4章第9話 ウィッシャート家の人々(2)
新年あけましておめでとうございます。
今年はもう少しペースを上げて投稿したいですね…
「今の感触なら、エリーを預けても大丈夫そうですね」
俺は義姉上を前に呟いた。
我がウィッシャート家で、あれほど喧々諤々となったランチも珍しい。
いつも優雅に食事をする義姉上は、もう殿上人というくらいに気品に溢れており、食事中にあれほど相好を崩して満面の笑みを浮かべる事などない。
かくいうこの俺、アーノルド・ウィッシャートとて、幼少期からそれなりに貴族としての薫陶を受けているからして、食事中に大騒ぎするような無粋な真似はしない。
今日、思わず声を荒げてしまったのは、全部エリーが悪いのであって、俺の責任は皆無である。
「ええ。私たちとの関係が良好だと分かってもらった事だし、きっと良くしてくださる事でしょう」
顔をほころばせる義姉上の表情は明るい。
エリーをウィッシャート家で、皆が納得する形で保護するという目的がほぼ達成できた事への安堵もあるだろう。
「それにしてもさすがですね」
「なにが、かしら?」
「あえて大袈裟にエリーに対して親愛の情を見せたでしょう?あんなに興奮して抱きついてみせれば、誰にだって強く印象に残るはず。家人たちは、義姉上がエリーの事をお気に入りだと思い、きっと悪いようにはしないでしょう」
さすが義姉上、そこまで計算ずくでの行動なのだ。
でなければ、淑女の鏡である義姉上が、あんな子供のようにはしゃぐはずがない。
あの関係性は……例えるならば、まるで恋人同士のハグだった。
しかもあの野郎、これ見よがしに俺の方を向いてドヤ顔していた気がする。ふざけんな。喉まで「そこをどけ」という言葉が出かかったぞ。
そんな俺の言葉に義姉上は、目をやや泳がせながら答える。
「え、あ、う、う~~ん、そ、そうね!そういう事にしておきましょう!」
おっと、義姉上にしては珍しく歯切れが悪く、返事を濁したようだが……
ついでに「そんなに興奮していたかしら……」とか何とか口にしているが、つまり想像以上に芝居めいた言動をしてしまったと反省しているのだろうか?
だとしたら凄い向上心だ。
誰が見てもガチでマジもんに、エリーを溺愛しているようにしか見えなかったのに、まだまだ修正点があるという。
俺も見習わなくてはならない。
「この後、新年を共に祝うため、親戚一同が大勢、やって来ているものね。良い印象を与えておかないと」
「ええ、皆と仲良くできるといいのですが……」
親戚たちは「平民だから」とか、そんな理由で差別するような人たちはいないと思う。
だが、こういう連れてき方をしてしまったからな、どんな少女なのか値踏みされるのは間違いない。
俺たちが不在の時、そういう所が心配ではある。
しかしこればっかりは、相手次第なのだから、我々が心配していてもしょうがないだろう。
「それよりアーノルドの準備の方はどうなのですか?エリーさんに付きっ切りで、己の準備がおろそかになっては本末転倒ですよ」
「そこは抜かりありません」
今回、俺が派遣されるのは、「東方へ派遣されている部隊への物資輸送の護衛同行の任務」だ。
危険がゼロという訳ではないが、昨今の情勢から東方で戦闘が起きる可能性は低く、むしろ道中の盗賊や魔獣の襲撃の可能性が高い。
ただ盗賊が正規の軍を襲うとも思えず、そうなると警戒すべきは魔獣である。
「確かに危険地帯は通過しますが、生息している魔獣のうち、警戒すべきは魔猪程度と聞いています。油断をするつもりはありませんが、過剰に警戒する必要はないでしょう。それより義姉上の方こそ、今回は忙しいのでは?」
義姉上は冬期休暇中、城へ上がって皇太子妃としての教育と勤めを果たしに行くのである。
教育と言っても、もはや義姉上は学ぶべきものはほぼ学び尽くしており、学園卒業後に向けての本格始動という意味合いが強い。
何せ皇室の、新年の祝いの席に列席するのである。
「そうね。でも列席する貴族や、諸外国の方々の名前と顔はすでに覚えました。これからは宴の段取りかしら」
驚くべきことに、義姉上の頭の中には、すでに参加者名簿が完成していた。
新年の挨拶以降も、様々な式典に参加するとのことだが、この調子ならば大丈夫だろう。
「アーノルドこそ、せっかくの新年のお祝いを任地で過ごす事になるのでしょう?残念じゃなくて?」
「仕方ありません。新年のお祝いは、来年もできますからね」
「ええと、そうではなくて……」
「そうではなく?」
「せっかくエリーさんと年越しから新年まで一緒にいられたのに、残念ではないの?」
俺は思わず咳込んでしまった。
意外な角度からのツッコミに、虚を突かれた感じだ。
「俺がエリーと過ごせなくて、何で残念なんです?」
むせ返る胸を叩きながら、改めて義姉上に真意を聞いてみた。
もしかしたら義姉上は何か盛大な誤解をしているのかもしれない。
