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4章第11話 満天の星の下で

お久しぶりの投稿です。

ぜひブックマークや評価をお願いします~

エリーは実に不機嫌であった。

途中から記憶が曖昧になった食事会の後、どうやって導かれたか定かでないまま、宿泊客用の東棟に割り当てられた部屋へ戻るや、とっととドレスを脱いで風呂へ直行した。


「ったく、もう、アーノルドさんってば、マジでどーしょーもねーなー、もうちっと上手い台詞とかあったでしょうにぶくぶくぶく」


鼻まで湯舟に浸かりながら文句を言うので、ぶくぶくと気泡が水面を乱舞する。

いったいどこで間違えたのか……と思い出そうとするのだが、そのたびにもう二度と再現したくない数々の羞恥責めシーンが脳裏に再現されてしまい、大慌てで掻き消す。

ざぶん、と頭のてっぺんまで湯舟に潜って精神統一を試みるが、そのたびに「なんであんなことをおおおおお」と悶絶するだけなので、観念して風呂から上がる事にした。

ぶっちゃけ、このまま風呂にいたら、心身ともにのぼせ上がって死んでしまいそうだ。


緩めの寝間着……ネグリジェってやつですか? ササッとそれを身に付けると「はああああああ」と深く溜息をつきながら、ぼすん、とベッドに倒れる。


「途中からあからさまに不機嫌になっちまったけど、あの展開から、私がどーしろっちゅーんですよ。そりゃね、私の発言は不用意だったですよ?あたかもアーノルドさんに告白っちまった台詞になっちゃいましたけど、それを言うならアーノルドさんだって、最後のあれはさ、ノエリア様の言葉を借りればさ、わ、わ、わ、私の事を好きだっていう意味にぐへへへへへへへへ」


憤然と怒りの表情を見せながら、ぷんすかとベッドにうつ伏せになってジタバタしていたのだが、途中から何故か怒りが喜びの感情に塗り替わって気持ち悪い笑い声を立て始める。

最後は「うふふふふふふ」と完全に怒りの感情はどこへやら、


「そうかそうか、まぁ、嫌いな奴を家に招待はしないよなぁ。むしろ好きなのかもなぁ。あ~~、だったらどうしよー。私の返事ひとつで、このまま学園生活から新婚生活に移行しちゃったりなんかしてへへへへへ」


などと、脳内お花畑全開になっていた。立ち直りの早い娘である。


(次に会ったら何と言ってからかってやろうか)


うーん、うーん、と唸っていたら、部屋の扉がノックされた。

む、誰だろうか。

執事のロンドさんか、ここゲストハウスである東棟を管理しているリリさんか。

あれ?ララさんだっけ?ルルさんだっけ? やばい、わからねぇぞ、あの三姉妹。


「はーーい」


まぁ、そのあたりの誰かだろうと扉を開けると、想像した誰でもない、赤髪長身のイケメンが立っていた。


「アーノルドさん?」


さっきまで想像(妄想)していた人が具現化されたので実は心臓が飛び出すくらいに驚いたのだが、何とか平静を保つ。

大丈夫かな、声が上ずってないかな?

だがおかしい事に、アーノルドさんの方が変な顔をしている。どうした、まだ機嫌が悪いのか?

向こうから訪れてきたってのに、目を逸らすとは何事か。


「おま……なんて恰好してんだ」


は? 普通の寝間着ですけど?

左右に体を回すと、動くたびにひらりひらりと可愛くてふわっふわの裾が揺れる。


「おい、やめろって」


慌てて動きを止めにかかるアーノルドさん。

ああ、なるほど、そうか。この世界だと寝間着姿は煽情的な部類に入るんだな。確かにこの透け感はHではある。

もう少し、邸内を歩くくらいなら大丈夫なパジャマが求められる。そうですねぇ、某ジェ〇ピケ風なモコモコな奴とかなら大丈夫かな。あのメーカーもネグリジェ出してるから、参考にしたいところである。


