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極悪辺境伯の華麗なるメイド  作者: かしわしろ
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海底神殿7

十分ほど休憩を取った後、私たちは台座の前に立っていた。

戦闘の痕跡が残る広間の中で、台座だけは無傷だった。機械の残骸も、アナスタシアが壁を砕いた破片も、台座には一切触れていない。まるで何かに守られているかのようだった。しかし、私にはそれが何なのかはわからなかった。


台座の上に乗っているのは、拳ほどの大きさの宝石だった。透き通った青色をしていて、内部でかすかに光が脈打っている。まるで生きているかのようだ。紋様の光とは違う、もっと温かみのある光。


「これがシーズロマンス……。」

リアが手を伸ばしかけて、止まる。


「触って大丈夫かな。」

「指示書には採取方法の注意は書かれていなかった。素手で問題ないと思う。」

「……うん。」

リアがそっと宝石を手に取った。


「冷たい……でも、なんだろう。手の中で脈打ってるみたいな感覚がある。」

宝石はリアの手のひらの中で静かに光を放っている。その光がリアの指の隙間から漏れ出して、リアの顔をほんのり青く照らしていた。


「綺麗……。」

「見せて。」

リアの手元を覗き込む。確かに美しい宝石だった。透明度が高く、奥の方で光が揺らめいている。しかし不思議なことに、聖力も魔力も瘴気も感じない。この宝石自体にはエネルギーが内包されていないようだった。では、この光は何なのだろう。


「本当に綺麗ですわね……。壊すのが少しもったいない気がしますわ。」

アナスタシアが名残惜しそうに宝石を見つめている。


「持ち帰る必要はないって言ってたから、このまま海底神殿を出て、海の底で破壊する。」

カルメラさんの指示通りだ。採取して、持ち帰らず、海の底で壊す。効果も理由も教えてもらえなかった。しかし、ここまで来たのだから最後まで指示に従う。


「リア、落とさないように。」

「わかってるって。」

リアは宝石を大事そうに両手で包み込んだ。


「行こう。」

三人は来た道を戻り始めた。

帰り道は行きよりも早かった。敵がいないとわかっている道を歩くのは気が楽だ。崩れた壁や散らばった金属片を避けながら、三人は黙々と歩いた。


「ねえ、あの聖族は大丈夫かな。」

リアがふと口を開いた。


「気絶しただけ。命に別状はないはず。」

「……よかった。」

リアはほっとした表情を見せた。魔神化している時とは別人のように優しい顔だった。


「敵だったのに心配するのですわね。」

「だってさ、あの聖族もここを守るためにいたんでしょ?私たちが侵入者みたいなものだし。」

「……確かに、そういう見方もできますわね。」

リアの言葉に少し考えさせられた。あの聖族がなぜ海底神殿にいたのか。機械に聖力を供給していた理由は何だったのか。この神殿を守る役目を負っていたのだとしたら、あの聖族にとって私たちは侵入者以外の何者でもない。


「帰ったらカルメラさんに報告する。あの聖族のことも。」

「そうだね。」

私たちは来た道をそのまま引き返した。障壁魔法と空間魔法を再展開し、呼吸を確保する。消耗した状態での水中活動は正直きつかったが、あとは宝石を壊して帰るだけだ。


神殿から少し離れた海底の砂地まで移動する。周囲を確認し、魔物の反応がないことを確かめた。


『ここでいい。』

私は立ち止まった。三人の間に、わずかな緊張が走る。何が起こるのかわからない。カルメラさんが効果を伏せた宝石を、今から壊す。


『リア、破壊して。』

『……うん。』

リアはシーズロマンスを両手で握り直した。宝石の光がリアの指の隙間から漏れ出している。


『なんか、壊すの緊張する。』

『私もですわ……。』

アナスタシアが固唾を呑んで見守っている。

リアが魔力を込めた。宝石に細かいひびが入っていくのが、障壁越しに見えた。


パキン、という小さな音がした。


——次の瞬間。


宝石が弾けた。


リアの手の中で砕けた欠片が海水に触れた途端——目を焼くほどの光が溢れ出した。


『っ……!!』


思わず目を閉じてしまう。しかし瞼の裏にまで光が届いていた。


おそるおそる目を開けると——


光が、花のように咲いていた。


砕けた宝石の欠片の一つ一つが海水と反応し、色とりどりの光を放ちながら四方八方に広がっていく。赤、青、金、白。光の粒子が水中をゆっくりと舞い上がり、まるで花火のように次々と弾けては消え、弾けては消え、また新たな光が生まれる。


