4章第14話 メイベルちゃんとダニエルくん
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いよいよアーノルドさんが任務の為、東部へ出立する。
これまで登下校共にほとんど一緒だったのだが、登校こそ一緒であるものの、下校については基本、一人になっている。
騎士団での訓練の後、護衛の道程やら手続きやら、何やかんやで帰宅が遅くなるのだ。
しゃーないので、これまでお世話になっていた下宿先やバイト先にも顔を出したりもしたのだが、
「帰る場所が出来たんなら、そっちに行け」
と追い返されてしまった。
孤児院に顔を出した時などは、子供たちから
「え?ねーちゃん、もうみすてられたの?」
「そうきりこん、ってやつ?」
「やっぱり、かちかんとか、そだちのさ?」
などと、矢継ぎ早に失礼な事を言われたので、もう寄り付いてやらない事に決めた。なんて可愛くねー連中だ。
そういう訳で、まあ、やる事もあるのでウィッシャート邸に一人で戻って来ている。
そして今は気晴らしに散歩をしているわけだ。
とても広い庭園なので、さぞや春になったら花が咲き乱れる事だろう。だがあいにく、今の季節は真冬なので、さすがに寒々しく木枯らしが吹き荒んでいた。
一面の花畑だったら、かわゆく花の冠でも作ったりして、それをアーノルドさんにかけてあげたりとかして、キャッキャウフフなイベントが発生するのだが。今の季節、こんな所を連れ立った所でせいぜい、
「寒いだろう。俺の手を握れよ」
「あったかい……でも身体も寒いの」
「だったら……俺が後ろから抱き締めればいいか?」
なーんてイチャイチャするくらいしか………いや、いいな、それ。最高じゃねーか。
マフラーみたいにアーノルドさんの手を首に回してたら、その手がちょっと私の胸辺りを触っちゃったりなんかして。そしたら「あ、すまん」みたいに照れて手を引っ込めるのを、ぎゅっと握ってさぁ、「別に、嫌じゃないです」とか言ったりなんかしたら、アーノルドさんってば、どんな反応をするんですかねぇぐへへへへへ。
「なんて下品な顔をしているのかしら」
「ああ?」
私が妄想の海に飛び込んで、深海までダイブしていたら、突然声がかかった。
声の方を振り向いたが誰もいない。
そこには荒涼たる冬の風景が広がっているだけで、同時に一陣の風が枯れ葉と共に舞う。
「誰もいない……まさか………幽霊?」
私が思わず顔をこわばらせたのは寒さだけではないだろう。
背筋に走る悪寒、それは恐怖と呼べるであろう感情であり、声だけが響き姿を見せない現象に私は思わ「んなわけないでしょ」………何だよ、せっかく人が気持ちよく恐怖体験しているのに邪魔するなんて無粋だな。
「いやいや、見えてるでしょ?絶対に!」
私はゆっくりと下を見る。
するとそこには小さな少女が私を見上げていて「ストップ」……なんだい、また独白の腰を折って。
せめてモノローグくらい、最後まで言い切らせて欲しい。
「私、そんな小さくないわよ!」
なんだ、そんな事か。
まぁ、確かに視界に入ってはいましたけどね。相手するのも面倒そうなので見えない事にしたんだけど、ダメか。
「おー、よちよち。相手にされなくて悲しかったんでちゅねー?」
「赤子をあやすような扱いはお止めなさい!」
うーん、小さくないと主張する気概は良しとして、それでも年は12、3くらいかな。同級生でボンキュッボーンなグラマラス体型のモニカ様はもちろん、細身のキャロルさんよりも小柄な体格な私と比べてさえ、この子は頭ひとつは小さい。
ゆえに目線を合わせて、少し視線を下げながら話してあげたのだが、それが逆に癇に障ったようだね。
「いや、態度はまだしも、台詞が完全に馬鹿にしてましたわ!」
「なんと、よくぞ気付かれた」
「気が付かないと思って!?」
そこに気が付くとは、なかなかやるじゃないか。侮る気持ちを心の奥底に隠して接していたというのに。
そう呟くと、娘さんは口を尖らせながら抗議してきた。
