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第38話 嘆きの乙女

アーノルドら捜索隊が橋を渡った後、残っていた級友たちは、忸怩たる想いを抱えていた。


 「情けねぇ」


口惜しそうに口を開いたのはグレンである。

あの日、グレンは最後までエリーの下へ駆け寄ろうとして果たせなかった。

駆け寄ったところで助ける事は出来ず、一緒に奈落の底へ落ちていっただろう事は、冷静になった今だけでなく当時だって思っていた。

それでも護るべき相手に逆に護られ、何もできずに見殺したという事実は彼を責め立てた。

そして今は力不足で捜索に加わる事はできない。

もし自分に力があれば、あの一行に加わる事ができただろう。 いや、それ以前にエリーを見殺しになどしなくても済んだはずだった。


 「まぁまぁ、焦っても急には強くはならないし」


ニコニコと笑っているケイジだったが、あの時は余裕の仮面も剥がれ落ち、救助を求めて急行した兵舎で倒れていた。

しかし彼の行動によって、情報をいち早く知る事が出来たアーノルドたちは、会議もそこそこに現場へと戻り事態を収拾した。そういう意味では、ケイジは影の殊勲賞だったと言える。

無論、それはケイジを慰める事にはならなかった。

彼は今回の事態の責任は自分にあるという確信があった。

自分の役割は索敵をし、周囲に気を配り、パーティーの安全を確保する事。

それを最後の最後、本当に最後の詰めの場で、それを怠った。

全員が橋を渡り始めた時、これで大丈夫だとみなし、彼の注意は橋が壊れないか、全員が渡った後、速やかに橋を壊す余裕はあるか……そこに集中してしまった。

まさか一番、余力があると考えていたエリーが力尽きるなど、想像だにしなかったのだ。


 (僕は愚か者だ。 一番最後にいた人をこそ、一番気にかけるべきだったのに)


魔獣たちが光の壁によって足止めを食らい、接近してこない事は把握していた。

だが最後列の人間への注意が逸れた時、悲劇が起きてしまったのだ。


 (もうあんな失敗はしない、絶対にだ)


誰にも告げる事は誓い。

だがそれは、ケイジにとって生涯の戒めとして心に刻まれた。



その二人を見ていたのは委員長であるキャロルである。

そして、ちらりとモニカたちを見ると、はぁ、とため息をつく。


 (私だけ、何もしていないわね)


級友のモニカ・ホールズワースはエリーがいなくなった後、一見、何も気にしない風に


 「どうせすぐに戻ってくるに決まっていますわ。

  だいたい、あのうるさい娘がいなくなって学園生活も送れるというもの」


と言い放って高笑いをしていたが、裏では実家に働きかけて捜索隊の結成を後押ししたと聞く。

最終的に却下されたのだが、二番隊が単独で捜索隊を編成で来た理由として、ホールズワース家が資金援助を惜しまずに協力した事もあった。そしてモニカと仲の良い三人組は、そうした彼女の行動を手助けしていた。

その間、自分は何をしていただろうか。

委員長という肩書を持っておきながら、一番役に立っていないし、何もしていない。

グレンのように自分を改めて鍛え上げるほど強い精神力はなかったし、ケイジのようにスキルを活かして救援に向かう事もできなかった。モニカたちのように実家の力を使って働きかける事もできぬまま、今もこうして応援する事しかできない。