暗い海底が、一面の光に包まれた。


砂の一粒一粒にまで光が反射して、海底そのものが輝いているように見えた。光の粒子は上昇しながら色を変えていく。青から金へ、金から白へ、白から淡い桜色へ。その一つ一つがまた小さく弾けて、さらに細かな光の粒を生み出す。


光は次第に上昇していき、海底から海面に向かって無数の光の柱が立ち上った。柱は途中でほどけるように広がり、花火のように夜空に——いや、夜の海に咲いた。暗い深海が、一瞬だけ昼のように明るく照らし出される。五百メートルの水深すべてが光で満たされていた。


シーズロマンスの正体はこれだったのか。海水に触れると爆散する宝石。その爆散がこんなにも——。


『……なに、これ。』

リアが呆然と呟いた。両手はまだ宝石を握る形のまま、動かない。


『美しいですわ……』

アナスタシアは言葉を失いかけていた。目に涙が浮かんでいるのは、光が眩しいからだけではないだろう。


私は声が出なかった。


光の粒子がゆっくりと降り注いでくる。まるで雪のように、けれど雪よりもずっと温かな光が、三人の周りを包み込んでいた。障壁魔法に触れた光の粒が小さく弾けて、さらに細かな光になって散っていく。


今まで見たどんな景色よりも、美しかった。グルンレイドの屋敷から見る満天の星空も、今日初めて見た海の広さも、トリエ山脈を越えた瞬間に広がった水平線も、テラスから眺めた夕焼けの港も。そのすべてを超える光景が、目の前に広がっていた。


この世界にこんなものがあるのかと思った。こんなに美しいものが、暗い海の底に隠されていたのかと。


光は少しずつ弱まっていった。最後の光の粒が水面に向かって昇っていき、やがて海底は元の暗闇に戻った。


しかし三人はしばらくの間、その場から動くことができなかった。サーチライトの魔法も唱え直さないまま、暗闇の中に立ち尽くしていた。


『……カルメラさんが、言えなかった理由がわかった。』

しばらくして、私が口を開いた。リアとアナスタシアがこちらを向く。暗がりの中でもわかるほど、二人の目は潤んでいた。


『これは、言葉で教えてもらうものじゃない。自分の目で見るものだから。』

カルメラさんはシーズロマンスの効果を秘密にした。破壊する理由も教えなかった。授業で質問しても「詳しくはわからないわ」とはぐらかされた。あれは全部、この瞬間のためだったのだ。


知っていたら、期待が先行してしまう。「きっと綺麗なんだろうな」と想像してしまう。知らないからこそ、この驚きがあった。何の準備もなく、暗い海の底で突然目の前に現れたからこそ、この感動があった。


『……帰ろう。』

『うん。』

『ええ。』

三人はゆっくりと海面に向かって浮上を始めた。暗い海の中を上昇していくと、次第に水の色が明るくなっていく。深い藍色から、青へ、そして光の差す水色へ。


海面を突き破った瞬間、太陽の光が目に飛び込んできた。もう午後になっている。水面に浮かびながら空を見上げると、雲一つない青空が広がっていた。


三人はしばらく水面に浮かんだまま、空を眺めていた。海底の光を見た後では、空の青さも、雲の白さも、太陽の温かさも、全部が少しだけ違って見えた。世界はこんなにも綺麗だったのかと、改めて気づかされたような気がした。


