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第29話 聖女アリシアの願い


 水の都市アクアテラは歌と踊り、恋に溢れていた。

 陽気な音楽がそこかしこから聞こえてくる。


「観光者かな? 一曲どう?」


 アリシアが街をきょろきょろと見渡しながら歩いていると、女性にダンスを誘われた。


「はい。ぜひっ」


 踊ったことはなかったけど、この祭典で踊ることに憧れていたから断る理由はなかった。おっかなびっくり踊っていると女性が笑った。すぐに初心者と気づいたのだろう。ステップをやさしく教えてくれた。


「そうそう。イチ、ニ、サン。そうっ! いい感じだね。後はこれを繰り返して……お、あなた上手ねぇ! センスあるよっ!」


 初心者の私に合わせて、基本のステップを踏むだけの踊り。

 沢山褒めてくれた。とても楽しい。

 あっという間に一曲終わってしまう。


「ありがとうございますっ」


 とお礼を言い、彼女と別れた。一生懸命ステップを踏んだから、少し身体が温かくなる。何人かの男性からも誘われたけど、素の姿で接したことはないから、少し怖くて逃げてしまった。


 勇気を出そうと思ったけど、私に恋はまだ無理みたい。

 笑ってしまう。

 

 鐘の音が鳴った。アクアテラの祭典の午前の終わりを知らせる音色。


 後、半日で祭りが終わってしまう。


 街の中は依然として笑顔であふれていた。


 雑貨屋さんを巡った。かわいい猫をモチーフにしたモノや、控えめに輝く装飾品があった。ルリにもらったお金で、猫をモチーフにした商品を買う。私とルリの分。おそろいの物。勝手に買っちゃったけどいいかな。怒られないかな。


 でもきっと許してくれる。そんな気がしていた。

 

 街の料理を楽しんだり、市民が通う市場を見たり、大道芸を観覧したり、路地で見つけた猫を追いかけてみたり、……ちょっと薄暗い路地に入ってしまい怖くなって戻ったり。


 あっという間に時間が過ぎていった。


 夕暮れの中、屋台の立ち並ぶ片隅にクレープ屋さんを見つけた。


 確か新しい料理と言っていたっけ。

 でももうお金は残ってなかった。

 クレープを食べたお客さんは幸せそうな顔をしている。


 こんなに幸せそうな顔するのってくらい、幸せそうで。


 食べてみたかったな。今日ほどお金を欲しいって思ったことないよ。


 けど隅の区画だからか、テラス席は空いていた。

 テラス席に座って街の風景を眺める。


 アクアリス魔法大学の子たちが、箒で空を飛び、魔法の光を打ち上げ、祭りを彩っていた。


 水の都のアクアテラの祭典。水のきらめきと陽光と、学生のうつくしい魔法の光。


 西日の斜陽が人々の笑顔を照らしていた。

 希望に満ち溢れた、日常を祝う祭りが終わりに近づいている。


 楽しい休日だった。


 守りたいと思える光景だった。


 明日にはまた結界の維持のお役目をしなければならない。


 今度は嫌々ではない。私の意志で守りたいと思える。


 本当なんだ。


 これは本心だよ。


 クレープを食べながら、恋人が歩いていた。互いに食べさせたり、おいしいと笑顔で伝え会い、喜びを分かち、人生を共有している。


 幸せそうだった。


 私もお役目を終えたら、料理屋さん、やってみようかな。

 だって、こんなにも素敵な笑顔にできるのだから。


「……あっ」


 頬に涙が伝るのを感じた。テラスのテーブルに黒いシミをぽたぽた作っていく。


 ハンカチをもっていなかった。ルリの服だから服のすそでぬぐうこともできない。


 手の甲で懸命に擦っても擦っても涙はとまってくれない。


 しあわせなのに。ルリが作ってくれた魔法の時間なのに。


 うれしくて、仕方がないのに。


 本当に、今は心からみんなの幸せを願っているのに。


「……うっ。……うぅっ。……どうしてぇっ」


 こんなにうつくしい世界を守れることを誇りに思う。


 泣きたくなんてなかった。


 ルリのくれた大切な時間すべてを笑顔の思い出にしたい。


 けれど涙が、とまってくれない。

 

 周囲の人々のしあわせな時間に水を差したくなかった。


 俯き必死に隠す。嗚咽をかみ殺した。


 誰かの気配が近くに来たのを感じる。痛いほどの斜陽が遮られ、顔を上げた。


「あまいものは苦手ですか?」


 無精ひげだが、調理用の服を着ているためか清潔感のある大人の男性だった。みなを笑顔にしていた、クレープ屋さん。あまり表情は豊かではないが、やさしそうに思える。ハンカチを渡してくれた。


