ブライアンの後悔
彼女に出会った時、運命だと思った。
「はい、ブライアン。頼まれてた刺繍よ」
そう言うと、彼女がハンカチを手渡してくる。それを受け取り、ブライアンは頬をゆるめた。
「ありがとう、ララ。助かるよ」
「いいのよ、そんなこと」
くすっと笑い、ララと呼ばれた少女が首を振る。金色の髪がふわふわ揺れて、うっとりするほど愛らしい。年齢は十六歳。天使のような美少女で、気立ても良くて働き者だと、騎士団でも評判だ。
「あたしにできることなんて、これくらいですもの。いつでも言ってちょうだいね」
「ララはやさしいな」
どんなに面倒な仕事を頼んでも、ララは嫌な顔ひとつせず引き受ける。今ブライアンが身に着けているマントもそのひとつだ。
四大属性のうち、三種が付与された特別な刺繍。それに【防御】までついた特注品だ。
無理を承知で言ってみたら、本当に作ってくれたのだ。
刺繍が得意なララは、どんな要望でも断らない。今回の仕事も二つ返事で引き受けてくれた。その日のうちに仕上げてくれるなんて、ララはやっぱりすごい子だ。
前回のマントだってそうだった。
さすがに時間はかかったけれど、出来上がった時は感動した。
無理を言った礼に、たっぷり差し入れは弾んでおいた。ララは無邪気に喜んでいて、その顔がものすごく可愛かった。
ララはこの騎士団に欠かせない存在だ。
どれだけ忙しくても愚痴ひとつこぼさず、課された仕事を懸命にこなす。それどころか、自分達をいたわる言葉までかけてくれる。
それに甘え、色々と仕事を増やしてしまっているが、ララが投げ出した事は一度もない。
彼女はこの騎士団の天使であり、希望そのものだ。
――それに引き換え、あいつときたら。
無意識にブライアンは眉根を寄せた。
「どうしたの、ブライアン?」
ララが不思議そうな顔をする。
「ああ――いや、同じ仕事をしていても、こうまで差があるのかと思ってさ」
「え?」
「レイリのことだよ。ララがこんなに頑張ってるのに、レイリは何をやってるんだか」
そう言うと、ララが困った顔になる。
この美しい少女は心根もやさしく、ブライアンがレイリを責めると、いつもそんな顔をする。表立って彼女を悪く言う事はないが、視線や表情に本音がにじむ。今も悲しそうに目を伏せて、ほんの少しだけ涙ぐんだ。
「いいのよ。いつも気にしてくれてありがとう、ブライアン」
「また仕事を押しつけられたのか? それとも、意地悪なことでも言われたのか。レイリのやつ、いつもララに嫌がらせしやがって」
「本当にいいの。あたしがいけないんだわ。レイリが怒っても当然よ……あ」
いけない、とばかりにララが口を押さえる。
「やっぱり何か言われたんだな?」
「その……『もっと仕事をしてちょうだい』、『これじゃぜんぜん終わらないわ』って。あたし、ちゃんとやってるつもりなのよ? でも、レイリには違って見えるみたい。すごく怒られて、それが怖くて……」
「ひどいな。実際に仕事をしてるのはララじゃないか」
ララと同時期に騎士団で働き始めたレイリは、銀髪の無口な少女だ。
顔はまあまあ可愛くて、刺繍の腕も悪くない。それが大方の第一印象だった。
――だが実際、レイリはとんでもない女だった。
最初は真面目そうに見えたのに、気が強くて性格が悪く、文句ばかり言っている。友人のララにも暴言を吐き、しょっちゅう泣かせているらしい。それどころか、ララにほとんど仕事を押しつけ、毎日遊んでいるという。
刺繍部屋に騎士が出入りする時だけ、慌てたように針を持つそうだ。そんな小賢しいところが余計に腹立たしい。
ララはレイリに刺繍をするよう命じられ、彼女の分まで働いている。
仕事が遅くてごめんなさいと謝られ、出来上がったばかりの刺繍を渡される。レイリがそんな事をしてくれたためしはない。覚えている限り、一度もだ。
注意したくても、ララは必死にそれを止める。だったら仕方ないかとあきらめた。
けれど、レイリの事は許せない。
どんなに取り繕っても、本性は隠せない。
レイリは最低の嘘つきで、ララはけなげで可憐な少女だ。
この先何が起ころうと、ララはブライアンが守り抜く。
(そうだ……)
彼女こそが、本物の天使なのだから。
――そう思っていたはずなのに。
(何が起こってるんだ……?)
