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刺繍の魔法は奪えない  作者: 片山絢森
おまけ

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9/11

ブライアンの後悔


 彼女に出会った時、運命だと思った。


「はい、ブライアン。頼まれてた刺繍よ」


 そう言うと、彼女がハンカチを手渡してくる。それを受け取り、ブライアンは頬をゆるめた。


「ありがとう、ララ。助かるよ」

「いいのよ、そんなこと」


 くすっと笑い、ララと呼ばれた少女が首を振る。金色の髪がふわふわ揺れて、うっとりするほど愛らしい。年齢は十六歳。天使のような美少女で、気立ても良くて働き者だと、騎士団でも評判だ。


「あたしにできることなんて、これくらいですもの。いつでも言ってちょうだいね」

「ララはやさしいな」


 どんなに面倒な仕事を頼んでも、ララは嫌な顔ひとつせず引き受ける。今ブライアンが身に着けているマントもそのひとつだ。


 四大属性のうち、三種が付与された特別な刺繍。それに【防御】までついた特注品だ。

 無理を承知で言ってみたら、本当に作ってくれたのだ。


 刺繍が得意なララは、どんな要望でも断らない。今回の仕事も二つ返事で引き受けてくれた。その日のうちに仕上げてくれるなんて、ララはやっぱりすごい子だ。


 前回のマントだってそうだった。

 さすがに時間はかかったけれど、出来上がった時は感動した。

 無理を言った礼に、たっぷり差し入れは弾んでおいた。ララは無邪気に喜んでいて、その顔がものすごく可愛かった。


 ララはこの騎士団に欠かせない存在だ。


 どれだけ忙しくても愚痴ひとつこぼさず、課された仕事を懸命にこなす。それどころか、自分達をいたわる言葉までかけてくれる。

 それに甘え、色々と仕事を増やしてしまっているが、ララが投げ出した事は一度もない。

 彼女はこの騎士団の天使であり、希望そのものだ。

 


 ――それに引き換え、あいつときたら。



 無意識にブライアンは眉根を寄せた。


「どうしたの、ブライアン?」

 ララが不思議そうな顔をする。


「ああ――いや、同じ仕事をしていても、こうまで差があるのかと思ってさ」

「え?」

「レイリのことだよ。ララがこんなに頑張ってるのに、レイリは何をやってるんだか」


 そう言うと、ララが困った顔になる。


 この美しい少女は心根もやさしく、ブライアンがレイリを責めると、いつもそんな顔をする。表立って彼女を悪く言う事はないが、視線や表情に本音がにじむ。今も悲しそうに目を伏せて、ほんの少しだけ涙ぐんだ。


「いいのよ。いつも気にしてくれてありがとう、ブライアン」

「また仕事を押しつけられたのか? それとも、意地悪なことでも言われたのか。レイリのやつ、いつもララに嫌がらせしやがって」

「本当にいいの。あたしがいけないんだわ。レイリが怒っても当然よ……あ」


 いけない、とばかりにララが口を押さえる。


「やっぱり何か言われたんだな?」

「その……『もっと仕事をしてちょうだい』、『これじゃぜんぜん終わらないわ』って。あたし、ちゃんとやってるつもりなのよ? でも、レイリには違って見えるみたい。すごく怒られて、それが怖くて……」


「ひどいな。実際に仕事をしてるのはララじゃないか」


 ララと同時期に騎士団で働き始めたレイリは、銀髪の無口な少女だ。

 顔はまあまあ可愛くて、刺繍の腕も悪くない。それが大方の第一印象だった。


 ――だが実際、レイリはとんでもない女だった。


 最初は真面目そうに見えたのに、気が強くて性格が悪く、文句ばかり言っている。友人のララにも暴言を吐き、しょっちゅう泣かせているらしい。それどころか、ララにほとんど仕事を押しつけ、毎日遊んでいるという。


 刺繍部屋に騎士が出入りする時だけ、慌てたように針を持つそうだ。そんな小賢しいところが余計に腹立たしい。


 ララはレイリに刺繍をするよう命じられ、彼女の分まで働いている。

 仕事が遅くてごめんなさいと謝られ、出来上がったばかりの刺繍を渡される。レイリがそんな事をしてくれたためしはない。覚えている限り、一度もだ。


 注意したくても、ララは必死にそれを止める。だったら仕方ないかとあきらめた。


 けれど、レイリの事は許せない。


 どんなに取り繕っても、本性は隠せない。

 レイリは最低の嘘つきで、ララはけなげで可憐な少女だ。

 この先何が起ころうと、ララはブライアンが守り抜く。


(そうだ……)


 彼女こそが、本物の天使なのだから。




 ――そう思っていたはずなのに。




(何が起こってるんだ……?)


