2章12話 戦いの挽歌
「解せぬ」
エリーは憤っていた。成り行き上、丸っと預けられた重くてでかい武器を持ち、右足を引きずりながらもどうにかこうにか訓練場の喧騒を脱出したエリーは甚だ不機嫌であった。自分はつい先ほどまで、この模擬戦のヒロイン役ではなかったのか。イケメン騎士を応援し、勝利した暁に涙を流し、そして悪くて卑怯な敵役騎士に絡まれて絶体絶命のピンチに陥ってしまう。そこにイケメン騎士が救出に入ってくる流れではなかったのか。
「まったくあの先輩はよぉ」
振り向けば、乱戦の中でいつの間にか諸肌脱ぎになったアーノルドが、黄色い悲鳴を受けながら、一番隊の騎士様を相手に大立ち回りを演じている。はぁはぁ言いながらスケッチしているのは、うちの学校の生徒たちではなかろうか………うん、見なかった事にしよう。とにかく元気いっぱいである。ちょっと何か言ってやろうかと思ったが、存外、楽しそうにしているので「ま、いっか」と思い直し、言うのを止めた。邪魔しないように、とにかく安全地帯へ移動して観戦に徹しよう。もう誰も私の事、気にしていないみたいだし………ぐすん。
気を取り直し、足をずりずり引きずって、何か表彰台みたいな場所へ移動した私は改めて俯瞰視点で眺める。
「頑張ってんなぁ」
まずは先陣を切った級友たち。グレンくんは元気に大暴れ、ケイジくんは効率よく相手を打ちのめしている。ちなみに、あの突っかかって来た貴族は文字通り血祭りにあげられていた(申し訳ないが、ざまぁみろと思ってしまった……ごめんよ)。その後も、互いに背を預けているので、まさに戦友という感じだ。これが戦場ならば殊勲ものなのだが、実はこの騒動を引き起こした張本人なので後で説教される事は間違いあるまい……南無。
モニカ様は訓練場を見下ろす高台で、腕を組み仁王立ちをしている。すごい。何と言うお嬢様オーラ。あれだけ高い場所にいたら、スカートの中が丸見えになりそうなのに、全然見えないのもすごい。鉄壁のガードである。私もローアングルからモニカ様のスカートの中を覗き込もうと散々、奮闘したのだが、パンツの端すら視界に収める事ができなかった。どういう体幹とポーズをすれば、そうなるのだろうか。私なら、間違いなくパンツ全開になるだろうな……。
キャロルさんは……なぜか騎士団の新人たちを指揮して避難経路に一般人を誘導していた。……ん?彼女、騎士団と関係ないですよね?さらには怪我人を救護班に連れて行ってるし、この場を仕切っているの、キャロルさんなの……?状況がつかめないんだけど、ここでも忙しそうだなー。イヴェットさんも頑張ってるし、ミーアさんも走り回っているし、ブリアナさんは………先ほどの面々に混じって何かスケッチしてるな?どうした?……趣味だとしたら呑気なものだ。
それ以外にも学生もいるし、一般人も交じっているのも確認済みだ。
「平民エリー!災難だったな!!」
さっき、そう語りかけられたのは、前に私に絡んできたモブ貴族の……ええと、そうだ、リトルトン家の坊ちゃん。彼もまた乱闘に参加していた。
「我が校を侮辱した奴は許せんからな。リトルトン家の名誉にも関わる問題だ」
結構、殴られたっぽいのに、精神的に全然平気そうなのは意外だった。てっきり「親父にもぶたれた事がないのに!」と言い出すのではないかと思ったんだけど。手当をした方が良いんじゃないかと言ったのだが
「お前の方が大怪我をしていただろう。負けてなるものか!」
などと、訳の分からない理屈で断られ、逆に
「紹介した医者には診てもらったか?さっきので悪化したかも知れんぞ!診てもらうといい!」
と忠告されてしまった。やっぱお坊ちゃまに見えても男の子なのだろうか、だいぶテンション爆上げで高揚している。危ないっちゃ危ないが、先ほどモニカ様が武器の類を封じたので大怪我はしないだろう。
あと……特筆すべきはマックスさんとイザークさんだな……素手でも十分強い。悪魔みてぇに強い。その周辺だけ台風みたいだ。あの人たちが動くたびに怪我人が量産されていく。その人たちが救護班に運ばれて行き、ちょっと回復してもらったらまた戦場に……永久機関だな、これ。でも、それに気が付いたキャロルさんが導線作って、救護班に運ばれた者は強制退場というルールを作ったっぽいな。幾分、人数が減ってきた。すごい仕切ってんなぁ、委員長。私だけ何もしていないのが申し訳なく思ってきた。
(嘆いていてもしょうがない、私がやれる事をやろう)