「あんな赤ちゃん言葉を遣っておきながら、よくもまぁ隠せるとお思いになっていたわね!」
「切れ味鋭いツッコミですね。80点」
「何の点数ですの!?しかも微妙な点!!高いか低いか、どちらかにしていただきたいですわ!!」
「いやぁ、この1年間、あの委員長を観ているからなぁ。含蓄あるツッコミと、時折見せる一刀両断と呼ぶに相応しい低音罵声は唯一無二……あの領域に達するには、どれだけの業を積み上げないといけないのか……」
「……どんな方かは存じ上げないけれど、化け物みたいな方が側にいるのね」
そう。
あの理性と知性の塊みたいな視線を眼鏡の奥で光らせておきながら、ひとたび激すれば魔王のような底暗い重低音を発するのだ(そのギャップがたまらないと一部愛好家たちにはたまらないらしい)。
「それで………」
私はまじまじと少女の顔を見つめながら言う。
「どちら様?」
「遅い!! その言葉がまず来るのが正しくなくて!?」
怒られた。初手に「下品」とか罵ってきたのは、そちらからだろうに。
「私の名はメイベル。メイベル・ウィッシャート。いずれ知性と思慮深さによって、大陸中にその名を知られることになるわ」
胸に手を当てて名乗りを上げる少女……ふむ、メイベルちゃんか。
真っ赤な長髪をたなびかせて意気揚々、自信満々で鼻息を荒くしている。漫画なら「ふんす」とかいう擬音が鳴り響きそうなシーンだ。
だが、そんなに胸を張ってふんぞり返っても、肝心の胸が真っ平なので幼女味が増すだけなのが残念である。
「なにかしら。言いたいことがあったら言ってごらんなさい。知的に切り返してご覧にいれましょう」
「少なくとも、そんな大言壮語を吐く子は思慮深くない」
「うるさいうるさいうるさいうるさーーーーい!!!」
「全然、知的じゃないなぁ」
うむ、可愛い。クソガキ可愛い。
耐性のない人であれば、イラっとも来るでしょうが、残念なことに私は孤児院でこの手のガキとは、しょっちゅうやり合ってんのよ。
「そいでさ」
「なにかしら?」
「君の後ろに隠れている子も紹介してくれないかな?」
その言葉にメイベルちゃんの後ろに控えていた子が、びくっと身体を振るわせて、ますます隠れてしまった。
「ダニエル」
メイベルちゃんが呆れたように名前を口にする。
なるほど、この背中に隠れている少年はダニエルというのだね。
「いつ、いかなる時でも堂々たれ。ウィッシャート家の男子として産まれたからには、常にその気概を持つのですよ、といつも言っているのに……」
メイベルちゃんに急かされて、ようやく背中の安全地帯から出てきた少年。
これまで見事な赤髪は、ウィッシャート家の伝統というか遺伝なんだろうか。ただお姉さん(だよね?)のメイベルちゃんに比べると、ずいぶんと大人しい印象だ。
「こんにちは」
やっほーい、となるべく友好的に話しかける。
するとどうだろう、彼は返事をすることなく、メイベルちゃんの後ろに引っ込んでしまったではないか。
「ダニエル!」
そんな気弱な様子にメイベルちゃんが語気を強める。
だがそんな言葉にますます委縮してしまうダニエルくんは、びくっと身体を震わせてしまう。
「あー、あー、そう言葉を強くしない」
私は少し体を屈めて目線をダニエルくんに合わせると、もう一度言った。
「こんにちは。ダニエルくん」
するとダニエルくんは、おずおずとではあるが、顔を出してくれた。
ほぅ、さすがウィッシャート家の血筋、整った顔立ちをしている。ショタ心をくすぐる可愛らしさである。
だがアーノルドさんをはじめ、ウィッシャート家の男性たちは皆、高身長であるからして、やがて図体がでかくなると思うと、この時期は非常に貴重なのではないか。
アーノルドさんみたいに、ぬぼ~っと大きくなるかと思うと、お姉さんちょっと悲しいぜ。
「アーノルド兄様は、ぬぼ~っとしておりません!逞しい騎士の理想像ではありませんか」
どうやらメイベルちゃんに映るアーノルドさんと、私の目に映るアーノルドさんは別人らしい。逞しい事は否定しないけれど、騎士の理想像………あれがぁ?