「そもそも前提が逆でしょう。俺があいつを警護できないから、この家に連れて来たんです。もし年末年始、俺に予定がなければ、そもそもこの家に連れて来ていないですからね。エリーを連れて、人目のつかないような場所で過ごしていますよ」
「それはそれで心配だわ」
何が心配なのだろうか。
俺ではエリーを警護できないと思われているのだとしたら悲しい。もっと義姉上に信頼してもらえるよう、精進せねば……
「でも一緒にいられたら楽しい年越しのお祭りに二人で参加できたのに」
「お祭りか………」
王都では1年の最後の日は皆で街を綺麗に飾って、新年の日を祝う。
深夜でも昼間のように煌びやかで、街中には屋台や出店が一晩中賑わい、華やかな音楽と共にダンスを踊ったり、歌を歌ったりする。
そして0時を迎えると同時に、王宮から魔導士たちが幻想的な呪文を放ち、祭りは最高潮を迎えるのだ。
その後、義姉上は正午に王宮広場前に、クリフォード殿下と共に群集へ新年の挨拶をするらしい。新年早々、大役だ。
確かにその祭りにエリーを連れて行けば、夜通し楽しんでいただろう。
屋台でホットドリンクを飲みながら、出店で可愛い飾りを選び、目を輝かせて王宮からの魔法光を観ては歓声を上げるはずだ。
人の波がすごいから、油断するとすぐにはぐれてしまう。
だが手を繋いでいれば、そう離れる事もないだろう。
………手を繋ぐ? 誰と?
少なくとも、その場にいないであろう俺ではない。
ましてや群集の中を手を引くのだから、女性ではないだろう。
俺の知っている誰かか、もしくはまったく知らない誰かが、エリーのを手を引いて祭りを楽しみ、カウントダウンをしながら新年を迎えるのか。
「………………」
「……あらあら、不機嫌になったわね」
義姉上が口元を押さえながら、顔色を窺ってくる。
いや、別に不機嫌になど、なっていませんよ。義姉上と一緒にいるという僥倖を得ながら、そんな失礼な事があってたまるものか。
ただ、なんとなく、思い当たる節はありますけど。
端的に言えば、エリーが他の男に笑顔を向けるのが気に入らないだけです。
実際に向けなくても、向ける可能性があると想像するだけで腸が煮えくり返る思いがします。
「……そんなストレートな理由を告白されるとは思わなかったわ…」
少し呆れられてしまった。なぜだろうか。
ちょっとからかい気味の素敵表情だったのが、顔色が青ざめているようにすら見える。
体調不良なのであれば、無理せずに休んで欲しいのだが、努力家の義姉上は拒絶するのだろう……まさに淑女の鑑だ。
やがて義姉上は気を取り直し、咳ばらいをしながら俺にこう告げた。
「夜食、楽しみにしていてね。きっとアーノルドも喜んでくれると思うの」
ふふふ、と悪戯っぽい笑顔を浮かべた義姉上は、おそらく地上に舞い降りた天使なのだろう。
どこの世界の神様か知らないが、それだけは感謝しなければならん。
今から俺は夜食が楽しみでならなかった。
◇◇◇
―― ここは広い。
それが私、エリー・フォレストが抱いた率直な感想である。
そしてこの広大なウィッシャート邸を案内してくれるのが………
「「「本館とは別に東棟、西棟がございます」」」
「本館はわたくし、ララが」
「東棟はわたくし、リリが」
「西棟はわたくし、ルルが」
「「「それぞれ担当をなって侍女たちを統括しております」」」
とまぁ、こんな感じの三つ子の侍女さんである。
いやー、ハモるハモる。
案内してくれるのはありがたいのだが、癖が強すぎて情報が頭に入ってこない。
これはあれだ、もうゲームの案内人あるあるだ。
メイド服を着た無表情なクールビューティー風の佇まいを隠そうともしない三姉妹。
青みがかった黒髪に、前髪ぱっつんのララさんと、右斜めにぱっつんしたリリさんと、左斜めにぱっつんしたルルさん。
着物を着せたら、そのまま日本人形みたいだ。クセつよ。
こんな侍女さん、ファンタジーの世界でしかお目にかからないだろう。
多分、非常事態になったらスカートのスリットからナイフを取り出して迎撃するに違いない。
普段露出度低めなメイドさんのアクション&セクシーシーンである。
ぜひとも、お目にかかりたいのだが、そんな状況になるという事は、この屋敷が不逞な輩に襲撃されるか、もしくは彼女らの機嫌を損ねて私が襲撃されるかのいずれかだろう。
どちらにせよ私の命が危険に晒されている場面なので、痛し痒しというか、絶対見たくない場面だ。
「本館は当主様とその奥方らウィッシャート家一族の居住空間、そして迎賓館も兼ねております」
「東棟では来客の方々がお泊りになられます」
「西棟では私たち従業員が住み込みで働いています」
「「「南側は厩舎や倉庫、及び廃棄所となっております」」」
うん、相も変わらずハモり方が絶妙で頭に入ってこない。
大雑把な配置だけ覚える事にしよう。とりあえず私は東棟に行くことになるのかな?
