2章2話 協力
その瞬間、エリーの表情が少し強張った。
あの地獄のような体験は未だに彼女の体を蝕み、治療が順調とは言え、依然として大きなダメージを受けた左肩や右膝、頭や脇腹などには痛々しく包帯が巻かれている。
身体の無事もさることながら、のたうち回りながら洞窟を徘徊し、何度も死の淵を綱渡りで越えて来たのだ。情緒不安定になりながらも、どうにか精神崩壊を起こさずに戻って来たのが奇跡のようなものだ。
その事を改めて語るという事は、あの時の心的外傷を呼び起こしてしまうかもしれない。
「殿下、それは……」
エリーよりも先にアーノルドが言葉を挟んだ。
ぶっちゃけ、初遭遇した時のアーノルドならば「言え、言え、言いやがれ」と言い放つくらいの暴挙に及んでもおかしくないように思えるが(もっとも根は紳士であるアーノルドなので、いくらその当時でもそこまで酷い事はしない……はず)、ここまで相手を知ってしまうと庇わざるを得ないだろう。そもそもアーノルドからして、あのボロボロになっていたエリーを思い出すのは、なかなかつらいものがある。
「いいですよ」
だがアーノルドの言葉を制して、エリーは協力に応じる返事をした。
「おい」
「……私の情報が必要なんですよね?」
クリフォードは自分の目をしっかりと見返すエリーの瞳を見て、「ああ、これはたいした人物だ」と舌を巻く。何がそう思わせるのだろうと思ったが…
(覚悟なのか、よほど肝が据わっているのか…それとも……)
クリフォードはエリーの心情を図りかねた。肝が据わっているというよりも、途方もなく見切りが早い。
大胆不敵で覚悟を決めると、とんでもない強さを発揮する人間というものは、自分の婚約者でよく見ていたので理解できる。
しかしエリーは……それとはちょっと違う気がする。強いて言うならば、自分の心身を簡単に犠牲にするとでも言おうか。
報告では洞窟での橋が崩落した時、自分の身を犠牲にして奈落へと落ちて行ったという。その時、皆の頭によぎった単語……それは【聖女】ではなかったか。
しかし美しい自己犠牲と言えば聞こえはいいが、エリーの言動は異質に感じられた。今、その一端を目の当たりにして、クリフォードの思いはさらに強くなった。
……それが何に起因するものなのか分からないし、それがエリーにとって良い事か悪い事かも分からないが。だが協力をしてくれるというのであれば……乗せていただこう。
「その通りだ。洞窟で起きた、あの出来事は……偶発的な事故と済ませるわけにはいかないみたいなんだ」
「事故じゃない……?それじゃ誰がか人為的に?」
「それもまだはっきりしていない。人為的な側面、偶発的な側面、そして……それを利用しようとする作為的な側面……これらが絡まって起こされた、または事態を悪化させた可能性がある」
それを聞いたアーノルドは顔を引き締め、エリーは「しまった、面倒くせぇ」という顔をした。
そもそも。
エリーは別に洞窟での出来事について、実はそれほどトラウマを抱えていない。少なくとも、地上にこうしているうちは、ほぼ、何とも思っていない。事実、級友たちにリアルな体験談を話して嫌がられたという経歴の持ち主である。顔が強張った理由はただひとつ、面倒事に巻き込まれる雰囲気を敏感に察知したからだ。
自分の体験談を話すだけで解放されるのならば…と了承してはみたが、さらにクリフォードの話を聞くだに、厄介事に巻き込まれそうな雰囲気がビンビンする。できれば、「やっぱ今のナシっす!」と誤魔化してしまいたいところなのだが…
「エリー、協力に感謝する」
などとイケメン皇太子がキリっとした表情で語りかけてきて、その背後でノエリアとアーノルド姉弟が真剣な眼差しでこっちを向いている状況では、逃げ出す事もできなそうである。
「えーと、これってやっぱり、私、協力者になった感じですか?」
「もちろんだ、歓迎するよ」
「部外者に戻るわけには………」
「ははは、ここまで深く関わったんだ、もう部外者には戻れないさ」
すごい。断固たる意志をもって、私がこの舞台から下りる事を許してくれない。助けて、アーノルドさん。あなた、私が絡んでくるの嫌でしょう?
「俺は……………」
私の視線を感じたアーノルドさんが口を開く。いいぞ、忠犬!言ってやれ!
「俺はこいつが嫌いですが、情報を引き出す有益な生物としてなら、生かしておいてやっても良いと思ってます」
この野郎、罵声を浴びせるだけ浴びせて、最終的には私にとって最悪な選択肢を残しやがった。完全に罵られ損じゃないか。じろり、とアーノルドさんを睨みつけたが、彼は何を思ったか私の視線に気が付くと小さくピースサインを出しやがった。なんだ、その「上手くいっただろ?」みたいな合図。もしかして私を庇ったつもりなのか?だとしたらとんでもねぇ頓珍漢な野郎だ。
ノエリア様、ノエリア様はどのような反応をしていらっしゃるので!?
「……………………!」
鼻息も荒く、私の次の台詞を待ち望んでいる。あのキラキラとした目は、私が協力を拒むという選択肢を最初から持っていない目だな。うう、こっちはこっちで良心をガンガン刺激しやがる。もうこれは……退路を断たれたな。
(やっべぇフラグ立てたなー)
私は天を仰ぎみると、すべてを諦めて深層に落ちた後の出来事を話し始めるのだった。