ブライアンは目の前の光景が信じられなかった。
淡く光る魔力の糸。
白い手袋に施されていく美しい刺繍。
繊細で難しいいくつもの付与が、鮮やかな色彩とともに描き出される。
複雑な模様なのに、手は一度も止まる事がない。それどころか、その指先は踊るように軽やかだ。
心の底から刺繍を愛し、そして楽しむ。
それをしているのは、他でもない。
ララに仕事を押しつけていたはずのレイリだった。
彼女の指は休む事なく、次々に針を刺し続ける。
その手つきは流れるようで無駄がない。いつもしている人間のそれだ。魔力付与もよどみなく、あっという間に次の付与が終わった。
レイリの体が淡く発光し、指先から魔力がこぼれ出る。
(――無事でいてね)
ふと、声が聞こえた気がした。
振り向いたが、誰もいない。
けれどあれは、レイリの声だ。
(――怪我なんかしないで)
また、声が聞こえた。
(やっぱりレイリだ)
そう思ったが、レイリは口を引き結んでいる。彼女が発したわけではないらしい。
気のせいかと思ったが、仲間達もざわざわしている。どうやら彼らにも聞こえているようだった。
(なんだ、これは……)
ブライアンは呆然と立ち尽くしていた。
(――ちゃんと帰ってきてね)
(――心配してるの)
(――どうか魔獣に襲われないで)
どうか、どうか、無事でいてと。
それだけを願い、祈る声。
囁くようにかすかで、染み通るように美しい。
それは、とても、やさしい声だった。
(――何があったのかしら)
(――どうしてみんな冷たいの?)
(――最近では話もしてくれなくなった)
(――悲しい。でも、刺繍だけは受け取ってくれる)
やがて、声が不安に襲われる。
戸惑い、悩み、悲しむ声。途方に暮れた少女の声だ。
それでも彼女は刺繍を刺し、騎士達に安全を届けようとする。
(――大丈夫、それでもいい)
(――それでもいいから、この刺繍を)
(――無事でいて。欠けたりしないで。家族のところに帰ってあげて)
キラキラと魔力の光が輝く。
刺繍と呼応して、レイリの魔力が光っているのだ。それは今刺している分だけでなく、ブライアン達の身に着けているものも同じだった。
刺繍が――光っている。
レイリの手にあるものだけでない。この部屋の刺繍全部が。
その意味するところが分からないほど、自分は愚かではないつもりだった。
魔力を宿した刺繍は光る。ただし、それは刺繍が効力を発揮している場合だ。
火を使う時や、防御の魔法を生み出す時。もしくは毒に冒された時などだ。
その刺繍の魔力を使い、刺繍は光る。
だが、ひとつだけ例外がある。
ごく稀に起こる現象だが、何もしていない時でも刺繍は光る。ただし、刺した人間限定だ。それを作り上げた当人の魔力にのみ反応し、刺繍が光る。そう――まるで、今のように。
(だったら)
だったら、これは――……。
いつの間にかブライアンの体が震えていた。
レイリが刺繍を終え、それを騎士の青年に渡した時も、ブライアンはその場から動けなかった。
レイリがこちらを見た事で、ようやく我に返る。
反射的にマントをつかみ、ブライアンは息を吸った。だがすぐに言葉が出ず、わずかに喉を喘がせる。
「今の刺繍……もしかして」
それに対する返答はなかった。
無言で目がそらされて、翡翠色の瞳が見えなくなる。
「…………っ」
ブライアンが息を呑む。
マントをつかむ指が震えたが、何も言葉が出なかった。
その時になって、ブライアンは過去の出来事を思い出した。
あれはいつの事だったか。
珍しく、レイリが話しかけてきた時があった。
『あの……少しいいかしら?』
一対一で話すレイリは、ララから聞いた印象と違っていた。
穏やかで聡明、少しはにかみ屋。
暴言やワガママの片鱗はなく、ごく普通の少女に見えた。
彼女は少し緊張した顔で、「あのね」と口を開いた。
『刺繍の感想を聞きたいの。使い心地とか、大きさとか。……どうだったかしら?』
不安そうに聞かれ、ブライアンは目を見張った。
彼女は何を言っているのだろう?
