第36話 積み重なる違和感
「アデリナ・パラッシュ?」
エリーが洞窟の奥深くで足掻きながら、その名前が記された日記を発見する数日前、奇しくもアーノルドは馬を飛ばしながら、その名前を口にしていた。
並行して馬を走らせるマックスから、その名を知っているかを問われたのだ。
「ああ。 例の魔獣討伐失敗の際、行方不明になった騎士の名前だ」
「4年前の事件自体は知っていますが、詳細については箝口令も出されていたので知りませんでした。
女性の方だったんですね」
「あの時も、散々、救出に行くだ、行かないだと揉めた。
結局、行かなかったけどな」
「行かなかったんですか?」
「イザークの爺さんは強行に救助を主張してたんだがよ。
許可が最後まで下りなかった」
「それはどうして?」
「他の隊長たちも反対したからな」
アーノルドが絶句する。 騎士が、同じ騎士を見殺しにするとは。
だがマックスは擁護するように言う。
「俺もその時は副隊長ですらなかったから詳しい事は知らん。
ただ当時は、やむを得ない情勢でもあった」
4年前は、ちょうどイシュメリア王国と近隣諸国の関係が怪しかった頃だ。
周辺国の後継者争いや経済状況に端を発する抗争にイシュメリア王国も巻き込まれてしまい、このドタバタは結局、表舞台に立ったノエリア・ウィッシャートが奮闘するまで、解決の道筋すら立たなかったのだ。
それでも一部の国の暴発は止めきれずに、昨年もイシュメリア王国は同盟軍の中心として軍事行動を余儀なくされたくらいだ。
「どうもあの辺りから、問題が尾を引っ張っている気がする。
あくまで個人的な勘だが」
「隊長が言うなら間違いないですね。
でも今は、4年前とは違う」
「ああ、そうだな」
マックスは思い出す。
あの時、誰だって好き好んで見殺しにしたわけじゃない。
各隊の隊長たちが毎日、怒鳴り合うように議論をしていたのを聞いていた。
苦渋の決断だっただろう。
それならばせめて、同じ状況になったら、同じ轍を踏まないという事が、亡くなった先人たちへの手向けとなるのではないか。
「到着したら、すぐに洞窟の奥へ向かうぞ。
人数は邪魔になるから、募らない。 最悪、俺たちだけで行くつもりでいろ」
「最初から、そのつもりですよ」
「その意気だ。 嬢ちゃんに良いところ、見せてやろうぜ」
からかうつもりで軽口を叩くマックスだったが、存外アーノルドは真面目に答えた。
「ええ、駆けつけるって約束したんでね」
さらに馬を飛ばして前方を駆けていく行くアーノルドの背中を見ながら、マックスは苦笑した。
「何だ若者め、結構、青春してるじゃないの」
そう言うとマックスもまた、さらに馬の速度を上げて洞窟へと急ぐのだった。
それと時を同じくして、ここから離れた聖トラヴィス魔法学園で文献を読み漁っている男がいた。
生徒会監査役にして銀の貴公子ことラルス・ハーゲンベック。
彼は今、現場で起きている事を予知していた訳でもなければ、兵舎で騎士団と財務長官がやり合った事も知らない。
だが不思議な事に、彼の行動は薄ら寒いくらいに事件とリンクしていた。
彼の手には、とある報告書。
『魔獣の洞窟における遭難事件の顛末』
4年前に起きた、あの痛ましい事件の顛末書を熟読していたのである。
「アデリナ・パラッシュ……「影」属性の騎士……」
なるほど、洞窟を攻略するのに「影」の属性は有効に働くだろう。
彼女は探索メンバーとして洞窟に潜り、そこで奇襲を受けた。
この時、アデリナはペアを組んでいた騎士と共に魔獣共に追い詰められ、引き返すこともできず奥へ向かった。
ペアだった騎士は5層目で力尽き、アデリナはさらに奥へと逃れた痕跡を最後に、ついに発見する事はできなかった……と記されている。
今も5層目まで到達するのは至難の業だ。
信頼と協力なくして、そこには到着する事はできないだろう。
この二人の騎士は相当に優秀だったと考えて良い。
ラルスが注目したのは、その後の顛末だった。
マックスが語ったように、強硬に救助を主張したのはイザークをはじめとした一番隊で、全九番隊まである騎士団のうち、悩んだ末に反対したのが三、四、六、七、八の5つの隊。
残る二番隊と五番隊は条件付きの消極的賛成、九番隊だけが同調し賛成した。
だがそもそもアデリナ含め九番隊が洞窟へ向かっていたので、身内意識は他よりも強く、それは差し引かねばなるまい。
(違和感がある。
だがその違和感が何なのか、どこにあるのかが分からない)
………まずおかしいのは、一番隊が強硬に救助を主張した事だ。
九番隊は分かる。 アデリナは九番隊の隊員であり、同じ釜の飯を食った仲間だ。
生きているとは思えなかったが、せめて遺体だけでも収容したいという想いは強かっただろう。
だが一番隊はどうだ?
