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リョウカタオモイ

作者: せっきー

──街を赤く染める夏の夕暮れ。世間の帰宅ラッシュが始まるが故に、家のすぐ脇を通る国営鉄道のレールジョイント音が忙しく鳴り響く。僕がこの家で生まれ育ち35年、毎日聴いているせいか僕の頭のなかには、最寄りの駅よりもここを通る列車の時刻表が完成されていた。時にこの音が僕に青春を思い出させ、時にこの音が僕に後悔をさせる。長い年月を経てすっかり姿を変えたはずの街に、僕は独りぽつんと時代に取り残されている気がした。



──僕には小学生のころ、6年間同じクラスになった女の子がいた。名は荻原奏羅(おぎわら・そら)。彼女には弟もいて、その名は朱快(すかい)というらしい。ぱっと見ではエキセントリックな名前ではあるが、彼女らの父親は飛行機の操縦士、母親は客室乗務員ということで、空に関する名をつけたという。奏羅も将来は空に携わる仕事をしたいと常に語っていた。


そんな奏羅とは家が近かったこともあり、休み時間や放課後にはよく一緒に遊んでいた。休日にはお互いの家へ遊びに行ったり、夏休みには町内会の縁日や花火大会にも参加した。これが中学生や高校生ならば付き合いたてのカップルのようなものなのだろうが、あくまでも「仲のいい同級生」としての2人だった。

しかしこの2人の関係の均衡を、僕は破ることになった。正確には破ってはいないのだが、奏羅と多くの時間を過ごしたことにより、いつしか友情を越えた好意を持ち始めた。俗にいう「初恋」というものである。それでも当時の僕は「恋」の本当の意味もあまり分かってなかったし、なんだか恥ずかしくて誰にも言うことはできなかった。


そんな想いを胸に秘めながら、僕らは卒業の日を迎えた。ちょうどこの頃、彼女は親の都合で引っ越すことが決まっており、僕と奏羅は別々の中学校に進学することになった。ここで奏羅への想いを直接伝えなければ、一生伝えることはできなくなる。しかし僕には勇気がなかった。これが本当に「恋」なのか、その自信がなかった。電話番号こそ知っていたものの、お互い多忙を極め電話をかける時間も無くなり、僕たちの関係は冷凍保存されることになった。

無論、解凍される保証など無い。確率的には、解凍されるよりもミイラ化するほうが可能性が高いだろう。でももうそれで良い。簡単には無くならない思い出なのだから、ここに置いていこう。そう自分に言い聞かせた。



──中学生としての生活のなかでは、思いの外寂しさを感じることはなかった。奏羅以外にも友達はいたし、ほとんどが同じ中学に進んだ。次第に新たな友達もでき始め、部活動が始まると先輩たちとも交流する機会も増えた。とはいえサッカー部なので女子はいなく、泥にまみれた汗臭い男子集団の一員としてボールを追い続けている。入ってすぐの僕は女子を追う時間など当然なかった。先輩たちのなかには彼女がいる人もいて、彼氏の活躍を見る傍ら、部活動の休憩時間には部員を癒しに来てくれる。どうやらこれがサッカー部の言わずと知れた慣例らしく、普段は目覚まし時計のスヌーズ機能並みの短期で怒号を飛ばしてくる顧問ですらその様子を笑いながら見ているのだった。

しかし先輩たちが卒業すると、絶対に起こってはいけないことが起こってしまった。僕たちの学年は7人いるにも関わらず、誰一人として恋愛運に恵まれなかったのだ。その状況を見かねてか、保健室のおばちゃんや僕のクラスの副担任が暇潰しに様子を見に来るようになった。少しして2年生ゴールキーパーに同い年の彼女ができたが、それを顧問が知るや「彼女を連れて来いよー」とぼやく始末である。しかしながらその子も年下のため、いざ連れてくるとお互い気を遣ってばかりで憩いもへったくれもない。


こんな時ふと、奏羅がいたらどうだったのだろうと考えてしまう。いや、当時から付き合っていたわけではないのだから、どうもこうもない。だけどもし自分があのとき勇気を出して想いを打ち明けていれば…そう思い始めると、理想と現実との乖離にただただ虚しさを感じる。本当はそうじゃないんだ。奏羅は引っ越したから別々の中学校に行ったんだ。この運命は変わらない。


