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2章38話 謝罪

「どうした」

「どうしたんですかね」

「どうしたもんですわ」


―― 基本的に暗いが、朝食の時間。

グレン、ケイジ、モニカ三名の前でエリーとアーノルドが仲良くうつらうつらと舟を濃いでいる。昨晩、どうやら何かあったのだろう、二人は起きてもろくすっぽ顔を合わさないし、会話もしない。明らかにお互いを意識して遠ざかっていた。


(こいつら、こんな調子で探索できるのか?)


……と精神面、特にエリーは精神的な動揺が如実に表に出るタイプなのでそれを心配したのだが、今は健康面で「大丈夫か?」と言わざるを得ない。見るからに寝不足である。二人の事を知らない人たちが見れば


「寝不足の二人が、朝になって妙に意識し合っているだって?ま、まさか二人はとうとう、そういう関係に……?」


と邪推するところだが、3人くらい熟練のエリー(&アーノルド)ウォッチャーともなると、そんな心配はしない。おそらく何かありそうになって、未遂に終わって、夜通し後悔して、そんでもって顔が合わせにくいとか、大方そんな所だろうと見ている(恐ろしい事に、ほぼ正解である)。モニカに至っては、エリーの悶絶の煽りをまともに喰らった被害者だし、グレンもアーノルドの異変にいち早く気が付いていた口である。ついでに


「アーノルド先輩!昨晩の素振りは迷いがあったように聞こえた!何かあったんですか!?」


と元気溌剌に尋ねるデリカシーのなさを見せつけて、モニカに「要らん事を言うものではありませんわ」と電撃を食らってご退場したのはご愛嬌だ。

エリーはエリーで起床した後、かなり塞ぎこんでいて、モニカ相手に


「私、もう先輩とはダメかもしんない」


としょげかえっていたが………。


「何がダメなのか、さっぱりですわ……」


目の前で二人は互いに体重をかけ合い、寄り添って船を漕いでいる。どこがダメなのかさっぱり理解できない。イチャついてんじゃねぇぞ、このバカップルが、と寝ている後頭部を引っぱたきたくなる衝動にすら駆られる。エリーなど、完全に頭をアーノルドの肩に乗せ、だらしなく涎を垂らしていた。残念ながら、二人きりの時、口腔に指を突っ込んで掻き回されたり、お互いに舌絡ませたりしていた時の淫靡さはまったくない。ただただ汚い涎である。


「うう……すまねぇ……すまねぇ……」


一方、アーノルドは苦悶の表情で呻いている。こっちは比較的珍しい。一体、昨晩、何をしでかしたのだろうか。おそらくは、エリーのやらかしに対して、こっちもまた口下手・雰囲気が読めない朴念仁っぷりが災いしてエリーを泣かせてしまい、それを酷く後悔をしているけれど本人を前にすると何も言えなくなるヘタレっぷりが夢の中でも続いているのだろうと一同は考え、納得した(恐ろしい事に、ほぼ正解である)。


「わたくしたちの出発まで時間はありますが……どうなるか心配ですわね」


「俺たちはまだ先だが、加護を付与しなきゃいけないから、エリーは叩き起こさないといけないしな」


まったく元気なら元気で、元気がないならないで面倒な事である。こんな時、キャロルがいたのなら、上手い事ツッコミも対応もこなせたのだろう。本当に不在が痛い。

何よりもここから先、7層に至ればいよいよアデリナの手記も途切れ途切れとなり、未知の領域に至る。現場の判断がより重要になるという局面で真価を発揮してくれそうな彼女がいないのは痛手だった。そしてキャロルの代わりは俺が務めると言い放ったアーノルドはお休みモードときている。


「思ったよりも僕らはキャロルさんに頼り切りだったってわけだ。さすがは委員長」


「ケイジさん、呑気な事を言っている場合ではありませんわ。あなた次第ではわたくしたち、明日は仲良くそろって魔獣のお腹の中、なんて事もありうるのですけれど」


「それは責任重大」


一見、火力の強いグレンやモニカに隠れがちだが、これまでの調査中、エリーを例外として学生組で最も貢献したのはケイジかも知れない。特に深層に入って来ると敵の強さもさる事ながら洞窟の中が複雑に入り組んでくる。それは手記だけでは分からない、自らがその場にいないと分からない感覚。この未知の感覚に慣れる前に攻撃を受けたらひとたまりもない。だが学生組だけではなく、騎士団からもまだ犠牲者は出ていなかった。


