4.ララの本性
その日は何事もなく過ぎて、終業時間になった。
いつも通り、ララが刺繍の入った籠を取り上げる。
頼まれていた刺繍は結局手をつけなかったらしく、最後まで放り出したままだった。レイリも手が回らなかったので、それについては放置してある。
部屋を出ると、たまっていた息がこぼれ落ちた。
「はぁ……」
疲れた。
いつまでこんな日が続くのか。
いっその事、転職も考えるべきだろうか。いやしかし、刺繍は好きだ。やめたくない。
この仕事はレイリの天職だ。
それに、後任の人間が見つかるまでは辞めたくない。
(あああ奴隷根性……じゃなくて、あの子ひとりに任せるのは不安すぎる!! のよ……!!)
万が一、取り返しのつかない事になったとしたら。さすがに寝覚めが悪すぎる。
もちろん、頭では分かっている。
そこまではレイリの責任ではない。
ない。ないのだ。これっぽっちも。
――でも。
(家族が欠ける辛さは、知ってるつもりなんだもの……)
レイリに家族はいない。
数年前の流行り病で、ひとりぼっちになったのだ。
親戚の家に引き取られたレイリは、そこで冷たい扱いを受けた。
食べる物もろくにもらえず、口を開けば嫌味か文句。厄介者に対する態度は一貫していて、気の休まる日もなかった。
ほどなくして、レイリは家中の仕事を任された。まだ子供のレイリには厳しかったが、失敗するたびに罵声が飛んできた。レイリは注意深く家事を学び、これ以上怒鳴られないようにした。刺繍の仕事もそこで覚えた。
十五になってすぐに独り立ちし、見つけたのがこの仕事だ。
宿は格安で借りられるうえ、食費もほとんどかからない。
住み込みではないけれど、新しい家ができたようだった。
ここが家なら、彼らは家族だ。
だから、どうしても――見捨てられない。
(ほんと、私って馬鹿だわ……)
せめて突発の仕事がなくなっただけマシだ。
あれだけ言ったのが効いたらしく、その後はララが余計な仕事を持ってこなかった。それだけでもかなりの余裕ができる。
さすがに反省したのだろうか。
その割に、相変わらず刺繍を押しつけようとしていたけれど――。
そんな事を考えながら歩いていたレイリは、いつの間にか中庭のそばまで来ていた。
ここは普段、レイリが足を踏み入れない場所だ。こんな風になってたのねと思っていると、聞き慣れた声がした。
「――じゃあ、これからは無理になったのか?」
それは先日、レイリに難癖をつけた騎士の声だった。
「ごめんなさい、ブライアン……。あたしの力じゃ、どうにもできなくて」
「ララが悪いんじゃないよ。だから、もう泣かないで」
つい最近、レイリをにらんだ騎士の声もする。その他にも数名いるようだ。
彼らに囲まれ、はらはらと涙を流しているのは、悲しげな表情を浮かべたララだった。
「あたし、何度も頼んだの。でもレイリが駄目だって……。あたしがこれ以上引き受けたら、仕事が回らなくなるでしょうって。あたし、みんなの力になりたかっただけなのに……」
「分かってるさ、そんなこと」
別の誰かが言うと、彼らはそろって頷いた。
「ララが天使みたいにやさしくて、聖女みたいに慈悲深くて、女神みたいに綺麗な心を持ってるって。ここにいる全員が知ってる。嘘じゃない」
「みんな……ありがとう」
泣きながらララが礼を言う。その中の数人が口々に、「俺だってそう思ってた」「ララは素敵だ」と褒めそやす。中のひとりが「だけど」と言った。
「前から聞いてたけど、さすがにひどいな。どうにかならないのか?」
「無理よ、そんなこと。レイリはすごく怖いもの。にらまれたりしたら、身がすくんじゃう」
「まさか、殴られるとか?」
「そういうわけじゃないけど……あたしが気に入らないみたい。いつも色々言われてるの」
ララが悲しげな顔になる。まつげを伏せると、儚げな美貌が際立った。
「いっそのこと、俺たちからはっきり言ってやろうか?」
「やめて、そんなことしないで。レイリに悪気はないのよ。あの子だっていい子なの」
「ララはやさしすぎるんだよ。だから利用されるんだ」
「そんなことないわ。争いが嫌いなだけよ」
だからやめてと、ララが懸命に訴える。それを聞き、彼らはしぶしぶ頷いた。
「ララがそこまで言うなら、まぁいいけど……」
「お願いよ。あたし、みんなが困るのは嫌なの。これ以上波風を立てたくない」
「ララ……なんていい子なんだ」
彼らが感激した顔になる。
「だからね、約束して。レイリには何も言わないで。ね?」
「分かったよ、ララ」
「よかった。ありがとう、みんな」
ララがほっとした顔で笑う。ハンカチで涙を拭きながら、か細い声で後を続けた。
「怒られたり、仕事を押しつけられるのは辛いけど……みんなのためなら耐えられる。それに、あたし、刺繍って大好きなの。だから、少しくらい無理しても大丈夫よ」
そう言うと、けなげな顔で微笑む。その顔は正に天使のようだ。
彼らがララに同情し、「俺たちはララの味方だ」と口にした。
「レイリの横暴に耐えられなくなったら、いつでも言ってくれ。ララは俺たちの天使なんだ」
「ララがいなかったら、どうなってたことか。本当にありがとう、ララ」
「いいのよ、みんな」
胸の前で指を組み合わせ、ララが可憐な表情で告げる。
「どんなに大変でも、あたしは頑張れる。今はひどい目に遭ってるけど、負けたりしないわ。怒鳴られたって平気よ。みんながいてくれるなら、それだけで心強いもの」
「ララ……!」
それを聞きながら、レイリは頭が混乱していた。
どうやら彼らはレイリについて話しているようだった。
だが、意味が分からない。
そんなに強い口調で怒った事などないし、怒鳴るなんて論外だ。
それに――「仕事を押しつけられる」?