最高の顧問や仲間たちに囲まれた3年間は、あっという間に過ぎ去っていった。迎える中学校卒業式。結局僕に彼女はできず、それなりに仲の良い女友達はできたけど、今後長続きするような人かと訊かれると頷き難い。僕の恋愛運は、高校で発揮されることを願うことにした。



──彼女を作れなかったおかげか、僕は部活動と勉強との両立が非常に上手くいき、高校は県内随一の進学校に合格した。サッカーについては地区大会を初戦で敗退したトラウマからしっかり諦めがついた。何か新しい部活動を始めるか、あるいはいっそのことガリ勉を極めるか。仲のよかった同級生は違う高校へ進学し、高校ではまるっきり新たな環境からのスタートとなる。


…はずだった。入学式が終わり、自分のクラスの教室に向かう。新たなクラスメートとの初顔合わせ。完全に心機一転できており、意外にも緊張はしなかった。出席番号順に振り分けられた座席表。運が良いのか悪いのか、僕の座席は教室全体で見てもほぼ中心で、友達を作るには絶好の座席かもしれない。とは言え自分から積極的に声をかけていくタイプではないので、とりあえず無言で場の雰囲気を味わっていた。そんな精神的な静寂を切り裂くように、聞き覚えのある声が聞こえた。


「大翔くん?」


──そういえば、僕の名前は滝宮大翔(たきみや・ひろと)という。父親は高校の教員、母親は看護師という、特に触れるところはない一般的な家庭に生まれた一人息子である。強いて言うならば、中学のサッカー部で仲のよかった先輩の一人が、現在進行形で父親の教えを受けているという奇跡が起こった程度だろうか。


──そんなことはどうでも良い。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で振り向くと、そこには奏羅の姿があった。3年前の面影は残しつつ、長い髪を後ろで結び、麗しい女性になっていた。


「あーやっぱりそうだー!覚えてる~?」

「覚えてるよー!奏羅に落書きされた算数のノートまだ残してあるよー!」

「ハッハッハ!確かに落書きしたわ!スヌーピーだよね!」

「え、あれってホルスタインじゃないの?(笑)」

「違うって!今はもっと上手く描けるもん!」


少しずつ、冷凍保存されていた記憶が解凍されていく。そして同時に、あの日の後悔も蘇る。でももう後悔する必要はないのかもしれない。あの日想いを伝えていたら、きっと今日も気まずい2人になっていた。僕の恋心がまだ残っているのか、それは正直わからない。でもこのまま友達のままでいる方がお互いのためになるのなら、それでいいのかもな。

少なくとも僕の心には、3年前にはなかった安心感と余裕が芽生えていた。



──入学式後の学級レクリエーションが終わり、電車通学の生徒は在学証明書の発行をしに事務室へと移動する。僕も奏羅も電車通学なので、一緒に向かうことにした。話しながら階段を下りていると、後ろからハイテンポで迫り来る足音が聞こえてきた。すると突然、


「奏羅!!」


と矢のような女の声が刺さってきた。肩をすぼめながら振り向くや、奏羅は


「はなび!!」


と同じテンションで返す。呆気にとられていた僕に気づいた奏羅が紹介してくれた。


藤野華美(ふじの・はなび)、奏羅とは同じ中学の同級生で、定期考査では毎度この2人が学年成績のトップ争いを繰り広げていた仲らしい。とは言えお互いライバルに思ったことはないらしく、名前からしても最高のバディである。

ちなみに華美という名もなかなか風流なのだが、生まれた日の病院の窓からは近隣神社の祭りで打ち上げられていた花火が見え、どんなに暗いところでも周囲を華やかに美しく照らしてほしいとの願いを込め名付けられたらしい。


奏羅と華美は同じ中学出身だけあり、通学定期区間は同じだった。高校の最寄りは国営線であり、僕はその路線の沿線に住んでいるが、2人は途中にあるターミナル駅で私鉄に乗り換える。そこから快速列車で3駅離れたところが2人の最寄りであり、地図上では僕の家から3kmほど離れたところに住んでいる。僕の家の最寄り駅の名を見た奏羅は