「そんな恥ずかしがるもんでもないでしょう。既に先輩にはパンツ一枚の時に襲われた事だってありますし、今更じゃないですか」


「あれは不可抗力だろ!っていうか、襲われたの、どっちかって言うと、俺の方だろ!?」


「その割にしっかりとおっぱい揉んできましたよね?」


「仕方ない。あの時はお前のブラジャーを頭から被って視界が遮られていたんだ」


「それはそれで最低の言い訳だと思いますけど……」


「お前こそ、俺の耳を甘噛みしたじゃねぇか」


「はぁ!?そっちこそ視界が遮られる前に、しっかり見たって言ってましたよね?」


「俺の瞳は瞬きよりも短い刹那の瞬間をも捉えるのさ」


「すげぇかっこいい台詞で、すげぇダっセェ事を言ってる自覚あります?」


「エリーこそ俺の股間に……!」


「アーノルドさんこそ、私の胸揉みながらさぁ、挙句に摘まんで……!」


踏み越えてはいけないラインに差し掛かった時、廊下にいた侍従侍女たちの視線に気が付く両名。

その表情は明らかに「うわぁ……」というか、どう好意的に解釈しても、間違いなくドン引きしていた。


「……………場所を変えよう」


「賛成」


こうして二人は手と手を取り合い、いずこへと駆け出していった……と言えば、聞こえは良いのだが、要は互いの利害が一致して逃げ出したのであった。


◇◇◇


エリーの滞在していた東棟から数分。

アーノルドと共に訪れたのは、全面ガラス張りの植物園のような場所だった。


「ふぇ~~~……」


室内は冬だというのに植物が生い茂り、色とりどりの花まで咲いている。

温室の中央にはウィッシャート家を象徴する炎が絶えず燃え盛り、外との寒暖差を調整して温度を一定に保っているようであった。


「なかなか豪勢ですなぁ」


エリーは素直に感心した。見事な温室植物園である。

別館と言う形で敷地内の離れに建設されており、一度寒空の下にに出なければならないと聞いた時は


「この野郎、か弱き乙女をネグリジェ一枚で真冬の夜に屋外へ連れ出すとは何事だ」


と憤ったのだが、それも一瞬であったし、何よりアーノルドが上着を肩から羽織らせてくれたので、全然寒くなかった。

むしろアーノルドの体温が残る上着を身に付けると、何やら背中から抱き締められた感じがして、それはそれで……


「ぐふふふふふ」


「変な声を出すな、気色悪ぃ」


「ひでぇ」


言動が怪しくなり、それをアーノルドに怪訝な顔をされながらも、自然に表情が緩むというものだ。

賢明にもそれ以上の口論を展開しなかったアーノルドが、話題をこの植物園に切り替えて語り始める。


「元々は薬草を植えていた温室だったんだが、拡張して草花の栽培も始めてな。今じゃ、立派な植物園だ」


アーノルドが周囲を見回しながら説明をしてくれた。

なるほど、確かに薬草などが栽培されている区画もある。ただの貴族の道楽というわけでもなさそうだ。


「まぁ、座れ。ここで採れたハーブティーくらい出してやっからよ」


植物園の奥に小さな広場が現れる。休憩所なのだろう、豪奢ではなく、むしろこじんまりとしていたが、雰囲気に合致したテーブルと椅子が用意されていた。

そのスペースから天井を見上げると、吹き抜けのように高く一切の障害物がない。ガラス張りの壁面から外の様子がよくわかる。


「ふわぁ~……」


言われるがまま、ぽすんと椅子に座ったエリーが、高い高い天井を見上げて、またしても間抜けた感嘆の声を上げたのも無理はない。

ほぼ深夜と言ってよい時間帯、何一つ遮る物のない夜空は驚くほどに美しかった。


「レモンバームとカモミール、どっちがいい?」


エリーが感動していると、アーノルドは側に設置されていたティーポッドやカップを用意しながら尋ねてくる。

無骨だと思っていたアーノルドの言葉に、エリーは軽く驚きながら応じた。


「なにそれ、先輩にしてはお洒落過ぎません?本当にできるんですか?何となくかっこいい単語並べてるだけとか」


「俺だって、茶くらい淹れられるわ!」


「いやー、何かさ、出来る男ぶってんのかなぁって。何かアーノルドさんって剣一筋で、そういうのに無頓着そう」


「人をイメージで語るな。ここの植物園は小さい頃から出入りしてるからな。自然、ここで栽培している薬草の知識もついたんだよ」


そう抗弁したアーノルドは、意外や意外、てきぱきとハーブティーの準備をしている。確かに手慣れた雰囲気だ。


「くそっ、アーノルドさんのくせに…」


「悔しがる場所がおかしいだろ」


淹れてもらったハーブティーをぐびり、と頂きながら文句をつけるエリー。

罰当たりにも程がある。

ただ味に関してはスッキリとした味わいで、瑞々しい香りも文句のつけようがなかった。


「ふむ、なかなかのものですね」


素直に感心した。

植物園内は暖かいとはいえ、ひんやりとした屋外を少々歩いた為、冷えていた身体が暖かくなっていく。


「ハーブは薬草だ。その知識があれば戦場でも役に立つし、戦傷を癒す事もある」


「なるほど。実用的~」


つまるところ、戦場で必要な知識の一環であるようだ。常在戦場の一族の所以であろう。

お洒落な振る舞いは副産物と言ったところか。


「それで」


エリーはハーブティーを飲みながら、アーノルドに視線を移す。


「こんな所に連れ込んで、何の話です?皆がいる所ではしにくい話でしょう?」


む、とアーノルドが押し黙る。図星だった。


「……たいした用事じゃない」


「えー、そんなわけないじゃないですか」


エリーは、ぷぅ、と頬を膨らませて抗議をする。


「何だか知らないけど食事会の途中で不機嫌になった件は置いておきますよ。先にアーノルドさんが訪問した要件を聞きたいですね」


その言葉にアーノルドは目を丸くした。

んんん?と、その意図を測りかねたエリーは首をかしげる。

ついでにアーノルドの表情は、困惑と言うか戸惑いと言うか、動揺の色が見られた。


「…………………」


「黙っていたんじゃ分からないですよ。で、何の用事ですか?」


「おまえが、今、だいたい言った」


「は?」


「食事会の事を、気にしてんじゃねぇかって」


少しばかり思考が停止するエリー。その後、考えをまとめると、「ああ」と声を出す。


「え? もしかして気にしてらっしゃいました?」


「あまり良い気分じゃなかっただろ」


「ふーむ」


なるほど、アーノルドは食事会で二人の身に降りかかった一連の出来事について、彼なりに思うところがあったようだ。

特にエリーが嫌な思いをしたのではないかと、気に病むまではいかないが、様子をうかがうくらいには引っかかったのだろう。

そしてアーノルドは、エリーが思案に耽って沈黙したことを、「肯定」と捉えたのか、さらに言葉を続けた。そのトーンは、会話と言うよりは、どちらかと言うと弁解に近いものであったが。


