フリーマウンテン3
「く、クレアちゃん!いつの間に!」
羽をカバンに戻した瞬間、三人の前に姿が現れた。もっとも全員に認識阻害魔法をかけているので、周囲からは見えない状態だ。
「部屋の中で何があったの。大きな音がしたけど。」
「山賊二人を倒したよ。」
「手、出さないんじゃなかったの?」
「状況が状況だったからね。」
私はサラの近くに移動した。
「ねえ、サラちゃん。あなたのお父さんとお母さんみたいな人が中にいたよ。」
「っ!本当ですか!?」
立ち上がったサラの腕を掴んだ。
「な、なんで!」
「私たちが観測していた敵は山賊の二人。でも何かが引っかかるんだよね。」
私は今も全力で観測魔法を展開している。しかし何の魔力も観測できていない。
「私もそう。」
「あ、私も!」
オリビアちゃんとレイリンちゃんも同じことを感じていた。三人が恐怖を覚えていたのは、敵がいないことではない。この状況が、グルンレイドでのローズとの訓練に酷似していたからだ。"自分たちが観測できない相手"が隠れている時の、あの感覚。
「周囲の空間の魔力密度が一定……あまりにも綺麗すぎる。」
自然に漂っている魔力というのは、一定に見えて実は微妙に違う。石の近くよりは植物の近くの方が密度が濃いし、風によって魔力に流れが生まれることだってある。そんな微細な違いを、私たちは日々の訓練で感覚的に読み取れるようになっていた。
「いるよね。」
「いるね。」
魔力の流れが綺麗すぎる小屋の方を見ながら呟く。私の観測魔法で捉えられないほどの実力者なら、私程度の隠蔽魔法では簡単にバレてしまうはず。
「でもさっき小屋に入った時はバレなかった……羽のおかげ、かな。」
クインレオの羽の効力の高さに改めて驚く。危険度A+の魔物の素材なのだから当然なのかもしれないけど、こんなものをお土産感覚で渡すメルテちゃんって一体何なんだろう。
「とりあえずここから距離を取ろう。魔力を使わず、ゆっくり歩いて……。」
「誰だ?そこにいるのは。」
小屋の中からその声が聞こえた瞬間、全員の動きがぴたりと止まった。
やっぱり。三人の予想は正しかった。小屋の中にいた第三の存在は、外にまで観測魔法を広げて私の認識阻害魔法を察知していたのだ。
「ヒートボム!」
考えるより先に体が動いた。声のする空間を爆破する。
「レイリンちゃん、サラちゃんを守って!」
「了解!」
レイリンちゃんはサラに魔法障壁を展開し、小屋から離れるように移動する。
「オリビアちゃん。」
「わかってる。」
オリビアちゃんはカバンから剣を取り出し、魔力を練り上げた。
「おいおい、いきなり攻撃とは……どんな教育を受けてきたんだ?」
煙が充満している小屋の中から一人の男が現れた。
「やっぱり……三人目。」
さっき倒した二人の山賊とは比べ物にならない。その姿を見た瞬間にわかった。山賊というには高価そうなしっかりとした服を着た長身の男。右手には歪な形をした剣が握られていた。
「あれほどの隠蔽魔法が使えて、剣……。」
「それはお前も一緒だろ?小さな魔法剣士さんよ。」
男は魔法障壁を展開しながら、剣を構えるオリビアちゃんを見てそう言った。
「ねえクレア、私一人じゃちょっときついかも。」
「おっけー、私も手伝うから。」
小屋から数メートル離れた森の中。二人と一人が向き合う。
「そのメイド服とバッジ、まさかグルンレイドのメイドか?」
「ええ、グルンレイドのメイドのクレアと申します。」
「同じくグルンレイドのメイド、オリビア。」
オリビアちゃんは山賊に頭を下げたくなさそうだったが、私が礼をしたのでそれに従った。
「にしては銀一色のバッジ、そして俺が知っているほどの実力がないようだが。」
