトへ。


 ロクスは何度もノクシアの代わりに怒り、ノクシアの代わりにその怒りを示してくれた。"ムカついたから"。ただそれだけの理由で。

 自分よりもよっぽど腹を立てているロクスの姿を見て、ノクシアはいつのまにか自分が、嘲笑されることに慣れて、誤解を解くことを諦めてしまっていたことに気がついた。


 ふっと、心が軽くなるのを感じる。


「……。あなたって、優しいのね」

「はぁ!? なんでそうなる!?」


 思わずぽろりとこぼした言葉に、ロクスはぎょっと目を見開き身体を震わせた。その反応が可笑しくて、少女は頬を緩める。

 

「だって……人のために怒れる子は、優しい子だわ。」


 かなり粗雑で、乱暴がすぎる気もするけれど。ノクシアは眦を下げて笑みを浮かべた。


 助けたことを恩に着せて、"秘密"を知るノクシアの口止めなりなんなりをすればいいのに。二人きりになっても、ノクシアを脅したり、強引に迫ったりしてこない。

 ノクシアの言葉に、ロクスはかーーっと顔を真っ赤に染めると肩をいからせ、一際大きな声で叫び、出入り口を指差した。

 

「ガキ扱いしてんじゃねえ……出ていけ! 今すぐに!」







 保健室から追い出されてしまったノクシアはしかし、ふふふと溢れる笑みを手で隠しながら車椅子を進めた。


 ロクスの真っ赤な顔を思い出すと、なぜか自然と頬が緩んでしまう。

 彼の王子らしからぬ荒々しい口調も、語気も、生徒たちの陰口に比べると随分温かくて、豪快で、悪くないと思える。

 



『――精霊王』




 その時ふと、声が聞こえた。


 声がしたほうを振り返ると、中庭の花壇が見える。そこに咲いているのは星の形をした銀色の花──"スターホワイト"と呼ばれる、アモルエテス王国にもっとも多く咲く花だ。

 

『精霊王』


 声は、そのスターホワイトから聞こえてくる。

 ノクシアは、はっとすると車椅子の進路を変えて花壇の前へと向かった。念の為、周りに人がいないことを確認してから声を潜めて問いかける。

 

「私のことを覚えているの?」


 すると緩やかな風が吹いて、花々がゆらゆらとささめいた。

 

『覚えています……大地が、風が、あなたのことを覚えています』

『何度咲き、枯れて土へ還っても、わたしたちはあなたを忘れたことはない』

『私たちの精霊王。愛するあなた、お帰りなさい』


 こうして花と言葉を交わすのは、前世ぶりだ。

 昔と変わらぬ彼女らの敬慕の念に、ノクシアは感謝するように微笑んだ。


「──ありがとう。ただいま」


 花々との再会を喜んだあと、ノクシアはふと思いついたように尋ねる。

 

「そうだ。あなたたち、ロクス殿下のことを知ってる?」


 ここにきて、ノクシアはロクスに対して興味が湧いていた。ノクシアは昨日までのロクスを知らない。ほとんど授業に参加していない不良王子だということしか。

 しかし本人には今し方追い出されてしまったし、こういったことを気軽に聞ける友人もいない。花々は嘘を言わないので、尋ねる相手としては最適だろう。


『ロクス……ああ、月光の王子様!』

『月光の王子様!』


 きゃーっと花たちが色めき立つ。

 

「げっ……なに?」


 月光の、王子様?

 口に出すのも憚られる恥ずかしい敬称に、思わず耳に手を添えて聞き返してしまう。


 

『月明かりがよく似合う銀色の髪。澄んだ湖に反射する青空のような瞳。葉を撫ぜる春風のような低く柔らかな声』

『かつての精霊王もかくやという、あの美貌!』

『はあ……この花壇に彼の姿絵を置いてほしい』


「ベタ褒めだ……」


 スターホワイトって面食いだったのか──と、散々ロクスに見惚れていた己を棚上げして、やや退いた。

 

「え、えっと……もっとこう、人間性とか、普段の様子とかを知りたいのだけれど……」


 にんげんせい。ふだんのようす。花々はノクシアの言葉を何度か繰り返してから、ようやく理解したように話し出す。

 

『彼は傲慢な貴族の子供が嫌いみたい』

『彼を馬鹿にした悪い子は、倍の報いを受けるのです』

『ある時は落とし穴』『ある時はベンチに馬のフン!』

『仕返しをされた悪い子の、茫然とした顔ときたら!』


 くすくすと愉快げに花たちが笑う。

 やられたらやり返す。その方法は些かろくでもなかったが、あの王子らしいなと思った。ここまでは概ね、ノクシアが受けた印象通りだ。

 スターホワイトたちは続ける。

 

『……でも、彼はとても紳士で素直な王子様』

『ええ。そして何より……笑顔がとてもかわいいの』


 その言葉に同意するように、花壇の花が一斉に揺らめいた。

 ぴしりと固まる元精霊王。

 

「紳士で、素直で……笑顔がかわいい……?」


(鼻で笑う顔しか思い浮かばないけど……?)



 花々は嘘を言わない。

 だがしかし──今日見た彼の姿からは大きくかけ離れた評価に、ノクシアはぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜた。

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