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第32話 地獄へようこそ

ああ、ようやく終わる。


疲労困憊の中、とうとう橋にまで到着したD組一行と救助された面々。

もはや魔力も底を尽き、体力もとっくの昔に限界を迎えている。

半ば惰性と言っていい、ただただ走り続ける作業。

もう誰も「頑張れ」とか「もう少しだ」などと口にする者もいない。

そんな事を口にする暇があるのなら、一刻でも早く橋を渡り切らなくては。


ピエールを先頭に、次から次に橋を渡り終えると、転倒していく。

その様相は、長距離走を終えた選手がゴールを果たしたような光景……

それよりもはるかに切実で緊迫感に満ち溢れたものであったが。


呼吸困難になりながらも辿り着いた前線拠点では、待ち構えていた人々が次々に救護に入る。

フランクとピーターは仲間の騎士たちに労われ、グレンは肩を叩かれて称賛を受けていた。

モニカはブリアナとミーア、そして待機していたイヴェットと肩を抱き合い生還を喜び合い、キャロルやケイジもまた、騎士団や待機していた生徒たちから手当と労いの言葉を受けていた。


D組の生徒たちが、絶叫と悲鳴が起きたのを耳にしたのは橋を渡り切った時だった。

そして、その方角を振り返った時、全員が「なぜ?」と思った。


 「どうしてエリーが、橋で倒れている?」


誰よりも元気で、誰よりも皆に声をかけていたエリーが。

どうして精根尽き果てた姿で倒れているのか、すぐに理解できなかった。


 「魔力枯渇………」


キャロルが誰にでもなく呟いた言葉を理解した時、D組メンバーの顔が歪む。

そうか、そういう事か。

最後の絶望的状況を、一人でひっくり返した代償が、最悪の場面で噴出した事を、全員が理解した。


 「エリー!!」


グレンが叫び大剣を握り駆け出そうとする。

それとほぼ同時にキャロルとモニカが杖を手に魔法を展開した。


 「【水の壁】!!」

 「【雷よ、走れ】!」


だがグレンはよろめいて膝をついた所をフランクに抱き止められ、キャロルとモニカの魔法は不発に終わると同時に二人は地面へ倒れこんだ。

フランクが叫ぶ。


 「止めろ! お前たちもとっくに限界だろうが!」


エリーまでの行く手を遮るように、一団の目の前に突き刺さる人馬獣(ケンタウロス)の矢。

これをかいくぐってエリーの下までたどり着く戦力は、もはやない。

そしてキャロルも、モニカも、エリーの所まで届くほどの魔力は残っていなかった。


 「どうして、出ないんですの!?」


モニカが杖に向かって金切り声を上げる。

恨めしそうに前を見て、その先には自分と同じように魔力枯渇に陥っている級友を認める。

だが、あらゆる状況が違う。

周囲を仲間たちに囲まれ、手当てを受けながらの魔力枯渇状態に陥った自分に対し、桁違いの反動で身動きもとれなくなったまま、圧倒的な数の魔獣の前に、生贄のごとく放置されたエリー。


モニカ同様の無力感に包まれていたのは、隣で同じように倒れているキャロルだった。

彼女もまた、魔力枯渇を起こして水魔法が使えない。

委員長として級友たちをまとめていた手腕も、フランクの隣で補佐として力量を発揮していた知能も、この危急の事態にまったく役に立たない。

今のキャロルには、動かぬ体を支えるだけで精一杯だった。


動けぬと言えば、グレンもまた歯噛みをしていた。

フランク他、数人の騎士に制止され、目の前にいるエリーを助けに行けない。

 「無茶だ。死にに行くようなもんだろ!?」

そんな声が耳に入ってくる。だが、グレンにしてみれば

 (んなこたぁ、わかってんだよ!)

と叫びたい気持ちだった。

 (分かってたって、やらなきゃなんねぇだろ、この場合はよ!)

叫べないのではない、叫ぶだけの力が残っていないのだ。

 (何で俺らを助けてくれた奴が、あんな所で倒れてるんだ)

だがグレンに残されていた体力では、あそこに到達する事はできない。

自分を止める手を振り払う力すら、残されていないのだから。


この中で唯一、エリーのいる場所に到達できるとしたならば、ケイジだった。

もっともそれは、「この中で」というだけで、実際に到達できる可能性は限りなく少ない。

だが彼は動かない、動けなかった。

行った所で、無駄死にするのが分かっていたから。

だから彼が取った行動は、エリーの下へではなく、援軍を呼びに行く事だった。

 「連れてきます!」

そう告げたケイジは、脱兎の如く駆け出した。

 (僕の失態だ)

ケイジは珍しく、口を噛んで悔恨の表情を浮かべていた。

本来なら周囲に気を配り、脱落者がいたのなら察知するのは自分の役割のはずだったのに。

誰一人欠ける事無く橋まで皆を導いた時、不覚にも自分の任務は終えたと思った。

疲労のあまり、それ以上の知恵が回っていなかった。

しかしそんな事は言い訳に過ぎない。 何の理由にもなっていない。

 (この失敗は必ず取り返す)