仕事のほとんどをしていたのはレイリだ。取り上げるというならともかく、押しつけられるというのはおかしい。まさか自分の割り当てを「押しつけられた」と思っているのか。まさか。……いや、ありえなくもない。
だがあれでは、彼らに誤解を招いてしまう。
口を挟むべきか迷っていると、「それにしても」という声がした。
「いつも通り、ララの刺繍は完璧だな。助かるよ」
(……え?)
「難しい模様もばっちりだし、三種の付与もできてるし。防御と攻撃力と毒耐性、あると便利だったんだよな」
それはしばらく前、レイリができるようになった付与たった。
お手本はあったものの、自分にできるかと言えば別問題だ。そのため、何度も練習を重ね、失敗と研究を繰り返した。試行錯誤の末、かろうじて満足の行くものができるようになると、今度はそれを自分なりに調えた。刺繍を施す際には細心の注意を払い、最大限の効果が得られるようにした。
彼らに届けたのはララだが、刺したのはレイリだ。そして、何かあったら聞いてほしいという伝言もつけた。ララが刺したと勘違いするはずもない。
否定するはずのララは、なぜか何も言わなかった。
目を伏せて、恥ずかしそうに頬を染める。
そして。
「よかった。頑張った甲斐があったわ」
「―――――」
一瞬、聞き間違いかと思った。
「すごく大変だったけど、努力してよかった。喜んでもらえて嬉しいわ」
「喜ぶどころか、信じられないほどの腕前だよ。三種の付与って、ものすごく難しいんだぞ。それを、こんなに早く刺せるようになるなんて……。ララは天才だ」
「そんなことないわ。あたし、ただ一生懸命だっただけよ」
「最近は魔獣の数も増えて、王都から増員を頼んでるくらいだ。ララの刺繍があれば心強いよ」
「嬉しい。これからもみんなのために刺繍するわね」
そう言うと、ララは無邪気な顔で笑った。
愛くるしい微笑みに、澄み切った瞳。
その表情を見て、心を射抜かれない男はいないだろう。
彼女が嘘をついているなんて思うはずもない。
実際、彼らは頬を上気させ、口々にララを褒め称えた。
「レイリなんかに負けるなよ。がんばれ、ララ」
「嘘つきで怠け者の友達なんて、災難だな。でも、俺たちはちゃんと分かってるから」
「刺繍もろくに刺せないくせに、ララを虐げるなんて。信じられないくらい最低なやつだ」
「ありがとう……みんな」
ララが感激した顔になる。
「そうだ、知ってるか? レイリのやつ、自分が刺繍したって言ってるんだぞ」
その中にいたひとりが、ふと思い出した様子で言った。
「ああ、俺も言われた。『使い心地を教えてください』なんて言ってさ。ララが刺繍してたってこと、俺たちが知らないと思ってるらしい」
「まぁ、そうなの?」
ララが目を丸くする。
「全部知ってるんだぞって言いたかったけど、ララに口止めされてるからな。そうでなきゃ、この嘘つきがって罵ってやるところだったのに」
「ダメよ。レイリには何も言わないで」
すかさず口止めするララに、彼らは分かっていると頷いた。
「ララが望むなら、何も言わないさ」
「あの大嘘つきの見栄っ張りに、今後も付き合ってやるよ」
「ただし、仲良くしてもらえるとは思わないことだな。俺たちはララの味方で、ララのために頑張る。あいつがどうなろうと、知ったことじゃないさ」
「もう、みんなったら」
嬉しそうに笑うララは、天使のように愛らしかった。
「みんながいてくれて、本当によかったわ。これからもよろしくね」
それを聞きながら、レイリは凍りついたように立ち尽くしていた。