「あ~~~、そうそう、義姉上も少し勘違いがあったようだ。訂正しておこう。確かに説明不足だったかも知れない。あと列席していた親戚たちも、まぁ、悪気はなかったんだと思う。俺も、まぁ、嫌な気持ちと言うよりは、いたたまれないって感じだったしな。ああ、そうだ、あまりいい気分でなかったのなら、食事会は今回限りとして、次からは部屋に食事を運ばせるのでもいい」


ばつが悪そうに頭を掻きながら語り続けるアーノルド。

そんな彼が次々と繰り出す矢継ぎ早の台詞に、エリーは思わず苦笑した。


「大丈夫ですよ。そんなに気にしていませんし、むしろあまり気を遣わせたら、お互いに窮屈になりますしね」


「そうか?それならいいんだが……。ああ、それじゃ、お前の話に話を戻そうか。食事会がどうとかって……」


「まぁ、だいたい解決しました」


「は?」


びしっ、と敬礼ポーズで言い放つエリーに対し、アーノルドはきょとんとして理解の埒外に佇んでいた。

アーノルドの表情は不機嫌と言うよりも、エリーが不快になっているのではないかと言う事に対しての表情だったのだろう。

さらにいえば、いたたまれない心情になっていた事も加わっての顔というわけか。

羞恥プレイに身悶えしていたのは、エリーだけではなかったのだ。


(そうかそうか、なるほどね! うん、なるほど、なるほど)


怪訝そうなアーノルドをよそに、エリーは自分の脳内で不満や疑問がばっちり解消された事に満足していた。

むしろ想像以上にアーノルドが自分と同じ心境であり、さらに配慮までしてくれているという、彼にしては至れり尽くせりの合格点を叩き出していた事に、上機嫌ですらある。


「何もしてねぇのに、何で解決したんだ……? お前が良いってんなら、それでいいけどよ」


納得のいかないアーノルドだったが、エリー自身がニコニコしているので、それ以上の言及は避ける事にした。


「ええ、大丈夫です。それに、こんなロマンチックな場所にいたら、そんじょそこらの悩みなんて吹っ飛んでしまいますって」


そう答えるエリーは、この美しい夜空を見渡せる場所を気に入ったのか、ぐるっと天井からフラットの高さの視線に至るまで嬉しそうに見回した。

あまりにもニコニコしていたので、アーノルドも自然、上機嫌になる。

人間、自分が好きなものを気に入ってもらえると、それだけで嬉しくなるというものだ。


「だろ?俺も悩みがあったり、気が落ち込んだ時は、ここに来て気分転換するんだ」


「え? 能天気で頭が空っぽな脳筋アーノルドさんにも悩みが……?」


「俺を何だと思ってんだ!! 悩みのひとつやふたつ、あるだろ!」


「例えば?」


「……………………」


「ほら、ねーじゃん」


「急に言われたって出て来ねぇよ! ああ、そうだ、思ったように筋トレの成果が出ない時とか……」


「脳筋! ついでに浅ぇ!!