………と、気を引き締め直したけど、恐ろしい事に何もする事がないという事実の前に私は愕然とし、意味もなくアーノルドさんの武具を磨く事にするのであった。
◇◇◇
(何でこうなった)
アーノルドは内心、忸怩たる思いを抱いている……わけではない。なかなか爽快な気分であった。これまで表面上は騎士団同士、仲良くやりましょう…みたいな感じできていた第一番隊との関係。お互いに色々と言いたい事もあっただろうが、そこは大人の付き合いで、と無難にやり過ごしていたふたつの隊。
もちろん、アーノルドだって一番隊には言いたいことはあった。
「名門貴族出身の騎士たちの言動が悪すぎる」
「隊が肥大化して、末端にまで指示が行き届いていない」
「利権が一番隊に集中し過ぎるのは組織として正しくない」
だがイザークとの個人的な付き合いや、戦いは好んでもデスクワークや組織管理に長けた人間がいないせいで、見てみぬふりをしたり、着手できていなかった問題が多くある。一番隊としてはダメだが、隊員個々人は決して悪い人でも無能者でもないのが、また問題を先送りにし続けていた。
それがどうだろう、あちこちで殴り合いながら…
「お前ら一番隊ばっか予算持って行きやがって!!」
「二番隊ばっかり派手な仕事やりやがって!こっちは地味な首都防衛や治安維持だぞ!嫌われ役だぞ!」
「このチクリ魔ぞろいの陰険野郎どもめ、忠臣面して他隊の勢力を削って得点稼ぎに必死だな!」
「チクられるような真似してんじゃねぇ!逆恨みか!」
などなど、本音をぶちまけ合っている。アーノルドにも、これまで言えなかったような文句をぶつけてくる騎士たちの姿があった。
「前からお前には言いたいことがあったんだ!」
「いいとこ見せようと思って、気になる女友達を訓練見学誘ったら、お前に夢中になっちまったよ!」
「俺もてめぇのせいでフラれたんだ!」
「イケメンで強くてモテモテなテメェに生きる権利はねぇ」
「義姉がノエリア様とか、卑怯すぎるだろ!!」
「そのくせ今日、彼女連れて来やがったな!許せねぇ!!」
……だいたい、逆恨みの上、なぜか二番隊の面々にも襲われているのはご愛嬌だろう。彼女とはエリーの事だろうか。何がどうして彼女扱いになっているのか。こちらもまた、甚だ不本意である。だがそれを差し引いても、この状況はまんざら、悪いだけはないのではないかと思った。少なくとも戦場で決裂するなど、致命的な仲違いが発生する前に、こうした事態になったのは良かったのではないか。まさかとは思うが、マックス隊長もイザーク隊長も、この事を見越した上で今回の合同訓練を提案したのでは………
「はっはっはー、雑魚いなぁ、一番隊の諸君!!そんなんで王都が守れるのか?俺たちが鍛え直してやろうか?」
「ぬるい、ぬるいぞ、若人よ!もっと歯応えのある奴はおらぬのか!!」
大暴れする両隊長を見たアーノルドはすぐに自分の思いを訂正した。あれは何も考えていない人間の顔だった。
(しかし……いつ、終わるのかね、この乱闘騒ぎ)
その騒ぎの中心に居続ける人間の言う事ではないが、アーノルドは引き際を見定めていた。いつまでもダラダラと戦い続けるわけにもいかない。何かきっかけを作って沈静化させなくては問題は大きくなり、今はガス抜きで終わっている乱闘騒ぎも、抜き差しならぬものに変貌してしまうかもしれないのだ。
そのアーノルドの内心の憂いは、意外なところで結実する。いったん、喧騒を離れて俯瞰した場所で状況を見定めるべく、現場を離れる事にした彼は、ちょうどよい高見を発見してひらりと駆け登る。その時である。
「ぐえ」
あまり可愛くない、小さい悲鳴が上がった。アーノルドが見下ろすと、エリーがカエルのように、彼に踏み潰されていた。
◇◇◇
「エリー、どうした?」
「どうしたもこうしたもないですけど!?先輩に潰されたんですよ!」
突然、空中から降ってきた男に潰されたエリーは不満を爆発させた。おまえの剣を預かってやっていたというのに、何の感謝もない上、踏み潰されたのである。扱いの酷さに文句のひとつやふたつ、出るというものだ。
「悪い。まさかそんな所にいるとは」
珍しく素直に謝るアーノルドだったが、怒り心頭であるエリーは文句をまくし立てる。自分を放り出して勝手に騒ぎ出してしまった周囲と、相手にされなくなってしまった自分の境遇をアーノルドにぶつけるように。
「どうせ私の事なんて、いないものとして考えてるんですよね。ああ、そうですか、そうですか。アーノルドさんってそういうとこ、ありますもんね。武器を預けるだけ預けて、知らんぷりですもんね」