刺繍をしたのはララだ。ブライアンはそれを知っている。ララが自らの手で、ブライアンに届けてくれたのだから。
それなのに、レイリは何食わぬ顔でそれを隠し、ララの手柄を奪おうとしている。
無言になったブライアンには気づかず、レイリははにかみながら言った。
『三種の付与に【防御】なんて、初めてだったから。気に入ってもらえたらいいんだけど――……』
バン!! と横の壁を叩くと、レイリはびくりと身じろいだ。
『お前に話すことなんてない』
本音を言えば、「この嘘つきめ」と罵ってやるところだった。
冷ややかな目でレイリを見ると、彼女はその場に硬直していた。
血の気の引いた顔から眼を背け、乱暴に歩いていく。残されたレイリの表情がどんなものだったか、想像すらしなかった。
やがて、他にも多くの騎士が同じ質問をされているのを知った。
――自分を騙せなかったから、手当たり次第に言っているのか。
レイリはやはりそういう人間だった。
そういう卑怯でずるい人間は、徹底的にひどい目に遭えばいいのだ。
そう思ったブライアンはレイリを疎み、あからさまに蔑んだ。
最初に話した時の違和感など、綺麗さっぱり消え去っていた。
そう、あの時自分は思ったはずだ。
この少女が本当にそんな人間なのか、と。
今なら分かる。
ブライアンはいくつもの不審点に目をつぶっていた。
レイリが本当に何も分かっていなそうだった事や、ララが元気過ぎた事。仕事を押しつけ過ぎれば疲れるのは当然で、のんびりお喋りする暇などなかった事。
同時に、目に見えていたはずの事にも気づかなかった。
レイリが少しずつ疲れていった事や、ララがすべての騎士に刺繍を手渡し、可愛らしい声でお喋りしていた事。仕事に追われている割に、刺繍をする姿を見た事は一度もなかった。
ブライアンはそれでも構わなかった。
可愛いララと話せるのが嬉しくて、甘えられるのがくすぐったかった。
刺繍も頼めばすぐできて、繕い物や縫い物も任せられる。
レイリひとりの状況に目をつぶってさえいれば、何もかも順調だったのだ。
ブライアンは何も気づかなかったが、気づこうともしなかった。だってその方が楽だったから。
これが逆だったらどうだろう。
美少女のララに泣きながら頼まれたら、自分は動いたのではないだろうか。
レイリを問い詰め、事実を引き出し、問題を解決したのではないか。もっと早くにそうしていれば、あっけなく誤解は解けた。ララが頑なに口止めしていた事さえ、今考えれば不自然だったのだから。
でも自分はそうしなかった。できないのではない、しなかったのだ。
そんな自分の汚い打算と本音を、完全に見透かされた気がした。
――私は嘘なんかついてないわ!
先ほどの声が脳裏をよぎる。
悲しみと怒りの混じった声。
あの声を、どうして黙殺できたのだろう。
最初からずっと、レイリは嘘なんてついていなかった。
自分の施した刺繍を気にかけ、ブライアン達の事を気遣い、より良いものを作ろうとした。
ブライアン達が楽になるように、もっと効果が出るように。
それもこれも全部、自分達が無事に戻ってこられるためにしてくれた事だ。
(それなのに、俺たちは……)
視界の先で、レイリが部屋を出ていくのが見えた。
けれど、もう遅い。
行かないでくれとすがる資格も、引き留める資格もブライアンにはない。
自分達は永久にあの素晴らしい刺繍を失うのだ。自らの愚かさが原因で。
それを嘆く資格すら、もしかするとないのかもしれない。
ああ、と誰かが呻く声が聞こえた。
ひとりがうなだれると、次々に彼らが後に続く。
ブライアンはレイリが出ていった扉を見つめ続けた。
それは固く閉ざされて、二度と開く事はなかった。
了
お読みいただきありがとうございました。ブライアンの反省と後悔。
※「二度と開かない」というのは「あちら側から開かない」というだけで、本当に開かないわけではないです。全員閉じ込められてしまう……。