一皮剥けば、とんでもねぇポンコツムッツリスケベ野郎って事を知らないのか?
「あの」
ダニエルくんが背中から、ひょこっと顔を出して私におずおずと話しかけてくる。
「アーノルド兄様のこと、しっているの?」
「おう、ばっちりよ」
任せろ、とばかりに胸を張る。
「アーノルドさんとは親しい仲でね。洞窟で深層に落ちた時に助けてもらったし、訓練場で第一騎士団とやり合った時とかも守ってもらったし、二回目の洞窟遭難事件でも救助してもらったなー。あ、北国へ浚われそうになった時も決闘会で大立ち回りして助けられたっけ」
「あの………」
「なんだね、お嬢ちゃん。言いたいことがあるなら、言ってごらん?」
「………貴女、兄様に迷惑かけてばかりのように聞こえますわ」
「な、なんだって……私が、アーノルドさんに迷惑をかけて………?」
「え、ええ、今の話だけ聞くと、誰がどう聞いても……」
「馬鹿な……迷惑かけられっぱなしだと思っていたのに、実はお荷物は私だった……!?」
想定外の事実に崩れ落ちそうになる。
いや、助けられた自覚はあるんだけど、その分、こっちだって助けたし、迷惑もかけられたし、イーブンくらいかなと思っていたのですが、圧倒的なマイナス指標に愕然としてしまった。
思えば明確なマイナスは、例の初対面で首に剣を突き付けられる事件くらいで、その後で起きた首絞め事件は私のこじらせが悪い方に出ただけだから、それ以降はアーノルドさん、ほとんど無失点……嘘ぉ!?
「あの、そこまで気を落とさないでもよいのではなくて………?」
なんか知らんが、メイベルお嬢ちゃんに励まされてしまった。ついさっきまでドヤ顔だったのが恥ずかしい。
くそ、だが不屈の精神の持ち主たるエリーさんは、この程度では挫けないのだ。
「で、でも、あいつ、私のおっぱい揉んだり、裸見たり、押し倒したりしたんだぞ!!」
「「……………………」」
いかん、姉弟の私を見る目が氷点下まで下がった気がする。言うに事欠いて、言うべきではない事を口走ったというか。
しかも私を持ち上げるのに、アーノルドさんを悪者にするというのも悪手だろう。
私だったら
「まったく、誰かを評価するのに人の事を貶めないと語れないんですかねぇ」
とか嫌味の一つでも言っちゃうかも知れない。
ここはひとつ、アーノルドさんが悪人にならな過ぎないようにフォローをするのが、本当に出来る女というものだ。
「まぁ、アーノルドさんだけの責任じゃなくて、ショーツ一枚の半裸姿でアーノルドさんに跨った私も悪いんだけど」
「「……………………………」」
おかしいな。さらに視線が厳しくなった。特にメイベルちゃんの視線は嫌悪感すら滲み出ている。
確かに聞きようによっては、私が襲い掛かっただけにしか思えないかも知れない。
しまったな、まるで私が痴女みたいではないか。
「今の話だけ聞くと、誰がどう聞いても」
メイベルちゃん、さっきと同じ台詞なのに、辛辣さが1.5倍くらいになっている気がする。若干、委員長味を感じる視線だ。こいつは逸材だぜ。
しかしこのままだと私の評価が初対面にして地の底まで堕ちてしまう雰囲気なので流れを変えよう。
「えーと、なんか話の腰を折られてしまったけれどさぁ」
「え? 私のせいですの!?」
メイベルちゃんが甚だ不本意な顔をした。いやだって、アーノルドさんとの交遊歴を話していたら、横からチャチャ入れてきたの、君じゃんか。
「どう考えても、そこは口を挟まずにはおれないところでしょう?」
「むぅ~、確かに後半の逸話なんて、思春期真っただ中なお子様には刺激が強すぎる話だったかもね。大人の世界を垣間見せてしまった事については反省しなければ」
「いえ、赤面するどころか何の色気も感じ取れず、私たちは何を聞かされたんだろうと困惑しているのですが」
いやいや、恥ずかしいからって、そんなムキになって否定しなくても良いんだよ?
