第47話 ただいま日常
「ん? 俺の聞き間違いかな?」
怪訝そうな表情を浮かべて聞いてくるアーノルドに、エリーはもう一度言った。
「もう一度、言います。 やです」
アーノルドは驚愕した。
ここは普通に、笑顔で送り出される場面ではないのか。
どうして俺は、一世一代の決意を拒絶されているのだろう。
「いいですか、良く聞いて下さいね、アーノルドさん」
「はい」
思いっきり敬語である。何となく背筋も伸びているように見える。
「確かに私を助けに来てくれたアーノルドさんは格好良かったです。
でもですね、私が会って楽しいと思うアーノルドさんは、今、目の前にいるアーノルドさんです。
見てくれだけは良いけれど、馬鹿で、気が利かなくて、どうしょうもないアーノルドさんなんです」
そりゃあもちろん、たまには格好良くても良いですけれど、と付け加える。
「だから武者修行とか、精神を磨くとかして、今のアーノルドさんがいなくなるというのなら…
私は全力であなたを止めます」
「止める………でも、俺は……」
「いいですか、あなたが気にしている話はですね。
悪い事をしちゃった、だからごめんなさいして、許してもらった。
それだけの話です」
エリーはきっぱりと言い放った。
「というわけで、これまでの事は、ここでもうお終いです。
次に言ったらお仕置きですからね。
これからは、いつものアーノルドさんでお願いします」
「いつもの俺、か……」
「はい。今のままの、いつものあなたが良いんです」
ちょっと良い感じの雰囲気が、二人の間で漂い始める。
はにかんだ笑顔、得心した微笑み、これでようやく二人の間にも平和な時が訪れ………ようとした時、アーノルドが、ふと気が付く。
「ちょっと待て。
その言い分だと、俺はこの先もずっと、見てくれだけは良いけれど、馬鹿で、気が利かなくて、どうしょうもないままじゃないか?」
「そういう事になりますね。
ですが、私の好みなので、諦めて下さい」
「俺の成長を、お前の好みで阻害すんなよ!
人の人生を何だと思ってんだ、お前!」
「はー、アーノルドさんがそれを言いますかね?
確か初対面の時とか、私の学園生活を脅かすような真似をしてくれましたよね?
気に病んで死んでください」
「おおーい!
たった今、『これまでの事は、ここでもうお終い』とか言ってたの、何だったの!?」
「そんな事を言いましたっけ?
アーノルドさんの人生は、ここでもうお終い、と聞き間違えたのでは?」
「そんな物騒な事、言われたっけ!?」
台無しである。
いつものように口論が勃発し、言っただの、言わないだのと大騒ぎになる。
だがエリーも、アーノルドも、心なしか表情はこれまでになく明るいように見えた。
口論の中、エリーはふと、呟いた。
「私、こんな事をたまに考えるんですよ」
「は?」
「アーノルドさんは、これから強くなって、騎士団の方々だけでなく、国中から認められる騎士になります。
武勲も立てて、もしかしたら「災厄」の竜を倒しちゃったりなんかして、「竜殺し」なんて痛い二つ名を与えられちゃったり。
生徒会長の座をクリフォードさんから受け継ぐ形で学園も発展し、アーノルド・ウィッシャートの名前は国内外に燦々と輝く……」
「……………………。」
「もし、そうなったら。
そうなった時、私………」
「エリー?」
エリーが神妙な顔になる。
そして、アーノルドを見上げて、逡巡しながら口を開く。
「……私、その時になったら、言っても……良いですか?」
「なにを……だ?」
ごくり、と思わずアーノルドは唾を飲み込んだ。
これから俺は何を告白されるのだろう?
