迷うことを肯定するアプリ
学生の団体がモーテルに合宿を始めた。一週間の予定だが、なんの学生なのかよくわからない。ただ、山登りの格好はしているし、教員らしき壮年男性も付いている。
写真を撮って、SNSにアップしているようだ。
「朝食は食べさせてほしい。後は、基本的に山に行くか……。駐車場は登山客の車が停まるのか?」
教員が聞いてきた。
「いや、そんな事はありませんよ。うちの軽トラが停まるくらいです。別に学校の運動場だった場所ですから、野球でもフットボールでもして構いません」
「そうか……」
「ちなみに、なんの合宿なんです?」
「情報工学の学生たちなんだが、9名全員がスマホ依存症というか、スマホを手放したいと考えているが……」
9名全員がスマホの画面を見ていて、こちらを見ようともしない。放したくても、放せなくなっているということか。
「このモーテルの社長は元ヒューマロイドエンジニアと聞いたんだけど……」
「そうですよ。今もエンジニアを続けていますが」
「え? 君が?」
「ええ。若く見えるかもしれませんが、ちゃんと年は取ってますよ」
ヒゲとか生やさないとダメか。
「そうか。ではAI系の仕事も?」
「はい。今はほとんどニッチなものを作るしかないですよね。データ分析から自動化まで全部AIが担ってますから、他分野とどうやって関わっていくかってことですよね?」
「そうなんだけど、本人たちは見えていないのが現状でね」
「しかも、スマホやデバイスがないと不安で仕方がない?」
「そうだ」
「昔の自分を見ているようです。わかりました。アドバイスをすればいいんですかね?」
「お願いできるか?」
「大丈夫です。田舎なので、他にやることなんてないので……」
俺は学生たちの前に立ち、レトロと一緒に話すことにした。
「よくこんな田舎まで来たね。何も無いだろ? やることもない。でも腹は減るし暇だろ? レトロ、前に作ったSaaSを見せてやってくれないか」
「オーケー。皆、デバイス持ってるだろ? 写真を撮って、QRコードから飛んでくれ。これは自分の思考そのものを広げていくアプリだ。AIは使わないし、ネットの回線が遅くても全く問題ない。とにかく、投げかけられた質問に答えていくだけで、自分の思考が深まっていくだけ」
「都会でも田舎でもここまでAIが発達したら、あらゆる答えが一瞬で出てくる。そこに価値はそれほどないんだ。逆にAIに長く関わっていた者からすると、問いの方が圧倒的に重要でね。君たちも、スマホ依存に悩んでいると思うけれど、自分にとって価値のあるものとか、将来とか、どんどん出していくことで、徐々に自分のやりたかったこと、他人との違いに気づいて、自己理解の解像度が上がっていくんじゃないかな。まぁ、やってみて。飽きたら、外のベンチに座ってアイスでも食べていればいいよ」
学生たちは皆素直に、『思考ツリー』という俺とレトロが作ったアプリで、自分の考えを書き出していった。
「何度もやり直していいからね。荷物はそれぞれの部屋に置いて、昼食と夕飯は町に行くか、途中でガソリンスタンドがあったと思うけど、そこで買ってもいい。一応、キッチンはあるから使ってもいいし、BBQセットもあるから自由に。山に登りたかったら言って。今日はこれから行っても、すぐに夕方でちょっと登って帰るだけになると思うからオススメはしない。じゃあ、そんな感じで」
俺はカウンターに各部屋の鍵を置いて、学生たちが一人一つ取れるように用意しておいた。別にどの部屋でも構わないだろう。
予約時に宿代は支払われているので、帰ってもらってもキャンセルにはならない。
「大丈夫か?」
「大丈夫でしょう」
「先生、これって何をすればいいんですか?」
スマホを片手に女学生が、教師に聞いていた。
「自分について考えるってことだ。帰りたければ帰ってもいい。この合宿中に答えを見つけなくてもいいし、就職活動をしてもいい。ゲームをしたかったらしてもいいぞ」
「一応、映画は見れる。ポップコーンを買ってくれば従業員も来ると思う。本当に好きにしていいけど、物は壊さないでくれ。田舎だとパーツを取り寄せるのに時間がかかるから」
皆、それぞれ頭にはてなマークをつけて、部屋に入っていった。
「一応、農作業もできるし、消防署に話を聞きに行くこともできるし、牧場も近くにあるから牛の世話もできます。都会にないものはあるので、適当にプラプラしててください。レトロもいるから、質問をしてもいいし、なるべく要望には答えられるようにはしておきます。まぁ、でも自分たちのことですからね」
「それが自分たちの人生だからな。誰か一人でもそれがわかると、この合宿も意味が出てくる」
「迷うことを肯定するアプリなので、多分大丈夫です」
「そりゃ、いいや。BBQセットは買ってきてあるんだけど、冷蔵庫は貸してくれるか?」
「いいですよ」
「グローブを持ってきたんだが、後でキャッチボールでもしないか?」
「暇なんですか?」
「暇なんだ。本人たちが気づくことだからな。俺は暇つぶしをしたいんだ」
「わかりました。俺もキャッチボールなんて久しぶりだ」
冷蔵庫に食材を入れ、駐車場で教師とキャッチボールをして、軒下でチェスまでやった。
「明日、山へ行こうと思っているんだが、ラジオを聞く限り、君も行くんだろ?」
「ええ。枯葉を集めて薪拾いです。来ますか?」
「ああ、登山道を歩くより、あの学生たちには刺激的だ」
壮年の教師と遊んで日が暮れていく。
BBQをするのに炭に火を付けたので、火事にならないようにと水の張ったバケツを置いておく。
「俺の人生じゃないから、別にいいけど、こういう将来は楽しいのか?」
教師が学生の思考ツリーを見ながら辛辣に言っていた。
「でも……」
「優等生になるより、自分の好きなことを突き詰めたほうがいい。そういう時代なんだから、いくらでも迷っていいぞ。こんな田舎で誰も見ちゃいないんだから」
悪くない合宿だ。
「ほら、パンを焼いて肉を乗せていけ。BBQソースが足りなくなるかもしれないから、気を付けてな」
匂いにつられて、学生たちが部屋から出てきた。ベジタリアンの学生のために、芋と豆も用意している。優しい教師だ。
俺は軽トラに乗って、家へと帰った。3人の従業員たちには報告して、明日の掃除を頼んでおいた。
この話に出てきたアプリは実際にある。作った。