「案内は順調かね?」
案内の途中、初老の男性が綺麗な所作で現れると、一礼をしてきた。
ああ、最初にアーノルドさんと話していた執事さんだね。
「彼の名はロンド」
「この邸宅の執事長を勤めている」
「たいていの事は、彼に聞けばまず間違いはない」
ロマンスグレーの髪の毛と細身の体で、いかにもThe・執事って感じがする。
多分、できる人なんだろう。
私の警戒フラグがビンビン反応しているぜ。
「ほう、あれは」
突然、執事さんが感嘆の声を上げた。
見れば正門をくぐって、煌びやかで華やかな行列(マジで大名行列だ)が邸宅に滑り込んでくる。
馬車に刻まれた家紋は「火」と「風」……つまりウィッシャート家の家紋である。
ちくちくと徹夜でアーノルドさんに刺繍した記憶があるから間違いない。
「どうやら続々と到着しているようですな」
「何の行列?」
「ウィッシャートの一族です。親戚一同、新年を祝う為に、こうして年末年始は本家に集まるのです」
ふーん、聞いてないなー。
そゆとこは、しっかりと報連相していただきたいね、先輩。
そもそも知っている人が不在の他人の家にズカズカと上がり込むのも失礼だが、ついには知らない親戚一同の中で取り残されるのか。
いくらなんでも配慮が足りなさ過ぎだろ、配慮がよー。
せめてノエリア様でもいれば、毎日毎晩ぴったりとくっついて離れないんだけどな。
まぁ、楽しい新年会にご招待!ってわけじゃなく、保護が主目的なんだからしょうがないけれどさ。
「ディナーからは、皆様と楽しく歓談できると思いますよ」
「できるかなぁ」
甚だ、疑問である。
話題についていけずに、うすら笑いを浮かべているか、マナー違反を犯して険しい顔をされているか、どっちかの未来しか見えない。
「打ち解けたらガゼボで庭園ティータイムを過ごすといいでしょう」
「この寒風吹き荒ぶ中で?風邪ひかない?」
「その後は散策ですね。ここに来るまでに見たかと思いますが、広くて歩き甲斐がありますよ」
「多分、悪天候の日に出歩いたら遭難するレベルだよね」
申し訳ないが侍女さんたちの提案は、全部デッドアライブになりかねないので丁重にお断りさせていただく。
そんな中、ロンドさんと三姉妹侍女さんが、何かに気が付いて背を伸ばす。
見れば、向こうから深窓の令嬢というか、まさに令嬢オブ令嬢たる佇まいで、ノエリア様が歩いてこられた。
おー、やっぱすげーオーラ漂ってますなぁ。
「少し、エリーさんをお借りしてよろしいかしら?」
「もちろん」
一瞬のうちに私は解放された。圧倒的な優先順位の高さである。
ん? 私に何の用かしら?
「それじゃ、行きましょうか?」
「へ?」
私は間抜けに聞き返してしまった。
この場で何かお話しするのだとばかり思っていたからだ。
一体、どこに連れて行かれるのだろうかと首をかしげる私に対し、ノエリア様は微笑を浮かべて、手を引きながら言った。
「せっかく来てくれたのですもの。ちゃんとおもてなしをしなくてはいけませんわ」
そう言って、その場で深々とお辞儀をしている執事と侍女を尻目に、私はぐいぐいと引っ張られて、どこかへ連行されて行く。
なんだ、なんだ、どうなっているんだ。
くそ、抵抗しようにもノエリア様からすごくいい匂いがして、ふらふらと付いて行ってしまう。
「大丈夫、安心して。今は私を信頼して、身を委ねてくれればいいの」
そんな事を耳元で言われたら、抵抗しようがない。ああ、アーノルドさんが骨抜きになる気持ちが少し理解できた。
私は喘ぐように答える。
「はい、お姉様……」
いや、そうだろう、そう答えるしかないだろう。
耳朶に幸福感を抱きながら、私は誘われるまま、ノエリア様と共に廊下の先にある部屋の中に滑り込んでいった。
ああ、お姉さま、一生ついていきますわ!!