こんなロマンチックでエモい場所で考える事が筋トレとか、宝の持ち腐れにも程があろう。

だがそんな生産性に乏しい会話すら尊く感じてしまうほどに、この満天の星空、どこまでも続く漆黒に瞬く宝石のような星々は、有り体に言って最高の場所である。


「そんなに気に入ったか?」


「もっちろん!!」


ハーブティーを飲み干したエリーは、近場に芝生があるのを見つけて、とててて、と擬音がぴったりな動きをして小走りすると、そこにゴロン、と転がった。


「ほら、こうやったら視界全部が星空です」


「行儀悪ぃぞ。子供じゃあるまいし」


「大人だってやりますよ。逆に言えば、子供の頃はこうやって遊んだって事でしょう。ほらほら、童貞に返って」


「童心だろ!! わざと言い間違えたな!?」


「失礼。返るも何も、一度たりとて童貞から脱した事はありませんでしたね」


「もう嫌だ、こいつ!」


テヘペロっとするエリーに、不満をぶつけるアーノルド。

いつもの調子に戻った二人はひとしきり言い合いをすると、ついに観念したようにアーノルドはエリーの隣に芝生に腰を下ろした。


「何はともあれ、エリーが思ったより食事会の事を引きずっていないようで幸いだ」


満足そうに大きく息を吐くアーノルドに、エリーは半身を起こして笑顔で答える。


「そりゃまぁ、こんな素敵なロケーションでぶんむくれてるのって、もったいないじゃないですか。いやー、最高ですよ、ここ」


「それはよかった。俺の、一番のお気に入りの場所だからな」


「ほうほう、アーノルドさんにも風情を愛でるという気持ちがあったのですね」


「お前な……」


アーノルドが何か言おうとした時、芝生の上に座っているエリーがパンパンと自分の太腿を叩く。


「さぁ、遠慮なく」


「???」とアーノルドが頭に「?」を乱舞させていると、エリーは小首を傾げて


「あれ?膝枕をするんじゃないですか?」


と不思議そうに聞いてきた。


「なんでそうなる?」


「先輩、こういうの好きそうだと思いまして」


「いつも俺がそんな事をしているような発言は慎んでもらおうか」


「お嫌ですか?」


「誰も嫌とは言っていない」


「そういう所がむっつりっスよねぇ……」


格好をつけるくせに、欲望に忠実な返事をするアーノルド。嘘を付けない性格のせいで、損をしている感はある。

そして、あんなに転がるのを子供っぽいと言っていたのにも関わらず、ゴロンと転がるとエリーの身体に自分の頭を預けた。

要は膝枕の誘惑に負けたのである。


「そうそう、素直でよろしいです」


「良い眺めだ」


「でしょ?」


「この角度から薄着の女性の胸を見る事はあまりないからな」


「ふざけんなよ、てめぇ、どこ見てんだよ。夜空を見ろよ、夜空を」


「胸が邪魔で視界が悪い」


「下にずれろ。がっつり胸の下に来て文句言ってんじゃねぇ。そこだと下乳しか見えないだろうが」


その上で「良い眺め」とか言い放つアーノルドに、エリーは「このムッツリ騎士め」と毒づいたが、アーノルドを放り出すような真似はしなかった。

アーノルドが手を伸ばして、パチンと指を鳴らす。

すると、温度を制御されていた炎の勢いが弱まり、明るく園内を照らしていた灯がふっと消える。

周囲が暗くなると、天空の星々の輝きが一層きらびやかになり、深い紺色の夜空にダイヤモンドを散りばめたような光景が広がる。

無駄口ばかりを叩いていたエリーですら、さすがに息を呑み、言葉を紡ぐことができない。

ようやく我に返った後、エリーは大きくため息を吐いて、自分の太ももの上で、のんびりとしているアーノルドに尋ねる。


「贅沢ですねぇ。いつもこんな素敵な眺めを楽しんでいるんですか?」


「ふっ、良いだろ?」


「素直に羨ましいですね。毎晩でも訪問したいですよ」


「滞在中は好きなだけ来ていいぞ。夜だけじゃなくて昼も花が咲き誇っていて、見どころは尽きないからな」


「さすが貴族様っすなぁ」


スケールが違う。軽口を叩き合っている間柄のせいで忘れがちだが、住んでいる世界が違い過ぎる。

すっかり感心しているとアーノルドは機嫌をよくしたようだ。


「俺のお気に入りの場所だ。お前も気に入ってくれたようで、嬉しい」


「ふへへへ」


エリーは照れくさそうに笑った(ちょっと気持ち悪いが)。

彼女にとってアーノルドがお気に入りと言う場所を紹介してくれた事も、そこを気に入ってくれて嬉しいと言ってくれた事も、どちらも心にジーンと響く心持ちであった。

なんだか自分が、アーノルドにとって特別な存在になったかのように錯覚してしまう。


「ここには昔から来ていたんですか?」


「死んだ実両親と3人でよく来ていた」


「重ぇ!!いきなりヘビーな話題をぶっこんで来たな!!」


チルっていた気分に、突然どクソ重い話題が投下された。なんだろう、知らなかったとは言え、思い出の場所に土足で踏み込んだ感が半端ない。

アーノルドの特別になった気分を満喫していたが、いきなりその辺を通過して、聖域にまでご案内された気がする。


「母上にもこうやって膝枕されて寝っ転がっていた記憶がある。あまり覚えていないんだが、朧気にな」


ますます心苦しい。

自分はアーノルドさんの思い出を穢していないだろうかと、エリーは戦々恐々もんである。

アーノルドの数少ないであろう実母との思い出が、自分の膝枕と下乳によって上書きされようとしているのだ。そりゃ焦りもする。


「義姉上とも、こうやって二人で来た事はないし」


「マジで!?」


あのアーノルドが、ノエリアよりも優先する事があっただろうか(いや、ない)。

それを聞いたエリーは、完全に硬直して恐縮してしまうのであった。


◇◇◇


おう、マジか。

ノエリア様とも来たことがない聖域に、土足で踏み込んだ気がする……。

そんな神聖不可侵な場所とは知らなかったとは言え、まさかまさかの展開に過呼吸になりそうだ。


「へ、へ、へ~~、光栄ですねぇ。私が初めてのご招待って訳ですかい?」


茶化そうとしたが、声が上ずってしまう。

そりゃそうだろう。だってアーノルドさんがノエリア様より優先する事項なんて、この世に存在したのかってレベルなのだ。

どんな答えが返ってくるのか、私はじーーっとアーノルドさんを凝視する。


「まぁな。そりゃあ、一人でいたい時とかに来る場所だったからさ。基本的に、一人だった」


私の視線に気が付いたでもなく、まして言い訳するでもなく、淡々とアーノルドさんが答えた。

ああ、なるほど、そう言う事か。

ここはアーノルドさんが亡き実両親と向かい合う場所だったのだ。


(複雑な家庭環境だからねぇ)


実の両親は龍討伐の途上で戦死して、幼くして叔父さんの家に預けられた。

叔父は実娘がノエリア様一人だった為に後継者に据えられて、しばらくの間は義姉ノエリア様との間も微妙な雰囲気になって。

身内ですらそうなのだから、周囲からは色々と言われただろうし、色んな視線を浴びせられただろう。

そんな時に、ここに来て亡き両親と対話をしていたんじゃないかなと。

そうなると、ノエリア様は呼べないよな~。あのかっこつけ先輩が、敬愛するノエリア様に弱みを見せるような事はしないだろうし。仲が悪かった時代ならなおさらでしょう。


(光栄と言うか、重ぇ)


ますます、この場に招待された自分が場違いに思える。

いいのか。神聖不可侵であるべき思い出の場所が、どこぞの馬の骨に土足で荒らされてるぞ。

母親の膝枕で満天の星空を眺めた大事な思い出が、そんな女の下乳に上書きされてしまうぞ。もう穢されてるってレベルじゃねぇ。

あ、今の態勢だとアーノルドさんの頭のせいでネグリジェが固定されて引っ張られているから、身体のライン丸見えだな。透け感のある胸元に至ってはブラが浮き出てるじゃねーか。