「帰ろう。カルメラさんに報告をしたい。」

私がそう言うと、二人は大きく頷いた。


——

グルンレイド領に帰還した私たちは、カルメラさんの前に立った。メイド服についた海水の匂いはまだ少し残っていたが、着替えるよりも先にここに来たかった。


「おかえりなさい。任務の報告を聞かせてちょうだい。」

カルメラさんはいつもと変わらない穏やかな表情で私たちを迎えた。


「海底神殿にてシーズロマンスを採取、指示通り海底にて破壊しました。」

「ふむ。」

「なお、神殿内にマシニング族と思われる機械が一体存在し、交戦の末これを停止させています。また——」

少し言い淀んだ。


「また?」

「神殿内に聖族が一体潜伏していました。機械に聖力を供給していたようです。交戦の末、アナスタシアがこれを制圧。意識を失わせるにとどめ、殺傷はしていません。」

カルメラさんの表情がわずかに変わった。聖族の存在は、カルメラさんにとっても想定外だったようだ。


「聖族が……そう。それは想定していなかったわ。よく対処したわね。」

「はい。アナスタシアの闘気がなければ危うかったです。」

「私はそんな大したことは……」

アナスタシアが謙遜するが、カルメラさんはアナスタシアの目をまっすぐに見た。


「アナスタシア、極東での修行が活きたようね。よくやったわ。」

「……ありがとうございます。」

アナスタシアの頬がほんの少し赤くなった。カルメラさんに直接褒められることは、そう多くはない。


「リアは?」

「元気です!……ちょっとだけ魔力使いすぎたけど。」

「あなたの場合は使いすぎても寝れば治るから心配していないわ。」

「えへへ。」

カルメラさんは三人を見回して、一つ頷いた。


「三人とも、ご苦労様。怪我がなくてよかったわ。聖族の件は私からイザベラ様へ報告しておく。あなたたちは今日はゆっくり休みなさい。」

「はい。」

報告は終わった。しかし私はまだこの場を離れる気にはなれなかった。


「カルメラさん。」

「なに?」

「シーズロマンスの効果……知ってたんですよね。」

カルメラさんは少し目を丸くした。それからふっと笑った。穏やかな、けれどどこかいたずらっぽい笑みだった。


「あら、なんのことかしら。」

「……授業の時も、はぐらかしてたでしょう。『詳しくはわからないわ』って。」

「さあ、どうだったかしら。」

とぼけている。完全に、わかっていてとぼけている。しかし私はそれ以上追及する気はなかった。


「……ありがとうございました。」

私が深く頭を下げると、リアとアナスタシアも続いた。


「ありがとうございました!すっごく綺麗でした!」

「ありがとうございましたわ!一生忘れません!」

リアは興奮が抑えきれない様子で声が大きくなっていたし、アナスタシアもいつもの冷静さはどこへやら、感動が滲み出ている。


カルメラさんは三人の顔を一人ずつゆっくりと見回した。その目がどこか嬉しそうに、そしてほんの少しだけ寂しそうに細められる。


「……実はね、私もあの光を見たことはないの。」

三人は顔を上げた。


「えっ……?」

リアが驚いた声を出す。私も意外だった。てっきりカルメラさん自身が見たことがあるからこそ、私たちに秘密にしたのだと思っていた。


「イザベラ様から聞いたのよ。『Sea's ROMANCEはとても美しい』と、それだけ。具体的に何がどう美しいのかは、イザベラ様も教えてくださらなかったわ。」

カルメラさんの視線が窓の外に向けられた。


「だから正直なところ、あなたたちがうらやましいわ。」

その声には、冗談めかした軽さの中に、ほんの少しだけ本音が混じっていた。


「あなたたちの顔を見れば、どれだけ美しかったのか伝わってくるわ。……それで十分よ。」

カルメラさんは穏やかに微笑んだ。しかしその目の奥に、ほんのわずかな羨望の色が見えた気がした。


「とりあえず、お風呂にでも入ってきなさい。」

「か、かしこまりました。」

私たちは自分のにおいをかぎ、やはり海水臭いと気づきすぐにお風呂へと移動する。


部屋を出た後、三人は廊下を歩いていた。夕方の陽光がステンドグラスを通して廊下を染めている。赤、青、金。あの光を思い出させる色だった。


「あの光、一生忘れないと思う。」

リアが窓の外を見ながら言った。


「私もですわ。」

アナスタシアが隣で頷く。


「……うん。」

私も小さく頷いた。


「ねえメルテちゃん、カルメラさんってさ、いつもあんな感じで笑うっけ?」

「……いや、今日のは少し違った気がする。」

「だよね。なんか、嬉しそうだったよね。」

「嬉しかったのでしょうね。私たちの顔を見て。」

アナスタシアがそう言った。カルメラさんは自分では見たことのない景色を、三人の反応を通して感じ取ったのだ。それはそれで、一つの受け取り方なのかもしれない。

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