5.泣けば済むと思わないで
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思えば、不思議だったのだ。
どんなに仕事をサボっても、刺繍を渡す役目だけはララがする事。
たまにはレイリがやると言っても、絶対に譲らなかった。
必要な説明があって行こうとすると、「今はいないわ」や「忙しいんですって」とララに言われ、代わりに伝言しておくと言い張られた。
自分でしたいのだと言うと、彼女は大きな目を見開いて、
『レイリってそういうつもりだったの?』
と大げさに驚く。
『そういうつもりって、どういうこと?』
『まぁ、そうね。そうよね。騎士様って素敵だし、直接お話ししたいわよね。でも……こんなこと言ったらいけないけど、自分の立場を利用したアプローチなんて……騎士様だってご迷惑よ』
『はぁっ?』
まさに「はぁっ?」である。
だがララは大真面目に言ったあげく、それを騎士団中に吹聴しようとした。そんな誤解を受けてはたまらない。仕方なく、ララに伝言を託す事にした。
ララは満足そうにそれを受け、やがて相手の返事とともに戻ってきた。
『付与はとっても良かったそうよ。またよろしくって言ってたわ』
『……そう。ありがとう』
『どういたしまして。また行ってあげるわね』
そんな事が何度か続き、すっかり刺繍の届け物はララの役目になっていた。
だがまさか、それを悪用するなんて。
「――あら、レイリ?」
声をかけられたのはその時だった。
「まだ残ってたの? 今日は早めに帰るんじゃなかった?」
見ると、空の籠を持ったララが立っていた。
中身は騎士達に渡したのだろう。おそらく、レイリが見た現場がそうだ。彼女は籠を床に置き、別の籠を手に取った。
「……用事があったのよ」
レイリの声は低かったが、ララは気づかないようだった。
「そうなの? 大変ね」
籠の中身を確認し、ララが嬉しそうな顔になる。中身はきっと、差し入れか何かだろう。ララにだけそういったものが届く事はよくあった。直接でも、間接的にも。
ララはいつも、無邪気にそれを見せびらかしていた。
あの時は考えが足りない子なのだと思った。だが、今は。
「いつも残業、ご苦労様。レイリがいてくれるから、とっても心強いのよ。ほんとに助かってるわ」
「……そうでしょうね」
「これからも力を合わせて頑張りましょうね。あたしたち、大切な友達ですもの」
「…………」
「レイリ?」
返事をしない事が不思議だったのか、ララが不思議そうな顔になる。その顔はやはり無邪気で、天使のように見える。
――けれど。
「聞いたの。さっき、中庭で」
「―――え?」
目を丸くしたララに、レイリはあえて淡々と言った。
「どういうことか、教えてちょうだい。どうして私の作った刺繍が、あなたのものになってるの? それどころか、怒鳴られる? 仕事を押しつけられるって何? ちゃんと説明してもらえるかしら」
「な、何? どうしたの、レイリ?」
ララが目を瞬く。だが一瞬、その顔に「しまった」という表情が浮かんだのを見た。
「ごまかさないで。ちゃんと聞いたのよ、あなたが彼らに言ったこと」
まっすぐララを見据えると、薄茶の目がびくりと揺れた。
「私にひどい目に遭わされて、毎日大変だそうね。いつそうなったのか教えてもらえる? あいにく、心当たりがさっぱりないの」
「何言って……あたし、よく分からない……」
「分からないはずないでしょう。あなたが言ったことよ」
ご丁寧にも、涙と決意表明のオプション付きで。
「あなたに仕事を押しつけて、私は怠けているそうね。へえ、そうなの。おかしいわね。私には逆にしか思えなかったけど」
「それは……あの……」
「怠け者の嘘つき? 刺繍もろくに刺せなくて、あなたを虐げている? どこからそんな話が出たのかしら」
「それは、あの人たちが勝手に……」
「ようやく分かったわ。あなたが原因だったのね、ララ」
彼らに嘘を吹き込んで、レイリを嘘つきに仕立て上げた。
嘘がばれないよう、レイリが彼らと直接話す機会をごっそり奪った。そうしながら、少しずつレイリを孤立させた。周囲の根回しを行って、レイリが何を言っても信用されないようにした。
そうしているうちに、彼らの方で勝手にレイリを疎み始め、避けるようになったのだ。