素直に「何て破廉恥な事を!」って感じに叫んで、淑女の仮面が剥がれきゃーきゃー言っちゃっても、私はおねーさんの余裕で責めるような事はしなんだから。
「………………はぁ」
ずいぶんと前に流行ったチベットスナギツネみたいな顔をしながら応じられた。いたいけな童女がしてはいけない表情だ。
まぁ、いいだろう。
本題から逸れ過ぎてしまい、元々の対話相手であるダニエルくんが放置され過ぎて目が点になっている。あの様子だと、多分、私たちの会話への理解度は10%にも満たないだろう。
「えーと、ダニエルくんは、どこまで話を理解できたかな?」
「アーノルド兄様が、とても活躍していたことと………」
「ことと?」
「………………」
「ん?」
どうした、顔が真っ赤だぞ。何をもじもじしているのかね。
「あなたの破廉恥な話の触りくらいは、奥手のダニエルでも理解できるでしょう。ただ、それを平然と口にできるほど、我が弟は恥知らずではないという事ですわね」
「あー、なるほど。理解理解」
アーノルドさんの悪辣破廉恥ぶりなど、口に出すのもおぞましいという事か。
初心なショタくんには刺激が強すぎる話題だったらしい。
「……いえ、どちらかというと問題は女性側にありますわね。これまでの常識を覆す破廉恥な行為の列挙に慄くと同時に、その当事者が目の前にいるというおぞましい事実に戦慄しているのです」
メイベルちゃんの辛辣な評価が下る(主に私への)。
本当に双子の姉弟か?対人能力が違い過ぎるのだが。それともウィッシャート家に姉弟として産まれると、姉の方がグイグイ引っ張っていく関係性が築かれるのだろうか。アーノルドさんもノエリア様に頭上がらないしな。
「まぁ、その辺はメイベルちゃんが姉として責任持って性教育をしてくれないと」
「私の責任ですの!?」
「え? 私が教育していいの?」
「それはそれでダメですわ!!弟の性癖がこじれていく未来が見えるようですもの!」
なんと失礼な。
まるで私が少年を堕落させる女淫魔みたいではないか。
こんないたいけな子を、どうにかするだなんて、まったく………
「……………………」
よく見ると、アーノルドさんの少年版みたいに顔が整っているな。
ほほう、そう考えるとまんざらでもない。むしろ彼のおどおどとした視線は、あの無駄に堂々としているアーノルドさんには存在しえないものであり、実に新鮮に感じますな。
「あ、もう弟に金輪際関わってくれなくて結構です」
どうやら心情が顔に出ていたらしい。ダニエルくんを守るように隠してしまった。
そんなメイベルちゃんの表情も険しくて、言うならば
「こいつぁとんだ虎穴に足を踏み込んじまったぜ。関わるんじゃなかった」
ってなもんである。
こんな美少女に対して失礼極まりない。そもそも絡んできたのは、君たちの方からではないか。
「貴女に絡んでしまった事、心底、後悔していますわ」
後悔していた。
そんなにきっぱりはっきり言われると、なかなかショックである。絡んでから、ものの10分程度しかたってないのに!
少し見切りが早すぎるんじゃないですかね?てっきりアーノルドさんに片思いしている系の少女が、私に対してあの手この手の罠や悪辣な手段で貶める展開になるとばかり思っていたのですけれど。
「アーノルド兄様に目を醒まして欲しいのは、もちろんです。今の所、とても貴女が兄様に相応しい女性だとは思えません。ただ罪もない人を貶めるなど、ウィッシャート家に連なる者としてあるまじき行為ですわ」
すごくしっかりしている子だなー。
てっきりクソメスガキだと思っていた数分前……いや、何なら現在進行形の私を恥じる。
さすがは大貴族、こんな小さい子にも教育が行き届いていますね。
「それはもちろんです。勉学、魔法、教養……あらゆる分野で相手を上回らねば、貴族社会は勝ち残っていけません」
ドヤ顔をするメイベルちゃんの台詞のうち、あるワードを耳にした私は素早く反応する。
「ほほう、それは聞き捨てなりませんね」
「な、なにがですの?」
「教養、と言いましたか?」
「ええ、それがなにか?」
「その中にダンスは入っていますか?」
メイベルちゃんは「は?」と言わんばかりに怪訝な表情を浮かべた。
いや、しかしこれは私にとって死活問題であるのだ。何せアーノルドさんが帰ってくるまでに、ダンスを学ばねばならぬのだから!