だが取り返し方は、ひとつだけではない。

自分が出来る最善手を打つ。

悲鳴を上げる体に鞭を打って、ケイジはもつれる足を必死に動かした。



だがそうした願いも空しく。

皆が救いたいと想った少女は、その目の前で、無惨に狼に噛み千切られていった。

そして自分の身を餌にして、たくさんの魔獣と共に奈落の底へと消えていく。

伸ばした手は届かない。


自分の身を犠牲に。 大勢の人のために。

言う事は簡単だが、彼女はいとも簡単に、まるで当然のように、実行した。

そんな人間は、普通じゃない。


――― それじゃあ、まるで…



◇ ◇ ◇


……時を同じくして、どこかも分からぬ洞窟の中。


少女は暗闇の中で目が覚め、そして懺悔していた。

脳裏には、一人の青年の言葉が何度も何度も反芻する。


 「ここはもう洞窟だ、命のやり取りが行われる場だ。

  魔力枯渇、予期せぬ敵との遭遇、小さな怪我が遠因となる大きな怪我……

  少しでも油断をすれば、死が牙を剥いて襲い掛かってくる。

  生半可な気持ちなら帰れ」


……アーノルドさんは正しかった。


地の底で、エリーは、そう思った。

全部、全部、先輩の言う通りだった。


ごめんなさい、私の魔法が魔獣に有効だと分かった後で、どこか舐めてました。

魔力枯渇について、真っ先に忠告してくれたのに、深刻に受け止めてませんでした。


あの時、意味もなく魔法を発動しなければ、ギリギリで枯渇しなかったかも知れない。

予期せぬ敵と遭遇する事を想定していれば、対処できたかも知れない。


油断しました、生半可な気持ちでした。

分かっていたつもりで、全然分かっていなかったです。


もう私には伝えられないかもしれないけれど、誰かに伝えて欲しい。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。



 「……………アーノルド、さん」


どれくらい倒れていたのだろうか。


思わず呟いた言葉でエリーの意識は現実に引き戻された。

 (あれ? まだ生きてる?)

深く息を吐いて周囲を見回す。

時折、パラパラと天井から石が降って来ているが、どうやら天国でも地獄でもないようだ。


 (ここは……?)


身体を動かそうとして失敗する。


 「…あぐぁ……っ……!?」


全身が痛くて息が詰まってしまったのだ。

それを契機に左肩と右膝が、凄まじい悲鳴を上げ始めて、記憶が徐々に戻ってきた。


 (落ちて、生きてる)


ようやく慣れてきた目に、私の下敷きになっている物を見た。

食いついて来た凶狼の他、熊や人馬獣(ケンタウロス)、そして一つ目の大巨人(サイクロプス)

彼らは誰もかれも潰れて絶命していた。


どうやらエリーは、彼らが下でクッションになってくれるという恐ろしい強運が味方して一命を取り留めたようだ。

もちろん無傷と言うわけにはいかず、体中を駆け巡る痛みから、全身打撲くらいはしているだろう。


 「うぅ………うぐぅ………」


激痛と共に鉛を通り越して、全身に鉄でも括りつけられてんじゃないかと錯覚するほど、重い体を引きずりながら移動を開始する。

片足しか動かないので、移動は緩慢で、一歩動くだけでもつらい。

それでも、ここにいては危険だと、力を振り絞って移動する。

ようやく落下地点から離れて距離を取り、物陰に移動して息を吐くと、力尽きるようにずるずると床にへたり込む。


 「あ………」


膝を押さえて抱え込む。

血が溢れて止まらず、砕かれた膝蓋骨がやばいくらいに痛みを伝えてくる。

続けて肩を押さえ、丸まって震える。

かろうじて持ってきていた救護キットを肩に使うが、気休めのようなものだ。

一瞬で貼った止血シートは血で染まっていく。


その時だった。

目の前にいくつもの影が横ぎったのは。


 「………………………!」


口を押えて声が漏れるのを防ぐ。

眼前を通り抜けたのは、凶狼の群れ……しかも今まで見てきた物よりも一回り……いや、二回りほど大きな体躯。

その群れが次々と、上から落ちてきた死骸へと群がっていく。


 (食べてる)


死んでしまえば、どんな魔獣だろうと一緒。

愉悦の顔で、貪り食う狼たち。

だがそれを、さらに大きな凶暴熊が別の穴から現れて、突進し、蹴散らす。

その乱戦に、見た事もないような鰐に似た魔獣、猪のような魔獣どもが参戦して獲物を取り合う。


もしも、もしもエリーがこの場を離れるのがちょっとでも遅れていたら。

もし目覚めるのが遅れていたら。


 (あそこで食べられていたかも知れない)


ぶるるっ、と震えが全身を走る。

寒さではなく、孤独と恐怖で身がすくみ、その場から動けなくなってしまう。


ここは何階層なのだろうか。

あの桁違いの迫力と凄絶さは、低階層では決して見る事ができなかった代物だ。

死が充満していたおかげで、かろうじてお目こぼしをされたが、もし喧騒が過ぎ去ったら…?

血塗れの自分など嗅ぎつけられ、餌になるだけの運命なのではないだろうか。


服の布地を噛みしめ、歯が鳴るのを必死で押さえつける。

なるべく小さく丸まって、洞窟と一体化しようと無駄に足掻いてみる。

助けてと祈っても、救助が来る様子など皆無で。


 (どうして死なせてくれなかったの?)


涙がこぼれて止まらないのは、痛いからだけじゃない。

心が音を立てて折れるのが聞こえる。

それでもすぐに近くから聞こえる魔獣たちの咀嚼音は止まらない。


絶え間ない恐怖と痛みと絶望と。

押しつぶされそうな圧迫感の中、エリーは洞窟が嘲る声が聞こえたような気がした。



――― 地獄へようこそ


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