これについては、ちょっとエリーが悪い。珍しく、完全に拗ねている。いつもはまぁ、それなりに道理はあるようなないような感じだが、今回は完全に、アーノルドに八つ当たりをしていた。一応、エリーの感情としては
「アーノルドさんたちが馬鹿にされたのが悔しくて反論したから突き飛ばされたっていうのに、その件について誰も触れてくれないまま、擁護した人たちが乱闘を開始した」
という塩梅で、ちょっと裏切られ気分なのである。だが理不尽な怒りをぶつけられたアーノルドも、黙っているわけではない。
「謝ってんだろ。わざとじゃない」
「わざとじゃなければ、何をしたって良いんですかー?」
「誰もんな事ぁ、言ってないだろ。そもそも、おまえが派手に転んだからこうなったんだ。ちゃんと見てたぞ、お前が舌を出し、ピースしてたのをよ」
「可愛かったでしょ?」
「可愛いとか、そんな問題じゃねぇよ、この詐欺師!」
「何それ、可愛くない。せめて傾国の美女と呼んで欲しいですね」
「せめての使い方、おかしくない!?」
かなり目立つ場所で言い争いを開始する二人。現在の騒動を引き起こした元凶とも言える女の子と、諸肌脱ぎでその女の子と口論をしている若いイケメン騎士。この組み合わせが注目を集めないわけがなく、モニカに至っては、先ほどまでの楽しそうな表情とは打って変わって、絶望的な顔をしている。
「このわからんちん!」
謎の言葉を発しながら、エリーは持っていた武器を振り上げる。アーノルドさんなら分かってくれると思ったのにぃぃぃ!というエリーの言葉は甘えなのだろう。分かるも何も、言動が支離滅裂なのだが、異星人と会話をするとこんな感じなのかも知れない。
「危ねぇって!!」
エリーが振り上げたのは訓練用の剣。わずかばかり残された理性が、真剣を振り上げるという最悪の行為は回避されたようだ。だが危ない事は危ないので、その手を掴んで拘束しようとした途端……
「あれ?」
エリーの右足がアーノルドの剣にぶつかると、がくんと膝が折れて、つんのめってしまう。そのまま、前のめりに倒れ、顔面から地面に落ちる……のをかろうじてアーノルドが下敷きになる事で回避できた。この時、アーノルドが思ったのはエリーの顔面の保護はもちろんだが
「跨らせたら、絶対に誤解される!!」
という一念であり、全力でそれだけは回避しながら、顔を強打しないように自分の体で受け止める。
するとどうだろう。
「あ」
「うわ」
「………………!」
見事、アーノルドの股間に四つん這いのような態勢顔面から突っ込むエリー。それを目撃し、固まる群衆。
アーノルドは思った。
(何がどうなっても、そうはならねぇだろ!)
しかし事実は小説よりも奇なり。現実は受け止めなければならない。焦るな、アーノルド。ここからの一挙手一投足が、すべて俺たち……いや、エリーの事はどうでもいいので、俺の評価に直結する。とにかく、こいつに口を開かせたら終わりだ。是が非でも、しゃべらせてはならない。
「ぷはっ」
顔を上げるエリーを無理矢理元の態勢に戻す。ふぅ、危ない危ない。これでひとまずは安心……
「うう、なにを……っ」
再び頭を押し込む。いいから、このまましばらく黙っていてくれ。
だが諦めないエリーは何度も何度も顔を上げて、アーノルドを詰問しようとし、そのたびにアーノルドは顔を強引に引き下げる。
「なに……うぷっ」(ぐいっ)
「するんんっ」(ぐいいっ)
「ですっ」(ぐいっ)
「か……っっ…!」(ぐいいいっ)
事情が分からぬエリーは何度も頭をもたげ、アーノルドは必死になって頭を下げさせる。そのせいで、アレである。何かエリーの頭を押さえて……こう、無理矢理、股間に押し付けて前後させてる……何か、すごい絵になった。この行動を顧みて、アーノルドは思う。これ、悪手だったんじゃないか、と。思うもくそも、完全に悪手であるが。
(考えろ、アーノルド。まだ逆転の目はあるはずだ)
まず、この頭前後運動はやめなければならない。高台と言う場所も悪い。全貌が見えないせいで、角度次第では諸肌脱ぎの俺が全裸に見えなくもない。これは危険な態勢だ。しかしこいつを自由にして、誤解が広がらないだろうか……思案のしどころだ。
うーむ、と悩みながら手を離さないアーノルド。おかげで自分の股間でエリーが窒息死寸前である事にまったく気が付いていない。彼女はさっきから、しきりにぺしぺしと足やら手やらを叩いてるのだが、悲しいかなこの世界ではタップという概念がないので、一向に解放される気配はない。
(なにがどうなってやがる!)
