4章第17話 パジャマパーティー
仕事と体調不良で、相当間が空いてしまいました。
もう少し文章を書きたかったのですが、次がいつになるか分からなかったので投稿します…
しばしこんな感じですので、よろしければブックマークなどをお願いいたします~
イシュメイル王国の皇太子クリフォード・オデュッセイアは常に微笑みを絶やさない、温和な貴公子である。
そう評価が定まったのはいつの頃からだろうか。
決して侮りの評価ではない。
泰然自若として余裕綽々、困惑や怒りの色を見せる事無く、あらゆる難題もそよ風が頬を撫でるがごとく、意に介さない。
そんなニュアンスを含んだ評価であった。
「…………ふぅ」
その風評を聞いている者が今のクリフォードを見たら、どう思うだろうか。
ため息交じりで眉間に皺を寄せる表情は、世間の評価とはまったく違っていた。
「らしくないな」
「そうかな。いつも私はこんな感じだと思っているけれど」
クリフォードが苦笑して書類を机の上に放り出す。
彼がこんな粗雑な態度を見せるのは、親しい者たちの前でのみだった。
そして目の前には、僚友と言っていいだろう、常に傍らで助言をするラルス・ハーゲンベックが控えていた。
「よほど気に入らない報告のようだが」
「少なくとも吉報ではないな」
ラルスは、クリフォードが手放した書類をテーブルから拾い上げると、かすかに眉を動かした。
「………ウィッシャート家の報告書?」
「先日、従兄が訪ねて来ただろう?」
「ああ、あの従兄」
クリフォードの従兄と言えば、王族の血統である。
だがラルスは不敬とも言うべきか、「あの」呼ばわりである。
「その時に言った台詞が嫌な意味で忘れられなくてね。大意を言うとウィッシャート家に何か含みがある言い方だった」
「それならばアーノルドの遠征部隊に援護を付けた事で解決したのではなかったのか?」
「それとは違う角度からちょっかいを掛けているような口振りだった。無視するには含みがあり過ぎる。だから、それとなく身辺調査を命じていたのさ」
「それがこの報告書か。そして………」
目を落とした報告書の内容を反芻するかのように、ラルスは憮然とした口調で問うた。
「ウィッシャート家の者が、市井の酒場に身分を隠して出入りしていた、と。間違いないのだな?」
「相手が手練れだという可能性を考慮して、九番隊から人を派遣した。まず間違いないだろう」
念には念の入れようにラルスは頷き、この報告書の信頼性を認めた。
裏社会にも通じる情報網を維持する九番隊からの報告書であれば、まず間違いはあるまい。
「相手までは分からなかったようだな」
「さすがにな。しかも相手もさるもの、我が身に迫る異変を感じたのか、もしくは最初から二度と同じ場所に落ち合わない事を徹底していたのか、この日以降は、すっかり姿を現さなくなったようだ」
「……用心深い」
ラルスは軽く頭を振った。
彼らの尻尾は霧の中へと消えてしまい、追跡が出来なくなってしまったのだ。
「結局、相手が何者なのか分からないままだ。気配を感じたは良いものの、手掛かりはぷっつりと切れてしまった。これでは何の益にもならん」
「いや、そうでもないさ。おかげで気を引き締めていかなければならないという気になる」
クリフォードは髪を軽くかき上げながら言った。
「相手が計画を口にしたり、いつも同じ場所で陰謀を企むような杜撰な連中なら相手にもならない。適当に泳がせて一網打尽にすれば良いだけだ。しかし彼らは、そうではなかった。警戒する理由としては十分な相手……となれば、相手も限られてくる」
むしろそれほどまでに慎重な相手の次なる一手が気になる。
見た所、ウィッシャート家においてエリー・フォレストが爪弾きにされるとか、眉をひそめられたとか、悪い話は聞かない。
