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刺繍の魔法は奪えない  作者: 片山絢森
本編

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4/11

4.ララの本性


 その日は何事もなく過ぎて、終業時間になった。


 いつも通り、ララが刺繍の入った籠を取り上げる。

 頼まれていた刺繍は結局手をつけなかったらしく、最後まで放り出したままだった。レイリも手が回らなかったので、それについては放置してある。


 部屋を出ると、たまっていた息がこぼれ落ちた。


「はぁ……」


 疲れた。


 いつまでこんな日が続くのか。

 いっその事、転職も考えるべきだろうか。いやしかし、刺繍は好きだ。やめたくない。

 この仕事はレイリの天職だ。

 それに、後任の人間が見つかるまでは辞めたくない。


(あああ奴隷根性……じゃなくて、あの子ひとりに任せるのは不安すぎる!! のよ……!!)


 万が一、取り返しのつかない事になったとしたら。さすがに寝覚めが悪すぎる。


 もちろん、頭では分かっている。

 そこまではレイリの責任ではない。

 ない。ないのだ。これっぽっちも。


 ――でも。


(家族が欠ける辛さは、知ってるつもりなんだもの……)


 レイリに家族はいない。

 数年前の流行り病で、ひとりぼっちになったのだ。


 親戚の家に引き取られたレイリは、そこで冷たい扱いを受けた。

 食べる物もろくにもらえず、口を開けば嫌味か文句。厄介者に対する態度は一貫していて、気の休まる日もなかった。


 ほどなくして、レイリは家中の仕事を任された。まだ子供のレイリには厳しかったが、失敗するたびに罵声が飛んできた。レイリは注意深く家事を学び、これ以上怒鳴られないようにした。刺繍の仕事もそこで覚えた。


 十五になってすぐに独り立ちし、見つけたのがこの仕事だ。

 宿は格安で借りられるうえ、食費もほとんどかからない。

 住み込みではないけれど、新しい家ができたようだった。


 ここが家なら、彼らは家族だ。

 だから、どうしても――見捨てられない。


(ほんと、私って馬鹿だわ……)


 せめて突発の仕事がなくなっただけマシだ。

 あれだけ言ったのが効いたらしく、その後はララが余計な仕事を持ってこなかった。それだけでもかなりの余裕ができる。


 さすがに反省したのだろうか。

 その割に、相変わらず刺繍を押しつけようとしていたけれど――。


 そんな事を考えながら歩いていたレイリは、いつの間にか中庭のそばまで来ていた。

 ここは普段、レイリが足を踏み入れない場所だ。こんな風になってたのねと思っていると、聞き慣れた声がした。


「――じゃあ、これからは無理になったのか?」


 それは先日、レイリに難癖をつけた騎士の声だった。


「ごめんなさい、ブライアン……。あたしの力じゃ、どうにもできなくて」

「ララが悪いんじゃないよ。だから、もう泣かないで」


 つい最近、レイリをにらんだ騎士の声もする。その他にも数名いるようだ。

 彼らに囲まれ、はらはらと涙を流しているのは、悲しげな表情を浮かべたララだった。


「あたし、何度も頼んだの。でもレイリが駄目だって……。あたしがこれ以上引き受けたら、仕事が回らなくなるでしょうって。あたし、みんなの力になりたかっただけなのに……」