 ブライアンは目の前の光景が信じられなかった。


 淡く光る魔力の糸。

 白い手袋に施されていく美しい刺繍。

 繊細で難しいいくつもの付与が、鮮やかな色彩とともに描き出される。


 複雑な模様なのに、手は一度も止まる事がない。それどころか、その指先は踊るように軽やかだ。


 心の底から刺繍を愛し、そして楽しむ。

 それをしているのは、他でもない。

 ララに仕事を押しつけていたはずのレイリだった。


 彼女の指は休む事なく、次々に針を刺し続ける。

 その手つきは流れるようで無駄がない。いつもしている人間のそれだ。魔力付与もよどみなく、あっという間に次の付与が終わった。


 レイリの体が淡く発光し、指先から魔力がこぼれ出る。



(――無事でいてね)



 ふと、声が聞こえた気がした。

 振り向いたが、誰もいない。

 けれどあれは、レイリの声だ。



(――怪我なんかしないで)



 また、声が聞こえた。


(やっぱりレイリだ)


 そう思ったが、レイリは口を引き結んでいる。彼女が発したわけではないらしい。

 気のせいかと思ったが、仲間達もざわざわしている。どうやら彼らにも聞こえているようだった。


(なんだ、これは……)


 ブライアンは呆然と立ち尽くしていた。



(――ちゃんと帰ってきてね)

(――心配してるの)

(――どうか魔獣に襲われないで)



 どうか、どうか、無事でいてと。

 それだけを願い、祈る声。

 囁くようにかすかで、染み通るように美しい。

 それは、とても、やさしい声だった。



(――何があったのかしら)

(――どうしてみんな冷たいの?)

(――最近では話もしてくれなくなった)

(――悲しい。でも、刺繍だけは受け取ってくれる)



 やがて、声が不安に襲われる。

 戸惑い、悩み、悲しむ声。途方に暮れた少女の声だ。

 それでも彼女は刺繍を刺し、騎士達に安全を届けようとする。



(――大丈夫、それでもいい)

(――それでもいいから、この刺繍を)

(――無事でいて。欠けたりしないで。家族のところに帰ってあげて)



 キラキラと魔力の光が輝く。

 刺繍と呼応して、レイリの魔力が光っているのだ。それは今刺している分だけでなく、ブライアン達の身に着けているものも同じだった。


 刺繍が――光っている。


 レイリの手にあるものだけでない。()()()()()()()()()()

 その意味するところが分からないほど、自分は愚かではないつもりだった。


 魔力を宿した刺繍は光る。ただし、それは刺繍が効力を発揮している場合だ。

 火を使う時や、防御の魔法を生み出す時。もしくは毒に冒された時などだ。


 その刺繍の魔力を使い、刺繍は光る。

 だが、ひとつだけ例外がある。


 ごく(まれ)に起こる現象だが、何もしていない時でも刺繍は光る。ただし、刺した人間限定だ。それを作り上げた当人の魔力にのみ反応し、刺繍が光る。そう――まるで、今のように。


(だったら)


 だったら、これは――……。


 いつの間にかブライアンの体が震えていた。

 レイリが刺繍を終え、それを騎士の青年に渡した時も、ブライアンはその場から動けなかった。


 レイリがこちらを見た事で、ようやく我に返る。

 反射的にマントをつかみ、ブライアンは息を吸った。だがすぐに言葉が出ず、わずかに喉を喘がせる。


「今の刺繍……もしかして」


 それに対する返答はなかった。

 無言で目がそらされて、翡翠色の瞳が見えなくなる。


「…………っ」


 ブライアンが息を呑む。

 マントをつかむ指が震えたが、何も言葉が出なかった。

 その時になって、ブライアンは過去の出来事を思い出した。


 あれはいつの事だったか。

 珍しく、レイリが話しかけてきた時があった。


『あの……少しいいかしら?』


 一対一で話すレイリは、ララから聞いた印象と違っていた。

 穏やかで聡明、少しはにかみ屋。

 暴言やワガママの片鱗はなく、ごく普通の少女に見えた。

 彼女は少し緊張した顔で、「あのね」と口を開いた。


『刺繍の感想を聞きたいの。使い心地とか、大きさとか。……どうだったかしら?』


 不安そうに聞かれ、ブライアンは目を見張った。


 彼女は何を言っているのだろう?

