思った以上にとんでもなかった(後編)
一部に算用数字を使用しております。
「あぶな、――」
声を上げかけて、レイリは急いで口を押さえる。危ない。思わず反応するところだった。
反射的に魔獣へと目をやったが、レイリに気づいている者はいないようだ。ほっと胸を撫でおろし、改めてルークの方を見る。彼はまったく表情を変えず、無言で魔獣に対峙していた。
五十と言ったのに、倍近くの数が現れてしまった。
これがレイリの力だというのか。どう考えても信じがたい。
けれど、魔獣の数は減る事もなく、じわじわとルークを追い詰めていた。
彼の表情に不安はない。ただ静かに立っている。
(でも、あの人は百九十三番目……)
余計な事を思ってしまい、今さら嫌な汗がにじむ。
せめて逆にはならなかったのか。七番目か八番目ならともかく、なぜその順位。正直言って、不安しかない。
いっそ聞きたくなかったが、今さらどうしようもない。とりあえず、何かあったら石くらい投げようと思い、砕けた岩のかけらを拾う。
そんなレイリの決意など知らず、彼は悠然と立っていた。
やがて、その上体がゆらりと動く。
それを合図に、魔獣が一斉に襲いかかった。
ルークに飛びかかった魔獣が、その喉笛を喰いちぎろうとする。残りの魔獣もそれぞれ体に飛びつこうとした。
「!!」
思わず目を閉じた瞬間、すさまじい風が辺りを襲った。
魔獣の悲鳴とともに、ドサドサと何かが落ちる音。
おそるおそる目を開けると、あれだけいた魔獣はすべて地面に倒れていた。
「…………え」
ぽかんとしたレイリに、ルークが軽く剣を振る。
「終わった」
彼が何をしたのか、さっぱり分からなかった。
だが今の一瞬で、魔獣すべてを倒したのは間違いない。信じられない思いでいると、ルークはぐるりと周囲を見た。
「討伐の依頼数は達成したが、予定変更だ。続けて討伐を行う」
「え……」
「さっき言っただろう。――『思った以上によく効いた』と」
その言葉が終わるより早く、新しい魔獣が現れた。
だが、その数がおかしい。つい今しがた倒した魔獣の数よりも明らかに多い。
引きつった顔で見回すと、レイリのいる岩も魔獣に取り囲まれていた。
「な……」
――なに、これ。
どう見ても百や二百じゃない。それよりもはるかに多い魔獣の群れだ。
ぎらぎらと光る眼に、血に飢えた鋭い牙。
荒い息遣いは熱を帯び、獲物に喰らいつこうと唸り声を上げる。
それを目の当たりにして、レイリはかすかに息を呑んだ。
先ほどの彼の言葉を借りるなら、討伐目標はおよそ五十。つまり、最大で五十の予定だった。
それなのに、現実はその十倍――いや、それ以上だ。
森中の魔獣が集まってきたかのごとき光景に、背中を冷や汗が伝い落ちた。
「言いにくいことだが、君に言わなければいけないことがある」
ものすごく嫌な予感しかない前置きの後、彼は言った。
「その【遮断】は、魔獣の数が千匹を超えると無効化される。先ほど倒した数を除き、おそらく、ここにいる魔獣の数はそれ以上。――すまない、予定変更だ」
「は、……」
「君を抱えて討伐する」
ルークが地を蹴って岩へ跳んだのと、魔獣が彼に飛びかかったのは同時だった。
「危ない!」
思わず叫んでしまい、どちらにしても効力が切れたと冷静に思う。そんな余裕がある事が意外だったが、現実逃避だったかもしれない。彼がレイリを抱え上げ、問答無用で抱き寄せる。そのまま高く跳んだ直後、魔獣が岩の頂上に喰らいついた。
「き――」
きゃあ、なのか、ぎゃあなのか。
反射的にルークの首にしがみつき、ぎゅうっと強く抱きしめる。彼は軽々とレイリを抱きかかえたまま、群がっていた魔獣を斬り飛ばした。
落ちる勢いをそのままに、岩肌を蹴って地面に下りる。階段の一段を下りる気軽さだったが、風圧と恐怖が半端じゃなかった。生まれて初めてのお姫さま抱っこが、こんなスリリングな体験になるなんて。
半ば腰を抜かしていたレイリだが、「大丈夫だ」と告げる声に我に返った。
「心配なら足でしがみつくといい。私の首に両足を回して、きつく巻きつけるようにすると楽だ」
「できませんよ、そんなこと!」
「では、現状維持で」
それでも問題ないらしい。首にしがみついたまま、レイリはぎゅっと目を閉じた。
(こ……)
怖い。怖すぎる。