逆に事前の懸念が嘘のように上手くやっているようだ。
「とにかくノエリアの溺愛がすごいらしい」
「らしいな」
顔を見合わせてクリフォードとラルスが唸る。
事前の懸念の一つとして
「アーノルドがエリーに惑わされて、とんでもない醜態を晒すのではないか」
というものがあったが、今の所はそこまで事態は深刻ではない。
むしろ普段、冷静沈着なノエリアの方が、エリーの一挙手一投足に骨抜きにされ、それはもう実妹のように可愛がっているそうだ。
そしてノエリアをはじめとして、ウィッシャート家の面々もエリーに対して好意的であると報告を受けている。
ノエリアの両親であり、アーノルドの義両親であるモーリスとリリアンは、穏健派の能臣であり平民に理解があるとされていた……とは言え、エリーを快く迎えてくれるかどうかは分からなかったが、どうやらそれは杞憂のようだった。
そこに優秀な執事……ほぼ家令としてウィッシャート家を取り仕切っているロンドが控えている。
侍女長のスザンナを筆頭にララ・リリ・ルルの女性陣とも仲は悪くなく、料理長のデイヴとは頻繁に美味い物談義をするまでに仲が良いと聞く。
「ここを切り崩せるとは思えないんだがな」
もし正体不明の連中が、エリーを起点として陰謀を企てていたとするならば、とんだ見当違いになりそうだ。
エリーが招かれざる客としてウィッシャート家に入り込み、そこに住む人たちからの反感と嫉妬を受けた場合、アーノルドは頑として彼女を守っただろう。
そうなるとノエリアは長女として、ウィッシャート家の秩序を取るか、可愛い義弟を慮るかの選択を迫られたかも知れない。
こうした感情的なもつれを利用し、盤石と思われていたウィッシャート家を穿つ……そんな皮算用を思い描いていたならば、一から練り直した方が良さそうである。
もし反発する者がいるとするなら、アーノルドを敬愛している従姉弟のメイベルとダニエル姉弟だと思っていたが、姉はまだしも弟がエリーに懐いてしまったらしく、
「逆にアーノルドの方が、エリーに可愛がられるダニエルに嫉妬しているらしい」
「いや、絶対に嫉妬しているだろう。あの男は、下手すると草木にすら嫉妬しかねない」
などと、クリフォードとラルスは共通の知己の情けない姿を妄想し、大いに頷いた。
その様子が想像できてしまったからである。
「ついでにいうと、ノエリアに可愛がられているエリー嬢にも嫉妬をしているようだ」
「……忙しいな。もう全方位に嫉妬しているではないか」
ラルスが呆れるのも無理もなかろう。
可愛がっては嫉妬して、可愛がられては嫉妬して、一体、アーノルドはエリーをどう扱いたいのか。
拗らせるにも程がある。
「それはそれとして、この件をノエリアに伝える必要はあるか?いたずらに不安の芽を息吹かせてしまいかねないぞ」
ラルスは話を戻し、先の男たちの対処について質問をする。
彼の懸念はもっともで、まだありもしない陰謀について情報を与え、不安を募らせる必要はないと考えるのも道理である。
一方、クリフォードはこの点について明快だった。
「伝えるよ。この程度でぐらつくほど、彼女は弱くはない」
「そうか」
それに対してのラルスの返事もまた明快だった。
クリフォードの答えに納得したのか、はたまた半ば予想していたのかは窺い知れない。
だがあの聡明な少女であれば、こうした悪意に屈することなく正面からこの問題に相対するであろう事は、二人の共通見解であった。
「そうなると怪しいのは前に睨んだ通り、アーノルドの遠征かな」
実はもうこちら側からは打てる対策はない。
輸送隊の警護をなるべく多く充ててはいるが、内戦でもあるまいし、たかだか国内から国境への輸送に過剰な兵士を割いては過保護・不公平の誹りを免れまい。
むしろ「勇猛で鳴らすウィッシャート家の後継者は軟弱の徒である」と流言するのが狙いかも知れないのだ。