「……私たちはまだ見習いですので。」
「そうか。俺の名前はジン。お前らが死ぬ前に、教えてやるよ!」
名乗りと同時に、ジンはオリビアちゃんに斬りかかった。観測魔法を駆使してかわそうとするが、右肩をざっくりと斬られてしまう。
「くっ……華流・周断!」
オリビアちゃんは回復をせず、痛覚遮断魔法だけを唱えて攻撃した。
「遅いな。」
簡単にかわされる。
「バインド」
私が拘束魔法を唱え、数秒間ジンの動きを止める。その間にオリビアちゃんの肩の傷を治した。そして再び睨み合う。
「正直俺は驚いてるぜ。こんなガキがこれほどの魔法を使えるなんてな。」
「一応、グルンレイドのメイドですので。」
「だが、俺の知っている"グルンレイドのメイド"とは程遠い!」
一瞬で間合いを詰められた。今度は私が吹き飛ばされる。短剣に纏った魔法障壁のおかげで短剣ごと切断されることはなかったが、思いっきり地面に叩きつけられた。背中に衝撃が走る。
「クレア!」
「なめないでください!」
オリビアちゃんの叫びと同時に、砂埃の中から私は飛び出した。
「華流・花かんざし」
「バルザ流・断頭」
剣がぶつかり、周囲に二人の魔力がほとばしる。
「華流・周断」
隙をついたオリビアちゃんの一撃。ジンは剣で受け止めたが、腕から血が流れていた。
「剣で受け止めた先を攻撃か……器用なことをする。」
「いや、私は剣を攻撃した。」
「何……。」
ジンの剣が真ん中あたりから二つに切断された。オリビアちゃんの集中状態。この子が極限まで研ぎ澄まされた時の斬撃は、剣そのものを破壊できるほどに鋭くなる。
「スキあり!」
「がはっ……!?」
次の瞬間、ジンが真横から吹き飛ばされた。木を数本なぎ倒して、数十メートル先に叩きつけられる。
「えっ……」
「何が……!?」
私とオリビアちゃんが口を開けていると、何もない空間からレイリンちゃんと、背負われているサラが現れた。
「大丈夫だった?」
「大丈夫だけど……どうやって……。」
オリビアちゃんが自分の観測魔法に一切反応しなかったレイリンちゃんに驚いている。
「ごめんね、預かってたクレアちゃんのバッグから勝手に取っちゃった。」
サラが手にしていたのはクインレオの羽だった。サラが持つことでその効果がレイリンちゃんにまで及ぶとは思わなかった。私もそのことには正直驚いていた。
「いや、とにかく助かったよ。ありがと、レイリンちゃん。」
私はすぐに吹き飛ばされたジンの元へ飛んでいった。
ーー
「あぁ……ひどいね。これは。」
「うん、ひどい。」
「だってどれくらい手加減すればいいかわからなかったんだもん!!」
地面にはボロボロになったジンが横たわっていた。レイリンちゃんに殴られた脇腹付近の肋骨は全て粉砕され、いくらかは内臓まで突き刺さってしまっているようだ。
「すぐに回復させないと。」
グルンレイドのメイドは基本的に"人を殺す"ことは推奨されていない。やむを得ない場合を除き、敵であっても回復させる必要がある。
「待って。拘束が先でしょ。」
私はバインドを唱えようとして、やめた。私のバインドは全力で唱えたとしても破られる可能性がある。そこで、カバンから高純度魔力結晶とグルンレイド製の特殊なペンを取り出した。
「魔石……?」
「いや、高純度の魔石だよ。」
サラの呟きにレイリンちゃんが答える。その間に私はペンを使って地面に何かを書き始めた。
「何してるの?」
サラには見えていないようだったが、目に魔力を集中させれば見えるはずだ。
「サラちゃん、ちょっとは魔法使えるんでしょ?目を凝らしてみて。」
サラが目に魔力を集めると、不思議な模様が浮かび上がった。
「あれは……?」