◇◇◇
「遅いな……」
夕刻、ややかしこまった服装に身を包んだアーノルドは、時計の針を見やった。
ウィッシャート邸の夕食会場には、すでに親戚たちが入室して歓談をしている。
一方、アーノルドは義姉ノエリアと、客人であるエリーをエスコートする役目を仰せつかっていた。
だが肝心の二人が姿を現さない為、手持ち無沙汰になっていたのだ。
「早くしないと時間になっちまうぞ。まさか主賓が欠席するというわけにはいかないし……」
右手で頭を押さえるように掻くと、せっかく整えた前髪がくしゃっと乱れる。
それすらも絵になるというのだから美男子は得であろう。
そんな逡巡を数回繰り返した後、ようやく廊下の向こうから人の気配がしてきた。
訓練されたアーノルドの耳には、駆け足でやってくる足音が聞こえてくる。
(音は二つ……しかも女性の足音だ。とするならば、義姉上とエリーに相違ない)
確信したアーノルドが廊下の先に目をやると、果たしてその予想は的中した。
そして思わず背を正さずにはいられなかった。
そこには彼が女神と信仰する義姉の見目麗しい御姿が、優雅に近付いてきたのだから。
「お待たせ。準備に手間取ってしまって。まだ時間ではないわよね?」
「ええ、なかなかお見えにならず、少しばかり心配になりましたが」
ノエリアが微笑みながら話しかけてくると、アーノルドもまた笑顔で応じる。
今日のノエリアの特徴である漆黒の黒髪に、紫色のドレスで着飾り、大人の雰囲気で纏めていた。
要所要所にフリルの装飾を施され、薄いショールを肩にかけた装いはノエリアの魅力を十二分に引き出しているが、これでも身内のパーティーの為、控えめな方である。
それでいて周囲の注目を引き付けて已まないのは、ノエリア自身の魅力に他ならない。
「どうかしら?初めて着たドレスなのだけれど」
「お似合いですよ、義姉上。このまま宮中舞踏会に参列しても、誰も文句は言わないでしょうね」
「まあ、それは言い過ぎというものだわ。他の方と比べて見劣りしてしまうでしょう」
「義姉上以上に、衆目を集める女性などイシュメイルには存在しません」
きっぱりとアーノルドは言い切った。
シスコン恐るべし、と言いたいところだが、この日のノエリアの装いを見れば、それが過言ではないとも言えるので判断に悩む。
「だよね!!っぱねぇですよねぇ~!」
その背後から、拍子外れの声が聞こえてくる。
それと同時に、ひょっこりと顔を出したのは、淡い水色のドレスに花がスカートにあしらわれた、綺麗なパーティードレスに身を包んだエリーだった。
淡い色合いで統一される中、首元の赤色スカーフだけが非常に艶やかで鮮烈な印象を残している。
彼女はノエリアの側で「じゃじゃーん」と両手で大袈裟に、自分ではなくノエリアのドレスについて紹介し始めた。
「見てくださいよ、このフリル!!結構シンプルなんスけどノエリア様が着るだけで豪奢で華麗な雰囲気に早変わり!!もう主役自身が完璧レディだから、ドレス選びも困っちゃって困っちゃって。何着ても似合うって、罪ですよね~~。薄桃色のドレスは可愛いし、黒なんかもすっごく素敵だったんですよ!!あ~~、でも先輩には見せられないな。興奮して死んでしまうかも知れませんから!!」
ものすごい早口でノエリアを褒め称えるエリー。
美しくハーフアップに結い上げられた髪の毛に、淡い色の花を飾ってある。
動くたびに巻き下ろした髪の毛がぴょんぴょんと動き、軽快な音楽を奏でているようだ。
「ほら、黙ってないで何とか言ってあげてくださいよ!」
「………………」
「……アーノルドさん?」
「あ、ああ」
しばし沈黙していたアーノルドは、心ここに非ずという風に言葉に詰まりながら、どうにかこうにか返事をした。
「……良いんじゃないか、な」
「え~~~~」
エリーが唇を尖らせてダメ出しする。
「それだけですか?せっかくノエリア様が、こーんな美しい姿を見せているんですよ!?いやぁ、ちょっといただけませんね。もうちょっと、こう、良い感じのお言葉をお願いします」
「感想………」
視線を泳がせながら、アーノルドは珍しく言葉を濁しつつ、口をモゴモゴさせながら、やっとの事で一言、
「すごく、似合っている、と思う」
とだけ、絞り出すように言った。
その姿にエリーは大いに溜息をついて