「やはり二番隊でも索敵に長けた騎士を採用すべきだな」


フランクなどはケイジが前線で仕入れてくる情報を精査する立場だったので、その有用性をよく理解していた。もちろん索敵能力に優れたメンバーを選抜したが、それでも専門家ではない以上、限界がある。もし国を挙げての行軍であれば九番隊が加わった事だろうし、状況は変わったかもしれない。だが今は二番隊単独での調査なのである。そういう際に索敵のみならず専門分野に特化した人物がいる事でどれだけ救われるか。


「ただ委員長がいないのが痛手なのは事実だよ。ここから先は現場の判断がより重要になってくるからね」


せっかくケイジが情報を仕入れても、それを判断する頭脳がなければ宝の持ち腐れである。そしてケイジは嫌な予感がヒシヒシと感じていた。


「仕掛けて来るなら次の7階層目だと思う。その一点に誘導されている節がある」


「まるで人間の考えですわね。知恵のない魔獣とは思えませんわ」


「本当にね」


この時、地上で議論されていた知恵のある魔獣……嘆きの乙女(バンシー)がアデリナ・パラッシュではないかという疑惑を知っていたら、何かに勘付いたかも知れない。そのやり口が、騎士団九番隊の手法とよく似ていた事に気が付く者がいたかも知れない。九番隊の罠の張り方について見聞きした者がいたら、対処法を見いだせたかも知れないし、逆に罠に嵌める事が出来たかも知れない。。だが全知全能ならぬ地下にいる騎士たちは、あくまで知恵のある魔獣と対峙している認識であった。


「知恵比べなら、それこそ委員長の出番なんだけどな」


思わず愚痴っぽくなるケイジがため息をついた頃、委員長キャロル・ワインバーグは地上にて生徒会室に出入りしていた。


◇◇◇


「―― 以上が報告となります」


完璧な礼節を持ってキャロルは一礼した。完璧な所作である。クリフォードをして見事と感心するほどに隙の無い一礼である。


「特になければ、失礼します」


「ああ、明日もよろしく頼むよ」


軽く頭を下げて退出するキャロルを、クリフォードと共に盟友のラルスの視線が追う。やがて扉が閉まると、軽く息をついたのはクリフォードの方だった。


「今日も謝罪をし損ねたな」


謝罪する事など何もない、などと野暮な事をラルスは言わない。書庫のカギの一件で、キャロルに叱責を受けた後、謝罪をしようと思っていたのだが、その後、当の本人から


「若気の至りでラルス先輩には失礼な言動を取ってしまいました。お詫びすると共にこの失態は結果で返礼できるよう精一杯努めますので、再び生徒会の皆様のご厚意に甘え調査をさせてはいただけませんでしょうか?」


と、そんな感じで向こうから謝罪をされてしまったので、何となく棚上げになってしまっている。まぁ、キャロルと言えば謝罪のスペシャリストであり、これまで散々、エリーをはじめとしたD組の問題児たちの尻拭いをさせられ続けて来た。それこそ他クラスからはじまり、トラヴィス学園中の各種委員会、職員室、騎士団、学園近郊の皆様に至るまで、ありとあらゆる人たちに、ありとあらゆる事由で頭を下げ続けて来たのである。その経験に裏付けられた完璧な所作は、たとえラルスと言えども太刀打ちできるものではない。


「別に好きで尻拭いをしてきたわけじゃありませんけどね!」


とはキャロル嬢の弁ではあるが、好き嫌い関係なく彼女のスキルは上達していた。キャロルとてアーノルドやノエリア、級友のモニカのような大貴族ではないが、それなりの貴族ご令嬢なのであるが、その娘が学校で頭を下げて回っていると聞いた両親は涙を流した。

……とは言え、嘆きの涙ではない。


「あの読書ばかりで人と関わろうとしなかった娘が、そんな社交的な事を!」


という、一風変わった喜びの涙であった。その事実を知ってキャロルは顔を引き攣らせたものだが、さらにその事をエリーに知られてしまい


「ま、家族の形は色々だよねぇ」


と、何故かマウント取り気味に、嫌な笑顔で慰められた方がよほどイラっとしたのだった。

かくいうエリーに至っては口減らし半分に孤児院から体よく放り出されたのであるが、そんな事は忘却の彼方である。それでいいのかという気がしないでもないが、エリー自身がまったく気にしていないので良いのであろう。むしろ周囲の方がツッコミにくい。そりゃそうだろう。ここでもし誰かが