「魔法陣。あまり見る機会はないと思うけど、魔道具には必ず組み込まれてる身近なものだよ。」
私が地面に書いた魔法陣は、倒れているジンを囲むように縦二メートル横二メートルほどの大きさだった。一般的に手書きで魔法陣を作成するのは専門的な知識が必要なので、メイド服の少女が構築しているこの姿は異様に映るだろう。でもグルンレイドのメイドにとっては普通のことだ。
そして何より——私はこの作業が好きだった。正確であればあるほど効果が上がるという実利もあるけれど、それ以上に、完璧な魔法陣だけが見せてくれる"圧倒的な美しさ"に私は魅了されていた。スカーレット様の完璧な魔法構築を見た時から、この道に進むと決めたのだ。
「あとはこれをここに置くと……よし、成功!」
三角形の魔法陣の頂点三つに高純度魔力結晶を置くと、透明だった魔法陣が淡い紫に光り始めた。高純度の結晶を使っているので、仮に私がこの魔法陣に拘束されたとしても解除に数時間はかかるだろう。
「じゃあ回復お願い。」
「ヒール!」
「私も手伝う。ヒール。」
レイリンちゃんだけでは複雑に粉砕された体を元に戻すのは難しいようで、オリビアちゃんも手伝った。ヒールは重ねることで効果が重複する。目立った外傷はなくなり、静かに寝ているようにすら見えるほどになった。
「次は……小屋にいた人たちだね。この人の見張り一人、残り二人でサラちゃんを連れてあの小屋に行く。」
「私見張りする!」
「おっけー。じゃあサラちゃん、オリビアちゃん、小屋に行こう。」
レイリンちゃんが魔法陣のそばにどかっと座ると、ジンのことをじっと見つめ始めた。魔法障壁のおかげでお尻は汚れないけれど、この子は本当に自由だなと思った。
「万が一何かあったらすぐに逃げてね。」
「了解。」
私はそう伝えると、オリビアちゃんとサラと共に小屋へ向かった。
ーー
「確かこの部屋だったけど……あ、いた。」
部屋に入ると、さっき倒した山賊二人は消えていた。しかし奥に縛られている人はそのままだ。
「お母さん!」
サラは走り出すと、縛られている女性に抱きついた。
「サラ!無事だったのね……。」
母親も涙を流して抱きしめていた。その光景を見て、胸の奥がじんわりと温かくなる。これだけで、寄り道した甲斐があったと思えた。
「あれ?もう一人は?」
周囲を見渡した。男性の姿がない。
「っ……夫は連れて行かれてしまいました。」
「なんで貴方は連れて行かれな……いや、その前に自己紹介しましょうか。」
私は背筋を伸ばして、サラの母親に向き直った。オリビアちゃんもそれに続く。
「私はグルンレイドのメイド、クレアと申します。」
「同じくグルンレイドのメイド、オリビアと申します。」
左足を半歩引き、スカートの裾をつまみ、ゆっくりと頭を下げる。その間に一定のスピードで周囲に魔力を放出し、移動させる。グルンレイドの礼。魔法が使える者からすれば、かなり美しい光景が広がっているはずだ。
「綺麗……っ。私はサラの母親、ミラ・スタンフォードです。この度は誠にありがとうございました。この子が無事なのも、貴方たちのおかげなのでしょう?」
「えっと……まあ、そうですね。おそらくサラちゃんがそのままだったら生き延びるのは難しかったでしょう。」
私はそう答えながら、ミラの鎖を魔法で破壊した。
「それでは先ほどの質問です。なぜ貴方は連れて行かれなかったのでしょうか?」
「それがわからないんです。ここに見張りもなしで私一人を置いていったというのもおかしいですよね……。」
「確かに。この小屋が襲撃されたのに見張りもなし、サラちゃんのお母さんを放置……。」
転がっている二人も手当なしに放置。見張りもいない。そんなことがあり得る?