エリーのこんなにも真剣に、こんなにも意を決した顔を見た事がない。
何度も言うが、エリーは言動がちょっとアレなだけで、美少女である。
少なくともゲーム一本のヒロイン張るくらいは美少女であり、もし学園生活が始まった後、楚々とした態度で過ごしていたら、攻略対象でなくとも庇護しようとしてくれる男子生徒が相当数、寄ってきただろう。
そのフラグを突拍子もない行動でぶち破った挙句、「キャンプファイヤー」をはじめとする「性女」「上級プレイヤー」などの異名をとった超危険人物認定を受けたせいで、誰も近寄ってくれなくなっただけである。
そのエリーに、真剣な表情をされ、上目遣いで見つめられたら、アホなアーノルドなど、ドギマギして当然である。
「その時は………」
すっ、とエリーは胸元に右手を添え、ぎこちない動きで制服のボタンを外し始めた。
「なななな、何をする気だ!?」
アーノルドはアホなので、ここに来て完全に冷静さを失う。
もう少し気の利いた事を言えば良いのに、そういうところだぞ、アーノルドよ。
そして次の瞬間、エリーは、にぱーっ、とすっごい笑顔になった。
「これです!」
アーノルドに向けて、懐から取り出した何かを見せた。
「……………これは?」
「退学届と退団届です!」
意味が分からない。
どうして学校と騎士団に提出した届け出が、エリーの手元にあるのだろうか。
「退学届はクリフォードさんから報酬としてもらいました。
退団届はマックスさんから譲られました!」
そんな大事な物が平気で委譲されて良いのか。
そして、それをもって何をするというのか。
「ふふふ、アーノルドさんはこれから成功し、高みに上り、人生の絶頂を迎えるのです。
そして声望が高まり、アーノルドさんご自身もまた、将来に希望を見出し、国の為、学園の為に粉骨砕身、その身を捧げる覚悟を決めるでしょう」
自慢げに語り出すエリー。
「そこで、これ!!
あなたが人生の絶頂に到達した時、私はこれを提出し、台無しにしてやるんです!」
じゃじゃーん、と退学・退団届を見せつけるエリー。
「そしてこう言わせてください。
『ざまぁみろ、臭いって言った恨みは忘れねぇからな!』
……って」
「最悪だな、お前の計画!!」
そこまで臭いと言われた恨みをこじらせているのか、エリーよ。
とんでも計画を披露されたアーノルドは頭を抱えて絶望する。
「最後は声高らかに、ばしっとこう言ってやりますよ。
『今日から無職だな! 気分はどうだ、この野郎!』」
高笑いして諸届をかざすエリーの顔は、勝利の愉悦に満ち溢れていた。
「どーですか、先パァイ?
雌犬と見下していた奴にしてやられる気分は?
人生台無しにされる気分はどうですかぁ?」
ガンガン煽るエリー。
だが彼女は早く気が付いた方が良い。
目の前で顔を伏せている男が、もうピキピキと青筋を立てている事を。
それはもう、ピキってる事を。
「なるほど、すごい計画だな。
確かにこのままじゃ俺の人生はヤバいかも知れん」
「でしょー!?」
「その前に手を打っておかなきゃならねぇなぁ?」
「あれ?」
おお、エリー、やっと気が付いたかエリーよ。
お前が煽りに煽っていたのは手負いの虎だという事に。
物理的にタイマンを張ったら万が一にも勝てない相手であるという事に。
「返せ」
「……………………(すっ)」
懐に退学届を戻すエリー。
「返せ」
「い、一度提出されたもので、すでにアーノルドさんの物ではないのでは?」
「届け出を出した事に後悔はしない。
だがそれを悪用されそうになっているのであれば、取り戻さなくてはなるまい」
「き、騎士なら、か弱い女性相手に、力ずくなんて真似、しませんよね?」
「脱げ」
「騎士とは思えぬ言葉が飛び出しました!」
「ならば、まかり通る」
「かっこいい!」
そして戦いのゴングが鳴った。
狭い馬車の中で、退学退団届を奪うべく虎のような獰猛さで襲い掛かるアーノルドと、ふしゃーふしゃー威嚇しながら逃げ回る猫のようなエリーの、いつ果てるともなく続く追いかけっこ。
そして、二人とも気が付いていない。
これまでの経験則からして、間違いなくこの状況は悪手であり、学園の校門はすぐ近くまで迫っているという事に。
◇◇◇
聖トラヴィス魔法学園正門前。
貴族の子弟が通うだけあって大きく、それだけで広場かと見紛うばかりの規模を誇り、品格漂う白い門と、そこから校舎まで真っ直ぐに続く並木通り。
以前、友達探しに失敗したエリーが体育座りで死んだような目をしていたのも、ここである。
