ベリー狩りのおばあちゃま
帽子を被って、入口から山へ入っていく。駐車場にはそれなりに自動車が停まっているので、山登りに来ている人は多いようだ。
俺はすでにドローンで確認したルートを辿り、業務を開始する。途中までは登山道で向かい、防災作業中の看板を置いて、獣道に入っていく。
「しかし、暑いな」
タオルで汗を拭きながら水を飲んでいると、脱水作用と水分補給を同時にやっていて、ただ水が俺の身体を通過している意味のない行動に思えてくるから不思議だ。実際は、身体を冷却しているのだから、水分補給しないと倒れるのだけれど。
こういう意味のない思考ができるところがAIとは違うところだ。
レトロはラジオを垂れ流しながら、どんどん進んでいく。
「熱暴走しないように気をつけろよ」
「ファンが唸り声をあげている。早くも保冷剤が必要かもしれない」
「ああ、はいはい」
20分ほど登ったところで、一旦休憩してレトロの空調に保冷剤を当ててやった。
「くぅ、これは効くぜ」
ベン叔父さんがビールを飲むときの口調を真似ているらしい。
「実際、冷えるのか?」
「キンキンに冷えていくよ。一応、冷却ユニットも入れておいたから、どこかで太陽光パネルを広げられたら、付けるつもりだ。いいか?」
「ああ。でも、なるべく午前中の間に済ませよう」
そこから、10分ほどさらに登ったところで、登山道からは外れる。おれたちの姿が見えても心配されないように、看板を邪魔にならない場所に設置。長袖長ズボンに長靴を履いて、軍手を付けてから、虫よけスプレーをかけて鬱蒼とした藪の中へ入っていく。
山の中だからそれほど長い草はない、なんてこともなく、身の丈ほどの長い草をかき分けて、谷を降りていく。道なき道を進んでいるように思えるが、獣が通った道がちゃんとあるもので、なるべくかき分けながら、前に通った獣の後を追うように進んでいく。
「よく、わかるなぁ」
レトロには獣道が判別できないらしく、俺の後を付いてくるだけだ。
「なんとなく、足跡はないけど草の倒れ方がちょっと違うだろ?」
「そんなことまで判断できないよ。分析していたら、熱暴走しそうだ。ヒューマロイドの限界かもしれない」
「目的地までのルートはそれほどズレてないだろ?」
「ああ、ズレてはいない。帰ったらメンテナンスしてくれ。長靴の中が草の種だらけだ」
そういうのはわかるらしい。
「ああ、どうせ俺も洗うから。お、抜けた」
藪を抜けて、ようやく目の前が開けた。
「お、沢だ。地図にあった沢だよな?」
水深が踝ほどの沢が流れていた。
「えーっと、そうだな。ここは、沢があるからそれほど山火事の発生予測地点からは遠い。もう一つ先の谷のはずだ」
だんだんレトロのGPSも時間がかかるようになってきた。GPSは衛星からの電波なので影響はないはずだが、頭上を覆う木々が障害物になっているようだ。
ドローンで確認した画像でも、見えにくい場所だった。
「よし。行こう」
「ここから先は風が強いかもしれないから気をつけろよ」
「うん」
レトロの忠告を聞き流して進んでいくと、意外と木が多い場所なのに、風が強かった。針葉樹が曲がって伸びているところを見ると、風の通り道らしい。こういう乾燥している場所で、風が熱を逃がしてくれるならいいのだが、谷になっていると熱が籠もることがある。
そうすると、山火事の条件が揃っていく。
『枯れ葉の中ってさ、虫とか微生物が分解してて、けっこう熱がこもるんだよ。日が差すとさらに温度が上がるし、風がないと、その熱が逃げない。条件が重なると、火がつくこともあるんだよな。……だから俺は枯れ葉を集めてるんだ。火種になる前にね』
レトロから、先日のラジオで俺の声が流れてきた。
「この説明で、わかるかな?」
「悪くないんじゃないか」
「あんまり偉そうにならずにラジオで伝えるのは難しいよな。実際に山に来ないと理解されにくいし、予防になってるのかどうか分かりづらいんだけどさ」
「長く発信していけば、予防が一番コストパフォーマンスの高い行為だってわかってくれる人もいるさ」
俺たちが予防の火種になるといいんだけど、こういう地味な作業は広がっていかない。
「あれ? こんなところまで、シートが飛んできてる」
青いレジャーシートが木に引っかかっていた。
シートをひっくり返したら、小さな老婆が倒れている。
「大丈夫ですか!?」
老婆はゆっくりと目を開けて、俺を見て声を出せないでいるようだ。
「水、入ります?」
「ああ……、ありがとね」
老婆は水筒の水をごくごく飲んで、あたりを見回していた。