まさか——
「オリビアちゃん!魔法障壁を展開して!」
「何、どうしたのクレア。」
「早く!」
私が四人を包み込むように魔法障壁を展開した直後、この状況に似つかわしくない拍手の音が響いた。
「お見事、その通り。」
入り口のそばから人が現れた。
「っ!」
オリビアちゃんが剣を構えるが、
「おっと、下手なことはしない方がいいと思いますよ。」
「オリビアちゃん、剣を下げて。」
私に止められ、オリビアちゃんは渋々剣を鞘にしまった。
細身の男だった。山賊というには華奢で、武器は何も持っていない。しかしその佇まいから放たれる圧が、ジンとは比較にならないことが一瞬でわかった。
この人の姿が見えた瞬間に、私は悟った。自分では手も足も出ない。もしかしたらオリビアちゃんと二人なら逃げることはできたかもしれないが、今はサラとミラがいる。置いて逃げるという選択肢は存在しない。
「ジンを倒したのは貴方たちですね?」
「ええ、そうです。」
「さすが"グルンレイドのメイド"。ですが、その様子だとまだ見習いのようですね。」
「……おっしゃる通りです。」
「ですが困りました……。ジンをやった相手がよもやグルンレイドのメイドとは。迂闘に手を出せませんね。」
細身の男は私たちに背を向けた。
「今回は見逃してあげましょう。グルンレイドのメイドたち、このままさっさと山を通り抜けなさい。貴方たちが探している男は道の真ん中に捨てておきますので。」
最後にちらっとミラの方を見る。
「あなた、運がいいですね。」
そう言い残すと、細身の男の姿と気配は消えた。
「何……あれ……。」
オリビアちゃんが剣の鞘を強く握りながら呟いた。
「私もわかんないけど、強いね。」
「この空間は、あいつに支配されてた。あいつの一言で運命が変わってた……。」
オリビアちゃんはそのことが悔しいようで、深くため息をもらした。気持ちはわかる。私だって悔しい。でも——生きている。それが今は一番大事だ。
「オリビアちゃん、すぐにレイリンちゃんを呼んできて。私たちは先に進んでるから。」
「了解。」
フリーマウンテンに巣食う山賊のレベルの高さに、正直驚きを隠せなかった。私たちを始末しようと思えばできたはず。それを止めたのは"グルンレイドのメイド"という名前の力だった。
「さ、奴らが再び襲ってくるかもわかりません。早くここを離れましょう。」
私はミラとサラを小屋の外まで誘導した。本来なら山賊に見つからないように道を外れた森の中を移動する方がいいのだろうけど、あの男の言う通りに道なりを歩かなければ何が起こるかわからない。サラの父親も道の上にいる可能性が高い。
その後、レイリンちゃんが合流し、四人——いや五人で道なりに進んでいった。怖いほど静かだった。私の観測魔法には山賊は誰一人として引っかからない。しかし安心はできなかった。あの細身の男レベルの隠蔽魔法を使う存在だけが、私たちの近くにいるのだと考えていた。
「オリビアちゃん、レイリンちゃん、下手なことしないでね。死ぬから。」
「了解!」
「わかってる。」
三人は全力で魔法障壁を展開しながら、ゆっくりと歩いていく。
「あ、馬車!」
レイリンちゃんが前方を指差した。整備された道にぽつんと一台の馬車が置かれていて、その傍には手足を縛られた男の姿があった。
「お、お父さん!」
サラが叫んだが、返事はなかった。
「死んで……いや、気を失ってるだけ。」
オリビアちゃんがそばに駆け寄って、縄をほどきながら様子を確認する。サラとミラはその言葉に安堵の表情を見せた。
「これでさっさと王国へ行け、ということかな。」
「そうだと思うよ。でも……肝心の馬がいないんだけど!」
周囲を見渡したが馬の姿はどこにもない。もっとも、馬がいたとしても乗りこなせるメイドはここにはいないことに気づいた。
「グルンレイドのメイドなら飛んで移動しろ、ということね……。」
馬車を浮遊魔法で浮かせるのは一般的にはかなり難しい。私一人でも浮かせること自体はできるけれど、王国まで運ぶとなるとかなりの負担になる。三人の力を合わせて運ぶことにした。
