カブの港2
「へぇー、ここが冒険者ギルドなんだね。」
木造の巨大な建物の大きな扉を前に、レイリンちゃんが感嘆の声をもらした。グルンレイド領には冒険者ギルドがない。王国にはあるけれど、幼少の頃はそこに行く機会なんてなかった。
「じゃ、入ろう。」
子供のメイドが三人。冒険者ギルドの扉を開けて中に入ると、次々と視線が集まってくる。
「おいおい、どうしたお嬢ちゃんたち。迷子か?」
一人の男が近づいてきた。
「いえ、カブの港のギルドマスター、ラキウス様に用事があって参りました。」
「ラキウスさんに用事?はっはっは!こんな子供に構ってられるほどラキウスさんも暇じゃねぇよ。ほら、帰りな。」
そう言いながら私の頭を掴もうとした瞬間、オリビアちゃんの剣がその男の手首に置かれた。
「あ?剣士ごっこか?」
オリビアちゃんが持っている剣は、この歳の少女が片手で持てるものではない。常時筋力強化をしているから本物の剣を扱えるのだが、男はおもちゃだと思ったらしい。
「剣を下げて、オリビアちゃん。」
「でも……。」
私の声色の違いを感じ取ったのか、すぐに剣を下げてくれた。
「へっ、びびったか。んじゃ、すぐに帰……」
「手を退けていただけますか?」
「ん?なんか言った……」
「手を退けていただけますか?」
「そんなこと……あぁ、わかった。」
シンクロナイズ。精神魔法で男の精神を支配した。こういう使い方はあまり好きではないけれど、頭を掴まれたままでは話にならない。手が離れた瞬間に髪についた汚れを払い、整えた。
「おいおい、どうしたんだよグレンデ!」
「こんなガキ、早く追い返しちまえよ!」
周囲の冒険者たちが騒ぎ始めた。
「……どうするクレアちゃん?全員大人しくさせてからギルドマスター探す?」
レイリンちゃんが耳打ちしてきた。
「絶対ダメだけど全員黙らせちゃおうかな。」
ちょっとキレ気味にそう答えてしまった。
「お、お待ちくださいー!!」
遠くから走ってきた女が、私たちの目の前で派手に転んだ。同時にかけていた黒縁メガネが足元に転がってくる。
「あっ、メガネ。」
拾い上げて眺めた。これはグルンレイド領で作られているもので、あまり外に出回っている印象がなかったので少し驚いた。
「あ、ありがとうございます。」
女は立ち上がり、メガネを受け取って耳にかけた。
「シドリーちゃんー、この子供達は知り合い?」
「まさか子供!?」
「嘘!シドリーちゃんフリーだって……」
周囲の冒険者がまた騒ぎ出した。
「ち、違いますー!この子たちは、グルンレイドのメイドさんたちです!」
"グルンレイドのメイド"という言葉に、ギルド内がざわついた。それを気にせず、シドリーという受付嬢は私たちを別室へと案内してくれた。
あの空間は好きにはなれないな、と正直に思った。
ーー
「こちらへどうぞ。」
案内されたのは高級感のある部屋だった。
「先ほどは失礼いたしました。私はカブの港冒険者ギルド受付のシドリーと申します。そしてこちらが……」
「カブの港のギルドマスター、ラキウスだ。」
シドリーは三つ編みの茶色い髪をした真面目そうな女性。そしてラキウス様は鋭い目つきと、幾多の戦闘を乗り越えたであろう傷跡が印象的な男性だった。ギルドマスターと聞いて勝手に年配の人を想像していたので、三十代、下手をすれば二十代くらいの見た目に少し驚いた。
「お初にお目にかかります。私はグルンレイドのメイド見習い、クレアと申します。」
「同じくメイド見習い、オリビアと申します。」
「同じくメイド見習い、レイリンと申します。」
グルンレイドの礼をする。周囲に魔力を舞わせるあの美しい所作を、シドリーは目で追えていないようだった。
「さすがだな。」
ラキウス様にはしっかり見えているようで、感嘆の声をもらしていた。
「まずはお前たち、グルンレイド領からよく来てくれた。感謝する。」
「い、いえ、命令ですので。」
怖そうな見た目から急に優しい口調で言われたので、少し動揺してしまった。
「冷たいお茶です。外は暑かったですよね?」