 「なにをやっているのかしらね、私は」


エリーが落ちていくのを、見ている事しかできなかった時。

あの時、自分の限界を知ったような気がした。


そしてD組の面々はもちろん、あの光景を目の当たりにした生徒たちは、箝口令が敷かれたという事とは別に、それぞれ複雑な心境になっていた。

あの落ちこぼれは、自分の命を平気で捨てて、大勢を助けた。

自分たちが見下していた奴が。

頭では理解していても、あんな行動はできるものではない。

―― あの行動は、まるで………


学園内で爪弾きにされ、厄介者と見なされていたエリー・フォレスト。

だが彼女の存在は良くも悪くも、大きなものだったかも知れない。

その証拠に、彼女が消えてから、聖トラヴィス魔法学園は歪な静寂が包み続けているのだから。


◇◇◇


その聖トラヴィス魔法学園の生徒会室では二人の男女が窓から学園を眺めていた。

生徒会会長クリフォード・オデュッセイア。

生徒会副会長ノエリア・ウィッシャート。

二人は静かな学園を見ながら嘆息をついた。


 「静かね。まるで何事もなかったかのように」

 「違うな。あんなに賑やかだった学園が、今はこんなにも静まり返っている」

 「そう、ね……」

艶やかな黒髪を揺らし、ノエリアは肯定した。

新学期になり、この学園は今まで以上に賑やかになった。


元々、今年の新入生は魔力の素養に富んだ生徒が多いという評判だった。

良くも悪くも学園は活性化するだろうと言われていたのだが、クリフォードたちの予見は違う形で実現された。

ノエリアの予知夢が的中し、姿を現した聖女エリー・フォレスト。

クリフォードたちはエリーを最大限に警戒し、アーノルドなどは暴走気味で絡みに行ってしまったほどだ。

そして彼女によって、学園は大いに揺らいだ………それはもう、色んな意味で。

何と言うか、説明しにくいが、悪い意味が多いというか、性的な意味とか、まぁ、もう、諸々に。


アーノルドと一緒の登下校は問題が起きない日々はないし、授業中に爆笑が起きるのはもちろん、爆発も起きるし、喧嘩、喧噪、破壊の限りが尽くされている。

クラスメイトの大半がいきなり停学措置を下されるなんて、学園始まって以来の事だ。

学年主任が胃薬を常備し、毎朝衛兵が校門前で待機するようになったのも、新学期に入ってからだ。

ある時など、どういう事情かは分からないが

 「へいへい、先輩! たるんでるぜ!」

とアーノルドの弁当を小脇に抱え、モーニングスターを振り回しながら校内を疾走していた時は頭を抱えてしまったものだ。


そんな彼女がいなくなった学園は、ちょっと前までの姿を取り戻したのだが……

何故だろうか、トラブルはなくなったのだが活気までもなくなり、どことなく学年主任も衛兵も、手持無沙汰で所在なげにしている。

捜索隊が派遣されないと決定が下された時、D組の面々が生徒会室へ抗議に来たのだが、意外な事に他のクラスの生徒たちも内密にだったり、それとなくだったり、その事について説明を求めてきた。中には敢然と、派遣が見送られた事に対して抗議の言葉を口にする者もいたほどだ。