だがさすがのアーノルドさんも、こんなエモい雰囲気の中で指摘はするまい。


「エリー、お前のブラ、透けてるな。よくないぞ」


おーけー、おーけー、言うと思ったぜ。

おめーは、そういう奴だ。ノンデリの権化みたいな奴だった。よくないのは、お前のそういうとこだぞ。気が付いていても、そこはスルーするのが紳士ってもんだろうが。

それに、少しは動揺しやがれってんですよ。部屋に来た時は寝間着姿にドギマギしていたってのによ。


「見慣れたからな」


慣れんな。

後輩女子の寝間着、ましてや下着を見慣れるとか、普通に考えておかしいからな。本当なら拝み倒さないと見られない代物だぞ。


「そもそも意外な恰好に虚を突かれて動揺しただけであって、身構えていたらどうという事はない。よく考えたら直に胸を見ているんだから、下着姿程度で動揺する方がおかしいのだ」


生乳見てる方がおかしいんだよ。とうとうおめー、私の清らかなおっぱいを見た事を誤魔化そうともしなくなってきたな。

当初は「一瞬だから見てない」とか言っていたけどさぁ、動体視力のいい先輩が見逃すなんて、ありえねぇと思ったらこれだよ。

減るもんじゃないし、アーノルドさんだから良いけどさぁ。何か私のおっぱいの価値が低く評価されている気がする。

そもそもなぁ、どういう事はないとか、どういう事だ!! もっとありがたがれ!!


「というわけで、俺は冷静沈着だ」


「まぁ、確かに……別に下着くらい、見られた所で死にゃあしませんけど」


「ふざけんなよ。エリーの下着を見た男がいた日には、俺が責任をもって、そいつの目を潰す」


「おめーの方がよっぽどふざけんなよ。まずは自分自身の目を突けよ」


冷静沈着の対極みてぇな台詞を口走りやがった。死にゃあしねぇって言った端から、見てしまった男性の命が危なくなるとは。むぅ、私のおっぱいの価値が高いのか低いのか分からぬ。

アーノルドさんのトーンが、やや低くてガチ感があるのが、ヤバさを助長している。


「エリー」


「は、はい」


「膝の具合はどうだ?」


「ああ、膝ですか」


突然の話題変更にびっくりしたが、よくよく考えたらアーノルドさんを膝枕しているのである。膝への負担がかかっている態勢なもんで、気になるのは当然と言えば当然か。

でも別にアーノルドさんの膝枕くらいならいくらでもって感じなんですけどね。

まだまだ飛んだり跳ねたりってまでは危ないかな。これからのリハビリと経過観察次第ってところではありますが。


「じゃあ簡単なダンスなら大丈夫そうだな」


「は? あれって本気だったんですか?」


「冗談な訳ないだろ。あんなに緊張して頼み込んだのに、まだ嘘だと思ってたのかよ」


「でも難しいステップとか無理ですよ。膝も良くない上に、ダンスなんてした事もほとんどないですし」


「そこは俺がフォローしてやるから安心しろ」


「不安……今からでも他の女性にチェンジできませんかね。絶対、そっちの方が私なんぞより楽しくダンス踊れますよ?」


「お前以外と踊る理由がない」


「いやん」


ドキッとする台詞が飛び出した。こりゃ勘違いするって。

ゲームの台詞なら、絶対に狙ってるだろ、あざといなぁ、ってブツブツ言いながら画面を拝んでいるところだ。


「正直、お前以外と踊る気がしない。誰と踊ったとしても面倒な事になりそうだしな」


アーノルドさんはため息をついた。

その通り、屈指の優良物件であるアーノルドさんの隣を狙う女性は星の数ほどいる。もしダンスを一緒に踊ろうものなら、その女性は『アーノルドさん獲得レース』を頭一つ分リードしたと言っても過言ではない。

そうなると次の展開はどうか。巻き返しを図るために各馬醜い鞭の叩き合い、一歩でも先んじる為に手段を選ばぬ暗闘が始まるだろうなー、って私でも分かる。

そりゃあ、ため息も出ようというもんでしょう。


「そうした権謀術数が大好きな女性もいるが、中には親から強制されて俺を篭絡しろとか無理難題を押し付けられる子も出てくる。それにダンスを踊った子は、翌日から他の連中から蹴落とされる対象になるわけだ。さすがに俺と踊ったせいで、少なくない人数の恨みつらみを被らせるのは忍びない」


もうアーノルドさんが誰かとダンスを踊るだけで死者が出そうな勢いだな。そこまでいくと社会現象だよ。卒業式と同時に争奪戦の開会式が始まるなんて、とんでもない皮肉ですよ。

……そして気が付いてしまった。

私がアーノルドさんと踊るという意味に。


「……逆に言うと、このまま行っちまったら面倒事を全部、私がひっかぶる事になりませんか?」


「………………。」


「何とか言えよ」


「エリーなら、どうにかなるだろ」


「ふざけんじゃねーぞ。人をヘイト管理の材料にしやがって」


何が悲しくてアーノルドさんへの怨念を私が引き受けにゃあかんのだ。マジでふざけんな。


「まぁ、それは冗談として」


へぇ、冗談に聞こえなかったんですが。たちの悪い冗談過ぎて、もう激オコですよ。


「お前なら、俺が護ってやれるし、護る気も起きる。他の女性たちとは違う」


「違うんですか?」


「むしろお前以外を護る気が起きない」


「ふええ」


くそ、上げたり下げたり、私の心を弄びやがって。ぷんぷんしている中、いきなり刃を突き立てられて心臓に悪すぎる。

さらに手を伸ばすと、私の髪の毛をくるくると指で弄って、文字通り弄び始めた。

これはいかん。こんな姿を見られたら、マジで「うちの次期当主をたぶらかしやがって、この泥棒ネコ」とウィッシャート家の方々から怒りの鉄槌を喰らってしまう。

違うんですよ、勝手にこいつが絡んできたんですよ!! むしろたぶらかされてるの、こっちですからね!


