表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/11

思った以上にとんでもなかった(後編)

一部に算用数字を使用しております。


「あぶな、――」


 声を上げかけて、レイリは急いで口を押さえる。危ない。思わず反応するところだった。


 反射的に魔獣へと目をやったが、レイリに気づいている者はいないようだ。ほっと胸を撫でおろし、改めてルークの方を見る。彼はまったく表情を変えず、無言で魔獣に対峙していた。


 五十と言ったのに、倍近くの数が現れてしまった。

 これがレイリの力だというのか。どう考えても信じがたい。

 けれど、魔獣の数は減る事もなく、じわじわとルークを追い詰めていた。

 彼の表情に不安はない。ただ静かに立っている。


(でも、あの人は百九十三番目……)


 余計な事を思ってしまい、今さら嫌な汗がにじむ。

 せめて逆にはならなかったのか。七番目か八番目ならともかく、なぜその順位。正直言って、不安しかない。


 いっそ聞きたくなかったが、今さらどうしようもない。とりあえず、何かあったら石くらい投げようと思い、砕けた岩のかけらを拾う。

 そんなレイリの決意など知らず、彼は悠然と立っていた。


 やがて、その上体がゆらりと動く。

 それを合図に、魔獣が一斉に襲いかかった。


 ルークに飛びかかった魔獣が、その喉笛を喰いちぎろうとする。残りの魔獣もそれぞれ体に飛びつこうとした。


「!!」


 思わず目を閉じた瞬間、すさまじい風が辺りを襲った。

 魔獣の悲鳴とともに、ドサドサと何かが落ちる音。

 おそるおそる目を開けると、あれだけいた魔獣はすべて地面に倒れていた。


「…………え」


 ぽかんとしたレイリに、ルークが軽く剣を振る。


「終わった」


 彼が何をしたのか、さっぱり分からなかった。

 だが今の一瞬で、魔獣すべてを倒したのは間違いない。信じられない思いでいると、ルークはぐるりと周囲を見た。


「討伐の依頼数は達成したが、予定変更だ。続けて討伐を行う」

「え……」

「さっき言っただろう。――『思った以上によく効いた』と」


 その言葉が終わるより早く、新しい魔獣が現れた。

 だが、その数がおかしい。つい今しがた倒した魔獣の数よりも明らかに多い。

 引きつった顔で見回すと、レイリのいる岩も魔獣に取り囲まれていた。


「な……」


 ――なに、これ。


 どう見ても百や二百じゃない。それよりもはるかに多い魔獣の群れだ。

 ぎらぎらと光る眼に、血に飢えた鋭い牙。

 荒い息遣いは熱を帯び、獲物に喰らいつこうと唸り声を上げる。


 それを目の当たりにして、レイリはかすかに息を呑んだ。


 先ほどの彼の言葉を借りるなら、討伐目標はおよそ五十。つまり、最大で五十の予定だった。

 それなのに、現実はその十倍――いや、それ以上だ。

 森中の魔獣が集まってきたかのごとき光景に、背中を冷や汗が伝い落ちた。


「言いにくいことだが、君に言わなければいけないことがある」


 ものすごく嫌な予感しかない前置きの後、彼は言った。


「その【遮断】は、魔獣の数が千匹を超えると無効化される。先ほど倒した数を除き、おそらく、ここにいる魔獣の数はそれ以上。――すまない、予定変更だ」

「は、……」

「君を抱えて討伐する」


 ルークが地を蹴って岩へ跳んだのと、魔獣が彼に飛びかかったのは同時だった。


「危ない!」


 思わず叫んでしまい、どちらにしても効力が切れたと冷静に思う。そんな余裕がある事が意外だったが、現実逃避だったかもしれない。彼がレイリを抱え上げ、問答無用で抱き寄せる。そのまま高く跳んだ直後、魔獣が岩の頂上に喰らいついた。


「き――」


 きゃあ、なのか、ぎゃあなのか。

 反射的にルークの首にしがみつき、ぎゅうっと強く抱きしめる。彼は軽々とレイリを抱きかかえたまま、群がっていた魔獣を斬り飛ばした。


 落ちる勢いをそのままに、岩肌を蹴って地面に下りる。階段の一段を下りる気軽さだったが、風圧と恐怖が半端じゃなかった。生まれて初めてのお姫さま抱っこが、こんなスリリングな体験になるなんて。


 半ば腰を抜かしていたレイリだが、「大丈夫だ」と告げる声に我に返った。


「心配なら足でしがみつくといい。私の首に両足を回して、きつく巻きつけるようにすると楽だ」

「できませんよ、そんなこと!」

「では、現状維持で」


 それでも問題ないらしい。首にしがみついたまま、レイリはぎゅっと目を閉じた。


(こ……)


 怖い。怖すぎる。


 目の前に迫った魔獣は恐ろしかった。あともう少し遅ければ、足を食いちぎられていただろう。そうでなくとも、すでに状況は最悪に近い。ここを無事にしのげなかったら、二人そろって魔獣の餌だ。そんな事はまっぴらなのに、怖くて体が動かない。