本来「盾」としての役割を担い、王都の守護を任されている部隊だ。
それが別の隊の遭難に対して、ここまで強く救助を主張するだろうか?
「もう一人の騎士の名前はハロルド・マクニール…。
こちらも九番隊隊員か」
死亡が確認された騎士も、一番隊ではない。
隊長のイザーク・バッハシュタインは情に厚い好漢である事は間違いない。
すべての隊員を我が子のように思っている事でも知られていた。
『もう死んでいるだろう、などともっともらしい理由で、我が子を見放す親などおらぬ!』
報告書にはそう記され、実際に会議の場でも怒鳴りつけたようだ。
この言葉はイザークの名言の中でも有名なもののひとつで、この言葉によって彼は「騎士団の父」と尊敬されるようになった。
……おかしくはない。 そうおかしくはないのだ。
情に厚いイザークが別の隊とはいえ騎士団の一員の危機に立ち上がろうとした事も、結局救援は派遣されずに終わってしまった事も。
また報告書の後になるが、イザークが鬱屈した想いを抱えた為、騎士団の中でも軋轢が生じた事も。
この危機を救ったのが、ノエリア・ウィッシャートであり、その活躍をラルスは側で見守り、時に手助けした。
今はもう、騎士団の体制を見直して、すべてを一新したと言って良い。
エリー辺りがそれを聞けば
「さすがはヒロイン、めっちゃぱねぇっスわ。
騎士団の忠誠を鷲掴みとか、マジでもう無理ゲーっスわ」
と感嘆した事だろう。
だから解決済みのはずなのだ。
それなのにどうした事か、違和感が拭えない。
調べなければならない。
智者であるラルスは、無知が恐ろしい。
知らない為に、失われてしまうものがある事を知っているから。
それをかつて、まざまざと教えられた。
瞼を閉じれば思い返されるのは、ノエリアが笑っている昔日の姿。
彼女への果たされぬ想いは閉じ込めた。
ならば私は、彼女のため、彼女の頭脳となり、彼女を支えよう。
その誓いは今もなお、色褪せず心を燃やし続けている。
エリー辺りがそれを聞けば
「さすがはヒロイン、めっちゃぱねぇっスわ。
将来の宰相様の忠誠を鷲掴みとか、マジでもう無理ゲーっスわ」
と地面にコントローラー(この世界には存在しないが)を投げつけた事だろう。
「調べなくてはならん」
ラルスは眼鏡を整え、気合を入れ直すと再び文献に向かい始めるのだった。
◇◇◇
時を戻し、洞窟の奥……8階層でエリーは一心不乱に日記を読み漁っていた。
「これ、すごいお宝では?」
読み進めると日記には、ここに至るまでの簡易ではあるが道筋と、徘徊する魔獣の傾向や隠れやすい場所、水場などが記載されていた。
エリーはまだ、この日記の持ち主であったアデリナが「影」属性の魔法を使えることを知らない。
知っていれば、ここまで克明な記録を残せた理由を理解しただろう。
理解した所で腹の足しにもならないのが残念だが。
だが、それよりも何よりも彼女の生きる、生きたいという意思が日記の隅々から伝わってくる。
落ち込んでいたエリーは、これを見て再び希望を見出したり、でもやっぱり
『間違いない、ここは洞窟の第8層だ』
という、あまりに絶望的な言葉に再び打ちのめされたりを繰り返していた。
エリーだって生きたい、そして手に入れたお宝を皆に見せてあげたい。