そりゃ、一通り学校で習ったよ? 習ったけどさ、一人で復習するのって寂し過ぎ&難易度高過ぎやしませんかね?
何つったって寂しいのはもちろん、間違えていたも誰も指摘してくれないし、もしも間違えたまま覚えてしまったら、本番で大恥をかいてしまう。
とは言え、ウィッシャート家の方にお相手願うのも気が引けるし、ましてや専属コーチ付けてくれとか恐れ多くて言い出せやしない。
言い出しっぺのアーノルドさんに手配をお願いしようとも思ったのだが、あの野郎に依頼したら
「やる気満々じゃないか、結構結構!!」
とか言いながら、絶対にスパルタ教師を派遣してくるだろう。間違いない。
その点、この少年少女たちがコーチングできるというのであれば、そこまでスパルタでは酷くないはずだ。
「ダンスなら、私もダニエルも一通りは踊れますが……」
「よっしゃあ!!」
思わずガッツポーズをしてしまった。こんな僥倖に巡り合えるとは、きっと私の普段の行いが良いのだろう。
「え? もしかして教わるつもりなの?」
「そのつもりだけど?」
「私たち、年下ですよ?」
「それ、何か意味ある?」
首をかしげる私を、さらに首をかしげるメイベルちゃんが迎撃した。
不思議そうな顔をするメイベルちゃんは、年相応にあどけない顔をしていて、さっきまでツンツンしていた表情も良いんだけど、こっちの方がずっと可愛らしいと思う。
「年下だろうが、なんだろうが、ダンスを教えてもらうなら先生だからね!あら、それとも自信なさげ~?」
挑発的な台詞を口にしたら、途端にメイベルちゃんの眉が吊り上がった。わかりやすい。
「は? 私を誰だと思って? 将来、ウィッシャート家を支える逸材にして才媛メイベル・ウィッシャートですのよ!」
「お~~~~」
完全無敵のクソガキお嬢様ムーブをばっちり決めて来たので思わず拍手をしてしまった。
こんなにわかりやすい子も珍しい。そして素晴らしいダンスの師匠をゲットしてしまった。
あとは………
「ねぇ」
私はメイベルちゃんの後ろで、ずっと引っ込んでは顔を出すのを繰り返している可愛い坊やに話しかけた。
そんなダニエルくんは近付こうとすると、すぐに逃げてしまう。そんなに怖いかなぁ。
「無理よ。ダニエルは家族以外と目を合わせようとしないくらいシャイなんだもの」
やれやれ、という風に呆れた声で言うメイベルちゃん。
いや、それはいかんぞ。そんな風では委縮して、ますます引っ込み思案になってしまうじゃないか。
「ダニエルくん」
ちらっと顔を出した後、また目を逸らして引っ込もうとするダニエルくんの顔をがしっと掴んだ。
「ううっ」
小さい悲鳴をあげて可愛いんだが……ふふふ、残念だったね。もう逃げられやしないぜ。
なんか小さいアーノルドさんを手籠めにしているような、妙な背徳感を感じてしまったが、ここはぐっと堪える。
ここで涎なんて垂らそうものなら、たちまち挙動不審者(というか、危険人物)として通報されちまうからな。
「はい、しっかりこっち見る」
顔を左右がっちり掴んで、正面から目を見据える。
以前、こんな風にアーノルドさんから正面から見られて、激しく動揺した過去を思い出した。
あの時はもう気が動転しちまいましたが、アレはアーノルドさんが無駄にイケメンなのがよくない。私は悪くない。
「人と話す時、目を逸らすのは良くないと思うな」
「……………」
「でもしょうがないよね。恥ずかしかったり、自分に自信がなかったり、怒られたりしたらどうしようとか思ったりしたら、自然に視線だって落ちちゃうもんね。まぁ、一生それだと色々困るから、ゆっくりと慣れていこう」
「え?」
びっくりしたダニエルくんが目を見開いて、私の方を見た。
おお、よかった。初めて目が合ったぞ。
「あのですね、言っておきますが。彼の場合、しょうがない、では済みません。彼はウィッシャート家を背負って立たなければならないんですのよ」
メイベルちゃんがさも当然のように話す。
そして、その言葉を聞いて、悄然としていくダニエルくんの表情を目の前で見るにあたり、私は得心した。
ああ、この子は自信がないんだ。
大きすぎる家門と、それに比例する期待、そしてきっと比較の対象は年の近いアーノルド・ウィッシャート。