「は~~、情けない。照れちゃって言葉も出ないじゃありませんか。ここは雄弁に、大胆に、大袈裟に褒めてくれたって良い場面です。ノエリア様もがっかりってなもんですわ~」
偉そうに論評しながら、ぴょんぴょんと跳ねるようにノエリアの周りをくるくると回るエリー。
幾度となく小動物に例えられたが、今日のエリーはひらひらとした服装のため、まるで悪戯好きの妖精のようである。
「ま、いいでしょう。私とて、今のノエリア様を褒め称える言葉は、なかなか出てきませんしね」
腕を組んで、う~~ん、と唸り出す。
ノエリアはエリーとアーノルドを交互に見ながら楽しそうに口元を押さえ、アーノルドはというと、複雑そうな表情を浮かべながらも口を開いた。
「………俺が今まで見てきた中で、一番、綺麗だ」
その言葉を聞いたエリーは、パチンと指を鳴らし、そのままアーノルドを指さす。なかなか行儀が悪い。
「いいですね、その言葉!長年、ノエリア様を見てきたアーノルドさんから、史上最高っていう判定いただきました!」
いえい、とアーノルドに向けて満面の笑顔を向けるエリー。
すると何かに気が付いたか、大きな目をぱちくりさせると、不意に手をアーノルドに伸ばしてきた。
その手が、アーノルドの前髪を優しく撫で上げ、丁寧にならしていく。
「な、なんだよ」
「せっかく格好よく決めてるのに、前髪が乱れてるじゃありませんか。ほら、直してあげますから」
「余計なお世話だ」
「もう、じっとしていて下さい」
はぁ、と溜息をついたアーノルドは、されるがままに頭を預けた。
細い指先が丁寧にアーノルドの髪を梳いていくと、先ほど自ら乱した前髪が整っていく。
「もういいか?」
「はい、OKでーす。うん、格好よくなりました!」
会心の出来栄えを確認するかのようにアーノルドの顔を右から左から、舐めるように見回す。
そして最後に、少し背伸びをして耳元に口を近づけると
「今日のアーノルドさんも、私が今まで見た中で、一番かっこいいですよ」
と小さい声で囁く。
びくっ、と驚いたアーノルドは思わず仰け反ると不平を口にする。
「からかうなよ」
「え~、本当の事なのに」
「やめてくれ。そういうのに慣れていないから本気にするだろ」
「ご自身の姿、鏡で見た事あります?最高のイケメンと対面できると思いますけど」
エリーは微笑みながら断言すると、少しよれていたアーノルドの礼服の胸元を、きゅっと引っ張って整えてやる。
その甲斐甲斐しさや親しさは、それはもう、傍から見ていれば恋人同士がイチャついているようにしか見えない。
むしろその初々しい所作に、近くに侍っていた侍従や侍女たちが、逆に赤面してしまうような甘酸っぱい光景だった。
(その脇ではノエリアが限界化して、おばちゃんみたいに「あらあらあらあらまあまあまあまあ」と両手で口元を押さえながらニマニマしていた)
「あ、実は私のドレスも、綺麗だと思いませんか?何せノエリア様が、それはもう私がくったくたになるまで試着に試着を繰り返して選んだ逸品ですからね。そだ、あっちにいるララさんたちにも見せてあげないと!」
エリーは急に翻ると、アーノルドからの返事を聞くよりも早く軽やかにステップを踏みながら遠ざかっていく。
廊下に待機しているララ・リリ・ルル三姉妹を見つけたエリーは手を振りながら、元気よく話しかけ始めた。
遠ざかる背中を見ながらアーノルドが息をふぅ、と吐くと、笑顔を浮かべたノエリアが近付いてきた。
「まったく人目も気にしないでイチャつかないで欲しいわ。目のやり場に困ってしまうもの」
「そんなんじゃないですよ」
「ねえ、アーノルド」
「なんでしょうか?」
「さっきの誉め言葉、本当に私に向けての言葉だったのかしら?」
ふふん、と何かを確信したような、悪戯っぽい表情で話しかけてくるノエリアに、アーノルドは沈黙を以て答えた。
いつもノエリアに対して果断即答のアーノルドが押し黙るという事は、そういう事なのだろう……とノエリアはすぐに察する。
もっとも視線をエリーから一切逸らさず、むしろ見惚れていたのが丸わかりなくらい凝視していたので、誰から見てもバレバレだっただろう。
ただし肝心のエリー本人は、てんで気が付いていないようだったが。
「あんなに可愛いから、色んなドレスを着させてしまったわ。おかげで時間ギリギリになっちゃった」
「ああ、だからこんなに遅く……珍しいなと思っていたんですよ。ただまぁ、エリーが楽しかったのなら、よかった」