シドリーがお茶を出してくれた。常に魔法障壁を展開している私たちにとっては暑さの影響はほとんどないのだが、そんなことは言わずにありがたくいただく。
「いただきます……あっ、美味しいですね。」
「あなた方は飲みなれてるかもしれないですが、これもグルンレイド製のお茶です。」
紅茶とはまた違った味で、一気に飲み干したくなるようなさっぱりとした味わいだった。
「本当だ、すごく美味しい!」
レイリンちゃんのコップを見ると、すでに空だった。
「ちょっと、レイリン。」
オリビアちゃんが肘で突きながら注意した。
「あっ、す、すみません。」
「はっはっは、どんどん飲んでくれて構わん。シドリー。」
「はいー!」
赤い顔のレイリンちゃんのコップに、新しいお茶が注がれた。
「よし、早速本題に入らせてもらおう。例のものは持ってきてくれたか?」
「はい、こちらです。」
私はカバンからカタストロフの心臓を取り出した。
「ほう……すごいな。」
「こちらがカタストロフの心臓です。使いやすいように加工されたもののようですけれど。」
加工済みとはいえ、使い方を誤れば大怪我につながる危険はある。
「海中の瘴気だまりを消したいという依頼なのだが、どうやって使うんだ?」
「使い方は簡単です。目的の場所周辺にこれを投げ入れるだけです。」
「それは簡単でいいな!」
ラキウス様は宝石を大事そうにしまうと、シドリーに何か指示を出していた。
「これで依頼は完了だな。ほら、報酬だ。」
シドリーが奥から持ってきた袋がテーブルに置かれた。
「い、いえ、そのような話は聞いておりません……。」
「まあ、言ってないからな。チップというやつだ。受け取っておけ。」
「そ、そういうものなのでしょうか……。」
「そういうものだ。」
渋々受け取った袋の中身は金貨百枚近く。子供に渡す額じゃない。
「お、多すぎます!」
しかしラキウス様は返事もせずに別室へ行ってしまった。
「三人で割ったら金貨三十枚くらいですので、グルンレイド領からカブの港への運搬料としてはちょっと少ないくらいですよ。」
シドリーにそう言われて、納得することにした。
「それでは気をつけてお帰りください。またどこかで会えることを楽しみにしています。」
頭を下げるシドリーを背に、三人はギルドを後にした。
ーー
「ねえ、これからどうするの?」
「宿を探す、かな。」
現地の人に聞くのが一番早い。近くにいた人にいくつかの宿の情報を聞き出した。
「マリネ亭がいい!」
レイリンちゃんが即答した。
「確かに海が見えて、頼めば美味しいご飯も出してくれるっていうのはかなり魅力的かも。」
「私もそこでいい。」
満場一致でマリネ亭に決定した。
「でもちょっと料金が高いって言ってたよ?」
「うーん、行ってみて高すぎたらまた考えよう?」
「了解。」
マリネ亭に着くと、受付の人は三人のメイド服を見て少し戸惑っていた。
「は、はい、可能ですが、三人が宿泊できる部屋で現在空いているのがこちらのスイートルームしかありません。お値段が少し高く……」
部屋の間取り図を見せてもらった。一番大きな部屋で、海が一望できる場所だった。
「だってー、どうする?別のところ行く?」
「い、一応値段を聞いてもいいですか?」
「一人金貨三十枚になります。合計九十枚ですね。」
三人で安堵のため息を漏らした。
「なんだー、想像より安かったね。」
「よかった。」
受付はきょとんとしていた。
「その値段なら宿泊します。」
「し、失礼ですが、料金の方は大丈夫でしょうか?」
メイド服を着た子供三人では払えないと思うのも無理はない。でもグルンレイドのメイドだ。ラキウス様からの報酬がなくても、持参した金貨で十分に賄える。
「これでお願いします。あまりはチップとしてどうぞ。」
ラキウス様からもらった袋をそのまま置いた。
「金貨百枚……!た、確かにお受け取りしました。」
部屋の鍵を受け取る。
「オプションで食事をご用意できますが、どうされますか?」
「夜は町で食べるので、朝だけでお願いします。」
「……失礼ですが、年齢を教えていただけますか?」
「みんな十五歳くらいです。」