だがその背中はあまりにも大きく、家中の皆が抱く理想像に応えられないと、尻込みしてしまっている。
「ダニエルくんってさ」
彼の顔を真っ正面から見ながら言う。顔をがっしりと抑えてっから、背ける事なんて許さないぞ。
「そんなに頑張らなくたって良いんじゃないかな」
「………うぇ?」
びっくりしたダニエルくんは、奇怪な言葉を発した。多分、驚いたんだと…思う。多分。
「貴女、何をおっしゃって……」
「もう頑張ってる」
私たちのやり取りの間に入ってくるメイベルちゃんだったが、その言葉を遮るように私は続けた。
「もう、頑張ってるよ。みんなの見ていないところで、たくさん」
その時、ダニエルくんの目が、大きく見開いたのを見た。
彼の表情を言い当てるなら、意外な事を言われて驚いたのではなく、むしろ秘密にしていた事をどうして知られたんだという驚きかな。
「この小さい手のひらが固くなっている。きっとたくさん剣を振るって素振りをしたからだよね?」
私は手をダニエルくんの顔から、両手へと移した。
年の割にゴツゴツとした感触がする。それは何度も皮膚が剥け、豆が潰れ、固くなった感触だ。
私はその感触を知っている。
アーノルド・ウィッシャート。
ダニエルくんの手のひらは、あの人の手のひらの感触にとてもよく似ていた。
アーノルドさんよりも、全然、小さい手なのに、とても頑張っている手だった。
「こんなに頑張ってるのに、もっと頑張れ、しっかり結果を出せ、って言われてもねぇ。疲れたら休みなよ。そんでまた、次の日、頑張ればいいじゃない。むしろ結果が出ない事に後ろめたい気持ちが芽生えて、自信をなくしちゃうのは、良くないと思う。ダニエルくんの良い所は一杯あるのに、それを見せる前に後ろに下がっちゃう」
多分、まさに今がそんな感じじゃなかろうか。
いやね、頑張れ頑張れって発破かけた方が実力を発揮できる人とかいますよ?アーノルドさんとか、アーノルドさんとか、アーノルドさんとかですけど。
彼みたいなですね、ちょっと応援してあげたら
「おうよ、よく見とけ」
とか言って、腕をぶんぶん振り回して実力以上の力を発揮しちゃうような、プレッシャー皆無の異常者ってのが、この世にはいる事はいます。
でもダニエルくんは、見た感じ、そんな異常者ではないでしょう。
心優しい少年という感じで、もし異常者(端的に言うとアーノルドさんの事です)の背中を追いかけているのであれば、すぐに止めさせてあげたい。
少なくとも違った方向性を示してあげたり、彼が休みたいなら、休んでいいよと声をかけてあげたい。
それが先達者、美人で親しみやすくて才媛として誉れ高いおねーさんの役目ではないだろうか。
は? 誰だ、ノエリア様の事かとか言った奴ぁ。
確かにノエリア様も条件ばっちしだけどよぉ、この流れなら十中八九、この私だろうがよ。
「だからさ、ダニエルくん。気が向いたらで良いから、君のいいところを、私に見せて欲しいな」
そこまで言うと、ようやくダニエルくんは口を開き、小さいがしっかりした声で反駁してみせた。
「でも、僕は、アーノルド兄さまみたいにはなれません。剣の腕前もないし、魔法も上手くない。それを覆すような度胸もないから、いつもメイベル姉さまの背中に隠れてばかりいます…!」
その言葉に私ではなく、メイベルちゃんが目を丸くし、驚愕の表情を作った。
なるほどね、これまでダニエルくんは強い意思表示をしてこなかった……できなかったんだろうね。
引っ込み思案で自信もない、でも人に反論するような強気な態度にも出られない……姉であるメイベルちゃんにも心の内を明かせなかった……というか、明かして失望されるのが嫌だったのかも知れない。
ダニエルくん、優しそうだからなー。
ついでにその【優しさ】を【弱さ】だと思っちゃっている節があって、それがまた彼を臆病にさせちゃっているかも。
「それに……アーノルド兄さまの燃えるような赤毛に比べて、僕のは淡い赤色で……」
ダニエルくんが俯いて、自信なさげにコンプレックスを吐露する。
え? そんなんがコンプレックスになるの? 髪の毛の色が、魔力だかに影響するんだったら分かるけど、何か関係ある?