もしそうなれば、肉体的には無傷でも、社会的に取り返しのつかない深手を負う事になろう。
「ただ、こちらもそれほど心配はしていない」
これもまた先日、キャロルが喝破した事だが、今のアーノルドを害する力を持つ輩が国内にどれほどいるだろうか。
騎士団にはマックスやイザークなどの強者や、国内を見回しても一騎打ちで下したとは言え、実力的には一枚上手であろうラーシュ・ルンドマルクがいる。
だがいずれも家柄は良く、正規の軍なり辺境伯なりの地位に属している。
在野の士としてアーノルドに相対する事ができる人物は、版図広大なイシュメイル王国であっても片手で収まる程度だろう。
もちろん、油断はできない。陰謀を企てる連中が、国外から腕利きの戦士や暗殺者を雇い入れた可能性はある。
しかしそれでもアーノルドを害するような手練れは、そう楽々とは手配できまい。
ましてや相手は少しでも異変を感じたら尻尾すら掴ませずに雲隠れするような者たちである。慎重に慎重を重ねるような行動を取る傾向がある彼らに、そこまで大胆な行動を起こす事は考えにくい。
「とはいえ、もう少し、上にも危機感を持って対処して欲しいものなのだがな」
眼鏡を抑えながら忌々しそうに愚痴るラルス。
アーノルドとエリーを取り巻く環境について注進をしているのは、ほぼクリフォードだけであり、まともに取り扱われていないというのが現状だ。
もしクリフォードが皇太子という立場にいなければ、二人の、とりわけエリーに関わる上申は、承認どころか目も通してくれなかった可能性が高い。
「いくら陳情しても、『学生の気分が抜け切らないようですな』と鼻で笑う連中も多い。まぁ、彼らからすれば、何でわざわざ学生を保護しないといけないんだと思うだろう。ウィッシャートの後継者であるアーノルドはまだしも、平民のエリー嬢に対しては疑念と疑惑の声が多い」
「危機感がなさ過ぎる。この間の騒動を受けてなお、この有様か」
「あの騒動と、ルンドマルクとの一件の報告を受けて後、一番大きかった反応が『これを期にウィッシャート家の後継であるアーノルドの行動を咎めなくて良いのか』だからな。まったくもって度し難いよ。さすがに父上をはじめとして、良識派の人々に咎められて、議題にすら上らなかったが……」
由々しき問題だ、とクリフォードは目を閉じながら、ため息交じりに呟き続ける。
「ノエリアが登城してくるのは3日後だっけ?相談する事が山ほどあるぞ」
「待ち遠しい限りだ。だが年末年始と宴や交流で忙しくなる。俺たちの相談にどこまで乗れるか……」
「おいおい、私だって忙しいんだぞ。それは考慮に入れてくれないのか?」
「お前は将来の国王だ。これくらいの忙しさは日常的にこなしてもらわないと困る」
「厳しいなぁ」
ラルスの冷たい言葉に苦笑を浮かべるクリフォード。
皇太子という立場もあって、クリフォードに対し、ここまであけすけに物を言ってくれる人物は数少ない。
あとはナチュラル無礼なアーノルドとエリーくらいなものだろう。
「とりあえずクリフォードには馬車馬のように頑張ってもらうとして、ノエリアの方は準備は整っているのか?エリー・フォレストをウィッシャート家に受け入れ態勢を整えるだけでも負担は少なくなかったはずだ。ましてや立場を確立させたとあれば、ノエリアが色々と気を回したに違いない。その辺、アーノルドの不得手とする所だからな。それに……エリー嬢にはノエリア自身が引け目を感じていた」
「ああ。自分の【予知夢】で周囲にエリー嬢への先入観を植え付けてしまった事を気に病んでいたからね」
「それで、ノエリアは……」
ラルスはノエリアの現状を把握していない。
知っているのはクリフォードから提供される報告の共有だけだ(それでもクリフォードはノエリアが絡むととんでもない方向に思考が飛躍するので話半分程度に聞いているが)。