「お前じゃないと、ダメなんだ」


………くっ、なんて台詞だ…!

アーノルドさんの真意が分からない上に、アホだから言っている意味を理解していないと思うんだけど、反則だぞ、それ。

きっとさ、「囮として」私じゃなきゃ勤まらないって意味なんだろうけど、これはもう、甘い囁きにしか聞こえないぞ。甘言とはよく言ったものだ。このままだと甘すぎて脳みそが融ける。

私は髪の毛を弄らせながら、アーノルドさんを見下ろしつつ、なるべく平静を装って答えた。


「それは光栄です。先輩の期待に添えるよう努力しないとですねぇ」


それはもう、頑張るしかない。せめて恥をかかない程度には。

そりゃ高難易度なステップとかは無茶振りですが、オーソドックスなステップくらいは、膝が悲鳴を上げない程度に頑張ってみせないと。


「それよりアーノルドさんこそ、気を付けてくださいよ。なんでしたっけ、輸送隊の護衛だとかどうとか。ただでさえアーノルドさんって運が悪いんですから、大魔王の本拠地にでも乗り込むつもりで備えてください」


「それ、国家的危機というか、もはや危急存亡って感じじゃねぇかよ。俺の運の悪さって、そこまでやばいの?」


「起こる。間違いなく道中でイレギュラーが起こる」


「言い切るなよ、縁起でもねぇ!!」


得てして、こういう時は予期せぬハプニングが起こるもの。というわけで、盛大にフラグを立ててみた。


「ついでに私の留守番の方も、何かが起きますね」


「お前もかよ!?不安で遠征に同行したくなくなってきたよ!」


「私もですよっ」


アーノルドさんのツッコミに負けじと私も大きな声を出してやった。

それがアーノルドさんには意外だったらしく、目をぱちくりさせて私を見上げている。

ふっ、自分より大きな声を出されるて、機先を制された気分はどうです?


「………ええと、エリーも不安なのか?」


「ええ。アーノルドさんが側にいてくれないと、不安でしょうがないです」


この場には二人しかいないし、隠していてもしょうがないので、私は素直に心情を吐露した。


「もしアーノルドさんも、ノリエア様もいない邸宅で、何かが起きたら……私は何の力もない、ただの来賓ですからね。そりゃあ、頼りになる人が側にいないってのは、つらいものがあります。とは言っても、ここでアーノルドさんにすがりついて「行かないで」って泣いて引き留めるほど、子供でもありません。それに……」


「それに?」


「不安なのはアーノルドさんのお身体もですよ。さっきも言ったように、絶対にアーノルドさんって厄介事に巻き込まれるんですもん。遠征先で怪我しやしないかって、不安でなりません」


これなんだよなー。

私はウィッシャート家で鎮座してりゃいいんだけど、アーノルドさんって一応、危険地帯に行く流れじゃないですか。

予期せぬトラブルが起きたっておかしくないんだわ。


「そうは言っても、後方支援だぞ。それほど危険はないはずだが」


「んな事言って、私の最初の遭難だって同じような雰囲気だったじゃないですか」


そう言うとアーノルドさんはぐぅの音も出ずに沈黙した。

私が指摘するまでもなく、最初の洞窟調査では想定していなかった魔獣の襲撃で計画は大きく崩れ、私は【深層】まで叩き落される事となったのである。

今回のアーノルドさんの後方支援だって何が起きるか分からないのだ。


「私も、アーノルドさんも、何かあった時に何を頼ればいいのやら」


「そりゃ…………」


アーノルドさんは何かを言おうとしたまま沈黙した。首を捻っている所を見ると、次に何を言うのか決めていなかったのだろう。

そしてようやく絞り出した答えは


「………頑張るしかねぇだろう」


という精神論丸出しの、何ら具体性のない言葉っつーんだから、もう救いようがねぇ。

思わずジト目でアーノルドさんを見てしまったが………確かに具体的な打開策はないな。それはそう、頑張るしかねぇ。

だけど、私ひとりになっちまったら……


「頑張れるかなぁ」


うーん、自信がない。何か、こう、お互いに励まし合うようなものはないだろうか。スマホでもありゃあ、毎晩通話するなりスタンプ送り合うなり、コンタクトが取れるんだけどなぁ。

はぁ、とため息交じりに空を見上げると、吸い込まれそうなくらい、星が瞬いている。

そして視線を下げると、同じようにアーノルドさんが空を見上げていた。その瞳に星が反射して、びっくりするくらいに綺麗だった。やっぱりイケメンはずるい。


「綺麗だな」


「ですよねぇ」


私は相槌を打って同意する。

髪の毛を弄っていたアーノルドさんの手が頬を撫で回し始めてくすぐったい。

まったく乙女の顔面を何だと思ってやがる。癒しの道具みたいに扱いやがって。知育玩具じゃねーんだぞ。

その上、瞳を中で乱舞する星のせいで、天井を見つめるアーノルドさんの目が、少女漫画みたいにキラキラしてやがる。

あー、イケメンは得だわー、何してもカッコいいんだわー。

ん……、星……見上げる………?

あ、もしかして、これ、いけるのでは?