「関係はないけれど、みんなが言っているのを知っています。僕の髪の毛は、炎じゃなくて、ちっちゃくて消えそうな篝火程度だなって言われているんでしょう?」
はぁ~~? 誰がそんな事を言っているんだね!?
そりゃ、あのド派手な頭髪に比べればさ、どんな赤髪だって見劣りするわ。それを、言うに事欠いて悪意のある言い方する奴がいたもんだな。根性が悪いにも程があるでしょうが。
そもそも篝火、結構じゃねーか。何が悪いってんだ。
「ダニエルくんの髪の毛はとても綺麗だよ。アーノルドさんの髪色がくっそ目立つだけで、全然、恥ずかしがる事ないから」
慰めでもなんでもなく、本音である。
そもそもアーノルドさんが、その性格と相まって派手なだけで、むしろダニエルくんの頭髪の方が繊細で貴族感がある。
逆にダニエルくんの頭髪が、アーノルドさんの、あの燃え盛る炎というか、イカれた生命力の塊みたいな髪型・髪質だったら絶対に似合わなかったと思う。
ああ、間違いない、あれは陽キャの色だ。
よかったね、私たちみたいな陰の者があんな頭していたら、目に付けられてたってレベルじゃねぇぞ。間違いなく虐められるわ。
「いいかい、ダニエルくん」
柔らかくて赤い髪の毛を掬い、撫でながら諭すように言ってあげる。
「篝火、いいじゃん。アーノルドさんが天まで焦がす(厄介極まる)炎なら、ダニエルくんは絶対に消えない篝火。みんなの道標って感じかな。派手じゃないかもしれないけど、そこに存在しなければ皆が迷子になっちゃうでしょ?君はみんなの篝火になって暗い夜の道を導いてあげよう!」
「……………………!!」
ほほう、私の言葉は、どうやらダニエルくんに届いたようだ。
さきほどとは打って変わって目がキラキラと光り始め、表情が明るくなったのが分かった。
どちらかというと蒼白かった顔色も、パッと血が通い始めて紅潮して色付く。
「ありがとうございます。僕、そんな風に言われたの、初めてです」
そうであろう、そうであろう。感謝するが良い。
そして美人のおねーさんからの誉め言葉を胸に抱き、生涯、私に対して敬慕の心を持ち続けると良いぞ。
何せ私の運命なんざ常時綱渡り状態だからな。命綱はいくらあっても足りないくらいなのよ。
せっかくだから、保険をかけておこう。
「ダニエルくんも一緒にダンスしようね!」
「ダ、ダンスですか……こ、光栄です!」
「あと、もし余裕があれば、私がピンチになった時に助けてくれると嬉しいんだけど」
「は、は、はい!!僕が必ず助けてみせます!」
素直で良い子~~~!
もうお姉ちゃんの背中で怯えている子供の姿はなく、立派な少年騎士じゃないの。
ついでにダンスの男性パートナーとして、しっかりリードしてくれたらいう事なし!
背は小さいけれど、私なんかよりは、ずっと訓練を受けている事でしょう。
「………………はぁ……」
この時、私は気が付かなかった。
私はそのすぐ側でため息をついているメイベルちゃんに。
そしてこの時の誓いが、後々にまで影響を及ぼすだなんて、露ほども思ってやしなかったのである。




