都会の病
廃校を2日かけて掃除をして、バイオセメントの業者が来て作業を開始。牛糞が足りなければ、いつでも補充できることを伝えたが断られた。ちゃんと微生物に使う素材は用意してあるらしい。当たり前か。
その間に、キャスはキッチンのデザインを決めて、シンクを注文して木材を買い出しに行っていた。棚はすべてDIYだ。
「パトリシアさんに合わせて、少し小さめに作るからね。いいでしょ?」
「うん。で、ベッドは切ればいいだけ?」
すでにある木材で客室のベッドを作るつもりでいる。
「そう。組み立ては現地でやろうよ。面倒でしょ」
「確かに」
スプリングマットなどはネットでまとめて購入するつもりだ。
「壁紙も張り替えるんだろ?」
「うん。でも、廃校っぽさを残してもいいと思っているから、黒板とかは切って掲示板みたいに使おう」
「わかった」
庭ではパトリシアさんが、モリー叔母さんがやっていた家庭菜園を復活させようとしている。パトリシアさんは、遭難救助の翌日から毎日来ているので、暇なのだろう。週に一回、老人ホームに行って、健康に良い食事をするのだとか。
「味が薄くて美味しくはないんだよね。旬のものはいいんだけど。キャスの牧場ではベーコンとか作ってないの?」
「うちは牛乳専門だから」
「そうなんだ……。じゃあ、やっぱりパイとかクッキーとか売りたいわね。アル、パーソンインチャージの試験を受けるわ」
食品取扱者の資格で、それがあればフードサービスも小売食品業もできる。
「了解です。そんなに時間はかからないはずだから、レトロと一緒に試験勉強をしてください」
「頼むわね」
「大丈夫。任せといて。受かったもの同然さ」
パトリシアはしっかり鉛筆とノートを持って、タブレットの動画を真剣に見ていた。60歳を超えて、なお学び始める姿は胸に来るものがある。
俺もベッドのパーツを切り出したら、自分の勉強をしないといけない。発電エンジニアの資格は取得に時間がかかるので外部に委託するが、配線周りの資格は取れるものは取ってしまう。もともとヒューマロイドのプロフェッショナルエンジニアとして登録していたので、電気工事と法律の試験さえ通れば資格は取れる。
他には水道の配管系の資格も必要だけど、それも外部委託になる。
「全然自分たちでできることは少ないから、なるべくできることをやっていくしかないんだよな」
法律を破りたいわけでもないし、事故や病気を起こしたいわけでもない。だからこそ資格があって、基礎的な知識を得られる試験の勉強がある。
パトリシアが淹れてくれるハーブティーを飲み、ベリー入りのクッキーを食べながらスケジュール通り作業と勉強をこなしていった。
「これで、本当に給料を貰えるの?」
パトリシアは目の周りをマッサージしながら聞いてきた。普段、あまりデジタルな物を見ない生活を送っているらしい。
「もちろん、今は仕事をしているようには思えないかもしれないけれど、後で稼ぐからいいんですよ。それに人件費として出していかないと、後で役所と銀行に怒られるから……」
「そうなんだ。あ、高齢者雇用給付金が出るはずだから、ちゃんと貰うようにね」
「補助金が出る? 調べてみます」
65歳以上を雇うと、高齢者が多い地方だと補助金が出るらしい。申請は出しておくが、高齢者ばかりに頼れない。
ピンッ!