「少し体勢を変える。心配いらない」


 彼はレイリを抱え直し、ふたたび魔獣に向き直った。

 片手にはレイリ、片手には剣。どう考えても戦いにくい事この上ない状況だ。獣の仔ではあるまいし、レイリはそれなりに体重がある。もっとも、重いとは言っていないが。


 今はお姫さま抱っこではなく、肩に担ぐような体勢だ。荷物扱いではあったものの、命の方が大事だった。


「き、騎士様……」

「ルークでいい」


 そんな場合かと思ったが、律儀に呼び直してくれる。「ルーク様」と言い直し、レイリは震える声で聞いた。


「さ、さっき言ってた、魔獣の数って……?」

「目算だが、千匹以上。おそらく千二百ほどだろう。正確には言えないが」

「せん、に……」


 ――頭の中が真っ白になった。


「……私、多少魔獣に囲まれるかもしれないって……聞いたんですけど」

「そうだな」

「多少って言いましたよね、多少って……!?」


 上ずる声に、ルークが「?」という顔になる。


「そうだが、何か?」

「1200匹は多少じゃない……!!」


 思わず叫んだ直後、魔獣が飛びかかってきた。


「心配ない」


 それを軽々と薙ぎ払い、返す剣先で三匹を(ほふ)る。あっという間に魔獣の死骸が積み上がった。


「想定外だが、問題はない。――剣の刺繍は知っているか?」

「え、いえ……」

「基本的には手袋を使うが、剣そのものに施す刺繍がある。特別な針と糸を使い、剣に直接付与を行う。私が持っているこれがそうだ」


 淡々と言いながら、次々に魔獣を屠っていく。

 彼の剣は細身だが、恐ろしく切れ味がよさそうだった。

 艶やかな真珠色の表面に、よく見ると何かの模様が見える。銀色の糸で縫いつけたような、ほのかに輝く不思議な形。


(これが、剣の刺繍……)


 こんな時なのに、思わず見とれてしまった。

 それと同時に、先ほど彼が見せた強さの秘密を知った気がした。

 あくまでもそれは一端であり、すべてではない。


(でも、もし)


 自分にこんな刺繍が刺せたなら。

 その瞬間、ほんのわずかだけ恐怖が消えた。


 この人が振るう剣が見たい。


 剣に施された刺繍の効果をこの目で見たい。誰よりも間近で、誰よりも詳細に。この目に焼きつけるほど強く。


 そう思ったのが伝わったらしい。ルークがふと笑う気配がした。


「いい度胸だ」


 悪くない、と呟く声。

 そして刀身に光が宿る。

 透き通った輝きの色は緑。ごく薄い色合いだが、はっきりと分かる。これは多分、風の色だ。


(ああ、だからあの時……)


 一撃ですべてを決めたのか。


「魔法を宿した剣は、その効果範囲を桁違いに伸ばす。だが、万能ではない。柄から離れるほど威力は落ち、振るった後は使用者の力を著しく削る。そう何度も使える技ではない」

「だ、大丈夫なんですか?」

「問題ない」


 しっかりつかまっているようにと忠告され、遠慮なく体にしがみつく。ちょうど小動物が壁に爪を立てるような恰好だ。動きにくくないのかと思ったが、相手は平然とした様子だった。


「先ほどよりも数が多い。()()動きが激しくなるかもしれないが、しがみついていれば問題ない」

「そうですか……」


 嫌な伏線を張ってくれると思ったが、口には出せない。

 顔を引きつらせたレイリに、ルークはやはり平然と言った。


「心配ない。私はそれほど弱くはない」

「でも百九十三番って言ってたじゃないですか……」


 彼より弱い人を探す方が難しいのではと思った後で、先ほどの大立ち回りを思い出した。


(うん?)


 百匹近くいた魔獣を、たったの一撃。


 しかも、あれだけ魔獣に囲まれた中で、楽々とレイリを救出してみせた。

 おまけに手に持っている剣は特別製で、刺繍の付与が施されている。その上、ここに至るまで、彼は傷ひとつ負っていない。


(うん、んん……んんん?)


 百九十三番とは一体。

 そう思っていると、彼は事もなげに言った。


「歴代の団長と副団長、及び軍神、炎神、水神、風神、地神、その他あらゆる神々の下に位置するのが私だそうだ。彼らを合わせて百九十二。ゆえに私は百九十三番目だ」

「……な」

「少し揺れる。口を閉じて」


 何それ、と言おうとした声は喉に消えた。

 それって、つまり。


(団長と副団長以外、騎士団では敵なしってことじゃないの……!)