「アーノルドさん」


「なんだ?」


「夜、星を見上げましょう」


「いきなりどうした?」


おや、まだ気が付きませんかね。

さっきまで互いを励ますようなものを探していたではありませんか。


「遠く離れていても、世界の果てと果てって訳じゃないんだし、だいたい同じ時間に夜になりますよね。だったらお互いに空を見ましょう。毎晩、私が夜空の星を見ている時、アーノルドさんも見ているんです」


「ほう」


なんだか「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」みたいな言い回しになっちまいましたが、合点がいったとばかりに、アーノルドさんが感心したように頷く。


「存外、ロマンチストだな」


「おやおやご存じなかったんですか?私ってば、情緒的な乙女なんですよ」


「寡聞にして知らなかった。だが、悪くないアイディアだ。そうか、空か」


アーノルドさんが空を見上げ、私も一緒に見上げる。


………ああ、綺麗だな。


この幻想的なドームの中から見上げた空は綺麗すぎて、多分、一生忘れないと思う。

そしてこの夜空を、アーノルドさんと一緒に見上げた事も。

私のこの後の人生がどうなるか分からないけれど、きっとお婆ちゃんになったとしても、想い出すんじゃないかな。


……そんな事を思いながら、しばらく心地良い沈黙が流れる。

ず~~っとこうしていても良かったけど、私の脳裏にちょっくらナイスアイディアが浮かんだので、視線を下ろし、アーノルドさんを見つめる。


「ねぇ、アーノルドさん」


「ん?」


「どの星を見るか決めましょうよ」


「どういう意味だ?」


「なんかさ、バラバラな星を見るってのも残念じゃないですか。月だと満ち欠けがあるけど、星なら季節が変わらない限り、だいたい一緒でしょ?ほら、あの二つ並んだ星とかどうです?」


どうせ見上げるなら、一緒の星を見上げよう。天気が悪い日は残念だけど、晴れた夜空なら、きっと一緒の星が見れるはず。

そう思った私は、天空に瞬く二つの星を指さしてみた。


「良いじゃないか。あの大きく光る二つの星は、神話がモチーフになっていてな。左右が対となっている恋人同士の双星だ」


「わぁお」


なんだ、なんだ。こっちの世界でも星座っちゅーもんがあるのか。しかも恋人同士と来たもんだ。

あんなに寄り添うように並んでいたら、そりゃあ昔の人も想像力を働かせるってもんですよね。しかし、なんだ、恋人星か。

ふふふふ、それを互いに見上げるなんて、まるで本当の恋人同士のようじゃないですか。


「周囲の反対で仲を切り裂かれた男女が、将来を悲観して入水自殺した。それを哀れに思った神が天上に運んだらしい」


「悲しいエピソード満載じゃねぇか。なにが「良いじゃないか」だ。全然よくねーわ」


「側に帯を広げる天の川を、二人が入水自殺した川に見立ててるんだぞ?」


「いや、全然、何のフォローにもなってねぇッスけど……」


びっくりエピソードだよ。何が悲しくて、そんな星々に自分を重ねなきゃならねーんだ。お前は私と心中したいのか。

つーかさ、逆に能天気に自分を重ねたら、天空のカップルさんたちに恨まれちまうよ。

おー、危ねぇ、危ねぇ。もう少しで盛大な選択ミスをするところだったぜ。


「エピ的に縁起が悪そうな星は回避して、あっちの方はどうです?がっつり光っている、あれ」


「北天の極星か。良いセンスしてるな」


「え、北極星っスか?」


「知ってて言ったんじゃねぇのかよ」


アーノルドさんに呆れられてしまった。まさかこの世界にも北極星なるものがあるとは。

確かに旅をしたり航行する時に目印ないとダメだもんな。納得。

多分、大森恵理ではなく、エリー・フォレスト本人の記憶を紐解けば、この世界の基本知識くらいは………

……いや、全然ねぇぞ。

この子、仮にも主人公のくせに村にいる時にそんな基礎知識すら教えてもらえなかったのか?

いくらなんでも、そんなひどい目には……うん、そうだな、遊んでいる記憶はあるね。野原を駆け回って、孤児院の人たちを困らせて、一日中遊んだりして…………

あれ? 全然勉強した記憶がなくないですか?


「どうした?」


「いや、私って、存外、馬鹿なのかな~って」


「何をいまさら」


「あぁん?」


「お前が言い出したのに、何でガチギレしてんだよ」


「自分で言うのと、他人が言うのとは訳が違いますから」


まったくその辺の機微が分かってねぇなあ。そういう時は「そんな事はないぞ」っていうのが度量ってもんじゃないんですかね。

そう呟くと、アーノルドさんは心底、面倒くさそうな顔をした。あんなに面倒くさそうな顔は見た事がない。人間って、こんなに味わい深い表情ができるんだなと、感心してしまったほどだ。


「まー、とにかくですね」


そう言うと、私は再び視線を宙へ向けた。

うん、綺麗だ。

北の空にキラキラとひときわ輝いている星は、良い目印になるだろう。


「私は毎晩、アーノルドさんの事を想いながら、あの星を見ますよ」


「それは……嬉しいかも知れん」


「いや、確定で喜べよ。こんな可愛い後輩が、毎晩お前の事を想って空を見るんだぞ。ロマンチックすぎねーか?」


「空が曇っていたら見えないだろう、とか考えてしまった」


「現実的ぃ!」


それはそう、それはそうだがよ?

今から見えない事を考えるより、見える事を信じようじゃないか。


「……………………。」


返事がない。ただの屍か、こいつ。


「…………………すぅ…」


……いや、微睡んでますね。呼吸が穏やかです。

何という事でしょう、後輩女子に膝枕されながら爆睡決め込もうとしてやがります。


「アーノルドさん、寝てます?」


「……………」


「アーノルドさーーん」


「……………寝……て……ねぇ……」


もはや意識は夢の中に片足どころか半身浴状態で浸かってますね。

いい機会なので、綺麗な赤髪の生え際とか、眉毛あたりを弄ったり、髪を梳くように撫でたりしてみた。


「むにゃ………」


寝てるよね。これ、絶対に寝てるよね?