「懐かしいなぁ、引っ越してから一度も行ってないや…」

と呟いた。

一方の華美はずっと同じところに住んでおり、近所に引っ越して来てすぐの奏羅に町を案内したという。僕と幼馴染みの奏羅と仲が良いだけあって、帰りに3人で寄ったファミレスでは会話が弾み、夕方まで話し込んでしまった。特に驚いたのは、華美の5歳上の兄が次世代サッカー日本代表候補である藤野嗣久(ふじの・つぐひさ)選手だったということである。日本サッカーリーグにおけるルーキーの最多ゴール数記録を更新した若きエースの妹とあって、幼い頃から兄との遊びはボールを追いかけることだったという。僕たちの会話に奏羅はぽかんとしていたが、何せ中学生時代からこの調子なので慣れているみたいだった。


幼馴染みの奏羅との再会は、僕のなかで止まっていた時間が改めて動き出した瞬間だった。しかし華美の存在は、奏羅との時間に水を差すわけでもなく、まるで華美がいなければ動き出さなかったような気さえする。僕の奏羅への想いは間違いないはずなのに、もうひとつの運命のような華美との出逢いに、僕の心は揺らぎ始めた。



──5月初旬、始業式の翌日に行われた習熟度確認試験の結果が発表され、1学年260人のなかで僕たち3人がトップ3を独占した。その祝勝会とまでは言わないものの、それを記念して今ではすっかり定番となった3人組でファミレスに食事に行くことになった。


昼のピークを少し過ぎる頃に店内に入ったが、例にならって夕方まで話し込んでしまう。その話題は学校のことから始まったが、いつの間にか恋愛のことにすり変わっていた。


「滝宮くんは中学で彼女とかいたー?」


華美が笑顔で訊いてくる。


「いやーいないよ。ずっとサッカーやってたからね」

「でもあそこの鬼顧問、3学年メンバーの彼女と会いたがるでしょー?」


…どうやら、母校の顧問は県内でもかなり有名らしい。


「そうなんだよ、でも俺らの学年は誰も彼女作れなかった」


…僕の一人称がバレてしまった。まあ口語文なので容赦願いたい。


「そっか…滝宮くんめっちゃモテそうだけどなぁ。私は好きだけどな」


華美の不意打ちなその一言に、心臓が一瞬止まった気がした。そんなことは知る由もなく、華美は奏羅にも話を振る。


「奏羅は卒業するとき、當眞(とうま)くんから告白されてたよねー(笑)」


…華美は僕の心臓の動きを取り戻す気がないらしい。


「うん、でも断ったけどね」

「さすがに當眞くんは奏羅と吊り合わないって思ってたよ。天才少女の奏羅が赤点常習犯の當眞くんと付き合うとか想像できないもん(笑)」

「うーん、優しい人ではあったけどね、でも大翔くんと比べちゃうとやっぱり負けちゃうかな、なんてね~」


…どういう会話なんだ。もはや自分が現実世界から遠く離れた世界線にいるような気さえしてくる。華美の「私は滝宮くん好きだけどな」も、奏羅の「大翔くんの方が好きかな」も、僕の片想いを良い意味で裏切られた気がした。


解散して家に着くも、あのときの2人の言葉が気になって仕方がなかった。思いきって、それぞれにメールであの言葉の真意を訊いてみた。


「華美、さっき言ってくれた言葉ってどういう意味?」

「さっき言ったことって?」

「俺のこと好きだなって言ってくれたの」

「あー、、うん。半分本心、半分冗談、かな。冗談っていったら変かもだけど笑」


「奏羅、さっき言ってくれた言葉ってどういう意味?」

「んー?當眞くんのこと?」

「うん、俺と比べるとって言ってたじゃん、あれってどういうことなんだろうって思って」

「ずっと黙ってたけど、わたし大翔くんと6年間一緒で、3年ぶりに会えてすごく安心したの。それってもしかしたら、6年間っていう時間以上の感情が大翔くんにあるのかもしれないって思ったの。実際、當眞くんに告白されたとき、大翔くんと比べちゃったんだ。」


どっちかは僕の想いを踏み躙ってくれると思ってた。そうすれば、僕の心は諦めがついたのに。



──時は流れて8月。三学期制を導入している僕たちの高校では、7月の初旬に学期末試験が行われた。例にならって成績上位トップ3は僕と奏羅と華美である。それをみてか、担任から中学生の夏期講習の特別講師をやってみないかとのオファーがきた。とは言えこれは毎年1年生の中から数名が経験できる貴重な恒例行事で、今年は僕たち3人が推挙され職員満場一致で決まったという。