 道理で、この強さは。


「行くぞ」


 輝きを増した剣が魔力をまとい、ひと息に魔獣を薙ぎ払う。緑の風が刃となって、周囲の魔獣に襲いかかった。


「!!」


 魔獣があっけなく撥ね飛ばされる。だが数が多すぎて、すべてを駆除するには至っていない。森を駆けながら、彼は次々に剣を振るった。

 魔獣は次々に襲いかかる。レイリは生きた心地もない。それなのに、心のどこかでは安心している。それがなんだか不思議だった。


(この人なら大丈夫)


 だから、怖くない。


 しばらく魔獣の数を減らす事を優先していたルークが、ふたたび元の場所に戻ってきた。残った魔獣は二百ほど。まだ十分に数が多い。


「聞きたいことがあるのだが」


 ルークが口を開いたのはそんな時だった。


「え?」

「君はこの村を出た後、行くあてがあるのか?」

「……それ、今話さなくちゃいけないことですか?」


 ないですけど、と正直に言いながらレイリがぼやく。

 当然の突っ込みにも、彼はまったく動じなかった。


「もしよかったら、王都に来ないか」

「……は?」

「先ほど言った通り、騎士団では常に付与師を求めている。あれだけの腕前ならなおさらだ。君を放って王都に戻る理由がない。それがひとつ」


 キシ、とかすかな擦過音が耳に触れる。彼が剣の柄を握り直し、レイリを抱く手に力を込めた。


「……もう、ひとつは?」

「もうひとつは――」


 剣にふたたび光が点り、まばゆい閃光がほとばしる。強い魔力の気配が漂い、次の瞬間、それが爆発的に膨れ上がった。


 すさまじい風とともに、大量の何かが吹き飛ぶ気配。

 次に目を開けた時、残りの魔獣も一掃されていた。

 レイリを地面に下ろし、ルークが剣を鞘におさめる。


「もうひとつは……なんですか?」

「君の刺繍が好ましかった」


 月明かりの下、彼の表情は穏やかだ。刺繍の施された手袋に目を落とし、それからレイリの顔を見た。


「理由はそれで十分だ。それに、図らずも君の願いをひとつ叶えた」

「は?」

「私が倒した魔獣の数は、依頼のおよそ二十倍以上。これだけ減らせば十分だろう」

「何が……」

「君が心配しなくとも、当分村は安泰だ」


 そう言うと、無表情を崩して少し笑う。先ほどの微笑にも増して、とんでもなく強烈な美しさだった。


「…………」


 レイリはかすかに目を見張る。

 気づいていたのか、と思った。


 確かにレイリは村の今後が気になっていた。

 自分の刺繍がなくなる事で、村の安全が脅かされるのは嫌だった。


 もはや騎士団には未練がないが、村人が犠牲になるのは嫌だ。それに、騎士達が大怪我をするのも嫌だった。

 それはこうなった今も同じだ。どんなに愛想が尽きたとしても、命を落としてほしくない。

 だから。


「……半分当たりで、半分外れ、です」


 そう言うと、ルークは目を丸くした。


「魔獣が減って安心したのは本当ですけど……実はひとつ、あそこに残してきたものがあって」

「残してきたもの?」

「刺繍です」


 すぐに気づくかは分からないが、レイリは刺繍を残しておいた。

 直接マントや服にしていない分、効果は落ちるかもしれない。けれど、ないよりははるかにマシだ。


 刺繍は小さめの木箱にぎっしり一杯。

 彼らに冷たくされ始めたあたりで、こんな事もあろうかと作り溜めていたものだ。

 新しい人が見つかるまでは、それでなんとかしのげるだろう。その後は自分達でどうにかしてほしい。不安はあるが、とりあえず命を落とす事はないと信じたい。


「……呆れるほどのお人好しだな」

「違いますよ。村の人たちのためです」

「同じことだ」


 手を差し出され、レイリは不思議そうに彼を見た。


「王都に行こう。君を連れて行きたい」

「――――……」

「それとも、他に行くあてでも?」


 先ほどの問いをもう一度投げかけられて、レイリは力の抜けた顔で笑う。


「言ったじゃないですか。あてはないって」

「なら、問題ないな」


 そういう問題ではないのだが、レイリは彼の手を取った。

 あの場所から連れ出してくれたのが彼ならば、その先まで一緒に行くのも悪くない。何があっても、きっとなんとかなるだろう。根拠はないが、そんな気がする。


()()苦労することはあるかもしれないが、心配はいらない。私が君の力になる」

「嫌な伏線張らないでくださいよ……」

「伏線? 何のことだ?」

「なんでもないです」


 まぁいいかと笑うと、ルークも少し口元をゆるめた。


「では行こう。まずは森の出口まで」


 一歩踏み出したレイリの横で、魔力の光が瞬いた。

 それは森の風に吹かれて、すうっと夜空に上っていった。


お読みいただきありがとうございます。伏線(という名のフラグ)を確実に回収するヒーロー。


*「多少」苦労するかもしれないですね、「多少」……。


*******


(※注)

*この出来事を知った村人達(みんないい人)は、騎士達に若干冷たくなるので、さらに彼らの肩身が狭くなります。


レイリが去った後、騎士達も自らの行いを自覚します。彼女が残した刺繍を見つけた時、彼らが何を思ったか、どんな思いでその刺繍を身につけるのか、そこも含めた「自業自得」なのかもしれません。


*ちなみに、刺繍の追加はありません。さすがにそれを使い切ったら終わりです。


*******


*あとがき長くなってすみません。刺繍の別の連載始めました。よかったら遊びにいらしてくださいね! 3話目で口の悪い人が出てきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