「皆様のご年齢ですと夜間の食事は難しいと思われます。カブの港のほとんどがアルコール提供のある店ですので、王国の法律で夜間の未成年の出入りが禁止されています。」
「えっ、アルコールが出ない店はないんですか!?」
「申し訳ありません、夜間において、私が知っている限りではございません。」
がっかりした。でも仕方ない。
「ですが、スイートルームご利用のお客様には食事の提供もございます。」
「……それでは三人分の夕食をお願いします。」
内心残念に思いながら部屋へと向かった。
ーー
「お!すごい!」
扉を開けると、目の前には豪華な部屋と茜色に染まった海が広がっていた。
「……綺麗。」
オリビアちゃんが窓を開けると爽やかな風が吹き抜けた。夏の匂いと潮の香りが混ざり合った、初めて感じる匂い。思わず目を閉じて深呼吸した。
「じゃあ、ちょっと早いけど、お疲れ様パーティーでもする?」
夕日に見惚れていた沈黙の後、レイリンちゃんがそう声を上げた。
「お疲れ様パーティーって言っても、食べるものも何もないけどね。」
「ところが……じゃん!」
レイリンちゃんのカバンの中身はほとんどがグルンレイド製のお菓子だった。チョコレート、クッキー、そしてケーキ。ケーキは一つ一つ丁寧に魔法障壁で包み込まれていて、鮮度も形もそのまま保たれていた。
「これは、チョコレートにクッキーに……ケーキ!?」
「ケーキの魔法障壁、頑張ったんだから!」
「頑張るところがそこ……?」
オリビアちゃんは呆れた声を出していたが、視線はケーキに釘付けになっていた。
「それじゃあ、紅茶を入れて……。」
茶葉は誰も持ってきていなかったので、部屋に備え付けられていたものを使う。お湯を生成する魔道具もあった。グルンレイドの宿泊施設には必ずあるものだが、一般的にはないことの方が多い。
水筒の水を魔道具に入れて沸騰させ、紅茶を入れていく。本当は宿の受付で水をもらえるのだけど、面倒だった。
「それじゃあ、お疲れー!」
ティーカップを軽く持ち上げて、三人の小さな宴が始まった。
「何これ、美味しい!」
「リ・ルフランテの新作!頑張って並んで買ったんだよ!」
グルンレイドの街にある菓子店の中でも、リ・ルフランテは群を抜いている。この世界の最先端を行くお菓子たち。月の国のミントティーも美味しかったけれど、やっぱりグルンレイドのスイーツには敵わない。
「でも、もうすぐ夜ご飯だけど?」
「っ……ま、まあ甘いものは別腹じゃない?」
オリビアちゃんの鋭い指摘から目を逸らした。
「私は半分だけにするけど。」
オリビアちゃんは残り半分のケーキに丁寧に魔法障壁を展開させていた。
「ほら!レイリンちゃんだってこんなに食べてるし、これくらい全然大丈夫……。」
ふと手を止めた。レイリンちゃんはよく食べる。それなのに三人の中で一番細い。
「へぇークレア、いくら食べても太らないレイリンを参考にするんだ。」
「ぐっ……ケーキ、一つまでにします。」
「えー、いっぱい食べたらいいのにー。」
レイリンちゃんはパクパクとお菓子を口に運びながらそう言っていた。
軽い打ち上げの後、宿が用意してくれた夕食を食べた。港町らしい新鮮な魚料理で、特にオリビアちゃんが気に入っていた。食後に少し外を散策するつもりだったけれど、今日の疲れのせいか、気がつくと三人ともぐっすりと眠りに落ちていた。
ーー
翌朝。波の音で目が覚めた。
窓の外には朝日を受けてきらきらと輝く海が広がっている。月の国の砂漠とはまた違う朝だ。どちらも美しいけれど、海の朝には独特の爽やかさがある。
「ねえ!海!朝だよ!入ろう!」
レイリンちゃんがベッドから飛び起きて叫んだ。昨日の約束を忘れていなかったらしい。
「……朝食、先に食べない?」
「海が先!」
交渉の余地はなさそうだった。
三人で宿を出て浜辺に向かった。早朝だからか人はほとんどいない。靴を脱いで砂浜に足を踏み入れると、ひんやりとした砂の感触が気持ちよかった。月の砂とはまた違う冷たさだ。あちらは不思議な冷たさだったけれど、こちらは自然の冷たさ。
「いくよー!」