「本人はほとんど言われるがままに着させられていたって感じだけどね」
あまり着飾る事に興味がないのか、最後は疲れ果てた目でドレスを試着させられていたエリーを思い出して、ノエリアは思わず頬を緩ませる。
アーノルドは解釈一致とでもいうように、ノエリアの言葉に大いに頷いていた。
「あんまりあいつ、こだわりなさそうだ」
「あら、そうでもないのよ」
「へぇ、それは珍しい」
アーノルドは意外に思った。
無頓着そうなエリーにも、衣服についてこだわりがあるとは。
「あのスカーフ」
「スカーフ?」
「少し強い印象を与えるでしょ?他の色もあったのに、赤色を選んだの。その時、なんて言ったと思う?」
「なんて……?」
確かに淡いドレスになら、他にも似合う色があったと思う。
だが敢えて印象に残る「赤」を選んだ……まぁ、別に似合わないわけではないし、こだわる理由はアーノルドはいくら頭をひねってみても、回答は出てこなかった。
「鈍い、鈍すぎるわ」
珍しくノエリアが唇を尖らせて不平の声を上げる。
うん、可愛い、とアーノルドはしみじみと思う。
ありがとうエリー、お前の訳わからんこだわりのおかげで、良いものが見られた。
心中でアーノルドはエリーに深く感謝した。
そんなノエリアは、アーノルドの心中など知らずに、まるでダメな生徒をあやす教師がごとく教えを垂れる。
「私は、エリーさんの口からその理由を聞いた途端、反対する気は失せちゃったわ。きっとアーノルドもそうだと思う」
「もったいぶりますね。俺をも納得させる理由だったんですか?」
「ええ、まぁ、そういう事になる……かなぁ……?」
「ますます気になります。あいつ、なんて理由を付けたんです?」
「あなただから」
「?」
「赤はアーノルドさんの色だから、だそうよ」
「………………」
アーノルドはその回答に虚を突かれ、しばし絶句した。
沈黙するアーノルドにノエリアは声を低くして呟く。
「まったくなんていう果報者かしら。あんな可愛い子に、あそこまで言わせるなんて、同性の私が嫉妬してしまうくらいよ」
そういうノエリアはまったく嫉妬の色など見せず、むしろ興奮気味ですらある。
(時折「尊い……」という単語が漏れ聞こえてきたが、それが何を意味しているのかは不明)
逆にエリーの裏の言葉を聞かされたアーノルドは、驚きはしたものの「勝手な真似を」などの怒りなどの感情は抱かなかった。
むしろ、こう、くすぐったいような、まんざらでもない感情が湧いてきたくらいだ。
ちょっと前のアーノルドなら、ここでひとつ調子に乗って
「まぁ、あいつも何だかんだ言いながら、俺の事が気になるんでしょうね。やれやれ、困ったものです」
など、マウントを取りに行くところだが、どうにもそんな気にならない。
どっちかというと天に拳を突き出したくなる衝動に駆られる。
そのついでに「わが生涯に一片の悔いなし」とか口走ったら、まんま世紀末覇王のアレである。
「それで、ちゃんとエスコートしてあげるのかしら?」
「エスコート?いや、それはどうかな……俺とエリーが手を繋いで入場したら、誤解されませんか?」
招待した妙齢の女性をエスコートして、親戚一同の前に現れる。
それがどういう意味を示しているか、さすがに分からぬアーノルドではない。
しかも立場としてアーノルドはウィッシャート家の次期当主なのである。
年末年始の祝いの場に一族が集まる場所で、そんなお披露目をしようものなら「彼女を次期当主夫人として迎え入れる」という宣言をするに等しかった。
「だから俺は義姉上をエスコートして入場します」
「それはそれでどうなのかしら……」
自信満々に言うアーノルドの満面の笑みに、少々苦笑せざるを得ないノエリアだった。
姉弟そろって入場するのは良いだろう。
だがエリー一人、ぽつんと入場させるのは少々、よろしくない気がする。かなり孤立して所在なくなってしまうのではなかろうか。
「とは言え、私と一緒に入場するのは、招待主を差し置いてしまうし……」
ノエリアとエリーが手を繋いで入場するのは、形としては問題ない。
またアーノルドが一人で入場するのも、別に問題はない。
だがあくまでエリーはアーノルドに招かれた客なのである。
そのアーノルドを差し置き、ノエリアが率先して入場するともあれば、誰の招きを受けた来賓なのか分からなくなる。