「まず二人でサラちゃんのお父さんを馬車に運んで。」
オリビアちゃんとレイリンちゃんが父親に触れると、三人は浮遊して馬車の中へ移動していった。ローズともなると触れずに物体を浮遊させることも可能だが、見習いの私たちにはまだ難しい。
サラとミラが馬車に乗り込んだのを確認すると、私は馬車の上に飛び乗った。
「じゃあ行くよ!オリビアちゃん、レイリンちゃん!用意して!」
馬車の中にも聞こえるように叫んだ。これだけ無防備な姿を晒していても攻撃される気配はない。あの男の言葉は本当だったようだ。
「せーの!」
ずぅん、という音とともに馬車が浮かび上がった。三人の力を合わせれば、特に辛いとは感じない。
「このまま王国に向かうよ!」
宙に浮いた馬車は猛スピードで道を駆け抜け、山を越えていった。
ーー
無事にフリーマウンテンを抜けた私たちは、そのまままっすぐ王国へと向かっていた。
馬車の中ではレイリンちゃんがサラやミラと話をしているようで、時折笑い声が聞こえてくる。馬車の上に座っている私には魔法によるメッセージでやり取りの内容が届いていた。
『ねえ、王国の方向はどっち?』
レイリンちゃんからのメッセージ。
『窓から外を見てみて。』
『あっ、あれか!』
窓から顔を出したレイリンちゃんの声が直接聞こえた。遠くの方に、王国らしき建物の集合体が見える。
『案外近いんだね。』
『フリーマウンテンから馬車で丸一日かかるから、一般的には遠いんだけどね。』
私たちは飛んでいるので、一般常識とはかけ離れた速度で移動している。二人の会話は魔法によるメッセージなのでサラたちには聞こえていなかったが、オリビアちゃんにはしっかり届いていたはずだ。
「あ、あの、皆さんは王国に何用でしょうか?もし宜しければ、命を救っていただいたお礼ができればと思うのですが……。」
馬車の中からミラの声が聞こえてきた。サラの父親はまだ気を失ったまま毛布の上で横になっているようだ。
「王国には特に用はありません。あなた方を送り届けたらすぐに移動するつもり……だよね?」
「いや、私に聞かれても……。」
レイリンちゃんは最初ミラに答えていたのだが、途中から自信をなくしたのかオリビアちゃんに聞いていた。もちろんこういうことを決めるのはリーダーの私なので、オリビアちゃんもわからないだろう。
『クレアちゃん、ミラ様がお礼をしたいんだって。』
『うーん、早く月の国に行きたいけど、せっかくのお誘いを断るのもね……あ、帰りに寄ろうよ。』
『了解!』
月の砂の採取が最優先だ。寄り道はフリーマウンテンで十分にした。でもサラ一家のご厚意を完全に断るのも申し訳ない。だったら帰りに寄ればいい。
「えっと、私たちはすぐに届けなければいけないものがあるので、それを届け終えたら再び王国に寄りたいと思います。」
「その時はぜひ私たちの元へ来てください!それ相応のお礼を……」
「も、もちろんミラ様の元へは伺いますが、直接お礼をもらうわけには……。」
レイリンちゃんが困ったような表情を浮かべていた。普通、貴族からメイドに品物を贈る時は、メイドを雇っている存在を通す必要がある。この場合はご主人様ということになるので、勝手にものをもらっていいのかとレイリンちゃんは悩んでいたのだ。
「ねえ、メイドとして……じゃなくて、友達として……だったら大丈夫ですよね?」
サラがレイリンちゃんに向かってそう言った。
「確かに、それだったら大丈夫かも……って、友達!?」
「友達は、嫌でしょうか?」
「全然嫌じゃないよ!でもサラちゃんは仮にも貴族であって……」
「別に関係ないでしょ。」
口を挟んだのはオリビアちゃんだった。
「立場が違う人たちが友達になれないなんて決まりはないし。」
「確かに……。」
"普通は"友達になんてなることはできない。しかしそれは世界が、貴族が作り出した歪んだ常識にすぎない。グルンレイドのメイドにとっては、もはや考える必要のないものだ。ご主人様はいつだって、種族も身分も関係なく平等に人を見ている。私たちがその考えに倣わない理由がない。
「こういうことに関してはもっと自由でいいのかもね。おっけー!私たちは友達!」