レイリンちゃんが真っ先に海に飛び込んだ。メイド服のまま。
「ちょっと!服!」
「魔法障壁で濡れないから大丈夫!」
確かに。魔法障壁を水面との間に展開すれば、服を濡らさずに海に入ることはできる。なるほどと思いつつ、私も同じようにして海に足を踏み入れた。
「冷たい!でも気持ちいい!」
オリビアちゃんも入ってきた。珍しく表情が明るい。
波が足を撫でていく。太陽の光が水面に散らばって、無数の光の粒になっている。どこまでも続く青い水平線。空と海の境目が溶けて一つになっているように見えた。
三人でしばらく波と戯れてから浜辺に上がると、すっかり体が目覚めていた。
「朝ごはん食べよう。お腹すいた。」
「レイリンちゃんは常にお腹すいてるよね。」
「そんなことないよ!食べた直後はすいてないよ!」
「それは当たり前でしょ。」
笑いながら宿に戻り、朝食をいただいた。焼きたてのパン、卵料理、そして新鮮な果物。シンプルだけれど、朝の海を見た後の食事は格別だった。
荷物をまとめてマリネ亭を出ると、朝のカブの港は漁師たちが行き交う活気のある港町だった。
「また来たいね、ここ。」
レイリンちゃんがそう言った。月の国の時と同じ言葉。この子は行く先々で"また来たい"場所を増やしていく。
「うん、また来よう。」
「……同意。」
三人で空へ飛び上がった。
ーー
帰りはあっという間だった。
トリエ山脈を越え、王国の上空を通過し、フリーマウンテンを高度を上げて一気に越える。見慣れたグルンレイド領の深い緑が見えてきた頃には、もう午後になっていた。
領内に入った瞬間、馴染みのある魔力拡散結界の感覚が全身を包む。
「ただいまー!」
レイリンちゃんが今回も叫んだ。
屋敷の前に降り立つと、カルメラさんがいた。
「おかえりなさい。早かったわね。」
「ただいま戻りました。カタストロフの心臓、ラキウス様にお届けしました。」
「ご苦労様。何かあった?」
「トリエ山脈でギガントボアに遭遇して、倒しました。」
カルメラさんの眉が少し上がった。
「ギガントボア?A+じゃない。大丈夫だったの?」
「一回やられました。でも二回目で倒しました。」
正直に報告した。隠す理由もない。
「……そう。怪我は?」
「今はありません。」
カルメラさんは三人の顔を順番に見た。前回と同じだ。何かを確認している。
「それと、高純度翡翠を手に入れました。」
オリビアちゃんが大事そうに宝石を見せた。カルメラさんの目が少しだけ大きくなった。
「珍しいものを持ってるわね。大切にしなさい。」
「はい。」
オリビアちゃんが静かにうなずいた。
「あと、これ。」
レイリンちゃんが巨大な牙を差し出した。ずっと手で持ったまま飛んできたらしい。
「……何これ。」
「ギガントボアの牙です!換金しようと思ったんですけど、一応カルメラさんに見せようと思って。」
「……好きにしなさい。」
カルメラさんは少し呆れたような、でも嬉しそうな表情を浮かべていた。
「詳しい報告は明日でいいわ。今日はゆっくり休みなさい。」
「かしこまりました。」
三人で頭を下げると、屋敷の中へ歩いていった。
「お風呂入りたい。」
「私も。海水の匂いがする気がする。」
「魔法障壁で濡れてないはずなのにね。」
「気分の問題でしょ。」
笑いながら大浴場へと向かった。
グルンレイドのお風呂は世界一だと、改めて思った。月の国の宿も、カブの港のマリネ亭も素敵だったけれど、ここのお風呂に浸かった瞬間の安心感には何も敵わない。
湯船に浸かりながら、レイリンちゃんが呟いた。
「ねえ、次はどこに行くのかな。」
「さあ。カルメラさんが決めることだから。」
「どこでもいいよ。三人一緒なら。」
オリビアちゃんがそう言った。普段は素直じゃないのに、お風呂では本音が出るらしい。
「……うん。どこでも大丈夫。」
私はそう答えて、天井を見上げた。湯気の向こうに見慣れた天井がある。
外の世界は広くて、美しくて、たまに怖い。でも帰る場所がここにある限り、どこにだって行ける。
そう思えるようになったのは、きっとこの二人がいるからだ。