「なによ、あんたなんて親もいない上に孤児院から追い出されたくせに!」


とか言おうものなら、それが仮に悪役令嬢とて周囲から「うわぁ、ひでぇ」と白い目で見られるだろう。存外、世間は常識的なのである。ああ、もしかしたらアホノルドならば


「お前、家族いないし、孤児院からも追い出されただろ」


とかポロっと悪意なく言ってしまいそうである。恐るべし上級貴族……いや、アホノルドのデリカシーのなさ。もっともエリー自身が「なにおう!」とか言ってぷんぷんしながら二人でじゃれ合う未来が見えて、それはそれでムカつく。何でもかんでもイチャつく材料にしないでいただきたい。


閑話休題。


そういうわけでラルスは未だに謝罪をしていないし、キャロルも欲していないようなので、何となく現在に至る。もちろんラルスとて、手をこまねいていたわけではない。ただ、ラルスにも話しかけられない理由があった。


「彼女は何かを隠しているようだ」


それが何かは分からない。ラルスが調べた限りでは、キャロルは書庫で一番隊隊長イザーク・バッハシュタインと副隊長のハーマン・タルコットと遭遇したという。その事について、キャロルからの報告はない。それが何の事はない出来事だったから報告しないのならば良いだろう。しかしキャロルほど聡い人物が、この時期に書庫へイザークとハーマンが訪れていた事に不審を抱かないのはおかしい。


「………話せない理由がある?」


ラルスはその可能性も考えている。彼らと遭遇して何かを吹き込まれたのだろうか。もしくは脅されたのか。両方の可能性が捨てきれない。後を付けさせてみたが、特に誰かと接触している様子もない。


(それよりも、どこにいるんだ)


ラルスはキャロルの件とは別に頭を悩ませていた。前九番隊隊長ドット・スラッファの行方である。魔獣の洞窟で犠牲者を出した責任を取り隊長の座を辞したドットは、以来、公の場に姿を現していない。逐電したままその姿を見た者はいないのだ。

―― そして現九番隊隊長サロモン・ヒルの言葉。


『洞窟での襲撃事件、あれは偶発的ではない』


あれが人為的に起こされたものなのか。だとすれば、誰が何のために?


(仮に誰かが引き起こした災いだとしよう。だが狙うのが九番隊だというのが解せん。索敵や諜報活動を得意とする九番隊を相手だと見破られる可能性は高い割に得られる物も少ないだろう」


これが騎士団の中心である一番隊や二番隊ならいざ知らず、危険を冒して九番隊を狙うだろうか?もし狙うのなら、九番隊を切り崩す必要があったという事だ。


(そして、それを遂行できる力量……か)


九番隊のドット・スラッファは愚鈍な人物ではない。むしろ表には出ないが数々の功績を打ち立てた人物だ。もしあの事件がなければ、今も立派に九番隊の務めを果たしていただろう。そんな彼を出し抜けるような人物・組織はそうそうないはずだ。


(待て、結論を早まるな。何かを見落としている)


ラルスはもどかしさを感じる。いつしか自分は「銀の貴公子」だの「天才」だのと持て囃されるようになったが、とんでもない。そんな天才だったら、すぐにこの問題を解決しているはずだ。冷静な分析と情報の精査。これがなくては、どんな人物だろうと結論にたどり着けない。もしたどり着けるとしたら……


(それは異常者だ。人間ではない)


だが、時折思う。この世の中には異常者がいる。

例えば直感だの何となくだので、問題を解決してしまう赤毛の男。そしてあれよあれよという間に、何か良い感じに話をまとめてしまう聖女と噂される女。あれらは異常だ。まともではない。端的に言うとアホだ。

そもそもこの調査、地上では一枚岩どころか空中分解しそうな状況で、大切な情報すら現場に伝わっていない。聞けば営地すら破壊されて補給線も心もとないというではないか。ぞっとするような状況だ。もうとっくに失敗してもおかしくないのに、彼らは報告を聞く限り、平然と6層まで踏破したという。


(頭がおかしい)


今ならキャロルが従軍を尻込みしたのが理解できる。あいつらはおかしいのだ。色んなものが規格外だ。自分のような天才にもなれない秀才には、ついていけない。


(だからこそ、ついていけないなら、せめて彼らの邪魔をさせないのが私の務めだと思ったが…それすら叶わないのか)


忸怩たる思いを抱え、生徒会室を後にする。向かう先は図書室の書庫である。イザークたちが何の目的もなしに書庫に来たはずがない。きっと何かを探し求めていたはずだ。

足早に書庫へと向かうラルスは油断していたのだろう。その背後を取られたのに気が付かなかった。


「……………!」


気が付いた時には遅かった。完全に背中を取られていた。


「静かに」


ラルスはその声を知っていた。凛とした響くような声。


「キャロル・ワインバーグか」


「………申し訳ありません、ついて来てもらえますか?」


相変わらず謝罪なのだな、と苦笑しながらラルスは黙ってうなずいた。


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