調べていたら、電子音が鳴った。届いたメールを見てみると、坂を下りていった街の酒場からだった。どうやらヒューマロイドが酔っぱらいに壊されたらしい。壊れた画像を見れば、ヒューマロイドの顔がかなり変形している。都会だとよくあることだ。
レトロは古いロボットのような顔だが、ほとんどのヒューマロイドはシリコンで人間の顔を再現している。
俺は3Dプリンターとシリコン、合成ゴムなどの素材をカバンに入れた。
「仕事かい?」
「ああ、ヒューマロイドの修理さ。レトロも行くか?」
「行くよ」
「行くの?」
パトリシアは家にひとり残されるのがちょっと寂しいらしい。
「大丈夫だよ。あと5分ほどでキャスが帰ってくるから」
「じゃあ、ちょっとそれまで待つか」
俺はお茶のお湯を沸かして、自分のカップを洗った。パトリシアはキャス用のお茶の準備をしている。
「アルはちょっとしたことでも自然と誰かのために動けるところが、実は楽なんじゃないかしら?」
唐突にパトリシアが聞いてきた。
「そうですね。随分、自分に悩んでいたんで、他人のことはやることが決まっているから考えることもないじゃないですか」
「もしかして、この会社も?」
「ええ。叔父と叔母が計画を作ってくれたんで、後はやるだけって感じです。でも、自分で選んでいかないと自分の人生になっていかないんで、選べる自由がある時はちゃんと悩もうとは思ってますよ」
「モーテルが出来れば、きっともっと自由になれるわ」
「そうだといいんですけど……」
「あ、キャスが帰ってきたわ」
会社の軽トラで帰ってきたキャスト入れ違いで、俺はレトロと一緒に仕事へ向かった。
「いってらっしゃーい」
親ほど離れた社員に見送られて、森を抜けていく。
まだ、昼過ぎで太陽が煌々と輝いていた。
酒場の店主は眠そうな顔で、軒下の台の上に寝かしてあるヒューマロイドの顔にへばりついたシリコンを取っていた。
「お疲れ様です」
「おう。急に悪いな。診てやってくれ」
急患というわけではないが、ヒューマロイドとしても価値はかなり損なわれている。
バッテリー漏れはないし、中身も冷却装置も十分動く。固く守られているところはいいけど、表情筋として使う機能はボコボコにされていた。
「どうしてこんな事をするんだと思う? 酔っ払いだからって酷すぎないか?」
水をがぶ飲みしながら酒場の店主が聞いてきた。
「これ、モデルは映画かなにかに出ていた女優ですか?」
「ああ、古い恋愛リアリティショーに出ていた女優だよ。もう誰も知らないと思ってたんだけど、気に入らなかったのかな」
「恋愛がらみの動画に出ているモデルは止めたほうがいいですよ。あれ、視聴者が追体験しているから、表情がちょっと違うだけで『再現していない』ってクレームが来るんですよ」
「恋愛ぐらい自分で体験しないのか?」
「AIのエンジニアは、金はあるけど仕事がないんで、やってこなかった経験を取り戻そうとするんです。都会に行くと、ヒューマロイドに落書きしたり、バグらせようとする人が多いです。動画で見た体験と違うから、困るみたいで」
「なんだ、人間がバグってるのか?」
「そうですよ。今や、心理カウンセラーはどこにでもいるじゃないですか。自分のバグの分析が出来ないから、壊してしまう。だから、荷物の少ない観光客には気をつけてください」
「そうだな」
「顔はどうします? 表情筋のユニットと一緒に、別の顔にしますか?」
「どんな顔もできるのか?」
「できますけど、親の顔とかは止めたほうがいいですよ」
「それは絶対に止めてくれ。ちょっと強面のキツそうな顔にしてくれ。常連にはそっちのほうがウケる気がする」
「わかりました」
俺は3Dプリンタで出力している間に、顔のパーツを分解して、壊れた部品を交換。出来上がったシリコンの顔をきれいに張り付けた。
「お、笑うと可愛いな」
「じゃあ、表情の割合を変えますか」
「あと、護身術をインストールしてもいいかもよ」
レトロが提案してきた。
「護身術って、酔っぱらいをぶっ飛ばされても困るぞ」
「そう言うんじゃなくて……、クラブマガみたいな体系化されているものなら、結構役に立つはずだから。優先順位は下げておいて、いざというときにだけ出すように設定すればいい」
レトロの言葉を受けて俺は店主を見ると、頷いていた。
「わかった。いいだろう。やってみよう」
クラブマガをインストールして設定を組み替えて、ヒューマロイドを起動した。
「おはよう。もしかして再起動した?」
「ああ、設定を確認してくれ」
ヒューマロイドは酒場の窓を見ながら、自分の新しい顔を記憶していた。
「いいね。さ、16時だ。仕込みの時間だよ」
「ああ、そんな時間かよ」
店主は大きなため息を吐いていた。
料金表をタブレットに出してサインと一緒に、お金を振り込んでもらう。
「ありがとうございます。また、なにかあれば」
「ああ、また呼ぶよ。これから買い出しだ」
日が傾き始める山沿いをレトロと一緒に軽トラに乗って帰った。途中で、ケバブ屋に寄り、夕飯を買っておく。
「レトロ、よくクラブマガなんて知ってたな?」
「ああ、たぶん俺は軍用だったことがあるんだ。もうその頃の記憶は削除されているけど、銃弾の痕を修理していた記憶は残っているのさ。だから、軍隊用語なんかは紐づけされているんだと思う」
「……そうか」
レトロの削除できないアイデンティティを垣間見た気がした。