 「生徒たちは貴族の子弟ばかり。

  プライドが無駄に高く、他者の為に汗水垂らして動く人なんていない…。

  特にまだ右も左も分からない1年生は………それが常識だったのに」


ノエリアはそれらの行動を驚きの目で見ていた。

彼女たちが生徒会に入ってから改革を進めた事で、今の3年生にはチームワークというものが備わっている。

薫陶を受けた2年もそうだ。

だが彼らとて、最初からそうだったわけではない。 最初は大いに貴族のプライドが邪魔をした。

だが学園で学び、共に生活をし、様々な経験を経て、彼らの中に絆と呼べるものが形成されていったのだ。


 「それを1年生の時から体現するなんて……

  よほど価値観が変動するような事がない限り、ありえない」


そのあり得ない事をエリー・フォレストは起こしたのだろう。

あの魔獣の洞窟で。

ノエリアたちは報告書でしか、その場で起きた事を知らない。

しかしそれでさえ、エリーの取った行動に絶句し、彼女がいなかった時の被害を考えて戦慄を覚える。

あの場にいた目撃者たちが、価値観を揺さぶられても無理なからぬことであろう。


だがそれだけに。

それだけに捜索隊が編成されなかったというのは、首を捻らざるを得ないのだ。

この質問に対し、クリフォードは自嘲気味に言葉を紡いだ。


 「捜索隊が結成されなかったのは、私のせいだよ」


 「クリフォード様の?」


 「私が皇太子だからだ。

  皇太子が生徒会会長を務めている間、学園に汚点があってはならないからね」


その推測は正しい。

箝口令が敷かれた事をはじめ、すべてを隠蔽する方向で話が進んでいる原因のひとつとして、クリフォードの存在は無視できない。

今回のように「学生が学校活動中に死亡する」しかも「騎士団は学生を守る事ができなかった」など皇太子と騎士団双方の責任問題など、あってはならないのだ。

ここに至るまで、様々な手を尽くしたが、クリフォードとノエリアの力をもってしても

 「今回の討伐に伴う責任隊である騎士団二番隊が、単独での行動に限り捜索を容認する」

という言質を取り付けるので精一杯であった。

それでも二番隊からは喝采され、感謝をされたのだが、その程度の事しかできず、むしろ残りの捜索活動を二番隊に丸投げした形になったのは後ろ髪を引っ張られる思いだ。



 「ただ今回、分かった事がある」

 

 「なんでしょう?」

 

 「エリー・フォレストは、少なくとも現時点では私たちと敵対するものではない」


ノエリアは口元をほころばせ、その言葉に同意した。


 「前からそう言っていたではありませんか、殿下。

  わたくしは、あの子と友誼を結んでみたいと」


 「……ノエリア、私を軽蔑してくれて良い」

 

 「殿下……?」

 

 「私は今日と言う今日まで、エリー嬢への疑念が払拭できなかった。

  仲間に出来ないかと思う反面、監視する事で行動も掣肘できると」


 「………………」

 

 「まったく酷い男だよ。

  アーノルドとの登下校での騒ぎだって、女性の色香で籠絡しているんじゃないかと疑っていた。

  実際に、アーノルドはすっかり乗せられていたからね」

 

学園を揺るがすような真似をしてまで、我々を切り崩しに来ているのではないか…

悪女じゃない前提で仲間に引き込めないかと画策はしても、悪女であるとの思いが拭い去る事は完全にはできなかった。


 「だがそうではなさそうだ。

  つまりエリーとアーノルドは、普通にあのような行為に及んでいたんだろう」


 「それはそれで、すごく問題があるように思いますわ!」


悪意のある罠(ハニートラップ)に嵌められたのであれば、まだ敵の策謀が一枚上手だったと思えるのだが、普通に後輩の女の子とイチャイチャして、我を忘れてのめりこんじゃって、若気の至りで馬車の中であんな事やこんな事をいたしてしまったとか、なんか、こう、そっちの方がダメな気がする。


 「仕方がない……若いのだから、そういう事もある」


 「そんな所で度量を見せなくても…」


おお、これぞ王たる器。 広い心で臣民の愚を受け入れるクリフォードである。

全然仕方なくないのだが、王が仕方がないと断言するからには、仕方がないのだろう。

もしくは自分もいずれしたいと考えているのに、ここで咎めると出来なくなるので見逃してやったのかのどちらかだと思われる。


 「とにかく今はエリーの無事を祈ろう。

  なに、捜索隊には君の義弟も向かうんだ。 きっと見つかるさ」


 「はい……」


ノエリアはそう言いつつも、その望みが薄いであろう事を自覚していた。

そして、もし変わり果てたエリーの姿をアーノルドが発見したとしたら……口では彼女に対し不平不満が止まらない義弟だが、心に拭い切れない深刻なダメージを追ってしまうのではないか。


 (ああ、嫌な女だわ。 全然、クリフォード様の事を笑えない。

  エリーさんの事よりも、義弟の方を心配するだなんて)