この日記は、これまで未知の世界だった洞窟の奥地へと導いてくれるかも知れないのだ。
しかし現実としては、もうどうしょうもないくらい、詰んでいる。
はっきり言って、ここから出たら、死ぬ。
そして逡巡して逡巡して、とうとうここから出る事にした。
結局、この隠れ家からは日記以外にも、騎士らしく短剣と女性らしい指輪が発見できた。
しかし武器である短剣は持つ事は出来ないし(もうこれ以上、重いものなど、持てるはずもなく)、貴重な案内書でもある日記と、指輪だけ落とさないようにポケットに厳重にしまい込み、歩き出す。
だがエリーは地上を目指したのではない。
単純に、もう喉の渇きと飢えが限界だったのだ。
「あー……疲れた………」
怪我は癒えるどころか悪化の一途を辿って、身体も重くなるばかり。
ようやく到着した水場で、もう手で水を汲む力もなく、倒れるように四つん這いになり、犬のように水を飲む。
ついでに目の前に岩に付着していた苔を、手当たり次第に剥がして口に運ぶ。
(てか、餓死しそうだからって苔食うヒロインってどうなのよ?
ゲーム中でもこんな酷い扱い、されてなかったよね!?)
やべーよ、このヒロイン。
助けに来るヒーローや王子様もドン引きするわ。
そう言えば、ここに来る前に絶体絶命のピンチがあったっけ……
確か、凶狼とまんまと出くわして………
でもこっちも、あまりにも空腹だったから、思わず「美味そう………」って涎垂らしながら、うへへへと笑って近寄ったら、どっかに逃げて行ったな……
くそぅ、人を屍食鬼か何かと勘違いしやがって。
ずぞぞぞぞ、と水を吸うたびにヒロインの口から出てはいけないような音が鳴ってしまうが…
へっ、もうなりふり構っちゃいられねぇぜ。
散々、悪態をつきながら水分を補給したエリーは、いそいそと水場を離れる。
本当ならまた、あの場所へ戻りたいのだが、同じ行動をしていたら、いつかは発見される。
毎回、毎回、都合よく屍食鬼だと思ってくれはしないだろう。
ふらふらと立ち上がり歩き出す。
肩もそうだが、膝蹴りを受けた脇腹も相当にまずい。
多分、肋骨が何本か折れているのだろう、歩くたびに呼吸すら阻害される。
今、それよりぶん殴られた頭が―― と思った瞬間。
「やばい」
眩暈がして、そのまま膝を付いてしまう。 歩けない。
いきなり体が悲鳴を上げてシャットダウンしてしまった。
「嘘でしょ?」
と思っても、体はまったく動いてくれない。
全力で体を動かそうとすると、全身の筋肉や腱が引き千切れそうな激痛が走るのに、ものすごく緩慢な動きでしか応じてくれない。
(この体、費用対効果悪すぎ!)
心の底から嫌になる。
その時だった。
ガチャン、と洞窟に似つかわしくない金属音が鳴り響いたのは。
(甲冑の音?)
金属の擦れる音に重い足音が重なる。
もしかして、もしかして?
でも、こんな地下深くにあり得ない音。
心の底からジワジワと喜びが湧き上がる。
ああ、鎧の音がこんなにも心地良いだなんて思わなかった。
もう誰でも良い、誰でも良いから。
力を振り絞って、甲冑音が聞こえて来た方を向く。
そこには、古びた甲冑を身に纏い、剣を携えた騎士の姿。
でも、ひとつだけ、エリーの知っている騎士の姿と決定的に違うものがあった。
――― その騎士には首がなかった。