目の前に迫った魔獣は恐ろしかった。あともう少し遅ければ、足を食いちぎられていただろう。そうでなくとも、すでに状況は最悪に近い。ここを無事にしのげなかったら、二人そろって魔獣の餌だ。そんな事はまっぴらなのに、怖くて体が動かない。
「少し体勢を変える。心配いらない」
彼はレイリを抱え直し、ふたたび魔獣に向き直った。
片手にはレイリ、片手には剣。どう考えても戦いにくい事この上ない状況だ。獣の仔ではあるまいし、レイリはそれなりに体重がある。もっとも、重いとは言っていないが。
今はお姫さま抱っこではなく、肩に担ぐような体勢だ。荷物扱いではあったものの、命の方が大事だった。
「き、騎士様……」
「ルークでいい」
そんな場合かと思ったが、律儀に呼び直してくれる。「ルーク様」と言い直し、レイリは震える声で聞いた。
「さ、さっき言ってた、魔獣の数って……?」
「目算だが、千匹以上。おそらく千二百ほどだろう。正確には言えないが」
「せん、に……」
――頭の中が真っ白になった。
「……私、多少魔獣に囲まれるかもしれないって……聞いたんですけど」
「そうだな」
「多少って言いましたよね、多少って……!?」
上ずる声に、ルークが「?」という顔になる。
「そうだが、何か?」
「1200匹は多少じゃない……!!」
思わず叫んだ直後、魔獣が飛びかかってきた。
「心配ない」
それを軽々と薙ぎ払い、返す剣先で三匹を屠る。あっという間に魔獣の死骸が積み上がった。
「想定外だが、問題はない。――剣の刺繍は知っているか?」
「え、いえ……」
「基本的には手袋を使うが、剣そのものに施す刺繍がある。特別な針と糸を使い、剣に直接付与を行う。私が持っているこれがそうだ」
淡々と言いながら、次々に魔獣を屠っていく。
彼の剣は細身だが、恐ろしく切れ味がよさそうだった。
艶やかな真珠色の表面に、よく見ると何かの模様が見える。銀色の糸で縫いつけたような、ほのかに輝く不思議な形。
(これが、剣の刺繍……)
こんな時なのに、思わず見とれてしまった。
それと同時に、先ほど彼が見せた強さの秘密を知った気がした。
あくまでもそれは一端であり、すべてではない。
(でも、もし)
自分にこんな刺繍が刺せたなら。
その瞬間、ほんのわずかだけ恐怖が消えた。
この人が振るう剣が見たい。
剣に施された刺繍の効果をこの目で見たい。誰よりも間近で、誰よりも詳細に。この目に焼きつけるほど強く。
そう思ったのが伝わったらしい。ルークがふと笑う気配がした。
「いい度胸だ」
悪くない、と呟く声。
そして刀身に光が宿る。
透き通った輝きの色は緑。ごく薄い色合いだが、はっきりと分かる。これは多分、風の色だ。
(ああ、だからあの時……)
一撃ですべてを決めたのか。
「魔法を宿した剣は、その効果範囲を桁違いに伸ばす。だが、万能ではない。柄から離れるほど威力は落ち、振るった後は使用者の力を著しく削る。そう何度も使える技ではない」
「だ、大丈夫なんですか?」
「問題ない」
しっかりつかまっているようにと忠告され、遠慮なく体にしがみつく。ちょうど小動物が壁に爪を立てるような恰好だ。動きにくくないのかと思ったが、相手は平然とした様子だった。
「先ほどよりも数が多い。多少動きが激しくなるかもしれないが、しがみついていれば問題ない」
「そうですか……」
嫌な伏線を張ってくれると思ったが、口には出せない。
顔を引きつらせたレイリに、ルークはやはり平然と言った。
「心配ない。私はそれほど弱くはない」
「でも百九十三番って言ってたじゃないですか……」
彼より弱い人を探す方が難しいのではと思った後で、先ほどの大立ち回りを思い出した。
(うん?)
百匹近くいた魔獣を、たったの一撃。
しかも、あれだけ魔獣に囲まれた中で、楽々とレイリを救出してみせた。
おまけに手に持っている剣は特別製で、刺繍の付与が施されている。その上、ここに至るまで、彼は傷ひとつ負っていない。
(うん、んん……んんん?)
百九十三番とは一体。
そう思っていると、彼は事もなげに言った。
「歴代の団長と副団長、及び軍神、炎神、水神、風神、地神、その他あらゆる神々の下に位置するのが私だそうだ。彼らを合わせて百九十二。ゆえに私は百九十三番目だ」
「……な」
「少し揺れる。口を閉じて」
何それ、と言おうとした声は喉に消えた。
それって、つまり。
(団長と副団長以外、騎士団では敵なしってことじゃないの……!)