 私は首を横に振り、ハンカチを受け取り涙をぬぐった。


 ハンカチには甘い香りがついている。


「クレープはいかがですか?」


 私は顔を横に振る。


「……お金が、ありません」


「そうですか」


 と男性は淡々と答えて、クレープ屋に戻ってしまった。

 本当は皆を笑顔にしていたクレープを食べてみたかった。


「……あ」


 ハンカチを返しそびれた。だけど洗ってから返したい。でも、ここにはもう来ることができないかもしれない。


 一度持って帰って、ルリに渡してもらうよう頼むことにする。

 それを伝えるべくクレープ屋さんの前に行く。

 

 もう閉店しているようで、お客さんの列もなかった。


「ハンカチ、ありがとうございます。洗って返したいのですが、よろしいですか? もしかしたら少し、遅くなるかもしれないです。それと多分、私は直接返しに、来られないかもしれなくて……申し訳ありません」


「かまいませんよ」


「あの、本当にありがとうございます」


 男性はクレープを作っている所だった。彼自身の分を作っているのだろうか。


 魔法のような手際だ。


 丸い鉄板の上に、甘い匂いのクレープの素を垂らす。円形に手早く丸め、ひっくり返す。出来た生地を調理台に移し、クリームとトッピングの色を添える。

 食べやすいように紙で包み、その上からさらにトッピングを重ねていく。


 丁寧に盛り付けされた上品なお菓子に思えた。


 どんな宝石より魅力的に見える。


「どうぞ」


 と男性は控えめに笑った。頑張ったご褒美に、親族の子供に向ける笑顔のようで。


「あの、わ、私、本当にお金、なくて」


「これは試作品です。もしよければ感想を教えてください。既製品は買ってくれたお客さんに申し訳ないですから」


 丁寧な盛り付けで、よどみのない手さばきで、とても試作品には思えなかった。


「甘いものが苦手じゃなかったら食べてみて」


「ありがとう、ございます」

 

 受け取り、テラス席に移動し座って食べる。


 一口食べるとひかえめなやさしい甘さが口いっぱいに広がった。


 生地はもちもちしていて、うっとりするほどやわらかい。


 孤児院で食べたやさしい甘さのお菓子を思い出した。


「おいしいなあ」


 なんでうれしいのに涙が出るのだろう。


 昔の私にとってこれは、何の変哲もない日常で。子供の頃の私は、あんなに特別を夢見ていたのに。


 幸せな日常が、こんなにも輝いて見えるのはなんでだろう。


 甘いお菓子に、涙の塩気が混じる。


「おいしい。すごく、すごく、おいしい」


「戻りたく、ないなあ」


 塔の中に。


「戻りたいなあ」


 孤児院の、あの頃の日常に。

 けど私が祈りをやめたら、この幸せはなくなる。


「やるしか、ないよね」


 こんな素敵な日常を守れるのなら、私は頑張れる。

 クレープを食べ終わると、紙に文字が書いてあった。


『いつもありがとう』


 うっうっ。

 嗚咽が漏れた。


 きっとこれは食べてくれてありがとうの、クレープ屋さんのお客さんへの心遣いなのだろう。


 だが、私には毎日頑張っている感謝に、勝手に思えてしまった。


 嗚咽が止まらなかった。


 感謝を求めていたわけでは決してない。誰かのために頑張ってたわけでも、崇高な思いがあったわけでもない。嫌々祈りを捧げていただけだ。


 文字を声に出して読む。震える声が漏れた。


「いつもありがとう」


 なんでこんなに涙が止まらないのだろう。


 夕日が沈んでいくのが目に入る。


 そこで、はたと気づいた。黒髪の毛先が元の白髪に戻っていることに。


 ルリの魔法が切れた。

 どうして? まだ時間は……。

 急いで塔に戻らなければならない。


 走って間に合う? 

 ダメ。

 黒髪が毛先からどんどん白くなっていくのが分かった。


 ルリは夕暮れまでにって言ったのに。

 もしかして私の魔力のせい?

 いや違う。今は原因なんてどうでもいい。


 とにかく髪を隠せるものを。そして早く塔に戻らなきゃ。

 