僕たちが訪れる中学は私鉄線沿いだった。奏羅と華美が乗り慣れる車輌に、僕は何年ぶりか乗車した。初日こそその車内では3人で話していたが、5日間の講習の最終日には疲労の色が見え始め、行きの電車すら体力回復に充てた。何とかやり切り、帰りの電車内は意外にも元気になっていた。


ふとドアの上の路線図を眺める。へぇ、この路線は水族館を経由するのか。水族館なんて久しく行ってないな。しかも家族で県外に旅行に行ったときの1回だけだ。水族館行きたいな。そうだ…


「ねえ奏羅、華美、今度3人で水族館行かない?」


「おーー!いいね!」

「行きたい!」


本当は、好きな人と2人きりで出かけるのが筋なのだろう。意外にも僕は優柔不断だった。いや、そうではない。2人の本心は、まだ擦り硝子の向こう側にあるのだ。それっぽいことは言われたが、あれは友達としてなのか、恋愛対象としてなのかが不明瞭だった。そんな状態なら、とりあえず2人とも誘えば良い。幸いにも2人には僕が恋愛的な好意を持っていることはバレていない。あくまでも友達として一緒に出かけるのだ。


迎えた2週間後、そんなこんなで2つの「両片想い」が併存する僕たちは、無事に水族館に到着した。名物のイルカショーやアザラシへの餌やり体験、ペンギンレースなど、なんだか遊園地にいるような感覚だった。


その帰りの快速列車では、講習のとき以上にクタクタになった。あまりに空いている車内は、まるで僕たちの貸切状態である。それでも僕らは3人並んで座る。僕が真ん中に座り、右には奏羅、左には華美がいた。世間的には僕は「両手に花」である。すっかり疲れきった2人は、僕の肩に頭を乗せ眠ってしまった。同じ車輌には他に客がいないので、この時間がずっと続けば良い、そう思いながらスマホを取り出した。2人の寝顔を撮るなんて気色悪いかもしれないが、僕にとっては良い思い出の1ピースであった。両肩にかかる重さは、2人を失いたくないという感情に拍車をかける。もう、僕は2人とも好きだ。それでいいのかもしれない。


やがて僕の乗り換える駅に到着した。本当なら2人の降りる駅まで付き添うのが男の役目なのだろうが、この駅を境に乗客が増えること、そして乗り馴染みのある2人なので、いつものターミナル駅で別れることにした。

車内から手を振る奏羅と華美。ホームで車輌を見送り、僕は国営線に乗り換えた。時間的には夕方のラッシュアワーだったのに、座席に座れるくらいには空いていた。家の最寄り駅まですこし時間があったので、2人にメールを送る。


「今日は本当にありがとう。3人で行けて楽しかったし最高だった!夏休み明けたらまた学校でもよろしくね!お疲れさま!」


しかしそのメールを、2人が読むことはなかった。



国営線に揺られ数分。危うく寝そうになったが、降りる駅についた。ここから線路沿いの道を歩いて5分ほどで僕の家がある。一軒家が建ち並ぶ地域なので、理想的な「閑静な住宅街」である。帰宅して自分の部屋に駆け込み、ひとまずベッドにダイブする。かれこれ1時間ほどぐうたらしていたが、このまま寝てしまったら問題なので、何とか体を起こし早めにシャワーを浴びた。


さっぱりした体で風呂場からリビングに戻る。両親は仕事でいない。薄暗い中でテレビを点ける。するとそこには、見覚えのある電車が見覚えのある街で脱線横転し、大破した車輛からレスキュー隊や救急隊によって乗客が救出されている模様が映し出された。呆然と画面を見つめる。ふと我に帰り、スマホを確認したが、国営線の車内で送ったメールの返信はなかった。

ひっきりなしに伝えられる「怪我人多数」の言葉。推定ではあるが200人以上の怪我人がいるとされ、少なくとも15人の死亡が既に確認されていた。2人が乗っていた車輛だと確認され、せめて奏羅と華美の命だけでも無事であってほしい、そう願った。