これが気心の知れたオープンな会合なら良いだろうが、親戚御一同様への初お披露目の場なのだ。
なぁなぁにすると、「ああ、こいつは秩序や公私の区別やらを無視するタイプだ」と思われるし、それが最終的に「やっぱり平民の思慮分別はその程度なのか」となっては、エリーが損をしてしまう。
「……そう言う事なので、こうしたらどうかしら?」
ノエリアが笑顔でぽんと手を合わせる。どうやら良いアイディアが浮かんだようだ。
そしてアーノルドは、その女神のような笑顔を拝謁しながら、それがどんなに愚策であろうと従う事を決めた。
◇◇◇
食堂にウィッシャート家に連なる人々が集まる前。
アーノルドの義両親であるモーリスとリリアン、そして執事のロンドがリビングにて歓談をしていた。
いや、歓談と言うよりも作戦会議というべきか。
夫婦の、そして彼らが信頼する執事との話題は、先に訪問した少女についてであった。
「どう思ったかね。なかなか可愛らしい娘さんだが」
モーリスは妻のリリアンに尋ねた。
「不思議な子、という印象を受けました。意外だったのは、アーノルドが……あれほど心を許す姿は珍しいですわね」
リリアンの言葉に、夫モーリスと執事ロンドは大いに頷いた。
アーノルドはこの家に養子に来た時、なかなか相手に心を許さなかった。今でもその姿が印象に残っている。
その傾向は成長しても同様であった。
それはアーノルドが、暫定的であったとしても、次期当主と言う肩書と無縁ではないだろう。
アーノルド自身ではなく、ウィッシャート家との縁を繋ごうと、賄賂で関心を惹こうとしたり、娘をあてがったりと、あの手この手ですり寄ったりとする輩に晒される日々。
さらに端麗な外見も相まって、絡んでくる連中はひっきりなし。
いつしかアーノルドは他者との間に明確な線を引くようになり、容易に心中を語らなくなっていった。
「確かにな。孤児というが、どうしてなかなか、教養も皆無というわけではなさそうだ。あれは学校で身についたものでもなかろうに」
確かにエリー・フォレストは貴族たちに交じって学園生活を送っていたが、怪我やら停学やらで言うほど通学していない。
主要な学校行事も欠席している始末である。
そんな中で見よう見真似とはいえ、それなりに見える所作を身に着けているとは、一体どこで会得したものだろうか。
「ロンドはどう思う?」
モーリスは話を信頼する執事へと向けた。
彼は少し首をひねった後、落ち着いた口調で答える。
「私はウィッシャート家の家是に従う者です。お二人の判断に口を挟むのは憚られますが……」
仕入れたばかりの紅茶を淹れながらロンドは穏やかに続けた。
「おそらく物怖じしない実直なところをお坊ちゃまは気に入られたのでしょう。今の今までウィッシャート家に接近しようともしなかった点を見ても、平民によく見られる出世欲などの野心ともなさそうですし」
その点は夫妻も同意である。
もしエリーが貧乏からのし上がってやろうという気概の持ち主であるならば、既にウィッシャート家に接触していただろうし、そもそも登城して報酬などの権利を主張する機会がいくらでもあった事は報告を受けている。
むしろそれを回避すべく、何かと理由を付けて権力者と一定の距離を保とうとしている姿勢を見せている…との情報は印象的であった。
逆にアーノルドやノエリアの方が、頑なに褒美を受け取らないエリーに四苦八苦しているとも聞いている。
「ただ……よほど波長が合うのか、お坊ちゃまが夢中なのか、それともエリー嬢の方が積極的なのか、学業に影響が出ているのは困ったものですな。まさか停学処分を受けるとは」
ロンドの言葉に、夫妻は今度は目を伏せた。
まさか謹厳実直を絵で描いたようなアーノルドが、不純異性交遊で停学を命じられるとは聞いた時は眩暈がしたものだ。
(さらにその相手となった少女を家に連れてくると聞いた時は、もう一度眩暈がした。大胆不敵にも程があるだろう)
「まぁ、ただ、アーノルドが夢中になるのも、わからんでもない」
モーリスは腕を組み、アーノルドが連れてきた少女の事を思い返す。
正直、あれほどの美少女とは思っていなかった。
娘のノエリアは、親の贔屓目を抜きにして、群を抜く美貌の持ち主だと思うが、それとはまたベクトルの違う可愛らしさというべきか。
事実、美女が多いと評判のトラヴィス学園の1年生の中でも、エリーは何かと平民出身で不当に低く評価される立場ながら屈指の美少女として認定されていた。