エリーはエリーで何が何だか分からないまま、状況がつかめていない。彼女は怒りに打ち震えていた。
ああ、くそう!そもそもだ。こいつの武器を受け取ったのがケチの付き始めだった。無駄にでかい武器に蹴躓いた挙句に今の仕打ちである。あんなのを受け取った時点でもう無理であった。ああ、私の人の良さが恨めしい。私が博愛主義者で、どんなアホな人でも放っておけない美しい性格が、今の悲劇を招き寄せてしまったのだ。とにかく、とにかくだ、今はもう…………苦しい。苦しいです。死んでしまいます。お願いします、もうギブ。ギブギブギブ!本当に死ぬって。呼吸させて!!顔を上げ……うおおお、こ、こいつ、何て力で私を抑え付けてんだ。息がマジで出来んぞ!頼むから手を離して!くっそおおお、もう絶対に、お前の武器なんて持ってやらんからな!あんなでけぇモン、金輪際お断りだ!
ぐいいいいいい………
嘘です!!冗談冗談っすよ!可愛い後輩の冗談ですって、先輩!!でも、あの武器は女の子には無理だと思うよ!たーーーすーーけーーーてーーー!!……と、激しく唸っているのだが、周囲には「もがもがもが」としか聞こえない。人知れず、エリーは窒息死しようとしていたその時、やっとアーノルドは手を緩めた。エリーの祈りが通じた……からではない。何か股間でもがもがされて、くすぐったかっただけである。
(くっ、これ以上は無理か……だが、こいつも周囲に変な目で見られるのは本意ではないはず……とんでもねぇ発言はしないだろう)
そう信じて手を離すアーノルド。そしてやっと解放されたエリーの一言目は、実に想像力をかきたてるものであった。
「無理ですよぉ!!先輩の大き過ぎぃ!!」
世界が凍りついた。
「あれは無理です!頑張ったけど、これ以上はもう、限界です!」
吹きすさぶ冷たい風。エリーにしてみれば
「アーノルドの所有する武器を持ち運ぶのは大きすぎて大変である。頑張ったけど、もうこれ以上は無理だから勘弁して欲しい」
……と主張しただけなのに、なぜか現場が凍りついている理由が把握できず、ただ「やらかした」という事実だけを敏感に察知した。これはやばい。フォローしなくてはならない。
「あ、ああ、でも先輩!大きくても、ほら、手で(武器を磨く事)なら、後でいくらでも!!」
と、手をしゅっしゅと動かして、剣を磨く手つきを見せる。だが悲しいかな、その動作は棒状のモノだかナニだかをしごいているようにしか見えない。氷点下まで下がっていく空気に、エリーはさらに焦りを募らせ、続けて叫ぶ。あまりに必死過ぎて、アーノルドにのしかかり上目づかいに迫りながら。
「こう見えて、私、手先は器用なんですよ!絶対に満足してもらえると思います!」
「もうやめろおおお!!!」
エリーの声にアーノルドの絶叫が重なる。その光景を見ていた級友たちの反応も様々で、腹を抱えて笑うグレン、肩をすくめるケイジ、崩れ落ちるモニカ、頭を抱えるキャロル、真っ赤になるイヴェットに、呆れ果てるミーア、狂喜して筆を走らせるブリアナ。一方、鍛え抜かれた第二番隊の面々は、危険な雰囲気を察知するや、戦いを止めて全員ダッシュで退場してこの場から立ち去り、入れ替わるように治安維持の衛兵たちが大挙してやってきた。
「確保!!」
衛兵の隊長が叫ぶと、高台にいるアーノルドとエリーは捕縛されてしまう。
「俺は無実だ!!」
「またお前か!」
もう様式美のようなやり取りが行われ、エリーは頭から布をかぶせられ、性犯罪の被害者とも加害者とも言えない恰好で連行される。訓練場であれほどいきり立って騒いでいた男性たちは、騎士も一般人も区別なく、何か前屈みになって退場していく。喧騒は収まり、やっと訓練場に平和が戻ってきた。
こうしてアーノルドは自らの名誉を引き替えに、見事、事態を鎮静化させるのに成功したのであった。




