3.不可解な出来事
***
***
団長の部屋へ行くと、誰かが出てくるところだった。
「――失礼」
目の前にいたレイリに気づき、するりと身をかわす。まったく無駄のない動作だった。
ふわりとひるがえったマントが揺れて、内側の刺繍が見える。
(あ)
その刺繍には見覚えがあった。
「獣除け……」
ふと呟いた声が耳に入ったらしい。相手は目を瞬いた。
「知っているのか?」
「はい。古代の刺繍、ですよね? 本物を見たのは初めてですが」
そこにいたのは、二十代初めくらいの青年だった。
黒い髪、黒い瞳。驚くほどの長身で、肩幅が広い。
ひどく整った顔立ちだが、見覚えはない。深い青を基調にした騎士服は、確か王都の騎士団のものだった。
「よく知っているな。あまり一般的な柄ではないはずだが」
「以前に見たことがあるんです。刺すのはまだ無理ですけど……」
簡単そうに見えてややこしく、魔力もたくさん消費する。
なぜそんなものをと思ったのが伝わったのか、男は端的に教えてくれた。
「ひとりで森を抜けるので、必要だった。なければなくても構わないが、この柄が気に入っている」
「なるほど……」
確かに、木々の葉を差し交わすような連なりは美しかった。
騎士なら戦いに使えるものを選ぶと思っていたので、彼の選択は珍しい。ただし、その柄が好きだという発言は好ましかった。
(変わった人)
でも、嫌いじゃない。
「付与師か」
「はい、一応は」
「私も世話になっている。とてもありがたい」
そう言うと、わずかに目元を和ませる。厳しい顔つきが一転して、驚くほど柔らかな印象になる。思わず見とれ、レイリははっと我に返った。
「こ、これからも頑張ります」
「そうしてくれ」
彼は王都の騎士団に所属しており、増え続ける魔獣を討伐するため呼ばれたという。ひとりで? と思わなくもないけれど、指揮官なのかもしれない。
今日から数日ほど滞在し、魔獣を討伐した後王都に戻る。
簡単に自分の身元を明かした彼は、「では」と告げて背を向けた。
あの見事な刺繍を見れば、自分の出る幕はなさそうだ。
首を振り、レイリは気持ちを切り替えた。
***
「――ああ、そうなのか。ふぅん」
報告を終えると、団長は気のない顔で頷いた。
「まぁ、君の気持ちも分からないではないが……。うん、まぁ、事情は分かった。君の主張も理解したよ」
「あの、騎士の方々への通達は――」
「ああ、それはこっちでやっておく。君は心配しなくていい」
言葉とは裏腹に、その声には面倒だという内心が透けて見えた。
「それにしても……うん、まぁ、思った通りだな」
「はい?」
「いや、なんでもない」
こっちの話だと首を振る。
行っていいと言われ、レイリは首をかしげつつ部屋を辞去した。
なんとなく肩透かし、というよりも、相手にやる気がまるでなかった。
ララや他の騎士達の批判にならないよう、言葉を選んで話したが、もしかして伝わっていなかっただろうか。
けれど、これ以上は悪口になってしまう。それはやっぱり、ちょっと避けたい。
ふと目をやると、木陰にララの姿が見えた。
休憩時間には早いが、ララが出歩くのはいつもの事だ。
彼女は別の騎士と一緒にいる。どうやら刺繍を手渡しているところのようだった。
ララが刺したものではなく、先日レイリが仕上げたものだ。
近くにいるレイリには気づかないらしく、ぴったりと寄り添っている。
彼女はそれを両手で渡し、可愛らしく微笑んだ。
「どうぞ、使ってね」
「ありがとう、ララ」
彼が照れくさそうに受け取る。
「いいのよ。これがあたしたちの仕事ですもの、気にしないでちょうだい」
「忙しいのに……助かったよ」
「どういたしまして。力になれてよかったわ」
またいつでも言ってねとララが笑う。彼は嬉しそうに頷いた。
「そうするよ。ありがとう、ララ」
やり取りに不思議なところはない。ただしそれは、ララが刺繍をしていた場合だ。
礼を言ってほしいわけではないけれど、なんとなくモヤモヤする。
だが別に、文句を言うほどではない。
私って心狭いのかしらと思いつつ、レイリは無言で背を向けた。
***
結局ララは午後いっぱい帰ってこず、その間レイリはひとりで仕事をこなした。
途中で糸が足りなくなり、保管庫へ向かう。
以前、ララに頼もうとしたところ、「あそこ、暗くて怖いんですもの」と怯えた顔をされた。結局、レイリがすべて準備している。糸の場所や在庫など、ララは把握さえしていないだろう。それどころか、付与する図案もおぼつかないに違いない。
この一年で、レイリの刺繍はかなり上達した。今では難しい付与も楽々こなせる。
その逆に、ララの付与率は徐々に下がり、今では覚えたての新人程度になっていた。
だが、一方で。
レイリの技術が磨かれていくほど、騎士達の態度は冷ややかになった。
新人の分際で生意気だとでも思っているのか、彼らの視線は常に冷たい。刺繍の使い心地について聞きたくても、彼らは嫌そうな顔でレイリを見て、舌打ちして去っていくだけだった。
「白々しい…」と言われたが、意味が分からない。
中のひとりをつかまえて聞いたが、何も答えてくれなかった。
「自分の胸に聞いてみろよ」と言われ、乱暴に手を払われる。
そんな事を言われても、心当たりなんてない。
いつの間にか、レイリは彼らと会話するのをあきらめてしまった。
部屋に戻ると、ララはお菓子をつまんでいた。
「刺繍、やらなくていいの?」
「だって、疲れたんだもの」
「さっさとやらないと終わらないわよ。その刺繍、急ぎなんでしょう?」
あれだけ言ったのに割り込ませてきた仕事だ。終わらないと困るだろう。そう言うと、ララは目をうるませた。
「あたしじゃとても無理よ。ねえ、レイリ、お願い……」
「私も無理よ。言ったでしょう」
「意地悪言わないで……」
誰が意地悪だ、と言いたいのをこらえ、努めて穏やかな口調で言う。
「意地悪じゃなくて、無理なのよ。いい加減に分かってちょうだい」
本音を言えば、「怠けてないでさっさとやれ」と言いたいところだ。だがそれを口にすれば、ララは目に涙をためてうつむくだろう。そして、しくしくと泣き出す。その間、仕事はしない。
ただでさえほとんど働かないのに、それ以上なんて耐えられない。
「お菓子を食べてる時間があれば終わるわよ。悪いけど、私はできないから」
「そんな……」
ララが傷ついた顔になる。
そんな顔をされても、無理なものは無理だ。
ララの視線に気づかないふりをして、レイリは次の布を手に取った。
今日は本当に忙しい。
その日レイリが仕上げた刺繍は二十五。ララはひとつも終わらなかった。