自分自身に確認するように、レイリンちゃんはそう言った。するとサラがレイリンちゃんに抱きついた。
「うわぁ!」
「助けてくれて、ありがとうございました。」
レイリンちゃんは一瞬驚いたが、その言葉を聞くとサラの頭をそっと撫でた。
「いい匂い……。」
サラは抵抗することなく、レイリンちゃんの胸に顔をうずめていた。柔らかなメイド服の素材からはローズマリーの香りが広がっている。グルンレイドの石鹸と洗剤に使われている香りだ。私たちにとっては当たり前の匂いだけど、外の人にとっては珍しいものなのかもしれない。
「サラ、あまりメイドさんを困らせては……。」
「そっとしておいてあげてください。多分、怖かったんですよ。」
ミラが注意しようとしたのを、オリビアちゃんが止めた。
「そう、ですね。あの子もきっと怖い思いをしたのでしょう。」
ミラは自分が気づけなかったことを悔いているようだったが、ミラ自身だって怖い思いをしたのだ。仕方のないことだと思う。
「今度は事前に通る道の正確な情報を集めて、十分な武装をしてから移動した方がいいです。」
「あなたの言う通りね。この人にも伝えておくわ。」
横になっているサラの父親を見ながら、ミラはそう答えた。
そんな会話が数回続くと、馬車は王国の門に到着した。
王国の門番は、空から降りてきた馬車を見て腰を抜かしていた。まあ、無理もない。馬もいないのに宙に浮いた馬車が降りてきたら、誰だって驚く。
「グルンレイドのメイドです。この方々を送り届けに参りました。」
私が銀色のバッジを見せると、門番は慌てて道を開けてくれた。グルンレイドの名前は王国でも通用するようだ。
馬車をゆっくりと地面に降ろすと、ミラが扉を開けて降りてきた。続いてサラ、そして目を覚ましたばかりのサラの父親が、ミラに支えられながら外に出る。
「あ、あなた!大丈夫!?」
「ミラ……サラ……無事だったのか……。」
父親はまだ意識が朦朧としているようだったが、家族の顔を見て安堵したのか、その場にへたり込んだ。
「お父さん!」
サラが駆け寄って抱きつく。その光景を三人で少し離れたところから見守った。
「……よかったね。」
「うん。」
「よかった。」
三人とも、同じことを思っていた。
しばらくすると、ミラが私たちの方へ歩いてきた。
「本当に、なんとお礼を言えばいいのか……。」
「お気になさらず。帰りにまた寄りますので、その時にゆっくりお話ししましょう。」
「えぇ、必ず。スタンフォードの屋敷はこの通りをまっすぐ進んだ先です。門番に名前を伝えていただければ通れますので。」
「かしこまりました。」
私がグルンレイドの礼で頭を下げると、オリビアちゃんとレイリンちゃんもそれに続いた。
「レイリンさん。」
サラが父親のそばから顔を上げて、こちらを見た。
「また来てくれる?」
「もちろん!約束だよ。」
レイリンちゃんがにっこりと笑って手を振った。サラも笑顔で手を振り返す。あの出会った時の怯えきった顔が嘘のようだった。
「さて。」
私は王国の先、南の方角に目を向けた。ここから先が本来の目的地だ。
「王国を抜けて、さらに南。砂漠の向こうに月の国がある。」
「遠いの?」
「飛行速度次第だけど、多分三、四時間くらいかな。」
「了解。早く行こう、日が暮れる前に着きたい。」
オリビアちゃんがそう言って、すでに浮遊魔法を展開していた。さっきまで感傷に浸っていたのに、切り替えが早い。さすがだ。
「じゃあ行くよ。目指すは月の国!」
「「了解!」」
三人は再び空に飛び上がった。王国の街並みがどんどん小さくなっていく。南に目を向けると、緑の景色が徐々に減り、茶色く乾いた大地が広がり始めていた。
あの先に、砂漠がある。そしてその向こうに、月の国がある。
寄り道はしたけれど、後悔はしていない。サラの笑顔を見られたこと、自分たちの力で人を救えたこと。それは月の砂と同じくらい——いや、もしかしたらそれ以上に大切なものだったかもしれない。
でも、ここからが本番だ。
私はカバンの中にある採取用の容器を背中越しに確認しながら、南の空を真っ直ぐに飛んだ。