同時に、あのとき自分も乗り換えずに一緒にいれば…後悔の思いが浮かぶ。もし生きているのなら、せめて連絡だけでもほしい。ただ、今の僕には何もできることはなかった。


次第に状況が明らかになった。怪我人は400人以上、死者は合計で54人という大事故だった。そして奏羅と華美は、54人の中に含まれていた。事故の原因は、線路沿いにある崖が崩壊し瓦礫が線路内に流入、それに乗り上げたためだと結論付けられた。前々からここは崩壊の危険性が予見されており、翌々日から足場を組んで補強工事が行われる予定だったという。その目前の大事故。やるせない思いでいっぱいだった。

なお、父親はこの私鉄線沿いの高校で教鞭をとっているため、今回のことについても一層注目していた。また母親が勤める病院には、この事故による怪我人が多く搬送されたという。


奏羅と華美とは予期せぬ形での別れとなった。もはや悲しみや後悔、怒りなど、全部の感情が散らばって何も考えられない。食欲はおろか時の流れを感じることすら苦痛であった。それどころか、あの日2人を水族館に誘った自分自身に苛立つ。もし前の日なら、いや1本前の電車でも、後の電車でもよかった。なのになぜあの電車であんなことが起こったんだろう…


事故の2日後には、死者の中に藤野嗣久選手の妹が含まれているとの報道もされ、それを取り上げられる度に心の傷が更に深まっていった。


無情にも時は流れ、高校の二学期の始業式。校長がこの2人のことについて、声をつまらせながら哀悼の意を表した。1分間の黙祷と共に、僕の中にはあの日の光景が走馬灯のように蘇った。



──それから20年ほど経った。僕はその悲しみに耐えながらも勉学に励み、奏羅と華美と3人で守ってきた学年トップの座を誰にも明け渡さなかった。勢いそのまま県内の国立大学に進学し、父親と同じく高校の教員になった。僕が奏羅と華美と過ごしたあの高校である。両親は共に定年退職し、今でも変わらぬ一軒家で家族3人で暮らしている。

奏羅の弟である朱快くんは、姉の事故死を受け地質学者の道を選んだという。

また華美の兄である嗣久さんは、妹を失ったことと事故直後のメディアによる執拗な取材や報道によるストレスで成績不振に陥り、22歳の若さで現役を引退した。その後数年間のブランクを経て、現在では日本サッカーリーグを3連覇しているチームで監督を務めている。その傍ら、脱線事故の被害者遺族会の会長や「適正な報道の在り方」についての講演会を行うなど、自身の経験を基にした情報発信活動を積極的に行なっている。


僕が教員という職に就いたのも、ある意味ではこの事故が関係している。

学校が夏休みであるその中の1日に、確実に休暇をとるようにしているのだ。その日は決まって午前中、水族館に足を運ぶ。そしてその午後には、あの日と同じ時刻に水族館の駅に入線し、あの日と同じ時刻にターミナル駅に到着し、あの日と同じ時刻に奏羅と華美が降りるはずだった駅に到着する快速列車に乗る。普段なら混雑する時間帯にも関わらず、なぜか毎年この日だけは、あのときと同じ貸切状態となる。あの日座った座席で静かに目を閉じる。すると少しずつ身体の芯から暖かさを感じ始め、次第に両肩が重たくなるのを感じた。きっと右側に奏羅が、左側に華美がいるのだろう。両肩に掛かる重さは、あの日幕を下ろした僕たちの「最後の青春」の全てである。

そしてあの日と同じ、ターミナル駅で降りる。もう奏羅と華美が車内から手を振ることはない。それでも、この列車が運ぶ全ての人たちが笑顔でいられることを願い、必ずホームで車輛を見送る。本当なら奏羅と華美が降りる駅まで帰るのをきっちり見送るべきなのかもしれないが、あの2人ならそんな僕を引き留めるだろう。あの区間だけでも再会できれば十分だ。


ちなみに、35歳になった今でも僕は未婚でいる。実を言えば気になった人はいたが、奏羅と華美に片想いしていた頃と比べると、楽しさも安定感も感じられなかった。だから腹をくくって、2つの「両片想い」を守り続けることにした。決して両想いにはなり得ないけれど、それで良いんだ。また来年、あの3人でここで逢おう。


──終──

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