「大丈夫ですか?」


 クレープ屋の男性が心配そうに声をかけてくれた。

 無駄だと分かっていながら長い髪を隠すように抱きしめる。


「あの塔に、行きたくて。最短の方法を教えてください。私詳しくなくて」


「最短? 徒歩だと2時間はかかりますね」


 大きな塔はあんなにも近くに見えるのに。どのみち間に合わなかった。


 男性は布を髪にかけてくれた。


「きれいな布ですので」


「あ、ありがとう、ございます」


 気遣いに感謝する。同時に白くなっていく髪に気づかれたのだとわかった。


「急ぎならもっと最短がありますよ……高い所は苦手ですか?」


「いえ……」


 いつも高い塔から街を羨んでいるので、特に苦手意識はなかった。


「そうですか」


 と男性はどこかに行き、戻ってきた手には箒を持っていた。


 それは魔法大学の学生がよく乗っている飛行用の箒で。


 普通の人には乗るのが難しいものだった。


「借りてきました」と男性は笑う。


「わ、私、乗れません」


「風の魔法の制御は得意なんだ。幼いころから教えてくれた幼馴染がいるので」


 男性が箒を手放すと、箒は宙に浮かび安定した。


 彼は箒に跨り、家族のようなおだやかな笑みを作る。後ろに乗ってもいいということなのだろう。跨ぐのは少し恥ずかしくて、横座りにした。怒られたら跨ぐことにする。けど男性は特に座り方を指摘しなかった。


「しっかりつかまってて」


 箒の飛行は知っていたが、二人乗りは難しいと聞いていた。


 茜色の空にぐんぐんと上がっていく。


 最初は怖くて彼にしがみついていた。だが、空気の層に守られているらしく、振り落とされるほどの風は感じない。

 しがみついているのが恥ずかしくなって、控えめに彼の服のすそを掴んだ。


 心に余裕ができると、うつくしい夕日が目に入った。


 上から見下ろす街の美しさは見慣れていた。


 だけど、空から見る今日の街は、格別だった。


 水の都市アクアテラ。都市全体に行きわたる美しい水に斜陽が反射して、きらきらと茜色に光って見える。遠く広がる米と小麦の小金色が風になびいてうつくしい。街からは楽しそうな歌声が響いてきた。でもどこか、祭りの最終日の夜が近づくにつれ、さびしい音楽のようにも聞こえた。


 風に流され聞こえないと思ったから大きな声をだす。


「ありがとうございますっ!」


 子供の頃のように大きな声を出すのは久しぶりで、気持ちがよかった。


「こちらこそ、いつもありがとう。俺たちがこうして安心して暮らせるのもアリシアのおかげだ」


 男性の言葉に、聖女だとばれたのだとわかった。

 名前を呼び捨てにされるのは慣れてなくて、彼から伝わる体温にも、この非現実的な状況もあいまって、胸の奥が暴れてしまう。

 

 感謝の言葉に、泣きたいほどうれしいのに涙はでなかった。


 うれしくうれしくて、うれし過ぎて、笑ってしまう。


 きっと空の広さと、風の心地よさに自由を感じているから。


 なぜか、兄のような頼もしい背中に安心してしまったから。


 塔の近くで降ろしてもらった。


 幸せな休日の終わり。


「その。ありがとうございます! クレープ、すごくすごくおいしかったです。ハンカチも。ここまで送ってくださったことも。本当に、本当にありがとうございます」


 男性はうれしそうに笑った。


「そうか。うん。また感想聞かせて」


「あの、クレープ本当においしかったです。お名前、教えてもらっていいですか?」


「ん? あぁ。『花のクレープ屋さん』だ」


 本当は男性の名前を聞きたかったのに、店の名前を知りたいと勘違いしたようだ。

 頭を下げて感謝を伝える。男性はひかえめに笑顔を見せ、帰っていった。

 

……。


「今朝、無精ひげの男性が塔に届けてくれましたよ」


 ルリから一つの包みをもらった。


『花のクレープ屋さん』


 と書かれている。

 包みをあけると、花の形をした砂糖菓子だった。

 中には小さな手紙が添えられている。


『いつもがんばっているアリシアへ。

 試作品。また感想を教えて』


 とだけ書かれていた。


「こんなきれいなお菓子……たべられないよ」


 笑ってしまう。


 ルリがこちらを見て、ニヤニヤとしていた。


 珍しい表情に、私は顔が火照るのを感じる。


 何もやましいことはない。私は少しいじけて言った。


「……ルリさん、どうしたんですか?」


「いえ、今日は、いい日ですね、アリシア様」


 こちらを見透かすような声音だった。


 別に恋したわけじゃない。ただうれしかっただけ。


 偶然に偶然が重なって、弱っていたところを助けられて、ちょっと心が勘違いしているだけのこと。


「む……様はいりません。アリシアですっ。アリシアと呼んでくれるまで、今日の結界の構築はしませんからっ」


 アクアテラを人質にとったわがままにルリは笑った。


「アリシア」ルリが姉のような声音でいった。「休日は、楽しかった?」


 答えは決まっていた。


 だから家族のように、遠慮なく、私は彼女の胸に飛び込んだ。


「いつもありがとうっ! ルリさんっ!」


 ルリに渡した、猫をモチーフにした商品が目に入る。


 心の底から願った。


 どうか、皆が幸せに暮らせる、平和な世界になりますように。


 これこそが私の本当の願いだ。

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