1.刺繍と魔法
「ねえ、まだ終わらないの?」
騎士団の小部屋。
向かい合った二人の少女が、マントに刺繍を施していた。
といっても、手を動かしているのは片方だけだ。
もう片方はそれを見ながら、ちょこんと椅子に腰かけている。
「簡単に見えるのに、面倒くさいのね。刺繍って大変だわ」
「そう思うなら手伝って」
真面目に刺繍していた銀髪の少女が、顔も上げずに言い放つ。翡翠色の瞳は真剣で、唇は軽く引き結ばれている。言われた方の金髪の少女は、甘えるように唇を尖らせた。
「だって、レイリの方が上手なんだもの」
「だったら刺繍はやめて、別の仕事をしてみたら?」
「そういうわけにはいかないわ。これはあたしが頼まれたことだもの」
(それなら手を動かしてほしいんだけどな……)
困ったなぁと思いつつ、レイリはため息を呑み込んだ。
友人のララは、愛くるしい顔立ちの美少女だ。
甘え上手でおねだり上手、天使のように可愛いと評判で、地味なレイリとは大違いだ。
年齢はレイリと同じ十六歳。ふわふわの金髪に、夢見るような薄茶の瞳。髪の先を指に絡ませ、うるんだ瞳で見上げれば、大抵の男はイチコロだ。
この騎士団でもそれは同じらしく、ララは若い騎士達に大人気だった。
当然、用事を頼まれる事も多いが、ララはそれを丸投げしてくる。この刺繍もそのひとつだ。
二人に任された分の刺繍は十五で、ララが個人的に引き受けた分が八。
ひとつ手伝うなら造作もないが、量が量だ。いくらなんでも多すぎる。
おまけに――配分が。
レイリが今している分で、手がけた刺繍の数は二十二。さすがにおかしくないだろうか。
騎士に頼まれるたび、ララがほいほい引き受けるせいだ。そしてレイリに丸投げする。ここで働くようになってから一年と少し、ずっとそうだった。
苦情を言っても、ララはまったく受けつけない。
「だって、困ってるみたいだったんだもの」
と言いながら、どっさり仕事を増やしてくる。
それなら自分でやればいいのに、
「だって、苦手なんだもの」
で逃げてしまう。あげくに、
「レイリの刺繍、みんなに評判なのよ。うらやましいわ」
と無邪気に笑い、さらに仕事を押しつけてくる。正直、勘弁してほしい。
いっそひとりの方が楽なのだが、それを言うとララは悲しげに目を伏せて、
「あたしだって頑張ってるのに…」と涙目になる。
その上、
「下手なあたしは邪魔ってこと?」
「そんなこと言われるなんて思わなかった」
「ひどい、追い出そうとするなんて……」
とさめざめと泣かれ、それ以上嫌だとは言えなかった。
おかげでララは今日も気ままに、自分の好きな事だけしている。
(まぁいいけど……)
これ以上仕事を増やされるくらいなら、そばにいてくれた方が被害は少ない。
針を刺すと、ポウッとその先端が光った。
魔力。
この世界に生まれる者はすべて、体に魔力を持っている。
その量は人によって様々だが、通常は目に見えるものではない。体を動かすための血液のようなものだ。減ると体調を崩すし、場合によっては寝込んだりする。第二の生命力とも言われるそれは、多ければ多いほど重宝された。
そして、刺繍には魔力を宿す事ができるのだ。
現在二人が行っているのは、『付与刺繍』と呼ばれるものだ。
服や持ち物に刺繍を施し、魔力を付与する。
付与するものは様々だが、身の回りの品がもっとも多い。この騎士団でいえばマントや上着、靴などで、他にハンカチや小物もある。
刺す模様や魔力の量によって、付与できる効果は変わる。多くは【火・水・風・土】の四大属性で、その次が【守護】や【幸福】など。
騎士団では少し違い、戦いにかかわりのあるものが中心となる。【防御】や【攻撃力】がそれに当たり、【敏捷性】や【炎耐性】、【毒耐性】なども人気が高い。
いくつか重ねてもいいのだが、あまり刺繍が多いと、効果を打ち消し合ってしまう。だから、通常はひとつか二つ。それ以上は推奨されない。
騎士団にとって必須の装備だ。そして付与した効果が切れれば、それで終わり。その都度魔力を込め直さなくてはならない。
刺繍の大きさは色々だが、平均して手のひらに収まるくらい。
ひとつひとつは小さいが、量が増えればかなりのものだ。優先度の高いものから仕上げるよう言われているのに、ララが勝手に引き受けるせいで、時間が圧迫されている。結果、予定分の刺繍ができず、こちらの負担が増すばかりだ。
できないと断れば、「ちょっと直すだけなのに…」と、レイリの方が悪者だ。
――その「ちょっと直すだけなのに」は、全部私がやってるんですけど?