「………………寝……………ぃ……」


もう最後の方、全然聞こえねぇんだが。

半目になったり、閉じたりする中で、たまに寝息が漏れる。

くっ、イケメンの貴重な寝顔をこんな間近で見る事が出来るとは役得、役得。

アーノルドさんが入院中に看病した際には、ベッドでぐっすり寝ているのを眺めてましたけど……あれは心配の方が先に立っていたからな。

それ以外じゃ、あの忌まわしい洞窟探検の時にアーノルドさんは皆の前で寝入ってしまったらしいが、どうやらその時、私も一緒に寝入ってしまったので、見る事ができなかった……無念……。


「…………………………すぅ……」


そうこうしているうちに、静かな寝息が聞こえてくる。

もう寝てないとは言わせんぞ。


「ん………ん~~~……」


顔を弄る手を止めると、もっとやれと催促するように身じろぎしやがる。何て贅沢なやつだ。

んでもって、再開したら満足そうに頷いてるしよ。そんな風に人を顎で使うんじゃねぇーぞ、こんちくしょう。


しっかしまぁ……綺麗な顔をしてるなぁ。

顔は無駄に整っているし、睫毛は長いし、全体的に彫刻みたいな造形だし、今気が付いたんだが、こいつもラフなシャツなもんだから、ちらちらと鎖骨が見え隠れするナチュラルに煽情的な格好だし。

私の格好をふしだら的に言っていたが、絶対に人の事を言えないだろ、これ。色気むんむん過ぎる。

それなのに、なんで口を開いたら、あんなに残念ポンコツ野郎に成り下がるんだか。


「ねぇ、アーノルドさん」


「………………ぁ?」


完全に夢見心地の返事が来た。もうまともな会話など成立しないだろうな、こりゃ。


「お互い頑張りましょうね」


「………………ぉぅ」


おお、一応、それっぽい返事をしたぞ。ほとんど無意識だと思うけど。

試しにお気に入りの頭をナデナデしたら、本当に動かなくなってきた。


「ねぇ、アーノルドさん」


「………んー………」


声をかけると、わずかばかり反応するのだが、もうそれも数分と持たないだろうなぁ。

今のうちに言いたい事だけ宣言しておこう。


「できるだけダンスも頑張ってみますね」


「………………ぅぃ」


フランス語か? フランス語なのか? 突然ボンジュールな返事が来て驚いたわ。


「ご家族やみんなと、仲良くしますね。気に入られると嬉しいんですが」


「………………ん……」


おー、もうダメだな。これは寝落ちする直前だ。とうとう閉じた瞼が開かなくなった。

呼吸も寝息に近くなってきたし。


「ねぇ、アーノルドさん。怪我とかしたらダメですよ」


「………………ぉぅ」


「ずっと無事を祈っていますからね」


「………………」


「忘れずに夜になったら空を見てくださいよ。私も毎日、見るんで」


「………………………」


……とうとう返事もしなくなってしまった。スヤスヤと寝息を立てている。

静かすぎて、私の声がなかったらほとんど物音がしない。

やれやれと空を見上げると、瞬く星が綺麗すぎて、このまま星屑になって降り注いできちゃうんじゃいかってくらいだった。

こんなイケてる空間で、アーノルドさんを独占しているのだから、これはもう、すごい贅沢な時間じゃなかろうか。

今なら、今なら、すっげぇ素直になれそうな気がするよ。


「ねぇ、アーノルドさん。戻ってきた時、ダンスが上手くなってたら、褒めてくださいよ」


「………………」


「ねぇ、アーノルドさん。戻ってきた時、みんなと仲良くなっていたら、一緒にパーティーしましょう。私、あの林檎パイ、大好物なんです」


「………………………」


「ねぇ、アーノルドさん。戻ってきた時、またここで、一緒に空を見たいですね。こうして、膝枕だってしてあげますから」


「………………………」


「ねぇ、アーノルドさん」


「………………………………」


「ねぇ、アーノルドさん」


「………………………………………」


「………私、アーノルドさんのこと、好きですよ」



……私が思ったより、ずっと、すんなりと言葉が出た。

そして幸いにも、アーノルドさんから返事はなくて、代わりに規則的な寝息だけが聞こえてきた。


◇◇◇


この後、「この態勢からどうするべ……」と途方に暮れたエリーであったが、幸いにも


「え!?エリーさんとアーノルドが、こんな時間に一緒にどこかへ…!?」


と侍女から聞きつけたノエリアが、イチャイチャの波動を感じ取って植物園にまで足を延ばしたところ、『アーノルドの上着を羽織ったものの、袖が長すぎて萌え袖になっている状態のエリーが、しっとりとした雰囲気の中でアーノルドを膝枕している』姿を発見。


「ンまぁーーーーーーーーっ!!」


と興奮気味に目を輝かせながら、心臓発作寸前の動悸息切れを起こしつつ助け舟を出してくれた。

(危うくその場に「お邪魔虫のおねーさんは退散するから、後はごゆっくり!!!未来永劫に!!!」と放置されるところだったが。エリーが機転を利かせて「ノエリアお姉ちゃん(・・・・・)!助けて!!」と言わなければ、多分、ガチで放置されていた)


その後、ルンルン気分で自室に戻ったエリーが、ベッドの上で身悶えながら一晩中、思い返し続けたのは言うまでもないだろう。

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