道理で、この強さは。
「行くぞ」
輝きを増した剣が魔力をまとい、ひと息に魔獣を薙ぎ払う。緑の風が刃となって、周囲の魔獣に襲いかかった。
「!!」
魔獣があっけなく撥ね飛ばされる。だが数が多すぎて、すべてを駆除するには至っていない。森を駆けながら、彼は次々に剣を振るった。
魔獣は次々に襲いかかる。レイリは生きた心地もない。それなのに、心のどこかでは安心している。それがなんだか不思議だった。
(この人なら大丈夫)
だから、怖くない。
しばらく魔獣の数を減らす事を優先していたルークが、ふたたび元の場所に戻ってきた。残った魔獣は二百ほど。まだ十分に数が多い。
「聞きたいことがあるのだが」
ルークが口を開いたのはそんな時だった。
「え?」
「君はこの村を出た後、行くあてがあるのか?」
「……それ、今話さなくちゃいけないことですか?」
ないですけど、と正直に言いながらレイリがぼやく。
当然の突っ込みにも、彼はまったく動じなかった。
「もしよかったら、王都に来ないか」
「……は?」
「先ほど言った通り、騎士団では常に付与師を求めている。あれだけの腕前ならなおさらだ。君を放って王都に戻る理由がない。それがひとつ」
キシ、とかすかな擦過音が耳に触れる。彼が剣の柄を握り直し、レイリを抱く手に力を込めた。
「……もう、ひとつは?」
「もうひとつは――」
剣にふたたび光が点り、まばゆい閃光がほとばしる。強い魔力の気配が漂い、次の瞬間、それが爆発的に膨れ上がった。
すさまじい風とともに、大量の何かが吹き飛ぶ気配。
次に目を開けた時、残りの魔獣も一掃されていた。
レイリを地面に下ろし、ルークが剣を鞘におさめる。
「もうひとつは……なんですか?」
「君の刺繍が好ましかった」
月明かりの下、彼の表情は穏やかだ。刺繍の施された手袋に目を落とし、それからレイリの顔を見た。
「理由はそれで十分だ。それに、図らずも君の願いをひとつ叶えた」
「は?」
「私が倒した魔獣の数は、依頼のおよそ二十倍以上。これだけ減らせば十分だろう」
「何が……」
「君が心配しなくとも、当分村は安泰だ」
そう言うと、無表情を崩して少し笑う。先ほどの微笑にも増して、とんでもなく強烈な美しさだった。
「…………」
レイリはかすかに目を見張る。
気づいていたのか、と思った。
確かにレイリは村の今後が気になっていた。
自分の刺繍がなくなる事で、村の安全が脅かされるのは嫌だった。
もはや騎士団には未練がないが、村人が犠牲になるのは嫌だ。それに、騎士達が大怪我をするのも嫌だった。
それはこうなった今も同じだ。どんなに愛想が尽きたとしても、命を落としてほしくない。
だから。
「……半分当たりで、半分外れ、です」
そう言うと、ルークは目を丸くした。
「魔獣が減って安心したのは本当ですけど……実はひとつ、あそこに残してきたものがあって」
「残してきたもの?」
「刺繍です」
すぐに気づくかは分からないが、レイリは刺繍を残しておいた。
直接マントや服にしていない分、効果は落ちるかもしれない。けれど、ないよりははるかにマシだ。
刺繍は小さめの木箱にぎっしり一杯。
彼らに冷たくされ始めたあたりで、こんな事もあろうかと作り溜めていたものだ。
新しい人が見つかるまでは、それでなんとかしのげるだろう。その後は自分達でどうにかしてほしい。不安はあるが、とりあえず命を落とす事はないと信じたい。
「……呆れるほどのお人好しだな」
「違いますよ。村の人たちのためです」
「同じことだ」
手を差し出され、レイリは不思議そうに彼を見た。
「王都に行こう。君を連れて行きたい」
「――――……」
「それとも、他に行くあてでも?」
先ほどの問いをもう一度投げかけられて、レイリは力の抜けた顔で笑う。
「言ったじゃないですか。あてはないって」
「なら、問題ないな」
そういう問題ではないのだが、レイリは彼の手を取った。
あの場所から連れ出してくれたのが彼ならば、その先まで一緒に行くのも悪くない。何があっても、きっとなんとかなるだろう。根拠はないが、そんな気がする。
「多少苦労することはあるかもしれないが、心配はいらない。私が君の力になる」
「嫌な伏線張らないでくださいよ……」
「伏線? 何のことだ?」
「なんでもないです」
まぁいいかと笑うと、ルークも少し口元をゆるめた。
「では行こう。まずは森の出口まで」
一歩踏み出したレイリの横で、魔力の光が瞬いた。
それは森の風に吹かれて、すうっと夜空に上っていった。
了
お読みいただきありがとうございます。伏線(という名のフラグ)を確実に回収するヒーロー。
*「多少」苦労するかもしれないですね、「多少」……。
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(※注)
*この出来事を知った村人達(みんないい人)は、騎士達に若干冷たくなるので、さらに彼らの肩身が狭くなります。
レイリが去った後、騎士達も自らの行いを自覚します。彼女が残した刺繍を見つけた時、彼らが何を思ったか、どんな思いでその刺繍を身につけるのか、そこも含めた「自業自得」なのかもしれません。
*ちなみに、刺繍の追加はありません。さすがにそれを使い切ったら終わりです。
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*あとがき長くなってすみません。刺繍の別の連載始めました。よかったら遊びにいらしてくださいね! 3話目で口の悪い人が出てきます。