「遭難ですか?」
「ああ、いや、これだけ春の間に気温が上がっているから、ベリーの様子を見に来ていてね……」
「ベリー狩りの予行演習ですかね?」
「そうそう。毎年ジャムを作っているんだけど、ちょっと暑すぎて休んでいたのよ」
「ああ、なるほど。俺たちは山火事の予防で枯れ葉を集めに来たところです」
「そうなの?」
「一緒に帰りますか?」
「頼むわ。ちょっと、これ見てよ。今年は赤くなるのが結構早いの」
袋いっぱいに詰まったベリーを見せてきた。
「まだ味が薄いかと思ったんだけど、場所によってはもう熟しているのがあって持っていけないかと思ったけど、ちょっと持ってくれる?」
「いいですよ」
レトロが老婆からベリーの入った袋を受け取っていた。
「あら、ロボットもこんな山の中に入ってくるのね」
「彼がいると山の中でも迷わないですむので」
「いいわね」
老婆の意識はあるし、口調もしっかりしているので頭も大丈夫そうだ。レトロの触診でも、特に熱中症にかかっているわけではなさそうだった。本当に疲れて休んでいただけか。
「もう少し、水を飲んで休んでいてください。ちょっと枯れ葉を集めてしまうので」
「どうぞ。私もその間にレジャーシートを片付けてしまうから」
「これだけ持っておいてください。GPSだから、どれだけ迷っても迎えに行きますから」
「わかったわ」
俺は老婆にGPSのキーホルダーを渡した。
「あ、私、パトリシアよ」
これがパトリシアとの出会いだった。
「アルフレッドです。アルでいいです。こっちはレトロ」
「意外と旧式なんです」
「お二人ともいい名前ね」
パトリシアが荷物をまとめている間に、俺たちは谷底の枯れ葉を集めて籠に入れていった。谷底はまるで風が通らず、暑くて仕方がなかったので、レトロはちょっと離れたところから俺に籠を渡す係をしている。
「ヒューマロイドがサボるなよ」
「いやいや、そこに行くと身体から火が出そうだからさ」
その分、レトロが荷物を運んでくれるので、良しとしよう。
パトリシアも上から見ていたようで、ラジオの音が聞こえていたらしい。
戻ってみると「妙なラジオを流しているわね」と感想を言っていた。
「ええ。古い小学校を改装して、モーテルをやろうとしているんですけど、客が来なそうなんで、オープンする前から計画も含めて宣伝しているんです」
「もしかして、牧場の手前のところ?」
「そうです! 知っていますか?」
「ええ、もちろん。若い頃にあそこで教師をしていたから。平屋で涼しくていいのよね? プールもあるし」
「そうなんですか! 実はあのプールで水力発電をしようと思っていて」
「そうなの!?」
「パトリシアさんも働きますか? ベリー狩りのツアーとベリージャムの料理体験講座を開いてくれれば、雇いますよ」
「あら、いいわね。……本当に?」
「そんなにお金にはならないかもしれませんけど、一応教育カリキュラムは作ってあるんで、もし自分のやりたいこととそんなにかけ離れていなければ、会社で支援も出来ます」
「それって無料?」
「ええ。パトリシアさんからお金は取りませんよ。講座を開く時にネットとかで宣伝もします。もし、たくさん参加者が来てお金を取る時は、何パーセントか払ってもらえればいいだけです」
「半分とか?」
「いやいや、1割取るか取らないかくらいです。少なくともベッドメイキングの仕事はあるので、定期的な収入が欲しければそちらもありますよ」
「60歳を超えていても?」
「ええ、あんまり年齢は関係ない仕事なので……」
帰りながら、俺たちは仕事に関することを話し続けた。
駐車場まで辿り着くと、パトリシアはバスに乗って町へと帰るという。すでに昼過ぎになっていた。すっかり日に焼けている。
「まだ基礎工事も始まっていないので、仕事はないのですが、ガソリンスタンドの先の小道に入ったところが会社になっているので、いつでも来てください。あと、ネットでラジオも聞けるので」
「わかったわ。ちょっと息子たちと相談してみる。あ、これ」
パトリシアがGPSのキーホルダーを返そうとしたので、「持っていっていいですよ」とあげた。
「俺たちも山に入るので、持っておいてください」
「ありがとう。また、4日も山の中に入っていたら息子に怒られるから」
「4日もいたんですか!?」
「ええ。ああ、息子から着信履歴が、ほら」
パトリシアのスマホには、着信履歴が100件以上並んでいた。
「文明の利器は面倒だわ」
バスに乗り込むパトリシアを俺とレトロは見送った。
元気な老人だが、親族は大変だろう。