それでもレイリは針を持ち、今日も休まず刺繍する。
もちろん、ララのためではない。騎士である彼らのためだ。
騎士の仕事は危険が多く、負傷者が出る事も少なくない。
主な任務は魔獣の討伐。魔獣と呼ばれる恐ろしい獣から、町や村を守っているのだ。レイリの住むこの村も、騎士団によって守られていた。
騎士の数はわずかに三十ほど。
それでも、剣と魔法を使える彼らがいてくれるのは心強い。
そんな彼らのためならば、多少の無理をする必要はあった。
結局レイリが残りの刺繍も仕上げ、ララはひとつしか終えなかった。
「ありがとう、レイリ。じゃあ、これ、渡してくるわねっ」
刺繍を入れた籠を持ち、ララがさっと立ち上がる。
「ちょっと待って、付与の説明を――」
「あたしだって分かるわよ、それくらい。レイリったら心配性ね」
ふふっと笑い、ララが可愛くウインクする。だがしかし、彼女が手にしている刺繍のほとんどはレイリの仕事だ。細かな部分まで説明できないと困る。
「その【防御】は、攻撃を五回まで防ぐけど、強い攻撃なら三回くらいで切れるから、扱いには十分気をつけて。そっちの【炎耐性】は――」
「大丈夫だったら。じゃあ、行ってきまーすっ」
最後まで聞かず、ララはさっさと行ってしまった。ちょっと、という声も届かなかった。
ひとり残されて、レイリはふう、と息を吐く。
「困ったわ……」
この調子で引き受けていたら、すぐに体が参ってしまう。
付与は意外と難しく、この村でできるのはララとレイリくらいだ。人を入れたくても、他に適任者はいない。
おまけに、肝心のララの刺繍だが、レイリと比べると少し弱い。豊富な魔力で穴埋めして、無理やり補っているだけだ。
無理な付与は、糸自体に負担がかかる。使う魔力も多くなり、結果的に刺繍を傷める。
そう言っても、ララは練習しようとしない。それでいて、無茶な仕事ばかり引き受けてくるのだ。レイリに丸投げする前提で。
刺繍はレイリの仕事だが、ララの仕事でもある。
片方にばかり負担が行く状況は、決して好ましいものではない。
レイリは何度も苦言を呈し、時には団長にも訴えたが、状況が改善する事はなかった。
それどころか、働き始めて数か月もするころには、どことなく彼らからよそよそしくされるようになっていた。
当然、親しい人間もおらず、愚痴をこぼす相手もいない。
仕事なのだから仕方ないと思ったが、さすがに辛い。
せめて平等に仕事を割り振りたいと思っても、ララが聞き入れる様子はない。
(せめて、命に係わるんじゃなかったら)
そうでなければ、知らんぷりしたっていいのに。
でも、それができないのも知っている。
騎士がいなければ村人が困る。
魔獣に襲われるのは、いつだって力のない人々だ。お年寄りに子供達、体の弱った人や、武器を持たない村人など。
彼らを守るのが騎士であり、騎士団なのだ。
その手助けとなる付与刺繍を、できないなんて言えない。
(それに)
態度はどうあれ、彼らは村を守っている。
彼らに怪我をしてほしくない。無事でいてほしいのだ。それはレイリが勝手に思っている事かもしれないけれど。
その時、扉がノックされた。
「なぁララ……あれ、いないのか」
やって来たのはレイリも知っている騎士だった。
彼はあからさまにララを贔屓しているひとりで、ほとんど話した事はない。わざわざ近くにいたレイリを避けて、ララに話しかけるくらいだ。案の定、ララがいないと知っただけで、不機嫌そうに眉を寄せる。なんて分かりやすい人だろうか。
それでも無視する事はできず、レイリは丁寧に応対した。
「今は刺繍を届けに行ってます。何かご用ですか?」
「ああ――いや、別に」
そう言うと、手の中のものを引っ込める。さっと背後に隠したそれは、どうやらマントのようだった。
「刺繍でしたら、その籠に入れておいてもらえばやりますけど。順番が詰まっているので、少し時間がかかるかと思いますが……」
「明日までにやってもらえないのか?」
「それはさすがに……すみません」
先ほどまでの付与で、レイリの体はくたくただ。生命力に影響が出る事はないけれど、消費した魔力が多すぎる。少し休めば回復するが、先に頼まれていた分を仕上げなくてはならない。
それを説明すると、彼はますます眉を寄せた。
「言い訳ばっかりして……本当に噂通りだな」
「は?」
「ララならやってくれるのに。……最低だ」
何を、という間もなく、彼はそっけなく背を向けた。扉を閉める間際、忌々しげに囁く。
「あんまりララに甘えて、迷惑をかけるなよ。これ以上目に余るようなら、こっちにも考えがある」
「はい……?」
「刺繍の腕も悪い上に、怠け者なんて……」
舌打ちとともに、バタンと扉が閉まった。そのまま、荒っぽい足音が遠ざかっていく。
何が起こったのか分からず、レイリはぽかんと呆けていた。
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