その後、彼女が「性女」と呼ばれるようになったり、アーノルドが背徳的な騎士の名を冠するようになったのも、ここである。
つまり、まぁ、気品と品格と伝統に溢れていた場所は、残念ながら今や、ろくでもない……いや、簡易なイベント会場みたいなものに成り下がってしまったわけだが、今日も人だかりができていた。
もうお分かりだろう。
学園のお騒がせコンビであるエリー・フォレストが、退学届けを出したアーノルド・ウィッシャートを迎えに行き、登園してくるのだ。
「さすがはエリーだな、アーノルドさんを連れ戻したか」
級友たちも勢ぞろいし、グレンは「やるな」と感心している。
生徒会もアーノルド以外は全員が出迎えており、義姉のノエリアなどは、ここ最近の義弟の挙動に心を痛めていたので、久々に登校する姿を今か今かと待ち構えていた。
あまりにウキウキしているので、傍らのクリフォードとラルスにたしなめられる程には、はしゃいでいた。
ノエリアには珍しい事であり、ここに集まっていた多くの人たちをほっこりさせている。
一方でモニカなどは周囲の雰囲気をよそに
「もう嫌な予感しかしませんわ。
これ、絶対にエリーさんがやらかす流れですわ」
と、実に正鵠を射る感想をもらした。
モニカ嬢、貴女の呟きは、もうほぼ正解である。
ざわざわと声が上がる。
そう、遠くから馬車が蹄の音も高らかに近づいて来たのである。
失われていた聖トラヴィス魔法学園の日常に欠けていたピースが、今、埋まる。
多くの生徒・教師・関係者の方々が集まる中、御者は巧みな綱さばきを見せつけ、馬車は滑りこむように正門前にぴたりと付ける。
思わず「ほう」と感嘆の声が漏れ聞こえるほどの、円熟の腕前である。
だが次に漏れ聞こえ……いや、大音量で聞こえてきた声は、人々の笑顔も、ほっこりとした雰囲気も翳らせるに十分なものであった。
「オラぁ、てめぇ、股を開けっつってんだろうが!!!」
この瞬間、この場から音が喪失した。
「ス、スカートも脱いだ方が良い!?」
「それは脱ぐ必要はない、当たり前だろ」
何の会話をしているのだろうか。
どこからともなく「着衣プレイ……?」という単語が聞こえてきたのは気のせいだろう。
その頃、馬車の中では、退学届を守るのに窮したエリーが、自分のスカートの中を逃げ場に選び、足を閉じてしっかりガードしている真っ最中であった。
「太腿、閉じてんじゃねぇ! 力を抜け!」
「そしたらアーノルドさんに滅茶苦茶にされちゃいます!(届出が)」
「ああ、滅茶苦茶にしてやるよ! 最初からそのつもりだ!
お前だって、俺を挑発してきた時に覚悟していただろ!?」
「そりゃ、ちょっとはしてましたけどぉ!」
「ははっ、攻守交代だな。
さっきまで俺をガンガン攻めていた勢いはどうした?」
その頃、正門前では馬車を前に大勢の人間が固まっていた。
ノエリアが笑顔なのは、もう失神しているからだろう。
グレンとケイジは腹を抱えて笑い、キャロルは委員長として他の組の関係者たちに頭を下げていた。
モニカは
「ああ! やっぱり、やりやがりましたわ、あの二人!
この状況、どうにかなさい!」
憤慨しながら、いつもの3人に命じたが、一番おとなしいイヴェットは顔を真っ赤にして俯き、ミーアは「きゃああ」とか手のひらで顔を覆いつつも、しっかり指は開いて様子をうかがっていた。
仕方なく最後の一人、ブリアナに話しかけるも、
「はぁはぁ、攻守交代って事は、まさかのエリ×アーン!?
アーン×エリでなくて!?
てっきりエリーさんは全受けかと思っていましたのに、新境地です!
はああああ、でも尊い! 最後はアーン×エリで終わるとことか尊い!!」
と興奮気味にスケッチを走らせているのを見て悲鳴を上げる。
「ブリアナさんが、わたくしには理解不能な言語を口走ってますわ!」
「モニカ様、
ブリアナさんは美術部代表として、秋に行われる文化祭の発表モチーフを選定中なのです」
「すぐにやめさせなさい! 美術部、クビになりますわよ!」
「それが題材自体は美術部の総意で……あとは構図だけだとか」
「美術部、廃部になっちゃいますわ!」
「でも文化祭実行委員からは、その題材で許可が下りたと…」
「この学園、頭おかしいのでなくて!?」
モニカがこの学園の闇に打ち震える中、客車は上下に激しく動き、
「ずっと我慢してたのに、お前が煽るから悪いんだろ。
もう止められねぇぜ!?」
「だって先輩が、いつもは見せない顔をするから!!
