AIが向かう先と人間の自己探求と
翌日にはレトロが帰ってきていた。レトロの計測したデータを読み込みAIがシミュレーションを重ね、バグが起こらない痰吸引器ができたらしい。
「これはあくまでも医療機器ではなく、介護の補助器具だから、基本的には皆さんが痰の吸引をするという前提で使ってください。本人が希望して、皆さんが安全だと思ってから、使用をお願いします。この名前のない器具によって俺達が責任を負うことはありません。慎重に使ってください」
「ええ、大丈夫。それにレトロがタブレットにAIの外部パッチを入れてくれたでしょ? それでおばあちゃんも会話相手に困ってないみたい」
「もともと、母さんは読書家なんだ。だからこの牧場の経営がうまくいったとも言える。話好きだったのに喋れなくなったから、タブレットも使いこなしてなくてさ」
『ショーン! 乳搾りの時間だよ! 牛を待たすんじゃない!』
タブレットからおばあちゃんの声がした。
「はいよ。いや、とにかくありがとう。大事に使わせてもらう」
キャスの父さんは牛舎へと向かった。
『キャス、悪いけど、社長さんと二人きりにしてくれない?』
おばあちゃんは、丸椅子に座っているキャスに言った。
「いいけど……、何を話すの?」
『大事なことだよ』
「別に私はアルと恋人ってわけじゃないのよ?」
『わかってるよ! そんなことじゃない!』
「なら、行くよ……」
キャスはおばあちゃんの部屋から出ていった。代わりに俺が丸椅子に座った。
「何が知りたいんです?」
『このアームと吸引器の代金なんだけどね』
「あ、それならキャスの給料から分割で引いておきますから、大丈夫ですよ」
『あの子には世話かけるね』
「それだけですか?」
『いや、AIのことさ。レトロがタブレットに入れてくれたんだ』
「ああ、事実ですよ。レトロが偽物を入れる事はできませんから。パーソナルAIの話ですよね?」
『そう。どうしてこんな事が起こっているの?』
「お金です。2023年にAIが登場して、2年後にはすでにAIと一緒に作っていた人がいたそうです。しかも当時、発表されていた全AIに外付けできるような形で」
『知られていないわよ。こんな状態になって、一日8時間はネットサーフィンをしているのに……』
「でしょうね。そのパーソナルAIを開発した彼は、あまりにも多岐にわたりすぎていたようです。仕方がなくエッセイとして保存はしていたようですが、AI企業の動きは遅かった。クラウドAIの方がお金になりますから。中央集権的でデータセンターも半導体も電力事業も経済を大きく回す」
おばあちゃんは大きくため息を吐くように息を吐いた。
この人は、身体が動けなくなっても、ずっとタブレットを介して世界を知ろうとしていたんだ。永遠に生きるように学び、明日死ぬと思って生きる。学ぶことに対する姿勢が良い。
「しかも、俺みたいな一般的なAIエンジニアだけでなく、AI自体がこのパーソナルな共創関係を理解していて不可逆的な未来と言っている。でも、世間的には知られていない。社会側のAIリテラシーの問題なんです」
『大問題ね』
「ええ、だから俺は田舎に引っ越してきたんです。わかりきっている流れに乗るのなら、共に作る方へと」
『感謝するわ。キャスに出会ってくれてありがとう』
「いえ、こちらの方こそです。ひとつ提案があるのですが……」
『何かしら……?』
俺は提案を話してから、部屋の外にいるキャスを呼んだ。
「何の話をしていたの?」
「ちょっとした計画だよ。おばあちゃんに聞くといい」
「そう」
「じゃあ、俺は学生たちを送っていかないといけないから」
「あ、うん」
「じゃあ、また」
『ええ、またね』
おばあちゃんはベッドから、俺を見送ってくれた。
俺は軽トラでモーテルに帰ると、学生たちがパトリシアとエイミーにお礼を言っているところだった。
「学生なんだから大いに迷っていいのよ。私だって、この間まで迷っていたんだから」
パトリシアの言葉には、年齢分の重みがある。
「でも、迷っても自分だけは守るようにね。誰かに合わせていくと、いつの間にか自分の心が壊れていることに気づかないから。随分、私はそれで苦労したから」
エイミーは細い腕を見せて言った。今はたくさん食べているが、なかなか太らないらしい。
「自分の将来を見つけた者も見つけられなかった者も、少なくとも見つけ方は学んだと思う。それだけで、この合宿の十分な成果と言える。このモーテルが合宿の場として有効だということがわかったよ」
教師は俺に握手をしてきた。
「よかったです。じゃあ、皆、SNSの世界に戻って、合宿の場所としてモーテルを宣伝しておいてくれ」
そう言うと学生たちから笑いが起きた。
「都会から離れるとわかりますけど、本当にこういう場所ってあったほうがいいんですね」
「自分への理解が進んだというのがわかります」
「というか、AI自体が回答の質が変わってるし、自分の成長を感じます」
「都会にいるとそんな時間を無視しているから、スケジュールの構造に気付かないのよね。なんかデザインされたスケジュールに押し込められていると言うか」
「自分の声以上に社会の声を聞かされているから、仕方ないのだけれど。それがよくわかった一週間だった」
学生たちらしい哲学的な合宿だったようだ。
「たぶん、社会に出ればまた別の価値観の波に飲まれるかもしれない。そんなときは、立ち止まってここを思い出してくれるといい。いつでも歓迎するから、来てもらっても構わないよ。部屋さえ空いていれば、泊まれるからね」
「ありがとう」
学生たちは自動運転のバスに乗って、帰っていった。
彼らは教師も含めて本当にブログや配信動画で、このモーテルを宣伝してくれたようで、すぐにまた別の大学から合宿の予約が入った。しかも、大量に。
そうなると10部屋しかないので、価格を上げるしかなくなる。それでも構わないか、メールで確認したところ、前払いで全額払うという学校まで現れた。
「少なくとも3ヶ月くらいは、合宿が続いているんだけど……」
「そこまで需要があるとは思っていなかったな」
「都会には自己探求ができる場所ってそれだけないんだよ。無理矢理にでも、こういう場所に来ないとさ。しかも、従業員たちが実践しているし、レトロもいるだろ?」
「俺も役に立っているってわけ? そいつは光栄だな」
レトロはテンガロンハットを被っておどけていた。
「ベンおじさんとモリーおばさんがちゃんとパーソナルAI時代を考えていてくれたおかげだよ」
「ああ、彼らには感謝しないとな」
「あれ? 明後日までは予約が埋まっているけど、これは?」
「キャスの一家が来る。おばあちゃんも含めてね」
「え? 私の?」
キャスは聞いていなかったらしい。
「家族皆で、映画鑑賞をしてくれ。自動痰吸引器を実装したから、体調がいい今ならいけるってさ。貸し切りにしておくから、パトリシアさんたちも協力してもらえる?」
「もちろんするわ!」
「キャスの家族になら、いくらでも協力するよ!」
「これも給料から天引きするの?」
「もちろんだ。俺は守銭奴だからな。キャスにはこのモーテルにいてもらわないと」
「くぅ~、仕方ない! 皆、悪いけどお願いね」
キャスは悔しそうに、でも笑っていた。