いつも罵声やマウントを取ってくる生徒たちですら、それだけは認めざるを得ないのだから、たいしたものであろう。
「ですな。すぐ側であのように愛嬌を振りまかれれば、いかに堅物のお坊ちゃまと言えど、色香に惑わされても致し方ありますまい」
「うむ。あどけない可愛らしさは、さぞ衆目を集めていよう。あと数年もすれば……」
「………ゴホン」
男性陣の女性評はリリアンの咳払いによって中断させられた。
ばつが悪そうに頭をかくモーリスに対して、顔色一つ変えずに紅茶を淹れ続けるロンドが対照的である。
ロンドはロマンスグレーの頭を下げて、完璧な一礼を以て二人に宣言した。
「私はウィッシャート家の方針を是とし、忠実に遂行する者です。エリー嬢を歓迎するのならば、最上級のもてなしを。もし一族の誰かが異を唱えるのであれば、それを家是として対処するのが務めと心得ております」
そう頭を下げながら、ちらりとモーリスに目配せをするロンド。
話がやや逸れ、リリアンの不機嫌の矛先もまたずれて、ひと安堵するモーリスであった。
こうした如才なさが夫婦に信頼され、ウィッシャート家の執事長として差配を任される所以だろう。
「さて、そろそろ食事の時間だ。流れ次第では、エリー嬢の事をさらに深く見極められるだろう。楽しみではないか」
モーリスはゆっくりと腰を上げる。
話題の流れ次第では、再び妻の白眼視が注がれるだろうから、その前に退散するのが得策だ。
リリアンは夫の心中を察しているが、これ以上、突っ込むのも無粋だろうと話を合わせる事にした。
「私たちだけではなく、同席するノエリアからも意見を聞きたいわね。同じ学生として近しい間柄とはいえ、あの子なら、冷静な判断をしてくれるはずよ」
「確かに。招待主のアーノルドだけでは偏った意見になってしまいそうだからな」
さすが長年、アーノルドを見てきた義両親である。
なかなか心を許さないアーノルドだが、ひとたび信頼を置くと周囲が目に入らなくなるのをよくご存じであった。
「では行こうか。ロンド、支度を……」
と、執事に呼びかけた時、扉がノックされ外から声をかけられた。
「旦那様、奥様、よろしいでしょうか?」
それはロンドと並んで信頼する侍女長のスザンナの声であった。
歳は40半ば、常に背筋を伸ばし厳しい表情と態度を崩さず、いつも気を張った口調の女性なのだが、この時はやや言葉の芯がぶれているように感じられた。
「スザンナですか。入りなさい。どうしました?」
その様子に気が付いたリリアンが怪訝そうに返事をする。
ガチャリと扉が開くと、恭しく一礼をした後、はきはきとした声で告げた。
「ご姉弟様の食事への参加ですが、少々遅れそうです」
珍しい、と思った。
いつも時間には気を遣う姉弟、特にノエリアはそうした規律には厳しいはずだが。
ただこの姉弟の特徴として、一旦、集中すると時間の概念がどこかにすっ飛んでしまうので、今回もそれなのだろうと思い直す。
おそらくはアーノルドが、招待客であるエリーといざこざを起こしたに違いない、と。
「承知しました。原因はアーノルドですか?」
「いえ、ノエリア様です」
これまた珍しい、と顔を見合わせた。
ノエリアが原因だとすれば、何か深刻な事態が発生したのだろうか。
「ノエリアが?」
聞き返す声にも緊張感がまとわりつく。
彼女が約束の時間を守らないという事は、それなりのトラブルであろうと察したからだ。
「理由は?」
緊張した面持ちでスザンナからの返事を待つ。
彼女は少し躊躇いがちに、こう答えた。
「エリー嬢の服を選定しているのですが、未だ決まりません」
「……は?」
モーリスとリリアン、そしてロンドが珍しく間の抜けた声を、それぞれ異口同音に発した。
「ノエリアの服ではなく、エリー嬢のか?それでなぜ、ノエリアが遅刻をするのだ?」
「お手持ちのドレスを端から端までエリー嬢に試着させている為です。60着の中から、ようやく20着にまで絞りました。ただすっかり疲弊したエリー嬢が、どこまで耐えきれるか」
「…………………………」
意外な返事に絶句する一同。
「……果たしてノエリアは冷静な判断をしてくれるだろうか」
モーリスは誰にとはなく、深いため息と共に疑問を呟く。
だが言葉を明快に否定できる者は、この場にはいなかった。