あんな顔されたら……っ…」
「ああ、もう我慢できねぇ!」
クライマックスである。
外ではアーノルドの帰還を出迎えようとしていた第二騎士団の面々が、周囲から
「確かアーノルド・ウィッシャートって第二騎士団…?」
「じゃああそこにいる連中か……?」
「まさか彼らもまた、騎士にあるまじき、とんでもない連中なのでは……」
などとひそひそと噂され、肩身の狭いを思いをしながら退場して行くところだった。
泣くな、騎士たち。 君たちは悪くない。
そして馬車が静かになる。
静寂の中、エリーとアーノルドの声だけが響いていた。
「わかりました、わかりましたよ。
はい、これでいいですか?」
「ふぅ……やっと観念したか。
最初から素直に応じていれば良かったものを」
「だって、そうした方が楽しいですもん。
アーノルドさんだって、まんざらでもなかったでしょ?」
「…………まぁな」
「それじゃ、どうぞ。
思う存分、滅茶苦茶にしちゃってください」
「ああ、それじゃ、遠慮なく……」
「「衛兵ーーーーーーーーーーーっ!!!!!」」
クリフォードとラルスが同時に叫ぶと、衛兵が飛んできて馬車を囲む。
いつもの紳士的な老御者が恭しく皇太子の前に侍ると一言、聞いた。
「開けてよろしいでしょうか?」
クリフォードは「いつもすまない」と頷き、衛兵たちで客車を目隠しすると、扉を開けると同時に突入を命じた。
客車の中で、別にいかがわしい事もせず仲良く退学届と脱退届をビリビリに破いていたエリーとアーノルドは、あっという間に身柄を拘束される。
「な、なんだ、何だ、お前ら!?」
「痛い痛いっ、ギブギブ! 怪我人、私、怪我人だよ!?」
言い訳も聞いてもらえず、連行されていく二人。
「やめろおおおおおおお!! 俺は無実だ!」
完璧なまでの雑魚台詞を発しながら連行されるアーノルド。
「なんですか!? 何がいけないんですか!
そりゃ煽った私もいけませんけど、ちょっと楽しむくらい良いじゃないですか!」
状況を把握できないせいで火に油を注ぐエリー。
ついでに失神したノエリアを救護班が搬送したり、1年教師たちを教育主任たちが招集したり、野次馬たちが興奮気味に今の目撃情報を他の生徒たちに話したりと、さながら現場は地獄絵図である。
「やりやがりましたわ………」
喧噪の中、モニカが疲れ果てて呟く横で、キャロルが眼鏡を抑えながら「明日の委員長会議……」と苦悶の表情を浮かべている。
「いやぁ、これくれぇ派手な事がないとな」
「刺激が足りませんでしたからね」
グレンは豪快に、ケイジはクスクスと笑い、ブリアナは鼻血を出してスケッチを進め、イヴェットはいまだに真っ赤になって俯き、ミーアは良い物が見れたと満足げである。
D組にとっては、良くも悪くも、これが日常であり、それが戻ってきた事にそれぞれが感慨深い気持ちを持っていた。
「…………いい加減、笑うのやめましょうよ、マックスさん」
涙を流して笑っている騎士団長マックスに、フランクが声をかける。
「ははははは……まさかアーノルドが連行されていくとはなぁ。
見たか、あの顔」
「見ましたけど……」
「うん、まぁ、これで元に戻ったのかな」
「ええ、終わってみれば良い話……いや、別に良い話ではないな、これ」
フランクが冷静に評価する。
むしろとんでもなく破廉恥な話だ。ハレンチ学園である。
一方で連行されていったエリーとアーノルドの二人は、互いに「お前のせいだ」と醜く罵り合い続け、最後は笑い出したようである。
日常を取り戻し、またこれまで通りの日々が戻ってきた。
エリーはようやく欠けたものが埋まったのを感じる。
そして「また楽しい学園生活が送れそうだな」という喜びを噛みしめると、ジワジワと胸が暖かくなるのであった。
もっとも、その喜びは担任教師フィリベール・ドゥメルグの、次の一言で霧散するのだが。
「停学1週間」
平民風情が、という舌打ちを遠くに聞きながら、頭を抱えるエリーの日常復帰は、まだ遠い。
いつの間にかブックマークが100件、感想も2件目が来て嬉しい限りです。
投稿ペースが落ちて申し訳ないのですが、これからもよろしくお願いします。