ノエリアの表情が翳る。

いずれにせよ、エリーの不在は色々な形で、学園にいるあらゆる層を巻き込んで、歪を起こしている。

そしてクリフォードは、その流れにも歪なものを感じていた。

それはここにはいない男……監査役のラルス・ハーゲンベックが抱いた危惧と奇しくも似ていた。

確信はないし、まだ想像とも言い切れないほどの、小さな歪。


だがそれが、じわじわと王国を巻き込もうする蛇のような絡みつきに見えてくる。

そして、エリーはその歪に囚われてしまったのではないか……。


 (頼むよ、アーノルド。 全員無事に戻ってきて、初めてこの問題に取り掛かれる)


クリフォードは切実に願った。

そもそもエリーが戻って来なくては、この暗い影は取り除くことはできないだろう。

いくら箝口令を敷いたとしても、目に見えない形の失望や信頼の欠如は免れまい。


今や彼女の救出は、生徒会にとっても念願となっていた。


◇◇◇


そのエリーは、多くの人々の願い空しく、絶望の淵にいた。


第8層にいるというだけで即死級の絶望なのだが、死の咢をどうにかかいくぐり生存していた。

だが今、エリーは洞窟の中で、視界がやや開けた場所で座り込み、息を殺している。


 (聞いてない、聞いていないよ、こんな事!)


岩陰に隠れて気配を殺し続ける。

じっとしていると痛みが響いてくるので、できれば動きたいのだが仕方がない。


 (私は岩、私は石、私は空気……)


心を無にして祈り続ける。

聞いていない、あるはずがない、どうしてこうなった?

どうして、どうして。


どうして嘆きの乙女(バンシー)がここにいるの!?


あの恐るべき怪異は2層まで上がって行ったはずなのに。

何で戻って来ちゃってんの!? もしかして違う嘆きの乙女(バンシー)なの?

疑問は尽きないが、今は生き延びるのが先決、最優先事項だ。


ばったりと出くわした、死を告げる怪異。

彼女に見られるよりも早く、どうにか物陰に姿を隠したのだが、気配までは消し切れない。

嘆きの乙女(バンシー)はそれを察知して、エリーを探しているのだ。


どれだけの時間がたっただろうか。

ずっと動かなかった嘆きの乙女(バンシー)が動き出す。

………そして、彼女の取った行動はエリーの想像だにしていなかったものだった。


 『ドコニイルノ?』


 (しゃべった!?)


危うくエリーは声を出す所だった。

うっそだろ、嘆きの乙女(バンシー)って歌う以外にしゃべれるの?

そしてもう完全にこっちをロックオンしてきやがった!


この時、エリーは忘れていた。

嘆きの乙女(バンシー)には、隠れている者をあぶりだす、絶好の特徴を持っていた事に。


嘆きの乙女(バンシー)が大きく口を開ける。

そして――


 『アアアああああアアアアアアああアアアアあアアアあアア!!』


死の歌が洞窟に響き渡る。

私の対魔専用魔法ですら、打ち消せずに防戦一方だった歌が、ついに私に直撃する。

叫びたい衝動を強引にねじ伏せ、震えながら耐える。

狂った死の叫びを、とうとう思いっきり耳にしてしまう。


 ぶしゅっ……!


凄まじい脱力感、そして全身の血が沸騰したような激痛が貫くと、傷口から血があふれ出す。

それでも数秒、耐えただけでもたいしたものだったかも知れない。


悪寒で歯がガチガチと鳴り、痙攣するように体が震え出す。

そしてとうとう、どさっと音を立てて、岩陰から地面に卒倒して倒れこむ。


 『見ィツケタ♪』


嘆きの乙女(バンシー)の愉悦の声が洞窟に響き、真っ赤な血のような唇がニィィと歪んだ。

それを見ながらエリーは、今の自分を顧みて


 (あー、何か私、退治されるゴキブリみたいだな…)


と思った。


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