 刺繍をしたのはララだ。ブライアンはそれを知っている。ララが自らの手で、ブライアンに届けてくれたのだから。


 それなのに、レイリは何食わぬ顔でそれを隠し、ララの手柄を奪おうとしている。

 無言になったブライアンには気づかず、レイリははにかみながら言った。


『三種の付与に【防御】なんて、初めてだったから。気に入ってもらえたらいいんだけど――……』


 バン!! と横の壁を叩くと、レイリはびくりと身じろいだ。


『お前に話すことなんてない』


 本音を言えば、「この嘘つきめ」と罵ってやるところだった。

 冷ややかな目でレイリを見ると、彼女はその場に硬直していた。


 血の気の引いた顔から眼を背け、乱暴に歩いていく。残されたレイリの表情がどんなものだったか、想像すらしなかった。

 やがて、他にも多くの騎士が同じ質問をされているのを知った。


 ――自分を騙せなかったから、手当たり次第に言っているのか。


 レイリはやはりそういう人間だった。

 そういう卑怯でずるい人間は、徹底的にひどい目に遭えばいいのだ。


 そう思ったブライアンはレイリを疎み、あからさまに蔑んだ。

 最初に話した時の違和感など、綺麗さっぱり消え去っていた。

 そう、あの時自分は思ったはずだ。


 この少女が本当にそんな人間なのか、と。


 今なら分かる。


 ブライアンはいくつもの不審点に目をつぶっていた。

 レイリが本当に何も分かっていなそうだった事や、ララが元気過ぎた事。仕事を押しつけ過ぎれば疲れるのは当然で、のんびりお喋りする暇などなかった事。


 同時に、目に見えていたはずの事にも気づかなかった。

 レイリが少しずつ疲れていった事や、ララがすべての騎士に刺繍を手渡し、可愛らしい声でお喋りしていた事。仕事に追われている割に、刺繍をする姿を見た事は一度もなかった。


 ブライアンはそれでも構わなかった。


 可愛いララと話せるのが嬉しくて、甘えられるのがくすぐったかった。

 刺繍も頼めばすぐできて、繕い物や縫い物も任せられる。

 レイリひとりの状況に目をつぶってさえいれば、何もかも順調だったのだ。


 ブライアンは何も気づかなかったが、気づこうともしなかった。だってその方が楽だったから。


 これが逆だったらどうだろう。


 美少女のララに泣きながら頼まれたら、自分は動いたのではないだろうか。


 レイリを問い詰め、事実を引き出し、問題を解決したのではないか。もっと早くにそうしていれば、あっけなく誤解は解けた。ララが頑なに口止めしていた事さえ、今考えれば不自然だったのだから。


 でも自分はそうしなかった。できないのではない、()()()()()のだ。

 そんな自分の汚い打算と本音を、完全に見透かされた気がした。



 ――私は嘘なんかついてないわ!



 先ほどの声が脳裏をよぎる。

 悲しみと怒りの混じった声。

 あの声を、どうして黙殺できたのだろう。


 最初からずっと、レイリは嘘なんてついていなかった。

 自分の施した刺繍を気にかけ、ブライアン達の事を気遣い、より良いものを作ろうとした。


 ブライアン達が楽になるように、もっと効果が出るように。

 それもこれも全部、自分達が無事に戻ってこられるためにしてくれた事だ。


(それなのに、俺たちは……)


 視界の先で、レイリが部屋を出ていくのが見えた。


 けれど、もう遅い。


 行かないでくれとすがる資格も、引き留める資格もブライアンにはない。

 自分達は永久にあの素晴らしい刺繍を失うのだ。自らの愚かさが原因で。

 それを嘆く資格すら、もしかするとないのかもしれない。


 ああ、と誰かが呻く声が聞こえた。


 ひとりがうなだれると、次々に彼らが後に続く。

 ブライアンはレイリが出ていった扉を見つめ続けた。

 それは固く閉ざされて、二度と開く事はなかった。


お読みいただきありがとうございました。ブライアンの反省と後悔。


※「二度と開かない」というのは「あちら側から開かない」というだけで、本当に開かないわけではないです。全員閉じ込められてしまう……。

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