その上で、レイリの刺繍を自分のものにした。
「あたし――あたし、知らないわ……」
「そんなはずないでしょう」
レイリは鋭く切り込んだ。
「今さらごまかしても無駄よ。あなたのついた嘘はすぐにばれる。そうなったら、困るのはあなたよ」
ララはきょときょとと周囲を見ている。愛らしい唇が震え、おどおどと両手を握りしめる。口を開いて出た言葉は、レイリの予想外のものだった。
「あ……あのね。勘違いしちゃったみたいなの」
「は?」
「あたしの刺繍とレイリの刺繍、よく似てるから。うっかりして、間違えちゃって。だから、わざとじゃないの。悪気はないのよ」
そんなはずはない。
レイリの刺繍とララの刺繍は、今では明らかに違っていた。
初期の頃でさえ差があったのだ。一年経つ今では、明確な差ができている。
それが分からないはずはないのに、ララは強引に押し通すつもりのようだった。
「だったら、怒鳴られるっていうのは?」
「それも勘違いよ。あたしがそう思っただけで……真実は、その、少し違うのかもしれないわ」
少しどころじゃないと思ったが、あえて口にはしなかった。代わりに、事実だけを述べていく。
「あなたがどんなに怠けていても、怒鳴ったことは一度もない。注意したことはあったけど、それだけよ」
「えっと、それは……」
「あなたに仕事を押しつけたことだってない。その逆はあってもね。違う?」
「それは……だって……」
「ご丁寧に、口止めまでして。そうじゃなかったら、もっと早くに分かってたはずなのに」
ずいぶん用意周到だ。偶然立ち聞きしていなければ、レイリだって未だに気づかなかった。
レイリに仕事を押しつけて、手柄だけ丸々横取りして。その上で、レイリを悪者に仕立て上げた。あどけない、天使のような表情で。
「だって……つい……」
「あなたは『つい』で、友達を陥れるの?」
容赦なく問うと、ララは瞳をうるませた。
「そんな言い方、ひどい……」
「ひどいのはあなたよ。私を陥れたのもあなた。あなたの方がよっぽどひどいわ。そうじゃない?」
「あたし、あたし、分からない……」
「それで済むと思わないで。あなたのしたことは放っておけない。理由が分かった以上、このままにはできないわ」
それを聞き、初めてララの肩が揺れた。
「ど……どういうこと?」
「全部話すわ。その上で、判断を仰ぐ」
どちらにしても、いずれ真実は分かるはずだ。
ララの刺繍はレイリに比べ、明らかに下手だ。彼らの目の前で刺してみれば一発だろう。
それ以前に、今までのあれこれはレイリに気づかれぬよう、うまく立ち回っていたからできた事だ。レイリ本人が知った以上、このままでいられるはずもない。
ララは細かく震えていた。
「だ――団長に言うの?」
「言うわ。言うに決まってるじゃない」
他の皆にも言うとレイリは宣言した。
「いくらなんでもひどすぎる。分かってるの、ララ? あなたがしたことは、とんでもないことなのよ」
「や、やめて。みんなには言わないで……お願いよ」
「じゃあ、なんでこんな真似をしたの?」
「だって……それは……」
ふるふると震えるララは、小動物のように無力に見えた。
だが、中身は邪悪な獣だ。少なくとも、今のレイリにはそう見えた。
ララが言葉に詰まり、「ううー…」と言いながら泣き出す。
だがあいにく、それで済ませるつもりはない。
泣いてごまかせるのは子供のうちだけ、レイリにはこれっぽっちも通用しない。おまけにララのそれは、どう見ても嘘泣きだ。
「泣いても無駄よ。これから団長のところに行くわ。あなたが行きたくないなら、私ひとりで行く。全部説明して、どうするのか決めてもらう」
「やめて! そんなことされたら、あたし!」
「あなたは何があったのか、分からないんでしょう? それに、知らないんでしょう。だったら、そうするしかないじゃない」
「嫌よ!! ばれたら困る!!」
「ようやく本音が出たわね」
ララの顔は歪み、その本性が透けて見えた。
彼女は天使などではない。身勝手極まりない、悪辣な人種だ。
「私は――」
なおもレイリが言いつのろうとした時、部屋の扉が開いた。
「ララ、ちょっといいか?」
入ってきたのは以前にレイリに絡んできた騎士だった。
彼はレイリと、涙をこぼしているララを交互に見て、見る間に眉を吊り上げた。
「お前、ララに何をしてる?」