「ノエリアは………」
クリフォードが口を開くと同時に、少し遠い目をしたのをラルスは見逃さなかった。
「クリフォード…?」
「……ノエリアは、今日はパジャマパーティーをするそうだ」
「パジャ……?なんだ、それは」
「………知らん」
博識で鳴らす二人の賢人をして、パジャマパーティーとはなんぞや、という問いに答える事はできなかった。
そして答えの出ない単語の解を求めて延々とその宴について議論を続けた後、やがて二人は匙を投げるのであった。
◇◇◇
「行きたくないわ」
ウィッシャート家で、珍しくノエリアが拗ねたような……いや、明らかに拗ねた言葉を口走った。
ぼすん、と自室のベッドにうつ伏せで埋もれる。
普段、皇太子妃として謹厳な姿しか見た事がない者からすれば、こんな少女のような振る舞いを見たら目を丸くするだろう。
そのノエリアを、微笑ましくも困ったように見つめているのは、自室でのお茶に誘われたエリーである。
「そうは言いましても、ご公務ですからねぇ」
「でも3日後は早くなくて?来賓の方々が到着するのは6日後よ?」
「段取りの確認とか、名簿とか暗記させられたりするんじゃないですか?」
「もう全員覚えました」
「ぎゃふん。すげえ」
エリーは降伏した。
こちとらウィッシャート家の人々でさえ、全員は多すぎて覚えるのを半ば放棄したというのに、この才女は全員暗記済みというのだから恐れ入る。
「エリーさんと一緒にいたいから、登城を先延ばしにしてもらおうかしら」
「私の名前を出すのは勘弁してください。マジで殺されます」
これもまた半ば事実である。
皇太子妃の立場にある女性が、平民のせいで登城拒否をする……そんな状況において、対抗手段としてまず考えられるのは、その平民を排除する事だろう。
「せっかくエリーさんが来てくれたのに、まだ私たち、何の想い出も作れていないのよ。それなのにお別れなんて寂し過ぎるわ」
エリーはその言葉を聞きながら思った。
はて、散々ドレスを試着したり、食事をしたり、ダンスの手ほどきまでしてくれたので、もう十二分だと思うのだが、と。
だがノエリアはそれに満足できないようで、ベッドに寝転がりながら予定表とにらめっこをしている。品行方正なノエリアには、かなり珍しい態勢だ。
逆にエリーは、もうすでにノエリアのスケジュールを侵食しまくって、ノエリアではなく背後に侍る侍従侍女たちから、「お前、どうにかせーよ」と無言の圧とも言うべき熱い視線を浴び続けているのだから、プレッシャー半端ない。
この状況でノエリアが登城しないとか言い出したら、マジで命の危険がある。良くて寒空の中、身一つで放逐されるだろう。
(どうにかノエリア様の願いを叶えつつ、スケジュールの邪魔をしない方法はないものか)
ノエリア同様、うーむと思案を巡らすエリー。知恵熱が出そうな表情で、ふにゃふにゃと考え込む。
だがそんな時間すら、ノエリアにとってみれば初めての体験であり、ふにゃるエリーをちらりと見ては微笑を浮かべていた。
年近い子と、こんな風に他愛もない時間を過ごす事自体が未経験だったノエリアは、新鮮な驚きと喜びを感じている。
若干、上気しながらエリーを見る表情に狂喜と狂気を孕んでいる気もするのだが、気のせいに違いない。
「おお!そうだ!」
その時、ピーンとエリーの脳にアイディアが走る。
「ノエリアさん、今日の夜は空いていますか?」
「入浴と食事の後は、書簡の確認があるけれど……」
「いえいえ、御就寝の時間です」
「それなら、寝るだけですけれど……」
エリーの質問の意図をくみ取れず、首をかしげるノエリア。
そんなノエリアに、エリーはにっこり笑って話しかけた。
「今晩、パジャマパーティーをしましょう」