「分かってるさ、そんなこと」


 別の誰かが言うと、彼らはそろって頷いた。


「ララが天使みたいにやさしくて、聖女みたいに慈悲深くて、女神みたいに綺麗な心を持ってるって。ここにいる全員が知ってる。嘘じゃない」

「みんな……ありがとう」


 泣きながらララが礼を言う。その中の数人が口々に、「俺だってそう思ってた」「ララは素敵だ」と褒めそやす。中のひとりが「だけど」と言った。


「前から聞いてたけど、さすがにひどいな。どうにかならないのか?」

「無理よ、そんなこと。レイリはすごく怖いもの。にらまれたりしたら、身がすくんじゃう」

「まさか、殴られるとか?」

「そういうわけじゃないけど……あたしが気に入らないみたい。いつも色々言われてるの」


 ララが悲しげな顔になる。まつげを伏せると、儚げな美貌が際立った。


「いっそのこと、俺たちからはっきり言ってやろうか?」

「やめて、そんなことしないで。レイリに悪気はないのよ。あの子だっていい子なの」

「ララはやさしすぎるんだよ。だから利用されるんだ」

「そんなことないわ。争いが嫌いなだけよ」


 だからやめてと、ララが懸命に訴える。それを聞き、彼らはしぶしぶ頷いた。


「ララがそこまで言うなら、まぁいいけど……」

「お願いよ。あたし、みんなが困るのは嫌なの。これ以上波風を立てたくない」

「ララ……なんていい子なんだ」


 彼らが感激した顔になる。


「だからね、約束して。レイリには何も言わないで。ね?」

「分かったよ、ララ」

「よかった。ありがとう、みんな」


 ララがほっとした顔で笑う。ハンカチで涙を拭きながら、か細い声で後を続けた。


「怒られたり、仕事を押しつけられるのは辛いけど……みんなのためなら耐えられる。それに、あたし、刺繍って大好きなの。だから、少しくらい無理しても大丈夫よ」


 そう言うと、けなげな顔で微笑む。その顔は正に天使のようだ。

 彼らがララに同情し、「俺たちはララの味方だ」と口にした。


「レイリの横暴に耐えられなくなったら、いつでも言ってくれ。ララは俺たちの天使なんだ」

「ララがいなかったら、どうなってたことか。本当にありがとう、ララ」

「いいのよ、みんな」


 胸の前で指を組み合わせ、ララが可憐な表情で告げる。


「どんなに大変でも、あたしは頑張れる。今はひどい目に遭ってるけど、負けたりしないわ。怒鳴られたって平気よ。みんながいてくれるなら、それだけで心強いもの」

「ララ……!」


 それを聞きながら、レイリは頭が混乱していた。

 どうやら彼らはレイリについて話しているようだった。


 だが、意味が分からない。

 そんなに強い口調で怒った事などないし、怒鳴るなんて論外だ。


 それに――「仕事を押しつけられる」?


 仕事のほとんどをしていたのはレイリだ。取り上げるというならともかく、押しつけられるというのはおかしい。まさか自分の割り当てを「押しつけられた」と思っているのか。まさか。……いや、ありえなくもない。


 だがあれでは、彼らに誤解を招いてしまう。

 口を挟むべきか迷っていると、「それにしても」という声がした。


「いつも通り、ララの刺繍は完璧だな。助かるよ」


(……え?)


「難しい模様もばっちりだし、三種の付与もできてるし。防御と攻撃力と毒耐性、あると便利だったんだよな」


 それはしばらく前、レイリができるようになった付与たった。


 お手本はあったものの、自分にできるかと言えば別問題だ。そのため、何度も練習を重ね、失敗と研究を繰り返した。試行錯誤の末、かろうじて満足の行くものができるようになると、今度はそれを自分なりに調えた。刺繍を施す際には細心の注意を払い、最大限の効果が得られるようにした。


 彼らに届けたのはララだが、刺したのはレイリだ。そして、何かあったら聞いてほしいという伝言もつけた。ララが刺したと勘違いするはずもない。


 否定するはずのララは、なぜか何も言わなかった。

 目を伏せて、恥ずかしそうに頬を染める。


 そして。


「よかった。頑張った甲斐があったわ」


「―――――」


 一瞬、聞き間違いかと思った。


「すごく大変だったけど、努力してよかった。喜んでもらえて嬉しいわ」

「喜ぶどころか、信じられないほどの腕前だよ。三種の付与って、ものすごく難しいんだぞ。それを、こんなに早く刺せるようになるなんて……。ララは天才だ」

「そんなことないわ。あたし、ただ一生懸命だっただけよ」


「最近は魔獣の数も増えて、王都から増員を頼んでるくらいだ。ララの刺繍があれば心強いよ」

「嬉しい。これからもみんなのために刺繍するわね」


 そう言うと、ララは無邪気な顔で笑った。


 愛くるしい微笑みに、澄み切った瞳。

 その表情を見て、心を射抜かれない男はいないだろう。

 彼女が嘘をついているなんて思うはずもない。

 実際、彼らは頬を上気させ、口々にララを褒め称えた。


「レイリなんかに負けるなよ。がんばれ、ララ」

「嘘つきで怠け者の友達なんて、災難だな。でも、俺たちはちゃんと分かってるから」

「刺繍もろくに刺せないくせに、ララを虐げるなんて。信じられないくらい最低なやつだ」

「ありがとう……みんな」


 ララが感激した顔になる。


「そうだ、知ってるか? レイリのやつ、自分が刺繍したって言ってるんだぞ」


 その中にいたひとりが、ふと思い出した様子で言った。


「ああ、俺も言われた。『使い心地を教えてください』なんて言ってさ。ララが刺繍してたってこと、俺たちが知らないと思ってるらしい」

「まぁ、そうなの?」


 ララが目を丸くする。


「全部知ってるんだぞって言いたかったけど、ララに口止めされてるからな。そうでなきゃ、この嘘つきがって罵ってやるところだったのに」

「ダメよ。レイリには何も言わないで」


 すかさず口止めするララに、彼らは分かっていると頷いた。


「ララが望むなら、何も言わないさ」

「あの大嘘つきの見栄っ張りに、今後も付き合ってやるよ」

「ただし、仲良くしてもらえるとは思わないことだな。俺たちはララの味方で、ララのために頑張る。あいつがどうなろうと、知ったことじゃないさ」

「もう、みんなったら」


 嬉しそうに笑うララは、天使のように愛らしかった。


「みんながいてくれて、本当によかったわ。これからもよろしくね」


 それを聞きながら、レイリは凍りついたように立ち尽くしていた。

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